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1巻
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彼はあの騒動の後、飛竜を使いベルクハイツ領をひとっ飛びで脱出する計画を立て、残した盗賊団員達と共に飛竜を強奪したのだった。
「貴族の令嬢も手に入ったしなぁ」
厭らしい歪んだ笑顔を向けられ、マデリーンは怯えて見せるも、その胸の内ではこの男をどうやって退けるか算段を立てていた。もしこの身を汚されるなら、全てを道連れに自爆することすら考えている。
そんな普通の令嬢からかけ離れている爆弾を抱え込んだのだと知らぬ盗賊達は、マデリーンを無力な獲物と思い、舐めるように見ていた。
「お頭ぁ、そろそろ席に座ってベルトつけてくれよ。危ないぜ?」
そんな中、飛竜を操る男がブラスに声をかける。
「落ちるようなヘマはしねぇよ。それよりジェルド、お前は飛竜を操るのに集中してろ。飛竜を操るのは兵士時代以来なんだろ?」
「まあ、そうだけど、心配いらねぇよ。それより、さっきのこっちに来てた連中、あれはベルクハイツの家の奴じゃないのか?」
飛竜を操っているその男は、ブラスの右腕であるジェルドだ。
彼は盗賊となる前はある国の軍の飛竜操者だったが、戦争の折に上官に見捨てられて命からがら戦地から逃げ出し、盗賊へ身を堕としたのである。
ブラスはジェルドの質問に、余裕のある表情で頷いた。
「ああ、あれはベルクハイツ家の四男だな。だが、こっちは既に飛び立ってるんだ。今から飛竜に乗ったって、追いつけやしねぇよ」
そう言って嗤うブラスにジェルドは頷き、笑みを浮かべる。
「まあ、それもそうか。それじゃあ、アンタは用済みだな」
「は?」
いつもと変わらぬ笑顔で言われたため、ブラスは一瞬何を言われたのか分からない。その内容を理解した時にはもう遅かった。
飛竜が急激に傾き、なんの支えもないブラスの体が宙に浮く。
目を見開くブラスと、昏い笑みを浮かべるジェルドの視線が交差する。何が起こったのか理解したブラスの顔が憤怒に染まった。
「ジェルドォォォォォォォォ‼」
憎しみの怒号が上がる。
「俺達を食いものにする頭にはついていけねぇよ。じゃあな、お頭」
それは、あまりにも軽い別れの挨拶だった。
宙に浮いたブラスの体は飛竜の羽ばたきが起こす風に吹き飛ばされ、重力に逆らうことなく落ちていく。
ジェルド以外の男達はいつの間にか金具で己の体を固定しており、その光景を冷めた目で見つめていた。
隣国から逃れ、己の配下たる盗賊団を盾に使い切り捨てた非情な男の、あまりにも呆気ない最期だ。
その光景を、マデリーンは怯える可憐な令嬢の仮面の裏で、自分でも驚くほど冷静に見ていた。もしかすると一種の興奮状態にあり、頭が麻痺していたのかもしれない。
それでも目の前で起きた下剋上に、やたらと好戦的になっていた思考が流石に冷える。己のこの後の行動を、どうやってこの男達から逃げるかにシフトチェンジさせた。
魔力量は多くないものの、彼女には魔法がある。特に小技の引き出しは多く、監禁程度なら逃げ出す自信はあった。しかし、その後が問題だ。
今は飛竜の上で逃げ場がない。また、途中で休憩するとなれば、きっと人気のない場所になるだろう。町中ならまだしも、魔獣や肉食獣がうようよいる森の中ではただのか弱い令嬢であるマデリーンが生き延びるのは難しく、ましてやメアリーもいる。彼女はマデリーンを守ろうとするだろうが、きっと二人共すぐに死んでしまう。
