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芽ぐむ日

第二十七話 リンジー・メイトンの半生

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「くそっ、これっぽっちか……」
「ちょっと、さっさと分け前渡してよ」
「うるせぇなぁ」
 かび臭い隙間風のある粗末な部屋に、三人の男女がいた。三人の間に流れる空気はギスギスしている。
 男が小袋から銀貨を取り出し、三枚ずつ二人に渡す。
「あれだけやって、銀貨三枚かよ」
「前なら金貨が稼げたのに……。くそっ、リンジーの話に乗るんじゃなかったぜ」
「はあ!? なによ、アタシのせいだって言いたいわけ!?」
 眦を吊り上げたリンジーに、仲間の男達は冷たい視線を向けるも、何も言わなかった。
 それをリンジーは睨み付け、すぐにそっぽを向いた。
 ――こんなはずじゃなかったのに……
 リンジーはそんなことを思いながら、爪を噛んだ。

 リンジー・メイトンは、何もないつまらない村で生まれた。
 しかし、リンジーは村で一番の美少女で、将来が楽しみだとちやほやされた。村で一番格好いい同年代の男の子 ――アロイスだってリンジーに夢中で、リンジーは自分が世界で一番可愛いという自信があった。
 豊かではない生活は不満ばかりだったが、自尊心はいつだって満たされていた。
 しかし、この村は貧しくて、リンジーはいつかこんな村を出て都会で贅沢に暮らすのだと決めていた。
 いずれはアロイスと共に村を出て、結婚して、そして幸せになるのだと――幼いリンジーは、夢を見ていた。
 しかし、その夢は呆気なく崩れ去る。
 村を、飢饉が襲った。
 家々は食料を確保すべく動き、リンジーの家は食べ物を手に入れるための金を確保すべく、食い扶持を減らすことにした。
 リンジーは、売られた。
 人買いが家にやって来て、村で一番美しいリンジーは金貨十枚で売られた。
 信じられなかった。
 家族の裏切りが。恵まれた容姿を持ち、将来の幸せを約束されていた自分の突然の転落が――
 人買いは自分が美しかったからこそ金貨十枚にもなったのだ。普通なら五枚程度だと言っていたが、そんなものは何の慰めにもならなかった。
 呆然と人買いに手を引かれて歩いていると、アロイスが呆然としてこちらを見ているのに気づいた。
 彼は何も言わず、ただこちらを見てるだけで、何もしようとはしなかった。――助けて、くれなかった。
 裏切られたと思った。
 こんな人買いなんてやっつけて、リンジーを連れて逃げて欲しかった。
 怒りと憎しみが湧きかけた時、アロイスの声がリンジーの耳を打った。
「リンジー! 俺、絶対、迎えに行く! 迎えに行くから!」
 それに、リンジーは弾かれたように顔を上げた。
 アロイスはひどく必死な顔をしていた。
「約束だ!」
 怒りと憎しみが霧散する。
 その代わり、ただただ悲しみがリンジーの胸に満ちて、自慢の顔をぐしゃぐしゃにして涙を零し、頷いた。
 最後に垂らされた希望の蜘蛛の糸。
 それをこの先、彼が本当に迎えに来てくれるまで、リンジーは大切に握りしめて生きた。

 彼が迎えに来てくれるまで、リンジーは娼婦として生きてきた。
 好きでもない男に己の身を好き勝手される恐怖。嫌悪。どうしようもない苦痛。
 それら全てを背負って生きてきた。
 しかし、アロイスは本当にリンジーを迎えに来てくれて、大金を払ってリンジーを自由の身にしてくれた。
 それからのリンジーは、アロイスと共に冒険者として生きた。
 二人で働いて、お金を貯めて、たまにデートして、ちょっとした贅沢をして、幸せに浸って……
 いずれは、アロイスと結婚するのだろうとぼんやり思っていた。
 しかし、一つだったはずの道は、唐突に二つに分かれた。
 転機が訪れたのだ。
 それは、ある大きな商会の会頭子息の護衛依頼だった。
 会頭子息は平凡な顔立ちの男だったが、育ちの良い人間特有の気品があり、美男子のアロイスと並んでも陰らない存在感があった。
 その会頭子息が、リンジーに一目ぼれしたのだ。
 護衛依頼中熱心に口説かれて、リンジーは困惑しつつも、己の中でムクリと起き上がる何かを感じた。
 人は、それを『欲』と呼ぶだろう。
 しかし、リンジーはそれを『チャンス』だと思った。
 会頭子息は金持ちだった。
 もし彼と結婚すれば、リンジーは贅沢し放題で豊かに生きられる。
 リンジーの心は次第に会頭子息へと傾いた。
 しかし、このまま会頭子息へ乗り換えるには問題があった。
 彼は、娼婦を毛嫌いしていたのだ。
 会頭子息の年の離れた兄は大の女好きの放蕩者で、娼館通いの末に病気を貰い、死んだどうしようもない男だったのだ。
 だから、その反動で彼は娼婦を嫌煙していた。
 もしリンジーが元娼婦であるとバレたら、彼はたちまちリンジーを遠ざけるだろう。
 アロイスは別れようと言えば幾らか揉めるかもしれないが、無事に別れられるだろう。しかし、リンジーが娼婦をしていたことを会頭子息へ話す可能性が捨てきれなかった。
 だから、リンジーはアロイスを始末することにした。
 パーティーを組んでいる仲間の男二人は最近金遣いが荒く、リンジーがアロイスの遺産をエサに話を持ち掛ければ、すぐに頷いた。
 そうして、リンジーはアロイスをダンジョンの下層に置き去りにすることに成功した。
 リンジーはアロイスを亡くしたことを悲しむふりをしながら、まんまと会頭子息の恋人の座に収まった。
 しかし、それはほんの僅かな期間だけだった。
 アロイスが、生きて戻って来たのだ。
 それからは、二度目の転落が待っていた。
 とたんにリンジーたちは疑惑にぬれ、悪徳の徒として扱われ、当然、会頭子息はリンジーを遠ざけた。
 リンジーたちは日々の糧にも困るようになり、裏から回される仕事で食いつなぐようになった。
 夢見た贅沢な生活は遠く、儚く消えた。
 全て上手くいっていたはずなのに、何故こんなことになったのか……
「全部、アロイスのせいよ……」
 リンジーの呟きに、仲間の男二人が彼女に視線を向ける。
「アイツさえ、あの時死んでいれば……!」
 ガリ、と噛んでいた爪を噛み切る。
 苛立たしげに声を荒げるリンジーに、男二人もまた「そうだ!」「アイツさえ、死んでいれば!」と同意する。
 リンジーたちは限界だった。
 仲間アロイスを殺すと決めてから、既にそのタガは外れている。
 元より歯車は嚙み合わせが悪くなり、軋みを上げていた。
 決壊は、すぐだった。
「ねえ、おかしいわよね。私たちがこんなになっているのに、アロイスは光の中で生きてるのよ? おかしいわよ」
 リンジーの憎しみに満ちた声に、男たちは頷き、同意を示した。
「そもそも、アイツが生きてるのがいけないの。絶対に、死んでなきゃダメなのよ!」
 ギラギラと不気味に光る目が、薄暗い部屋に浮かぶ。
「だから――」
 ――アロイスを、殺そう。
 狂気に染まった目が、アロイスが向かった王都へ向けられた。


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