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ヒロインはざまぁされた

第二十四話 暗転

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 ――嗚呼、嫌だな……

 小さな呟きが、空気に溶ける。
燦々と降り注ぐ太陽の下に、小さな影が落ちている。
 小さな影の主は、銀の髪と赤い瞳、そして浅黒い肌を持ち、その背には蜻蛉のような羽を持っていた。
 汗ばむほどの陽気だが、小さな影の主が感じる風は、ヒヤリと冷たい。その風は、ダンジョンである洞窟から吹いているからだ。
 ふわりと浮かぶようにして飛ぶ影の主は、忌々しそうに己の首にある鉄の首輪に触れる。そして、触れた指先からジワリと闇が漏れるが――バチンと火花が散って、それを掻き消した。
 火花は影の主の首に火傷を負わせ、影の主はそれに落胆のため息をつきながら、慣れたように魔法で癒した。
 そして、諦念に暗く淀んだ瞳を上げながら、ゆっくりと己の影に沈んだ。

   ***

 アリスが妙な違和感を感じたのは、そろそろダンジョンから引き上げるかと話し合っていた時だった。
 一瞬、空気に妙な澱みが混ざったような気がしたのだ。
 アリスは辺りを見回し、その時にローズが眉間にしわを寄せて険しい顔をしているのに気づく。
「ローズ様、どうか――」
 しましたか、と聞こうとした、その時。
 アリス達の足元。
 影がぶわりと広がり、まるで飲み込むようにアリスとアルフォンスを引きずり込んだ。
「アリスちゃん!」
 ローズが慌ててこちらに手を伸ばすも、それは届かず。
 アリスとアルフォンスは、闇へと意識を落した。

   ***

 アルフォンスが意識を取り戻し、目を開いた先にあるのは、闇だった。
 自身の姿すら視認できぬほどの暗闇に、アルフォンスは混乱した。目が見えなくなったのかと思ったのだ。しかし、気を失う前に起きたことを思い出して、ここが影の中なのだと気づくと、嫌な音を立てていた心臓が落ち着いていくのを感じた。そして、そこで自分が地面に立っておらず、かといって寝ているわけでもなく、まるで水の中にいるかのように、闇の中を浮いて漂っているのだと気づいた。
 現在この身に起きていることは、明らかに人間業ではない。しかし、ダンジョンのトラップではないだろう。
 アルフォンスはあたりを警戒しながら、魔法を使ってみることにした。
「≪点灯ライト≫」
 アルフォンスの指先に光が灯り、アルフォンスの体を闇の中に浮かび上がらせる。しかし、数瞬後、指先の光は闇に呑まれるようにして消えてしまった。どうやら、アルフォンスの魔法は、この空間に負けてしまうらしい。アルフォンスは多少腕が立つだけの箱入り王子だ。この空間を破れるほどの大魔法など使えない。
 もし、それができるとすれば――
「・・・・・・信じているよ、アリス」
 そう呟いて、アルフォンスは来るべき時が来るまで、静かに目を閉じた。

