乙女ゲームは終了しました

悠十

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3巻

3-2

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   ***


 その日、アレッタはご機嫌だった。
 なんと、フリオが急にお休みをもらえることになり、急遽デートに誘われたのだ。なんでも、疲れが出たのか『漢女ヲトメ部隊』の新戦闘服のお披露目会の途中から記憶がないほどらしい。アレッタは寝ていたほうが良いのではないかと言ったが、フリオだけではなく両親からも大丈夫だと言われたので、それならと素直にデートを楽しむことにした。
 彼が仕事に慣れるまでそういうことは難しいと思っていただけに、アレッタの足音は軽やかに弾んでいる。
 実はアレッタはフリオと共に宝飾店へ行きたかったのだ。
 現在、アレッタの耳にはフリオからもらったフリオの瞳の色をした琥珀こはくのピアスが輝いている。これはフリオの独占欲の証である。ならば、アレッタだってフリオの耳にアレッタの瞳の色、緑色の石を贈らねばならないだろう。
 ふふふん、と鼻歌交じりのアレッタに苦笑しながら、フリオは歩調を合わせてゆっくりと歩く。

「それで、目的地は『アルベンド宝飾店』で良いのか?」
「ええ。ベルクハイツ家御用達の店なの」

 普通の宝石から、魔物素材の宝飾品まで幅広く取り扱っている老舗しにせである。デザインもさることながら、店主の初老の紳士や店員が気持ちの良い接客をするので、アレッタは宝飾品を買うならその店と決めていた。

「ここでフリオのピアスを買いましょうね!」
「お、おう……」

 フリオは照れた様子でそっぽを向いたが、アレッタが絡ませた腕をほどこうとはせず、そのまま一緒に店へ入った。
 そしてその途端、目に入った光景に二人の目が点になった。

「だから、この店で一番良いネックレスを持って来いと言っているんだ! この俺を誰だと思っている! 王子殿下の側近であり、王宮騎士団長の息子のジョナサン・バナマンだぞ!」
「ジョナサン様、素敵!」

 アレッタとフリオはそっと顔を見合わせる。
 ――あれって、ホンモノ?
 ――ああ、残念ながら幻でもなんでもなく、実態を伴うホンモノだな。
 そんな会話を目だけで交わしながら、再び視線をジョナサンのほうへ戻す。
 脳筋騎士ジョナサンは、少々化粧の濃いお嬢さんを腕にまとわりつかせながら、居丈高に店員を恫喝どうかつしていた。王都にいた頃にはあったはずの正義感は見る影もなく、それが脆弱ぜいじゃくなメッキだったことが分かる光景だ。
 あれがアランと再会した結果か、とアレッタは冷めた目で見る。
 ジョナサンがこのベルクハイツ領に引き抜かれ、ディランの隊に配属されてから、それなりの時間が過ぎていた。恐らく、フラストレーションが溜まっていたところに過去の特権階級の象徴が来て、その身に叩き込まれたはずの数々の教えを捨てて飛びついてしまったのだろう。つまり、楽なほうに逃げたのだ。

「ディラン兄様の貴重な時間を無駄にしたわけね……」

 アレッタの低い声に、隣にいるフリオの肩が跳ねた。
 ディランは兄妹の中で最も忙しい。長兄のゲイルもなかなか忙しい人であるが、母に似て頭の出来がとても良かったディランは、領地を守る戦士としての仕事以外にも、少々厄介やっかいな仕事を抱えている。
 そんなディランの時間を無駄にしたとあれば、家族を大切にしているアレッタは当然カチンとくる。
 アレッタはにっこりと微笑ほほえみ、腕まくりをして愚か者ジョナサンの元へ近づいていったのだった。


