乙女ゲームは終了しました

悠十

文字の大きさ
上 下
55 / 56
コミック第二巻発売記念

番外編・酒癖(下)

しおりを挟む
「まずいことになった」
「母上やお祖母様に見つかったら事だぞ」
「うーむ……」
 男達がコソコソと集まるのは、ベルクハイツ家当主の執務室である。
 集まったメンバーは、ディランを除くベルクハイツ家直系の男達だ。
 アレクサンダーとアウグストはなんとも言えぬ顔で唸り、いつでも前向きで陽気な男であるバーナードすら難しい顔をしている。
 今回、男達の頭を悩ませているのは、ディランの酒癖だ。
 酒というものは、人の理性を溶かし、欲のままに行動させる悪魔の水だ。
 ディランもまた、その例に漏れず、酒に酔って普段は抑圧している欲を開放する。――ムカつく奴を完膚なきまでに、時には国ごと破滅させるという計画を練るのだ。しかも、酒の所為で理性が溶けているので、そこには欠片の慈悲もなく、多くの者を巻き込む陰惨さが溢れ出ている。深淵の向こうから、ナニカが覗いていると錯覚するような出来だ。
 そんな恐ろしい計画案を読み、男達は戦慄したが、先代当主の妻と現当主の妻は、一考の余地がある、という顔をした。
 男達はそんな女達の顔を見て、ディランの完全犯罪計画書は彼女達の目に入れてはならないと心に刻んだ。

 そんなわけで、男達はどこかで完全犯罪計画を練っているだろうディランを探していた。
「それにしても、どうしてディランは酔うと姿を隠すんだろうな?」
「無意識でも、悪いことをしようとしている自覚があるんじゃないか?」
 バーナードとグレゴリーの言葉に、ゲイルが苦笑いする。
 ディランの酒癖は、厄介だ。なにせ、完全犯罪計画を練る際、彼は姿を隠してしまうのだ。しかも、ベルクハイツ家の戦士による本気の潜伏である。お陰様で彼を見つけるのは骨が折れる。
 さて、どうしたものかとゲイルは先代当主と現当主を見る。
 アレクサンダーとアウグストはベルクハイツ本邸の間取りが描かれた紙を見ながら、意見を交わしていた。
「誰かが自室としている部屋は除外だ」
「人の出入りが多い部屋もな。うちは影が天井裏を通るから、そこもないな」
「前回は温室の道具小屋の中だったか」
「オリアナに見つかる寸前だった。間一髪取り上げて、グレゴリーが走って暖炉に放り込んだ」
「今思い出しても、背筋が冷えるのう」
 思い出してふるりと震える祖父と父の姿に、母達にばれるのも時間の問題かもしれない、とゲイルは渋い顔をした。

   ***

 さて、そんなゲイルの心配は、十分もしないうちに現実のものとなった。
 ベルクハイツ邸のリビングルーム。そこに、オリアナとポーリーンは居た。
「あら、あの子が酔うまで飲むなんて珍しいわね」
「今日は特に忙しかったものねぇ」
 寝酒にちょっとのつもりだったのに、うっかり飲みすぎちゃったのかしら。
 ポーリーンの推理は大当たりだ。一杯で止めるつもりが、疲れた頭がもう一杯と命じるままに二杯、三杯、と飲み続けてしまったのだ。
「なんにせよ、あの子は最終的に寝てしまいますから早く見つけ出さないと。風邪でもひいたら事だわ」
 母親らしい心配だが、それはそれとしてディランの冷血完全犯罪計画書を読みたいと思っているあたりが、実に『ベルクハイツの悪魔』らしい。
「けど、ディランちゃんたら、ここぞとばかりにオリアナちゃん譲りの頭脳とベルクハイツの才能を発揮するから、見つからないのよねぇ」
 困っちゃうわ、と小首をかしげるポーリーンの前には、ディランを見つけられなくて項垂れる影のトップが居た。