となれば、取れる選択肢は多くない。
町中に着くまで待って逃げ出すか、最悪どうしようもなくなった場合、この身を汚される前にもろとも自爆である。
マデリーンが過激な覚悟を決めた時、ようやく飛竜が傾けた身を元に戻し、安定した飛行へ体勢を整えた。
操縦に余裕ができたのか、ジェルドが振り向きざまに指示を出す。
「おい、お前ら。その貴族のオジョウサマに余計な手出しはするなよ? 大事な人質だからな。少なくとも、この国から出るまでは役に立つ。世を儚んで自害なんかされちゃ困る」
ある意味においてジェルドは最善の選択をした。もしここで手を出すことを許可していれば、この場で全員が死んでいただろう。
ジェルド以外の盗賊団の男達は不満げにしつつも、従った。とにかく今は逃亡を優先しなければならないのだと分かっているのだ。
しかし、それら全ては無駄になる。
彼らの背後から途轍もなく恐ろしいモノが迫っていたのだ。
――ギャァァァァァオ‼
その鳴き声が聞こえたのは突然だった。
辺りに響く巨大な獣の鳴き声は、人を本能的に竦ませる迫力を持っている。
「なっ、何が……」
動揺する思考を宥めつつジェルドは辺りを見回し、それを見つけた。
遥か後方の、飛竜の存在を――
***
その飛竜はまだかなり遠くにいるが、尋常ではないスピードで飛んできていた。こちらもそれなりにスピードを出して飛ばしているのに、確実に近づいている。
ジェルドは焦り、飛竜をさらに速く飛ばそうとした。けれどそれでも後方の飛竜はどんどん近づいてくる。
「ど、どうして……」
怯えの色を含んだ呟きが風の中に消えていった。
飛竜という生き物は、個体ごとの飛行速度に大きな差はない。それ故にブラスはこの脱出劇を考えついたのだ。この計画ならばより安全に、確実にベルクハイツ領を出られる、と。
しかし、その常識が覆されようとしていた。
遥か後方に飛んでいたはずの飛竜は既にその上に乗っている人間を目視できるほどに近い。むしろ追い越すのではないかと思われるスピードで迫っている。
盗賊団の男達に緊張が走った。
飛竜を使い空で行われる戦闘といえば、飛び道具の応酬だ。ジェルドは飛竜を墜とされるのを恐れ、低空飛行へ切り替える。
しかし、それは悪手だった。
いよいよこちらに迫る後方の飛竜がジェルドの操る飛竜に追いつき、その上空を追い越していったのだ。――とんでもないものを置き土産にして。
マデリーンも、盗賊団の男達も、それを確かに見た。上空を通り過ぎた飛竜から、人が降ってくるのを。
「なっ!?」
あまりに非常識な行動に、その場にいた全員が目を剥く。降ってきたその人間は難なく飛竜の上に着地し、ジェルドを見据えた。
「ヒッ」
小さな悲鳴を上げたのは誰だったか。
視線の先、そこにいたのは修羅だ。
吊り上がった眦は憤怒に染まり、ギリギリと音がするんじゃないかというほど噛みしめられた歯のすき間から荒い息が吐き出される。
それを見て盗賊達は恐怖に身を竦めた。しかし、たった一人喜びの声を上げた者がいる。
「グレゴリー様!」
マデリーンだ。
大の男達が無条件に怯むその形相は、痘痕も靨とはとても言えない迫力に満ちているのに、それを気にせず喜ぶ彼女の肝は太い。
「ベ、ベルクハイツ……!」
そんなマデリーンの様子と対照的なのが、盗賊団の男達だ。特にベルクハイツ家の化け物ぶりを知るジェルドの動揺は大きかった。
「なんで、お前がここにいるんだ!?」
恐怖に引きつった問いに、グレゴリーは答えない。
