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令嬢は踊る

第九話 エラ・リース男爵令嬢1

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 夏休み終了まで、残す所あと十日。
 レナはサンドフォード準男爵家へと戻って来てた。

「あの、レナ……? 大丈夫かい……?」

 恐る恐る尋ねるのは、義兄のルパートだ。
 彼は心配そうに眉をひそめ、レナの様子を窺う。

「はい……。だいじょうぶです……」

 対するレナは、ちっとも大丈夫そうではなかった。
 チーン、とりんが鳴りそうなほど生気を失い、煤け、燃え尽きている。
 この酷い疲労状態は、ネモのスパルタな特訓のせいだ。得た知識や技術の分、確実に生気が消費されていた。
 彼女が言うには、本当なら夏休み一杯特訓に費やしたかったそうなのだが、令嬢教育のために彼女の特訓を受ける期間は半月程度となった。
 その半月程度でこの燃え尽き具合なのだから、夏休み一杯となればどうなってしまうのか、寒気がする。
 その夏休み一杯を体験している真っ最中のイヴァンが心配である。

「これからリース家の令嬢と顔合わせをすると聞いてるけど、日を改めた方が良いのではないかい?」
「いえ、それはそれで困るので……」

 ふー、と深く息を吐き、レナは顔を上げた。
 その顔には疲労が滲み出ているものの、先程よりは随分とマシに見えた。彼女もまた、他の貴族と同様に他者に己の情報を与えないように仮面の被り方を覚え始めたようだ。
 義妹の成長に、ルパートは目を細めて笑む。

「それでは、ま、頑張って」
「はい」

 そう言って、血の繋がらない兄妹は微笑み合った。



   ***



 太陽は真上に上り、夏の太陽がギラギラと大地を照らす。
 外はじりじりと焼けつくような暑さだが、部屋の中は『冷房』もしくは『クーラー』と呼ばれる魔道具で適温に冷やされている。
 それは貴族でもそう簡単には手に入らないと言われている魔道具であり、それを初めて見た時はとても驚いたことをレナは覚えている。
 そんな冷房がやはり珍しいのか、目の前の母子はこの部屋に入るとその涼しさに驚き、部屋の隅に設置されているそれを物珍しげに見ていた。
 レナはその気持ちはよく分かる、と心の中で頷く。一方、サンドフォード準男爵夫人たるエセルはこの屋敷を尋ねてくる人のそんな反応は珍しくないため、見ないふりをし、微笑みを浮かべて二人を迎え入れた。

「ようこそいらっしゃいました、リース夫人。お会いできて嬉しいですわ」
「こちらこそ、ご招待ありがとうござます。憧れのエセル様にお茶にお誘いいただけて、とても光栄です」

 今回、エセルの個人的なお茶会に招いたのは、リース男爵家の夫人と、その娘である。
 リース夫人は自分の後ろに立つ娘を前に押し出し、「さあ、ご挨拶して」と促す。

「ローガン・リースの娘、エラ・リースと申します」

 そう言ってカーテシーをしたのは、夕焼けのような美しい赤毛に、緑の瞳を持つ少女だった。
 淡く微笑みを浮かべた彼女のカーテシーはとても優雅で、彼女が動くたびに見える端々の仕草が美しい。
 彼女の顔立ちは可愛らしいが、誰もが振り返るような美貌の持ち主ではない。しかし、その仕草ゆえにとても気品のある美しい淑女に見えた。
 なるほど。彼女を見れば淑女教育というものの必要性がよく分かる。彼女から受ける印象はとても良いものだ。
 なんて綺麗な子なんだろう、と思っていると、レナもご挨拶を、と養母に促される。

「初めまして。レナ・サンドフォードと申します」

 そう言って養子に入ってからずっと練習していたカーテシーをするが、目の前の彼女より優雅さが格段に足りない。
 本物の令嬢って凄いな、と思いながら養母がリーン母子に席を勧め、その後レナ達も席に着く。
 お茶会用の円卓の上に用意されるのは、温かい紅茶と、フルーツをふんだんに使ったゼリーが乗ったタルトだ。
 レナがタルトの美味しさに感動している間に、母親たちの軽い近況報告の会話が終わり、早々に本題に移った。

「それで、レナなのだけど、家が貴族ではなくなるとはいえ、我が家を継ぐとなれば上流階級の人達との付き合いをする必要があるわ。けれど、この子は淑女としては未熟。だから、是非エラさんにお友達になって欲しいの」

 自分に話題が移ったことをに気付き、エラに視線を向ければ、彼女はニコッと感じの良い笑みをこちらに向けた。
 そんな彼女の隣で、リース夫人がぱっと華やいだ笑みを浮かべる。

「まあ! エセル様のお嬢様のお友達になれるなんて、光栄ですわ! ね、エラ?」
「はい、お母様。私で良ければ、ぜひお友達にならせていただきたいです」
 
 事前にそれとなく話を通しておいたとはいえ、色よい返事にエセルは満足げな笑みを浮かべる。

「それでは、ここからは若い人たち同士で親交を深めてもらおうかしら。フローレンス様は私にお付き合いくださるかしら」
「うふふ、喜んで!」

 ニコニコ微笑み合う母親たちに促され、レナとエラはあっという間に部屋を追い出された。
 二人は顔を見合わせて、苦笑する。

「追い出されちゃいましたね」
「ええ。お母様ったら、憧れのサンドフォード夫人とお喋りがしたいからって、もう……」

 そう言って、改めて向き直る。

「あの、改めてよろしくお願いします。レナ・サンドフォードです。どうぞ、レナって呼んでください」
「はい。よろしくお願いいたしますわ。私のことも、どうぞ気軽にエラと呼んでくださいね」

 そう言って、そっと小首を傾げる姿は品がある。

「ふわぁ……。お母様がお願いするからには凄い方が来るとは思ってましたけど、エラさんって本当に綺麗ですよね……」
「まあ!」

 感嘆まじりのその言葉に、エラはポッと頬を染める。

「仕草がとても綺麗で、貴女が洗練された淑女である事が分かります。エラさんこそが、淑女教育の結晶なんだと思いました」

 心の底からそう思っているのだと感じさせる正直な目と声で、エラはますます恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑む。

「あの、レナ様。どうぞ、ただエラとお呼びください。我が家は領地も無い、職位も低い男爵家です。敬語も不要です」
「あ、じゃあ、私もただ、レナと呼んで。敬語もいらないかな。私は庶民上がりで、今は準男爵の娘だけど、爵位は無くなって貴族じゃなくなるし。……あれ? むしろ、私が敬うべきでは?」

 それにはエラが、そんな、敬うだなんてとんでもない、と言って固辞した。
 いやいやそんな、そんなも何も、と二人で慌てあい、はた、と同時に我に返る。
 少し気まずそうに、けれど恥ずかしそうに苦笑いする。

「うんと、じゃあ、よろしく、エラ」
「ええ。こちらこそ、レナ」

 気を取り直してレナが握手を求め、エラがそれを照れ臭そうに握る。
 微笑ましい少女達の青春の日々は、こうして始まったのであった。
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