   ***

「ここだ!」
 バーナードが勢いよく開いたのは、客室の隣にある使用人用の部屋だ。
「……居ない…な……?」
 バーナードの後ろからグレゴリーが部屋の中を覗き込み、残念そうに呟きながら後ろに居るゲイルへ視線を向ける。
「多分、バーナードの気配を察知して移動したんだろう」
 苦笑いしてそう言うゲイルに、グレゴリーが何とも言えない顔をする。
 バーナードは兄弟の中で一番勘がよく、隠れた魔物や、侵入者などをよく見つける。そのため、このディラン捜索にも彼の勘を頼りにすることがよくあるのだが、バーナードに対して僅かながら苦手意識があるディランは、彼の気配を察知すると早々に逃げてしまう。なんとも自分に素直な行動だ。
「そろそろ眠くなる頃合いだろ? もしかすると眠るのを待った方が早いかもしれないぞ」
「いや、それだと風邪をひくかもしれない」
 バーナードの提案に、ゲイルが兄らしく心配する。
「それに、そんな悠長なことを言ってたら、母上達に先を越されるんじゃないか?」
 グレゴリーの指摘に、兄二人は完全犯罪計画書を手にした女達の様子を思い浮かべ、青褪める。
「早く見つけないと……!」
 決意も新たに三人は走り出した。

   ***

 ベルクハイツ家の影達は、背中に冷たい汗を流して目の前の老人――ベルクハイツ家先代当主、アレクサンダーを見つめていた。
 影達はオリアナとポーリーンの命により、こっそりとディランを探していたが、早々にアレクサンダーに発見され、こちらへ来いと手招きされた。
「夜遅くまでご苦労じゃな。どれ、儂が茶でもご馳走しよう」
 そう言い、東の国の方の茶器を取り出し、茶の準備を始めた。実に分かりやすい足止め工作である。
 影達は、そんな恐れ多い、と遠慮したが、「気にするな」の一言で遠慮は封じられ、大人しくお茶をご馳走になることになってしまった。
「茶菓子もあるぞ」
 遠慮するでないぞ、とやはり東の方の珍しい茶菓子を出され、影達は縮こまる。
 こうして始まる先代当主とのまさかのお茶会に、影達は脳内で夫人達に助けを求めるのであった。

   ***

 月が闇を煌々と照らす夜。
 アウグストは妻似の三男坊の寝顔を見つめ、苦笑した。
「まさか、屋根の上とはな……」
 三男坊の手には万年筆と、数枚の書類が握られていた。
 三男坊の手から万年筆を引き抜き、書類に軽く目を通して、遠い目をする。そこには、どこぞの阿呆が所属する国家の転覆計画が書かれていた。
 暖炉に放り込まねば、と思いながら計画書を懐に仕舞い、ディランを起こしにかかる。
「ディラン、こんな所で寝ていたら風邪をひくぞ」
 そう言って肩を軽く叩いたが、ディランはむずがるように呻くばかりで、目を覚まさない。
「仕方ないな……」
 アウグストは軽く溜息をつき、ディランを背負って立ち上がる。
「ふむ……」
 背に感じる重さの、なんと重いこと。
「大きくなったな……」
 何やら胸に来るものがあった、しんみりと呟く。
 ディランは今でこそ領内では憧れの貴公子として名高いが、彼も子供のころは、無邪気におんぶや肩車をせがむような子供だった。
 アウグストの表情筋が珍しく仕事をし、やれやれと穏やかな笑みを形作る。
 屋根の上からは、明るい月と、街を囲む外壁が見える。外壁の向こうには、不穏な気配を醸し出す深魔の森がある。
 代々、ベルクハイツの戦士達は、この地を守るために命をかけてきた。そして、それはこの先も続いていくのだろう。
「あっ、父上! ディランを見つけたのか!」
「バーナード兄上、声が大きい。母上に見つかるぞ」
「父上、ディランは寝てしまいましたか?」
 足元から息子たちの声が聞こえ、そちらに視線を向ければ、一つの窓に三人が大きな体をねじ込んで、実に狭そうにこちらを見上げていた。
「テラスから中に入る。オリアナたちはそちらに居ないな?」
「大丈夫かと」
 ゲイルの言葉に頷き、アウグストはテラスに向かって歩き出す。

 アウグスト達は、ベルクハイツの地を離れない。
 例え他の地の人間から、永遠の戦場と言われるような過酷な土地であろうとも、ここには確かに幸福があるのだから。



しおりを挟む
感想 1,090

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】夫は私に精霊の泉に身を投げろと言った

冬馬亮
恋愛
クロイセフ王国の王ジョーセフは、妻である正妃アリアドネに「精霊の泉に身を投げろ」と言った。 「そこまで頑なに無実を主張するのなら、精霊王の裁きに身を委ね、己の無実を証明してみせよ」と。 ※精霊の泉での罪の判定方法は、魔女狩りで行われていた水審『水に沈めて生きていたら魔女として処刑、死んだら普通の人間とみなす』という逸話をモチーフにしています。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。