しかしながら、実はその答えはとても簡単なものだった。
ジェルドが操る飛竜は普通の飛竜で、グレゴリーが乗って来た飛竜は高速飛竜だっただけだ。
そもそも、ブラスをはじめ盗賊団の男達は、高速飛竜の存在を知らなかった。
普通の飛竜の三倍の速さで飛ぶという高速飛竜は、ベルクハイツ領でしか見られない珍しいものであり、とても気難しい。ジェルドは扱いやすそうな飛竜を選んで奪ったため、普通の飛竜だったのだ。そして、それが仇となった。
グレゴリー達はマデリーンが飛竜のもとへ案内される様子を見守っていた。そして、案内された先にある飛竜を見て、あれっと思ったのだ。
飛竜が高速飛竜ではなかったのである。
何かの不手際かと思ったベルクハイツ夫人が職員を捕まえて尋ねてみれば、職員はその飛竜を見ておかしいと首をひねった。さらにマデリーンの側にいる職員を見て、見たことがないと言い出したのだ。
それを聞いて猛烈に嫌な予感がしたグレゴリーは兵士達を連れてマデリーンのもとへ向かい、その最中に事が起こったのである。
目の前で婚約者を奪われたグレゴリーは、一気に頭に血を上らせた。
飛竜が身を起こした際に転がり落ちて来た護衛騎士は腹から血を流して意識がなく、息はかろうじてあるものの、危険な状態だ。その姿は、マデリーンの置かれている危機的状況をも示す。
彼は腹の底が煮える思いを味わった。
怒りに意識を支配されそうなグレゴリーにどうにか冷静さを取り戻させたのは、母であるオリアナだ。
彼女は持っていた扇で息子の顔を容赦なくひっぱたき、高速飛竜でとっとと後を追って嫁を取り返してこい、と命じたのである。
息子を睥睨し有無を言わせぬ女王のような貫禄でその憤怒をねじ伏せたオリアナは、職員に用意されているはずの高速飛竜を出すよう手配した。そして息子の尻をひっぱたいて高速飛竜に乗せたのである。
そうしてグレゴリーはここにいるのだが、多少冷静になったとはいえ、怒りで燃えていることには変わりない。
故に、彼の心に『手加減』の三文字はなかった。
「マデリーン、目を瞑れ!」
「は、はい!」
グレゴリーの指示にマデリーンは素直に従う。
その直後、彼女の側で恐ろしく重い打撃音が響き、人の腹から漏れたと思われる空気が潰れる音がした。
思わず目を開けた彼女が見たものは、グレゴリーの拳が盗賊の腹にめり込む様子である。
「ぐ……が……」
腹に拳をめり込ませた男は空気を求めるみたいに、はくはくと口を開閉させるも、グレゴリーの容赦ない顔への追撃で意識を飛ばした。死んではいないが、かなりギリギリである。
目の前で行われた暴力シーンに、マデリーンは目を瞬かせ、自分の手で目を覆い即座に瞑った――振りをして、指の隙間から覗き見る。
グレゴリーがマデリーンに怖い思いをさせないよう気を使ってくれたのだと察したが、全く怖くない。むしろグレゴリーに頼もしさを感じ、ぜひともその勇姿を見たかった。
そうしているうちに、グレゴリーは飛竜の上だというのに素早い動きで盗賊達との距離を詰め、反撃を許さずにノックアウトしていく。
とうとう残るは飛竜を操るジェルドだけになった。
「ヒ、ヒィィィ……!」
飛竜の操者席に座るジェルドが引きつった悲鳴を上げる。
次は己の番だと分かった。しかし、ここは空の上であり、逃げ場などない。
ジェルドはブラスを落とした時と同様飛竜を傾けようとするが、それよりも早くグレゴリーが辿り着いた。その手でジェルドの頭をがっちりと掴む。
「飛竜を地に降ろせ。そうすれば、殺さずにいてやる」
「ひ、ぎ、あぁ……!?」
