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芽ぐむ日

第三十三話 雨

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「レナ!」
 沈黙したリンジーに、レナは力が抜けたように座り込み、息をついていると、イヴァンが大慌てで駆け寄って来た。
「レナ、大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です」
 へにゃりと笑顔を浮かべて見せれば、イヴァンはそれに安堵したように微笑んだ。
 そして、改めてリンジーの方へ向き直り、その様子を見て、術を解いた。
 支えを失ったリンジーは、人形のように力なく倒れ、ピクリとも動かない。
 レナたちの元へ駆け寄って来たイザベラとアロイスは、その様子を見て眉をひそめた。
「イヴァン先輩、この方、どうしてしまったのでしょうか?」
 不安そうなイザベラに、イヴァンは淡々と告げた。
「魔道具の反動だよ。あんな不良品を使うからだ。皮膚どころか、神経に癒着してしまっている。これは、意識が正常に戻るのは難しいだろうね」
 それに、アロイスが複雑そうな顔をした。
 そんな何とも言えぬ空気のなか、レナの肩にひょい、と飛び乗る小さな影があった。
「ポポ!」
 それは、ポポだった。
 ポポは赤くなった舌を出して、アチチと言わんばかりだったが、元気なようだった。
 それを見て、イヴァンが気を取り直すように言う。
「さて、今はそれより、ここをどうやって脱出するかだ」
 その言葉に、改めて周囲を見る。
 周囲の木々は、リンジーが炎をばらまいたせいで、あちこちから火の手が上がっている。今が夏間近の青葉の時期だったおかげで燃え広がるスピードは遅いが、それも時間の問題だろう。
 煙に巻かれる前にさっさと退散しよう、と話して腰を上げた、その時だった。
 ――ポツリ
 レナの鼻先に、それは落ちて来た。
 ――ポツリ、ポツリ……
 天から落ちてくる水滴。それは、間違いなく雨だった。
 ザァァ、と音を立てて降るそれに、空を見上げるが、雲はない。
「天気雨……」
 大粒の雨は辺りを濡らし、炎が小さくなっていく。
「奇跡だ……」
 アロイスの口からこぼれたそれに、レナは同意した。
 未曽有の災害になりかねない炎。それが、青空から降る雨によって消えていく。それは、ひどく神聖なものに思えた。
 しばらく見惚れるように雨に打たれていると、不意に、聞き覚えのある声が聞こえた。
「レナちゃーん!」
 それに、レナは目をキョトンと瞬かせた。
「……ネモ……先輩?」
 その声は、クラブの先輩の声だった。
「イヴァン、ベラちゃーん!」
 イヴァンはぎょっと目を剥いて慌てて周囲を見まわし、イザベラはぱっと表情を明るくして声の主を探す。
「アロイスさーん!」
 声の主が見つからず、アロイスが困惑に首を傾げた、その時だった。
「こっちよ、こっち!」
 その声は、頭上から聞こえた。
 それに導かれ、顔を上げて、それを見た。
 見上げた先は、青空しかなかった。……なかった、はずだった。
 しかし、その青空から、色水が滲むようにして、巨大なそれが姿を現したのだ。
 レナは思わず呆気にとられ、ポカン、と馬鹿みたいに口を開く。
 それは、蛇のような長大な体を持っていた。
 青い鱗がぬらりと光を弾き、吐き出される呼気にぞろりと肌が粟立つ。
「ドラゴン……」
 それは、誰の声だったか。
 見上げる空に出現したのは、ドラゴンだった。
 蛇のような長い胴を持つ、東洋の青龍だったのだ。