 時は、アルフォンスが意識を取り戻したときに遡る。
 ちょうど、同時刻。アリスもまた意識を取り戻した。
 目を開ければ周りは真っ暗。しかも、自身は水の中を漂うかのごとく闇の中に漂っている。
慌てて辺りを見回すも、周りは闇が広がるばかりで、何もない。当然、アルフォンスもいなかった。
 そして、そこで自分がなぜここにいるのか思い出す。アルフォンスと共に影に引きずり込まれたのだ。
 自分の体を見下ろし、異常がないことを確認する。
 怪我はなく、衣類に乱れもない。特に問題はないようだ。
 この時、アリスはそれが異常であることに気がついていなかった。人が物を見られるのは、光の反射によるものだ。光の差さぬ空間で、自分の体が見えることは、本来ではあり得ない。
 それに気づかないアリスは、自分を落ち着かせるために深呼吸して、考える。
 まず、何が起こったか。
「アルフォンス様とローズ様と一緒にダンジョン探索をしていて、影に引きずり込まれた。引きずり込まれたのは、私と、アルフォンス様の二人。あの場所にダンジョンのトラップはなかった」
 と、いうことは、これは何者かの作為によるもので、この闇の中のどこかにアルフォンスが居る可能性が高い。
「探さないと・・・・・・!」
 アリスはひとまず指先に魔法で光を灯したが、それはしばらくすると闇に呑まれてしまった。
 異様な消え方にぎょっとするも、諦めず今度は指先に小さな火を灯してみる。すると、火はゆらゆらと揺れるも、消えることはなく、そのまま辺りをほのかに照らしている。
「・・・・・・どうしてかしら?」
 先ほどの光が消えたのは、この空間で光を灯されるのは都合が悪いからだろう。しかし、同じくらいの魔力量で、規模も小さい火の魔法は消えなかった。いったい、何が違うというのか。
「・・・・・・あ。もしかして、大精霊の契約者だから?」
 思い至る先は、自称『愛と情熱の大精霊』にして、その実『炎の大精霊』であるローズだ。
 ローズと契約してから、アリスは火系統の魔法の威力が増し、その調整をした覚えがあった。アリスは気づいていないが、自身の姿が闇の中ではっきり見えるのは、そのおかげでもあった。
 大精霊の影響下にある火の魔法は、消すことができない。つまり、この空間を作った者は、大精霊の格下ということだ。
「けど、こんな空間を作れるなんて、人間業じゃないわ」
 大精霊より格下の存在なんて、山ほど居る。そして、アリスより格上の存在もまた多い。
 しかし、その格上のローズがここに助けに来ないということは、この空間を作った存在はそれ相応の実力があるということ。つまり、アリスでは負ける可能性が高いのだ。
「どうにかしないと・・・・・・」
 正直、アルフォンスがどうにかできるとは思えない。あの人はアリスが足下にも及ばないほどに頭がいいが、この空間を破れるほどの力があるわけではない。思いつきはしても、実行する力がないのだ。
「≪炎よ≫」
 指先に灯った火に魔力を送る。火は轟々と燃え上がり、炎の塊が出現する。そして、それに更に魔力を送ろうとした――その時だった。
「あのさ、それ、やめてくれよ」
 背後から、声がした。
 気配を感じられなかったそれに驚き、振り返った先にいた存在に、驚きを重ねる。
 そこに居たのは、子供だった。ただし、ただの子供ではない。背中に蜻蛉のような羽がある、人間の掌サイズの小さな子供だったのだ。
「妖精!?」
 人間の仕業ではないと思ったが、まさか妖精だとは思わなかった。
 妖精は、ある意味精霊よりも珍しい存在だ。
 精霊は気まぐれに人間の前に姿を現すことがあるが、妖精は徹底的に人の前に姿を現さない。それは、端的に妖精が弱いからだ。
 もちろん、妖精は人間よりも保有する魔力量があり、魔法も堪能だ。それだけなら、ヒエラルキーでは上位に位置づけられる。しかし、魔法を無効化されるとそうはいかない。残るのは小さな脆い体だ。そうなると、逃げ出すのは困難となる。そして、妖精を捕らえるようなことをする者は、碌な人間ではない。捕らえられた先には絶望しかないのは想像に難くない。そのため、妖精は自衛のために欲深い人間から姿を隠し、人里離れた秘境と呼ばれるような地で生活している。
 そんな妖精が、アリスの目の前に居た。
「なんか、巻き込んじゃって悪かったよ。用事が済んだらすぐに解放するから、おとなしくしていてよ」
 用事。
 この妖精が言う用事とは、何を指すか。
 背筋が泡立つような嫌な予感を感じながら、尋ねる。
「・・・・・・用事って、なに?」
 妖精の気だるげな赤い瞳が、アリスに向けられる。
「第一王子の暗殺」
 その瞳に映るアリスは、目を見開いて愕然とした顔をし――次の瞬間、激怒した獣のように顔を歪めた。

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