ギリギリと万力のように絞められる。
この男は己の頭を握力だけで潰せるのだと悟ったジェルドは、情けない悲鳴を上げながら飛竜を操縦し、大地に着陸させた。
用が済めば、すぐにグレゴリーによって意識を刈り取られる。
それを見届けたマデリーンは安全ベルトを外し、立ち上がった。少しふらつくものの、しっかりと立って小さな歩幅でグレゴリーに近づく。
「グレゴリー様!」
「マデリーン殿……!」
グレゴリーが両手を広げたので、彼女は遠慮なくその胸に飛び込んだ。
「マデリーン殿、無事で良かった……」
「グレゴリー様……」
震える声に、彼がどれほど心配してくれたのかを知る。
存在を確かめるかの如くしっかりと抱きしめられ、マデリーンはうっとりとその腕の中に身を預けたのだった。
第八章
グレゴリーは腕の中の少女のぬくもりに、心の底から安堵の溜息をついた。
腕の中の少女は、つい最近己の婚約者となった公爵家の令嬢だ。
妹、アレッタの婚約が駄目になり、中央貴族との繋がりを切らないための政略結婚が新たに必要だとは聞いていたが、その役目を自分が負うことになるとは夢にも思っていなかった。
そもそも、彼は四男であり、典型的な気が利かない無骨な武人である。
そうした人間に淑女の相手など満足にできるはずがない。だから、まさか自分が選ばれるなど考えられなかった。
最初に候補に挙がっていた三男のディランは、グレゴリーからしてみればパーフェクトな男である。頭が良く、気の利いた言葉をさらりと言ってのける色男だ。高位貴族の令嬢の夫の座も、彼であればそつなくこなすだろう。
それなのに、選ばれたのはグレゴリーだった。彼は正直に自分には無理だと言ったのだ。自分には荷が重い、と。
しかし、母がそれを許さなかった。マデリーン・アルベロッソ公爵令嬢の相手はグレゴリーが最適である、と譲らない。
結局、恋人も好いた女もいないグレゴリーは、マデリーンの婚約者の座に納まった。
彼女との結婚は彼女が新しく領地を持たない子爵家を興し、グレゴリーはそこへ婿入りするにもかかわらず、二人はベルクハイツ領へ住み、ベルクハイツ家へ仕えるという。これはベルクハイツ家に配慮したものだ。
中央貴族と王家が最大限気を使った結果であり、アルベロッソ家からベルクハイツ家へのアピールでもあるのだろう。この婚約により、国の最大武力保持者であるベルクハイツ家と、中央で一、二を争う権力を持つアルベロッソ家には、太く強い絆ができる。
王家が無視できぬ大家との婚姻は、下手を打った王家への牽制でもあるのだとオリアナは嗤った。
子爵位であるベルクハイツ家に同じ子爵位を持つマデリーンを迎えても良いのかと聞けば、高い地位にある者のほうが他家からのちょっかいの盾になってくれてちょうど良いと返される。
それは大丈夫なのか、そもそもこの婚姻でアルベロッソ家になんの得があるのか。グレゴリーはさらに驚き質問を重ねた。
すると、オリアナはにんまりと笑う。
曰く、アルベロッソ家の保有するサファイア鉱山を始め、幾つかの宝石や鉱石を産出する鉱山は遠くない未来に底がつく。彼らは代わりになる魔物の素材が欲しいらしい。
鉱山からの収入がなくなるのも痛手だが、装飾の見事さを誇る職人の町を持つアルベロッソは、職人を腐らせ失うことを恐れた。アルベロッソ領は、職人達が鎬を削る職人の聖地でなくてはならないのだ。
元々は、アルベロッソ家はマデリーンの元婚約者であるシルヴァン・サニエリクの実家、サニエリク侯爵家の宝石鉱山をあてにしていた。ところがシルヴァンが盛大にこけそうなので、ベルクハイツ領に目を向けたのである。