 唖然としてそれを見上げる面々に、聞き覚えのある声が降って来る。
「おーい、みんな! こんな所で、何してるの?」
 ひょい、と見知った顔が青龍の頭上に姿を現した。
「ネ、ネモ先輩!?」
 とんでもない所から顔を出したネモに、レナは素っ頓狂な声を上げた。
 それに、ネモは笑って青龍の頭から飛び降りる。
「よっと……。それで、こんな火事のど真ん中で、何してたわけ?」
 お叱りの空気を感じ、レナたちは首をすくませ、アロイスが慌てて前に出た。
「いや、レナさんたちは悪くないんだ。俺の問題に巻き込んでしまって……」
 そうして倒れている元パーティーメンバーに視線を遣り、アロイスは苦い顔をした。
 それを見てネモは訝しげな顔をし、どういうことかと尋ねれば、彼は今までの経緯を話し出した。
「あー……、それはまた、馬鹿なことをしたものね……」
 元パーティーメンバーを見て、ネモが呆れたように呟いた。
 確かに、彼らは日の目を見るのが難しい立場になったが、それでも自分たちの悪名が届かぬ遠い場所でやり直せば、どうにかなる可能性はあったのだ。
 それが逆恨みして復讐に走り、その結果は廃人だ。どうしようもない、と呆れられて当然の結末を迎えている。
「あの、師匠はどうしてここに?」
 恐る恐る尋ねられ、ネモは肩を竦めて答えた。
「単純に採取作業してたら、遠目に煙が見えて、火事だって分かったから水を司る青龍を召喚して消火活動をしに来たのよ」
 そして、ネモはレナたちにこの後の予定を聞き、後は帰るだけと知って青龍の方へ声を張り上げた。
「チアン! この子たち全員、青龍に乗せられる?」
 それに、青龍の頭の上にチアンが顔を出した。
「あ、やっぱりチアン殿下が召喚したんですね」
「当たり前でしょ。こんなもん召喚できるのはチアンくらいよ」
 イヴァンの呟きをネモが肯定し、この青龍の召喚主がチアンであることを知った。
 ネモ達がよく口にするチートバグ野郎という評価が正しいことを、心から納得できる光景だった。
 チアンはレナたちと、倒れた元パーティーメンバーを見て、まあ、大丈夫だろう、と頷いた。
「じゃあ、その三人をさっさと乗せちゃって。それから、アンタたちは風邪ひく前に体を拭きなさい。暢気に雨に打たれてるんじゃないわよ」
 風邪は万病のもとなんだからね、と母親のようなことを言われ、レナは苦笑する。
 そうして面々は促されるままに青龍に騎乗し、町へと向かった。
 そして、当然、青龍の出現に町は大騒ぎになった。
 最終的にヘンリーが駆けつけ、ネモとチアンを説教するのを尻目に、なぜ青龍に騎乗する時点でそれに気づけなかったのかと、レナたちは大いに反省し、項垂れた。
 それは極限状態を脱して気が抜けていたのと、青龍出現に驚いたのとで頭が回っていなかったが故の失態だった。
 それを察してヘンリーはレナたちを注意するに留め、廃人となった元パーティーメンバーの回収を兵に命じていた。
 あの三人はどうなるのかと尋ねると、そういう治療施設行きだと言われた。
「治療しますの?」
 こちらを殺そうとした相手だ。イザベラが少し納得いかないという風情で眉をひそめたが、それにネモが肩を竦めて告げた。
「治療施設っていうのは間違いないけど、恐らく治験体として扱われると思うわ。それで治れば、ちゃんと罪にあった刑を執行されるの」
 その答えに、アロイスが複雑そうな顔をした。
 治れば、とネモは言ったが、きっと治る見込みはゼロに等しいだろう。
 しかし、彼らはそういう症状を治すための治療を施されるのだ。治る確率はゼロに等しくとも、ゼロではない。
「治れば……」
 アロイスの小さな呟きは、途中で途切れた。
 命を二度にわたって狙われた。仲間と、かつて愛した――結婚まで考えた女に、だ。
 治れば良いと言えないのは、彼のされたことを思えば当たり前だった。
 辛そうに俯くアロイスに、レナは思わず駆け寄ろうとしたが、イヴァンがその腕を取って引き留めた。
「イヴァン先輩?」
 イヴァンは何も言わず、ただレナを見つめていたが、その目が行ってくれるな、と言っているように思えた。
 そんな二人の横をイザベラが「私に任せて下さいませ」と言って横切り、アロイスの背中を「暗いですわ!」と思いっきりひっ叩いた。
 それにアロイスは「痛っ!?」と悲鳴を上げたが、その拍子に暗い雰囲気は吹き飛ばされ、レナは安堵する。
 そして、イザベラのそれを見て、チアンが呟いた。
「……なんだか、ネモに似てきてないか?」
 それにヘンリーが物凄くショックを受け、ネモに尻を蹴飛ばされたのは、どうでも良い余談である。

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