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ヒロインはざまぁされた

第五話 精霊の泉

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 乙女ゲーム『精霊の鏡と魔法の書』には、期間限定イベントがあった。
 それは、ヒロインと契約した大精霊の里帰りイベントである。
 ある日、大精霊は自身が生まれた場所で精霊の祭りが近々行われると話し、それにヒロインを誘うのだ。
 その生まれた場所は精霊界と呼ばれており、この世界とは違う、一つ幕で区切ったように隣り合う世界なのだとか。そんな精霊界の入り口が、なんとこのコニア男爵領にあるのだ。
「確か、この辺の木に……」
 アリスが村はずれの森で探すのは、根元に洞のある大樹だ。
 大樹の洞の中には、青い花が咲いており、その花は不思議なことに一年中枯れることはない。
 村では精霊の加護を受けた花だから、摘んではいけないと教えられており、誰もがその花を目で愛でるだけで、触れるようなことはなかった。
 しかし、実はその花こそが精霊界への入り口だったのだ。
 アリスはその花を見つけ、ドキドキしながら手を触れる。そして――
「わぁ……」
 次の瞬間、目の前に広がっていたのは、大きな泉と、そのほとりに咲く美しい花々だった。
 花々の周りや、泉の上にはふわふわと小精霊が舞い、風と共に舞う花弁と踊るその様は、とても幻想的なものだった。
 まさにこの世のものとは思えぬ美しい光景に、ポカンと口を開いて呆然としていると、こちらに気づいた精霊が寄って来た。
「あら、珍しい。人の子だわ」
「人の子ね」
「珍しいね」
 きゃらきゃらと笑いを含んだ声に、アリスは意識を取り戻す。
「あっ、えっと、こんにちは!」
「うふふ、こんにちは」
 手のひら大の小精霊達は、アリスの周りをくるくると飛び回る。
「人の子がここに来るなんて珍しいわ」
「迷子かしら?」
「それとも何か用があるの?」
 興味津々といった様子でこちらに集まって来た小精霊に、アリスは告げる。
「ええと、実はお願いがあって来ました」
 背筋を伸ばし、告げる。
「どなたか、どうか私と契約してもらえないでしょうか!」
 アリスの言葉に、騒めいていた精霊たちがピタリと話すのをやめ、じっとこちらを見つめる。
 彼らの顔には笑顔はなく、ただこちらを見定める目でこちらを見つめる。
 人外の力ある存在のそれには、圧力があった。
 それは、ピリピリとしたものではなく、ぞっと背筋が冷えるような妙な寒気を覚えるものだ。
(んん~!? これはちょっと、まずったかな?)
 よくよく考えてみれば、精霊の力をマイナス方面の私利私欲のために使おうとする人間が居そうだ。彼らは、アリスがそういう人間かどうか見定めようとしているのだろう。
(うん、これ、まずいよね。私も私利私欲の塊だし……)
 この精霊との契約を思いついたのは、今日のことだ。ちょっと手伝ってもらえないかな~? と足取り軽くやって来た。足どころか、頭が軽い行動だ。反省しなければならない。
 しかし、アリスはここで引くわけにはいかなかった。
 今後の、イケメン旦那とのラブラブ新婚生活のために!!
「どうか、うちのダーリンに食べさせるお肉をダンジョンに獲りに行くお手伝いをしてください!」
 素晴らしい胸筋をお持ちのダーリンのため。そして、それをいつか堪能するのだと私利私欲を通り越した破廉恥極まりない野望のために、アリスは潔く土下座をかましたのだった。