それが、今回の政略結婚の裏事情であった。
事情は分かったが、はい、そうですか、と行かないのが結婚の当事者であるグレゴリーである。もっとも、幾らごねたところでベルクハイツ領の内政を仕切っている母の命令を断れるはずもなく、この婚約は決まった。
乗り気ではなくとも、自分の伴侶となる女性と不仲になりたいわけがない。ましてや彼女に恥をかかせたくもないので、グレゴリーはマナーの見直しや、エスコートの仕方を必死になって学んだ。お陰で周囲には生暖かい目で見られたが……
そうして迎えたマデリーンとの初めての対面は、グレゴリーの失態により最悪のものとなった。魔物の返り血にまみれた彼を見て、彼女は気を失ってしまったのである。
グレゴリーは心から申し訳なく思うと同時に、彼女が気を失う前に放った一言に心臓を鷲掴みにされた。要は、心を奪われたのである。
淑女の前で血まみれという凄惨な有様の自分に対し、マデリーンは真っ青になりながらもグレゴリーに怪我がないか心配してくれたのである。
高位貴族の令嬢に尻込みしていた彼にとって、その言葉は衝撃的なものだった。
貴族の令嬢という存在は弱々しく、己を見ただけで怯える小動物。そう思っていた彼は、マデリーンのように正面から目を合わせ、それだけではなく己の体の心配をしてくれる女性など初めてだったのだ。
そこからは坂を転げ落ちるかの如く、彼女の魅力的な面が目につき惚れ込んでいく。
マデリーンの容姿は文句のつけどころがないほど美しく、性格は社交的、気の使い方が上手かった。しかも、一部では悪魔と名高い母が気に入るくらい強かな面も持っているようだ。とても頼もしく、何より時折垣間見える矜持の高さが好ましい。
グレゴリーは、好いた女性には好かれたいと素直に考え、行動に出た。恋の駆け引きなど気の利いたことはできないが故に、まっすぐ好意をぶつけ始めたのである。
それはマデリーンに対して効果的だった。マデリーンもまたグレゴリーに好意を持ち始めてくれたのだ。
そうして、会って数日であるにもかかわらず、二人の関係は良好なものとなる。近しい者に揶揄われるほど距離が縮まったのだ。
そんなグレゴリーの大切な彼女が、目の前で攫われた。これは、心底応えた。ある種のトラウマになりそうである。
そのマデリーンが今、ちゃんと自分の腕の中にいる。
グレゴリーはマデリーンのぬくもりをしっかり確かめてから腕の力を緩めて、身を離した。改めて見れば、彼女は少し口を尖らせて、不満そうな顔をしている。普段、内面を外に出すのを良しとしない彼女にしては珍しい表情だ。
後から思えばこの時のマデリーンは誘拐された直後で、感情の制御が上手くできなかったのかもしれない。
興奮状態であったせいか、マデリーンは大変素直に、正直に、思ったことを口にした。
マデリーンはグレゴリーの着る鎧の胸元を撫で、言ったのだ。
「鎧が邪魔ですわ」
――グレゴリーは首まで真っ赤にして、天を仰いだ。
エピローグ
マデリーン達が乗っている飛竜が無事に地に下りたことを確認し、高速飛竜も側に降りてきた。
未だに頬に赤味が残るグレゴリーにエスコートされて、マデリーンは飛竜から降りる。
今回の誘拐事件の始めから終わりまで気絶していたメアリーは、高速飛竜に乗って来たマデリーンの護衛騎士に起こされ目を白黒させているものの、怪我はなく、精神的にも元気だ。
ちなみに、腹を刺された護衛騎士だが、すぐに回復魔法で応急手当がなされ、一命は取り留めた、とのことだった。