   ***


 ズリズリズリ、と雪かきをされた石畳の上に、一本の線が引かれる。
 その線を引く物体の正体は、アレッタによってキュッと締められて気を失ったジョナサンだ。
 アレッタはジョナサンの襟首えりくびを持って容赦なく道を引きずり、フリオはその隣を苦笑しながら歩く。
 道行く人はその光景にぎょっと目をくものの、引きずっているのがアレッタと分かるといつものことかとにっこり微笑ほほえみ、中には「お仕事お疲れ様です」と声までかけていく人もいた。
 ちなみにジョナサンの腕に巻きついていたお嬢さんだが、簡単に締め落とされたジョナサンを見て、慌てて逃げていった。
 流石さすがにこの状況で店で買い物をする気にはなれなかったアレッタは、ジョナサンを巡回兵のしょへ連れていった。
 そこで、イキがった脱走新兵なのでディランの部隊の訓練所に放り込んでおいてくれと頼み、アレッタは一仕事終えた顔でしょを出た。

「フリオ。予定が狂っちゃったけど、他にどこか行きたいところとかある?」
「あー……、そうだな。とりあえず表通りをぶらついてみるか」

 フリオは気を取り直すように明るく笑って、アレッタに自分の腕を差し出した。


 冬の町は寒く、雪かきがされているとはいえ、石畳は雪で隠れてしまっているところが多い。
 それでも、ここは表通りだ。人通りは多く、人々は白い息を吐きながら雪道を歩いている。
 たまにツルリと滑って転ぶのは、雪靴を履くのを嫌がった洒落者しゃれものだ。雪靴は比較的安全に雪道や凍った道を歩けるが、流行から外れたずんぐりとした外見をしているため、洒落者しゃれものには少々不評である。
 アレッタはそんな雪靴を履いて、フリオと腕を組みながらご機嫌で通りを歩いていた。
 アレッタは、このずんぐりモコモコした雪靴が好きだった。だって、シルエットが可愛いのだ。今の流行はスッキリとしたシルエットのものだが、好みは人それぞれだろう。
 そんな雪靴でポコポコ歩きながら、自分より高い位置にあるフリオの顔を見上げる。
 フリオは寒さで鼻の頭を赤くしながら、白い息を吐いていた。

「アレッタ、何か欲しい物とかあるか?」
「え? うーん……、特にない、かなぁ……?」

 フリオのピアスは欲しいが、今から宝飾店に戻る気分ではない。小首をかしげながらそう答えるアレッタに、そうか、とフリオがうなずく。

「それならちょっと寄りたいところがあるんだが、いいか?」
「もちろん、大丈夫よ!」

 弾けるような返事にフリオも笑みを返し、二人は再び歩き出した。
 フリオの目的地は、表通りから外れ、奥まったところにある雑貨店だった。
 そこには女性が好みそうな小物や、冒険者が必要とするようなちょっとした旅の必需品や回復薬などが売られていた。
 フリオは商品棚から疲労回復薬を選び、カウンターへ持っていく。その時、アレッタは見た。商品を渡す際、さりげなく小さな紙片を店員に渡すのを――
 それを見て、アレッタは、もしかして、とフリオを横目で見た。

「新商品のドライフルーツも一緒にいかがですか?」
「へえ、じゃあそれも頼むよ」

 まいどありー、と店員は店の奥へ引っ込んでいく。

「フリオ」

 問うように名を呼べば、彼は笑みを深めてアレッタを見た。
 その顔に自分の予想が正しかったことを知り、なるほどねとアレッタは納得して視線を外した。
 しばらくして店員が商品を紙袋に入れて持って来たので、支払いをして店を出た。

「……お金、あれだけで足りたの?」
「大したモノじゃないからな」

 ドライフルーツの代金は、通常のものよりだいぶ高かった。それが純粋にドライフルーツの代金なら、ちょっと文句が出るような額だ。
 しかし、アレッタは支払った代金が品物に対し妥当かどうか心配していた。それがどういう意味かと言うと――

「あそこ、情報屋だったのね。知らなかったなぁ……」
「あの場所で商売を始めたのは最近だ。元々、あそこの店主は違う場所で情報を売ってたんだが、都合が悪くなって引っ越してきたんだよ」