   ***

 なんか想定していた欲の種類がちょっと違うぞと感じた精霊たちは、珍獣を見るような目でアリスを見る。
「実は私、最近結婚したんですけど――」
 アリスは背筋を這うような寒気がなくなったと感じると、畳みかけるようにぶちまけた。
 王子様に親切にされ、交流を重ねて好きになったこと。
 彼に気にかけられたことで嫉妬され、嫌がらせを受けたこと。
 その末の不自然な断罪劇のこと。
 罰としてその王子様と結婚させられたこと。
 王子様はアリスに好意を持っているけれど、それは恋愛感情に満たないこと。
 その王子様は、まるで燃え尽きたかのように元気がないこと。
「何か事情がありそうね」
「ワァ、王家の闇ってヤツだね!」
 精霊たちがかなり俗っぽい興味の示し方をしている。気持ちは分かる。ドロドロの王家の闇を描いたドラマとか、風呂上りのビール片手に観たい。
 そんなことを脳の片隅で考えながらも、アリスは更に言葉を重ねた。
 王子様を元気づけたいこと。
 そのためには肉を食べさせればいいと聞いたこと。
 コニア男爵領のダンジョンの下層に、とても美味しい肉をドロップする魔物が居ること。
 その肉を食べさせてあげたいこと。
「健気ね」
「男は胃袋からってヤツ?」
 精霊達は感心するかのように頷き、アリスの真心を聞く。
 そんな精霊たちの様子に、アリスの語りに熱が入る。
 王子様に自分を好きになってもらいたいこと。
 あんな素敵な人が夫になるなんて、これを逃したら一生後悔すること。
 なんとしてでも彼をオトし、ラブラブ新婚生活をエンジョイしたいこと。
「あら? なんだか雲行きが怪しいわね?」
「健気がどっか行った」
 アリスの欲望に満ちた真心に、精霊達は、あれー? と首を傾げだした。
しかし、アリスはそれに気づかず、迸る熱いパトスのままに腹の底から叫んだ。
「私は! アルフォンス様と仲良くしたいの! 優しくて文武両道のイケメン旦那を逃したくない! あの顔をあらゆる角度から一生眺めていたい! あわよくば、あの程よく引き締まった筋肉を堪能したい! 頭のてっぺんから足の指先まで私のものにしたい!」
 地位も名誉もどうでもいい! アルフォンスという男が欲しい!
 ダァン! と力強く両の拳を大地に打ち付けての魂からの叫びに、精霊達は「欲望に忠実~」と言いながら、警戒が完全に取り払われた生暖かい目でアリスを見つめた。
 最早、欲深い人間ではなく、欲深い珍獣として精霊達の視線を集めるアリスは、力強く言い募る。
「もう、こんなチャンスないのよ! 向こうがハイスペックイケメンを手放して、わざわざ籍まで入れてくれたのよ!? こんなの、全力で囲い込むしかないじゃない! もちろん、責任はとるわよ! 私の手で溺れる程に幸せにしてみせるわ!」
 だから、彼を幸せにするために力を貸して! と再び土下座する珍獣アリスに、精霊達はどうしようか、と顔を見合わせる。
 なんかもう、一周回って面白い人間だ。それに、自分達を利用して悪しきことを成そうという気はなさそうだ。
 小精霊達は面白そうだからいいかな、と思うが、彼女の下層ダンジョンで肉をゲットするという目的を成すには力が足りない。数を集めればそれも可能になるだろうが、残念ながらアリスには複数の精霊を従える才能は無い。そうなると、相性の良い大精霊との一対一の契約が望ましいのだが、大精霊は誰も彼もが実力相応にプライドが高く、契約相手を選り好みする。
 アリスは世の災厄になれるほどの莫大な魔力を持っているわけでもなく、偉大な賢者になれるような頭脳があるわけでもなく、聖女のように心が清らかなわけでもない。
 近年まれにみる珍獣というだけだ。そんな相手に、大精霊が契約を了承してくれるだろうか? 
 精霊達が顔を見合わせて相談を始めた、その時だった。

――惚れた殿方を手に入れるために我武者羅になれるそのパッション、確かに見せてもらったわ!

 その声は、耳で聞き取った声ではなかった。頭の中に直接流れてきたのだ。
そんな不思議な声に、アリスは驚きながらも辺りを見回す。
 すると、ふわり、と蛍火のような光がぽつぽつと現れ始めた。
「え?」
 目の前で起きる不思議な現象に目を瞬かせていると、蛍火はだんだんと大きなものになり、最後にはそれらが一か所に収束する。そして――
「きゃっ!?」
 大きな光が弾けた。
 あまりの眩しさに、アリスは思わず目をつぶる。
「その熱く燃える愛の炎。まさに、この私と契約するに相応しい!」
 力強い声が耳を打つ。
 光が収まり、アリスは目を開ける。
 そして、視界に飛び込んできた人物に、目を見開いた。

 その人は、美しい朱金の長い髪に、張りのある白い肌をしていた。
 ぷっくりとした唇はピンクのルージュがひかれ、長いまつ毛に縁どられた目は、太陽のような黄金。

 アリスはごくりと息を呑み、その人を見つめる。

 キュッとしまったウエストの上には、アリスより確実にバストサイズが上の逞しい大胸筋がのっている。
 上腕二頭筋は、筋肉自慢の戦士達が負けたと膝をつくような見事な隆起を見せていた。

「つ、つよそう……」
 思わず零れたアリスの呟きに、精霊達はさっと視線を逸らす。
 アリスの視線の先には、女神のコスプレをした、ゴリマッチョオネェがいた。

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