それは良かったと安堵したものの、その騎士も他の護衛騎士達も、マデリーンを誘拐されたせいで、王都へ帰れば処罰が待っている。少なくとも、鬼のような顔の上官に鍛え直されるだろう。
兵が気を失った盗賊達を捕らえ縛り上げるのを横目で見ながら、マデリーンはグレゴリーを盗み見た。
彼はマデリーンの隣に立ち、時々兵達に指示を出している。その様子を見つつ、マデリーンは気まずいというか、恥ずかしく思っていた。
先ほど無意識に、鎧が邪魔だなどと言ってしまったのだ。
言い換えれば、それは鎧に阻まれることなくグレゴリーに触れたい、ということである。
なかなかセクシャルな台詞だ。
しかし、既にこぼれ落ちたそれを取り消すことはできない。
彼女はいっそ開き直ることにする。
「グレゴリー様……」
小さくグレゴリーに声を掛け、その腕に自分の腕を絡めた。
彼がギシリ、と身を固くする。そろそろと視線をマデリーンに移し、見た。マデリーンが、いつもの淑女の仮面を脱ぎ捨てほんのりと頬を染めて上目遣いで彼をうかがっているのを。
「マ、マデリーン殿!?」
動揺するグレゴリーに、マデリーンは拗ねて口を尖らせる。
「あら、敬称なんてつけなくて良いんですのよ? さっきは呼び捨てにしてくださったのに……」
「いや、あの時は緊急時だったので……」
マデリーンに目を瞑れと指示した際のことを言えば、グレゴリーはそろりと視線を外す。
しかし、マデリーンは逃げるのは許さないとばかりに半ば抱き着き、強くグレゴリーの腕に密着する。彼はカチン、と石像の如くさらに固まった。
マデリーンは精一杯背伸びして、その耳元で囁く。
「次は、鎧なしでの抱擁をお願いいたしますわね」
グレゴリーは再び顔を真っ赤に染め上げた。顔を片手で隠し、とうとう座り込んでしまう。
そうして、赤い顔のまま眉を八の字に下げ、情けない表情で告げた。
「もう少し、手加減をお願いします、マデリーン殿……」
グレゴリーの思わぬ表情に、マデリーンは目を瞬かせ、自分もじわじわと頬を赤くする。さらに口元を軽く押さえて視線を逸らした。
いくら開き直ったといっても、まさか今すぐ鎧を脱げとは流石に言えなかったのだ。
――そんな初々しい二人が巻き起こし、巻き込まれる騒動付きの恋物語は、始まったばかりである。
「貴族の令嬢も手に入ったしなぁ」
厭らしい歪んだ笑顔を向けられ、マデリーンは怯えて見せるも、その胸の内ではこの男をどうやって退けるか算段を立てていた。もしこの身を汚されるなら、全てを道連れに自爆することすら考えている。
そんな普通の令嬢からかけ離れている爆弾を抱え込んだのだと知らぬ盗賊達は、マデリーンを無力な獲物と思い、舐めるように見ていた。
「お頭ぁ、そろそろ席に座ってベルトつけてくれよ。危ないぜ?」
そんな中、飛竜を操る男がブラスに声をかける。
「落ちるようなヘマはしねぇよ。それよりジェルド、お前は飛竜を操るのに集中してろ。飛竜を操るのは兵士時代以来なんだろ?」
「まあ、そうだけど、心配いらねぇよ。それより、さっきのこっちに来てた連中、あれはベルクハイツの家の奴じゃないのか?」
飛竜を操っているその男は、ブラスの右腕であるジェルドだ。
彼は盗賊となる前はある国の軍の飛竜操者だったが、戦争の折に上官に見捨てられて命からがら戦地から逃げ出し、盗賊へ身を堕としたのである。
ブラスはジェルドの質問に、余裕のある表情で頷いた。
「ああ、あれはベルクハイツ家の四男だな。だが、こっちは既に飛び立ってるんだ。今から飛竜に乗ったって、追いつけやしねぇよ」