 そう言ってフリオは紙袋の中から一枚の紙を取り出し、軽く目を通すと、再び紙袋の中へと仕舞った。
 そう。フリオはあの雑貨屋で情報を買ったのだ。

「うちの影じゃ駄目だったの?」
「いや、わざわざ影を使うほどの情報じゃなかったからな。町に出たついでだ」

 と会話をしていると、細い路地から見るからにガラの悪い男達が出てきた。
 おやと目を丸くしていると、男達は下卑げびた笑みを浮かべながらアレッタ達を取り囲んだ。

「よぉ、お二人さん。デートかぁ?」
「いいなぁ、セイシュン、ってやつか?」
「有り金全部置いてきな」
「馬鹿野郎、有り金じゃ足りねぇよ。男は身ぐるみいで、女は俺達が楽しんだ後、売っぱらうんだよ!」

 そりゃ良いな、とゲラゲラと笑って下品なことを言う男達に、アレッタはにっこり笑い、こぶしを握ったのだった。


   ***


 ――ドサ!
 細い路地に、重い物が倒れた音が響いた。
 倒れたのは、大柄な男だ。
 男の下には既にガラの悪い男が倒れており、その下にはさらに男がいる。
 積み重なったむさくるしい男の山を前に、アレッタはさわやかな笑顔を浮かべて言った。

「ああ、いい運動になった!」
「ソッカー……、良かったなー……」

 遠い目をするのは、久しぶりのデートに実はちょっとウキウキしていたフリオだ。
 ジョナサンのこともあったので難しいとは思っていたが、あわよくばちょっと甘い雰囲気にならないかな、と期待していただけに、この展開には肩を落とすしかない。

「いや、そもそもアレッタと一緒にいて表通りを外れた俺が悪い。ちょっと治安が悪いところに行って、変な奴に絡まれないはずがなかったんだ……」

 ブツブツと反省を口にするフリオに、アレッタは首をかしげた。

「フリオー、これどうしたらいいかな?」
「待て、ちょっと巡回兵に知らせてくる。お前は見張っといてくれ」
「はーい」

 すぐにフリオは兵士を連れて戻ってきた。兵士は二人に礼を述べつつ、縄で男達を拘束して連行していった。その際、男達がよそから流れて来た指名手配犯であると聞かされたアレッタは目をまたたかせた。

「よくうちに来ようなんて思ったわね。裏社会じゃベルクハイツの名は結構売れてると思うのに」
「そりゃ、正確に伝わってるのが国内だけだからだろうな。大げさに言ってると思われて、他国じゃ過小評価されてるんだよ」

 アレッタは少し驚くが、もしかするとそのほうが良いのかもしれないなと思い直す。ベルクハイツの名が売れすぎるあまりに、他国から妙な探りや勧誘があっても面倒だからだ。

「……って、あれ? もしかして……」

 思考に引っかかることがあって、フリオの顔をそっと見上げれば、彼はイイ笑みを浮かべていた。

「ああ、そういう……」

 そういう風に情報操作してるんですね、分かります。
 フリオの笑顔は、某悪魔の笑みと実によく似ていた。



   第三章


 さて、フリオとのデートの翌日、ついにアランがアレッタの部隊にやってきた。
 金髪碧眼の乙女が夢に見るような美しい王子様だが、そのルックスに似合わず、中身は困ったお坊ちゃんである。アレッタは彼と対面して、ようやくそのことを把握した。

「フン、この私にこのように貧相な女の下につけとは……。まったく子爵は何を考えているのか」
「ワオ」

 ディランの執務室で顔を合わせたアランは、典型的な傲慢ごうまん王子であった。乙女ゲームのちょっと俺様だけど優雅な王子様キャラの面影はどこにもない。ここまでちたのは本人の責任だろうが、彼がここまでちる原因になったヒロインもまた罪深い。
 かの乙女ゲームファンが見たら嘆くだろう、人気投票ナンバーワンだったヒーローの惨状を生温かい目で見ながら、アレッタは練っていた訓練計画を地獄のかまで煮込むものから地獄の業火で焼き尽くすレベルのものに変更することを決めた。
 自分が地獄のかまの蓋を開けるどころか、炉に飛び込むようなことをしたとは気づかず、アランは尚も言葉を重ねる。

