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芽ぐむ日

第二十一話 アロイス・クレスという男1

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 燦々と降り注ぐ太陽の光は心地よく、人々の生活の騒めきは、確かな生の喜びを伝えてくる。
 アロイス・クレスは、己の肩より下にある小さな頭に柔らかな視線を送る。
 ちょこちょこと揺れる黒髪に、時折こちらを伺うように振り返って見上げる顔には愛らしい笑顔が浮かび、純粋な好意が見て取れた。
 彼はそれに淡く笑みを返し、己の胸に宿る暖かな想いを噛みしめながら、己の半生を振り返る。
 アロイスは、貧しい寒村で生まれた。
 村を出て行く者が多く、残った者は実りの貧しい畑を耕していた。
 アロイスには兄が二人おり、畑を継げないことが決まっていたため、いずれ村を出て行くことになっていた。
 同じ村に住む、同じ年頃の少女――リンジー・メイトンもまた、いつか村を出て町で働くのだと夢を語った。
 アロイスは、このリンジーに密かに想いを寄せていた。リンジーもまた、アロイスにそういう好意を寄せてくれていたと思う。
 二人はいつか、共に村を出ようと約束していた。
 しかし、それは突然破られる。
 貧しい村は、天候一つで危機に陥る。
 長雨のせいで作物が思うように育たず、家々は食い扶持を減らさなくてはならなくなった。
 アロイスの家は兄と父が町に出稼ぎに行くことで危機を乗り越えたが、リンジーの家は違った。
 リンジーが、売られたのだ。
 アロイスはその日を、今でも覚えている。
 曇天の道を、俯いたリンジーが人買いの男に手を引かれ、のろのろと歩いていた。
 アロイスの頭は真っ白で、ただ遠くから見ているしか出来なかった。
 どうすれば。
 どうすればいい。
 どうしたら……
 リンジーの姿が、豆粒のように小さくなってから、アロイスはようやく走り出した。
 そして――
「リンジー!」
 真っ赤に充血した目が、アロイスを見た。
「俺、絶対、迎えに行く! 迎えに行くから!」
 アロイスは力の限り声を張り上げ、告げた。
「約束だ!」
 アロイスは、ぐちゃぐちゃに顔を歪ませて、涙を零すリンジーが確かに頷いたのを見た。
 
 アロイスは十四歳になると、村を出て冒険者になった。
 そして、幸運にも上級冒険者のパーティーに荷物持ちとして参加させてもらえることになった。
 このパーティーには気持ちの良い人ばかりで、アロイスは剣の振り方を剣士に学び、簡単な魔法を魔導師に習う事が出来た。
 そうして実力をつけていき、二年ほどで一端の剣士になった。
 パーティーの人間は、そこの頃にはアロイスを荷物持ち扱いせず、戦闘員として迎え入れ、報酬を山分けしてくれるようになった。
 そして、その溜め込んだ報酬で、ついにアロイスはリンジーを迎えに行った。
 リンジーは、娼館にいた。
 十七歳になったリンジーは酷く色っぽい美女なっており、娼館は彼女を買い戻すのに高額の金を要求した。
 アロイスはどうにかそれを払い切り、リンジーを取り返した。
 リンジーは泣いて喜び、アロイスに何度も礼を言った。
 それからアロイスは上級冒険者たちのパーティーを抜け、冒険者になったリンジーと共に二人三脚で頑張って来た。
 そして、更なる躍進を目指し、気が合った冒険者二人を仲間に加え、パーティーを組んだ。
 この時が、アロイスの幸せの絶頂期だっただろう。
 美しい恋人に、気の良い仲間達。
 人生が輝いていた。
 そうしてアロイスは仲間たちと共に冒険に繰り出し、順調に金を溜めていき、いつしかリンジーと結婚を考えるようになった。
しかし、丁度その頃だった。アロイスが、リンジーたちに小さな違和感を感じるようになったのは……
 リンジーは少しアロイスに素っ気なくなり、他の二人は金にがめつくなった。
 この時、アロイスは暢気にもそれを重要視しなかった。
リンジーとのことは倦怠期だろうかと悩み、他の二人にはもう少し金の使い方を注意すべきだろうかと考えていた。
 アロイスの考えは、馬鹿馬鹿しい程に甘かった。
 その甘さの結果が、恋人と仲間たちの裏切りだった。
 
 それは、ダンジョンの下層で起きた。
 熊型の魔物が剛腕を振り下ろし、アロイスはそれを躱しながら、狼型の魔物の追撃をいなす。
 こめかみに冷たい汗が流れ、ジリ貧だった。
 仲間達に向かってフォローを入れるよう頼むが、それは一つも入れられない。
 なぜだ、と疑問が湧く。
 嫌な予感が脳裏をよぎり、必死にフォローを頼むが、仲間たちは矢の一つも魔物に放たない。
 魔物たちの猛攻を避け、受け流し、時に切り裂きながら、視線を仲間たちの方へ向け、アロイスは見た。
 仲間たちは、嗤っていた。
 ニヤニヤと、死にそうになっているアロイスを見て、嗤っていたのだ。
 この時ようやく、アロイスは彼等に死を願われているのだと知った。
 アロイスは、愕然とした。
 そんな。
 どうして。
 なぜ。
 なぜ――
 その時、答えは出なかった。
 なぜなら、アロイスはその時、熊型の魔物の剛腕に弾き飛ばされ、崖から落ちてしまったのだから……
 崖の中ほどに僅かに生えた木や、岩肌に何度もバウンドし、転がり、痛みで意識が遠のく中、アロイスはずっと信じられない想いを抱えたまま、恋人だったはずのリンジーの顔を思い浮かべていた。
 
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