そう言って嗤うブラスにジェルドは頷き、笑みを浮かべる。
「まあ、それもそうか。それじゃあ、アンタは用済みだな」
「は?」
いつもと変わらぬ笑顔で言われたため、ブラスは一瞬何を言われたのか分からない。その内容を理解した時にはもう遅かった。
飛竜が急激に傾き、なんの支えもないブラスの体が宙に浮く。
目を見開くブラスと、昏い笑みを浮かべるジェルドの視線が交差する。何が起こったのか理解したブラスの顔が憤怒に染まった。
「ジェルドォォォォォォォォ‼」
憎しみの怒号が上がる。
「俺達を食いものにする頭にはついていけねぇよ。じゃあな、お頭」
それは、あまりにも軽い別れの挨拶だった。
宙に浮いたブラスの体は飛竜の羽ばたきが起こす風に吹き飛ばされ、重力に逆らうことなく落ちていく。
ジェルド以外の男達はいつの間にか金具で己の体を固定しており、その光景を冷めた目で見つめていた。
隣国から逃れ、己の配下たる盗賊団を盾に使い切り捨てた非情な男の、あまりにも呆気ない最期だ。
その光景を、マデリーンは怯える可憐な令嬢の仮面の裏で、自分でも驚くほど冷静に見ていた。もしかすると一種の興奮状態にあり、頭が麻痺していたのかもしれない。
それでも目の前で起きた下剋上に、やたらと好戦的になっていた思考が流石に冷える。己のこの後の行動を、どうやってこの男達から逃げるかにシフトチェンジさせた。
魔力量は多くないものの、彼女には魔法がある。特に小技の引き出しは多く、監禁程度なら逃げ出す自信はあった。しかし、その後が問題だ。
今は飛竜の上で逃げ場がない。また、途中で休憩するとなれば、きっと人気のない場所になるだろう。町中ならまだしも、魔獣や肉食獣がうようよいる森の中ではただのか弱い令嬢であるマデリーンが生き延びるのは難しく、ましてやメアリーもいる。彼女はマデリーンを守ろうとするだろうが、きっと二人共すぐに死んでしまう。
となれば、取れる選択肢は多くない。
町中に着くまで待って逃げ出すか、最悪どうしようもなくなった場合、この身を汚される前にもろとも自爆である。
マデリーンが過激な覚悟を決めた時、ようやく飛竜が傾けた身を元に戻し、安定した飛行へ体勢を整えた。
操縦に余裕ができたのか、ジェルドが振り向きざまに指示を出す。
「おい、お前ら。その貴族のオジョウサマに余計な手出しはするなよ? 大事な人質だからな。少なくとも、この国から出るまでは役に立つ。世を儚んで自害なんかされちゃ困る」
ある意味においてジェルドは最善の選択をした。もしここで手を出すことを許可していれば、この場で全員が死んでいただろう。
ジェルド以外の盗賊団の男達は不満げにしつつも、従った。とにかく今は逃亡を優先しなければならないのだと分かっているのだ。
しかし、それら全ては無駄になる。
彼らの背後から途轍もなく恐ろしいモノが迫っていたのだ。
――ギャァァァァァオ‼
その鳴き声が聞こえたのは突然だった。
辺りに響く巨大な獣の鳴き声は、人を本能的に竦ませる迫力を持っている。
「なっ、何が……」
動揺する思考を宥めつつジェルドは辺りを見回し、それを見つけた。
遥か後方の、飛竜の存在を――
***
その飛竜はまだかなり遠くにいるが、尋常ではないスピードで飛んできていた。こちらもそれなりにスピードを出して飛ばしているのに、確実に近づいている。
ジェルドは焦り、飛竜をさらに速く飛ばそうとした。けれどそれでも後方の飛竜はどんどん近づいてくる。
「ど、どうして……」
怯えの色を含んだ呟きが風の中に消えていった。