「おい。女の身で上に立つなど辛いだろう。私にその地位を譲るといい」

 これはもしや善意を装っているつもりなのだろうか?
 あからさまに見下されているのが分かるのだが、アレッタが喜んでその地位を明け渡すと心から信じている顔をしている。
 思考回路がバグってやがる、と思いながらディランを見ると、兄は母親譲りの笑みを浮かべていた。

「ははは、アラン王子は冗談が下手だね。アレッタ、アラン王子は自らこの地で戦うことを志願した勇敢な精神の持ち主だ。残念ながら我が隊とは気風が合わなかったらしく、お前の隊に異動となった。存分に磨き上げてくれ」
「了解しました」

 地獄の炉にくべて叩き直せとのおおせだ。
 ベルクハイツ兄妹の会話にギャーギャーと文句を言い出したオウジサマを無視し、二人はにっこり微笑ほほえみ合った。


 しかしながら、アレッタは確かにアランを困ったお坊ちゃんと認識し直したが、デリスのように性根が腐っているとまでは考えていなかった。叩き直せばいずれは戦士の面構えになるでしょう、と思っているあたり、脳筋というべきか素直でピュアな性格というべきか。見る人によって意見が分かれるだろう。
 身内びいき以外では圧倒的に前者へ票が入れられるだろう思考を携え、アレッタはアランを伴って漢女ヲトメ達が集う第十六部隊の隊室へ向かった。
 そんなアレッタの後ろをアランは不満そうな顔で歩いていたが、道中で「頑張れ」だの「気を強く持てよ」だの「合格点に達したら元の隊へ戻れるから」だのと声をかけられ、さすがの尊大王子もだんだん不安になってきた。なにせ、声をかけてきた連中は明らかにアランの身を案じている様子だったのだ。
 ディランの隊に配属された時に、継承権を剥奪はくだつされたとはいえ尊き王家の血筋たるアランに一切忖度そんたくせずただただしごきあげにきた男達が、ここに来て心配する様子を見せているのである。不安になるのは当然だった。
 この先に待つのは、果たして栄光への架け橋か、それとも奈落に通ずる崖か……
 見えて来た扉に、思わずゴクリと息を呑む。
 そうして、運命の時が訪れた。
 ここが今度からアランが所属する部隊の隊室だとアレッタが言ってその扉を開けて――アランは見た。

「きゃぁぁぁぁ! ヤダ、ホントに王子様だわ!」
「ホンモノよ、ホンモノ!」
「金髪碧眼の美男子! ヤダァ、若ーい! カワイイ!」
「あらぁ、でもちょっとナマイキそうね!」
「何言ってるのよ、ここに来る子は最初はみんなナマイキ君じゃない!」
「そう言えばそうね!」
「よく来たわね、歓迎しちゃう!」
「ねえ、おさわりはどこまでなら大丈夫かしら?」
「馬鹿ねぇ、それはセクハラよ。淑女たるもの、おしとやかにしなくっちゃ!」
「ヤダ、冗談よ、冗談!」
「けど、おしとやかだなんて、アタシ達とは縁遠い言葉ね」
「あら。だからこそ、そう心がけることが大切なんじゃない」
「その通りだわ」
「ふふふ、そうね。淑女、淑女ね。安心して、ワタシは貞淑な乙女だから!」

 右を見れば筋肉。
 左を見れば割れたあご
 正面を見ればバックに咲き乱れるラフレシア。
 アランはおのれの目を疑った。ナンダコレ。
 今まで見たことも聞いたこともない化け物が大量にいたのだ。
 そして、フリルやレースをふんだんに使った衣装をまとったゴリラ達は、かしましく騒ぎ獲物を見る様な目でアランを見ている。
 絹の産着にくるまれて、王宮という籠で大事に大事に育てられた箱入りお坊ちゃんの貧弱な精神は、漢女ヲトメの熱視線に耐えられず……

「ふぅ……」

 アランはそのまま白目をいて、その意識を彼方へと旅立たせたのだった。


   ***


 冬の『深魔しんまの森』は静かだ。
 しかし、時折むずがるように不穏な空気をもらす。


 その日、ベルクハイツ領のとりでの中では緊張した空気が流れていた。魔物の氾濫の兆しがあると報告が入ったからだ。
 冬場の魔物の氾濫スタンピードは規模が小さいが、食料が少ないため腹を空かせており、その凶暴性は増している。厄介やっかいであることには変わりない。
 すぐに情報収集に走り、数日後には隊長格が集まって軍議が始まった。

「今回の魔物の氾濫スタンピードも、やはり小規模のものだ。もしかすると普段の半分程度かもしれん」
「とはいえ魔物の氾濫スタンピードですからね。出撃部隊は余裕を持たせましょう」

 ベルクハイツ家長男のゲイルの言葉に、三男のディランが言葉を重ねる。

「つまりは、いつも通りということか!」

 次男のバーナードが快活に言い、四男のグレゴリーがふむ、と考えるそぶりを見せた。

「しかし、小規模なら少しは兵を休ませられるな」
「まあ、待機させるから完全なお休みはあげられないけどね」

 グレゴリーの言葉に、アレッタが苦笑いする。
 軍議で発言するのは、ベルクハイツ家の戦士達と、彼等の直属部隊の隊長格である。
 それぞれが自軍の報告を行い、作戦行動を確認していく。その際、ふと、新入部隊員の話になった。

「そういえば、アラン王子はどうだ? 確か、最近アレッタのところに異動になっただろう」
「ああ、それが……」

 アランは気を失ったあの日からどうにも体調が思わしくないようで、目を覚ましては気絶する、ということを繰り返している。そのせいもあって、彼は訓練があまりできていなかった。

「お医者様に診てもらったんだけど、精神的なものらしいわ。部下達が看病してくれていたんだけど、お医者様の指示で今は治療院に入院してるの」
「……そうか」

 アレッタの言葉に、男達は遠い目をした。
 男達は、アレッタの話から色々と察したのだ。アランが気絶した原因は、間違いなく漢女ヲトメ達のせいだろう。キッツいアレは王都育ちのボンボンの理解を超え、脳が自己を守るために強制シャットアウトしたに違いない。そして、アレッタはアランの看病を部隊の部下、つまり、原因である漢女ヲトメ達にさせていたのだ。気絶から目覚めたら、その原因が目の前に……。その結果、再び気絶。死の反復現象である。
 医師はその原因から引きはがすために入院させたのだろうが、情に厚い漢女ヲトメ達のことである。絶対にお見舞いに行くだろう。
 男達はアランの冥福を祈った。


   ***


 可哀想な王子様のことはともかく、今は魔物の氾濫スタンピードである。
深魔しんまの森』からあふれ出たのは、主に狼型、狐型、熊型の魔物だ。兎型やら猪型やらが出てこないのは、既に喰われたからだろう。森に獲物がいなくなり、まるで示し合わせたかのように大型の魔物が餌を求めてあふれ出る。これが、ベルクハイツ領の冬の魔物の氾濫スタンピードである。
 ベルクハイツ領の領主であり、最も優れた戦士でもあるベルクハイツ子爵ことアウグストは、魔物の群れを眺めながら大剣を抜く。
 そして、自身の跡継ぎであるアレッタが布陣されている方向をちらりと見て、再び視線を魔物の群れへ戻した。
 魔物の群れは、厚く積もった雪を蹴散けちらし、境界線を越えようとしていた。

「魔術師部隊、構え!」

 アウグストの言葉に、魔術師達が魔物の群れをにらみつけて杖をかかげる。

「撃てぇぇぇぇぇぇ!」

 号令と共に、特大の火球が戦場を駆けた。
 轟音ごうおんと共に魔物へ着弾し、魔物と周囲の雪ごと吹き飛ばし、蒸発させる。
 魔物が倒れ、雪が解けて濡れた大地が姿を見せた。その大地の上に、後続の魔物が続々と足をつけ、走る。
 アウグストは大剣を魔物へ向け、声を張り上げた。

「全軍、突撃!」

 ――オォォォォォォ‼
 尊敬する領主の号令を受け、戦士達は勇ましく駆けだした。


「もう、ヤダァ! 地面がぬかるんでて、服がぐちょぐちょだわ!」
「早く! 帰って! シャワーを! 浴びたい! わね!」

 アレッタ直属部隊、通称『漢女ヲトメ部隊』は魔物を殴り飛ばし、斬り払いながら足場の悪さを嘆いていた。
 火球によって溶けた雪は地面に吸い込まれ、泥となって跳ね上がる。
 それらはよろいや衣服を汚し、漢女ヲトメ達は跳ね上がる泥が体を汚すごとに鬱陶うっとうしそうに顔をしかめた。
 乱戦の中、アレッタが大剣を振るい、熊を二頭同時に吹き飛ばす。吹き飛ばされた熊は後続の魔物を巻き込んで地面を転がり、沈黙した。

「アレッタ様、調子が良さそうね」
「あら、それよりもっと調子がよさそうな方がいるわよ」

 そう言って示した先にいたのは、アウグストだ。

「ふんっ!」

 気合一閃。
 熊も狼もその一閃で絶命し、十頭近くの後続の魔物を巻き込んで吹き飛んでいった。さながら、暴走飛竜の衝突事故のごと有様ありさまだった。

「きっとアレッタ様がいらっしゃるからね」
「あら、そうなの?」

 漢女ヲトメ部隊の副隊長であるセルジアの言葉に、他の隊員達が目をまたたかせる。

「ほら、アレッタ様って今は学園に通ってるじゃない? それが今回は久しぶりに一緒に戦場に出たわけよ。父親としてちょっと良いところを見せようとしてるんだわ」
「ああ、なるほどね!」

 誰もが恐れるベルクハイツ領最強の戦士も、その実態は娘を持つ父親ってわけね、と漢女ヲトメ達は微笑ほほえましげにアウグストを見遣る。

「領主様ったらあーんな怖い顔して、カワイイところがあるのね!」
「ギャップがあるオトコって素敵よね!」
「あーん、領主様がフリーだったら狙ってたのにぃ!」

 襲い来る魔物を殴り倒しながらかしましく騒ぐ漢女ヲトメ達に、比較的近くで戦っていた別部隊の兵士達は青褪あおざめながらも無心で魔物をほふっていた。魔物より味方のほうが怖いとは、これ如何いかに……
 アウグストが原因不明の悪寒に襲われている頃、アレッタは狐型の魔物を綺麗に仕留めんと気を遣いつつ大剣の腹で殴り飛ばしていた。

「よっし! 資金確保!」

 狐型の魔物の毛皮は高く売れる。泥が毛皮を汚す前に距離をめ、雪原の上に飛ばしたので比較的状態が良いだろう。
 獲った狐の皮算用をしながら、アレッタは背後から襲いかかってきた狼型の魔物を振り向きざまにばした。
 狼はもんどりうって転がっていき、その先にいた魔物をドミノ倒しのごとく倒していった。
 狼はそのまま動かなくなったが、巻き込まれた魔物達は不機嫌そうにうなり声をあげて身を起こし、アレッタに襲いかかってきた。
 それに向かってアレッタは大剣を奥に引き、構える。
 ばらばらに飛びかかってくるそれらに、呼吸を一つ。
 そして……

「ふっ!」

 大剣に魔力を籠め、それを扇であおぐかのように振れば、剣から衝撃波が生まれ、襲いかかってきた魔物達をすべて吹き飛ばした。
 転がって目を回す魔物達に兵が駆け寄り、次々にとどめを刺していく。その連携を横目に確認し、アレッタは新たな獲物に視線を向け、ニヤリ、と笑った。

「久しぶりに大暴れできそうね」

 その笑顔は、まさにベルクハイツの名に相応ふさわしい不敵なものだった。


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