飛竜という生き物は、個体ごとの飛行速度に大きな差はない。それ故にブラスはこの脱出劇を考えついたのだ。この計画ならばより安全に、確実にベルクハイツ領を出られる、と。
しかし、その常識が覆されようとしていた。
遥か後方に飛んでいたはずの飛竜は既にその上に乗っている人間を目視できるほどに近い。むしろ追い越すのではないかと思われるスピードで迫っている。
盗賊団の男達に緊張が走った。
飛竜を使い空で行われる戦闘といえば、飛び道具の応酬だ。ジェルドは飛竜を墜とされるのを恐れ、低空飛行へ切り替える。
しかし、それは悪手だった。
いよいよこちらに迫る後方の飛竜がジェルドの操る飛竜に追いつき、その上空を追い越していったのだ。――とんでもないものを置き土産にして。
マデリーンも、盗賊団の男達も、それを確かに見た。上空を通り過ぎた飛竜から、人が降ってくるのを。
「なっ!?」
あまりに非常識な行動に、その場にいた全員が目を剥く。降ってきたその人間は難なく飛竜の上に着地し、ジェルドを見据えた。
「ヒッ」
小さな悲鳴を上げたのは誰だったか。
視線の先、そこにいたのは修羅だ。
吊り上がった眦は憤怒に染まり、ギリギリと音がするんじゃないかというほど噛みしめられた歯のすき間から荒い息が吐き出される。
それを見て盗賊達は恐怖に身を竦めた。しかし、たった一人喜びの声を上げた者がいる。
「グレゴリー様!」
マデリーンだ。
大の男達が無条件に怯むその形相は、痘痕も靨とはとても言えない迫力に満ちているのに、それを気にせず喜ぶ彼女の肝は太い。
「ベ、ベルクハイツ……!」
そんなマデリーンの様子と対照的なのが、盗賊団の男達だ。特にベルクハイツ家の化け物ぶりを知るジェルドの動揺は大きかった。
「なんで、お前がここにいるんだ!?」
恐怖に引きつった問いに、グレゴリーは答えない。
しかしながら、実はその答えはとても簡単なものだった。
ジェルドが操る飛竜は普通の飛竜で、グレゴリーが乗って来た飛竜は高速飛竜だっただけだ。
そもそも、ブラスをはじめ盗賊団の男達は、高速飛竜の存在を知らなかった。
普通の飛竜の三倍の速さで飛ぶという高速飛竜は、ベルクハイツ領でしか見られない珍しいものであり、とても気難しい。ジェルドは扱いやすそうな飛竜を選んで奪ったため、普通の飛竜だったのだ。そして、それが仇となった。
グレゴリー達はマデリーンが飛竜のもとへ案内される様子を見守っていた。そして、案内された先にある飛竜を見て、あれっと思ったのだ。
飛竜が高速飛竜ではなかったのである。
何かの不手際かと思ったベルクハイツ夫人が職員を捕まえて尋ねてみれば、職員はその飛竜を見ておかしいと首をひねった。さらにマデリーンの側にいる職員を見て、見たことがないと言い出したのだ。
それを聞いて猛烈に嫌な予感がしたグレゴリーは兵士達を連れてマデリーンのもとへ向かい、その最中に事が起こったのである。
目の前で婚約者を奪われたグレゴリーは、一気に頭に血を上らせた。
飛竜が身を起こした際に転がり落ちて来た護衛騎士は腹から血を流して意識がなく、息はかろうじてあるものの、危険な状態だ。その姿は、マデリーンの置かれている危機的状況をも示す。
彼は腹の底が煮える思いを味わった。
怒りに意識を支配されそうなグレゴリーにどうにか冷静さを取り戻させたのは、母であるオリアナだ。
彼女は持っていた扇で息子の顔を容赦なくひっぱたき、高速飛竜でとっとと後を追って嫁を取り返してこい、と命じたのである。
息子を睥睨し有無を言わせぬ女王のような貫禄でその憤怒をねじ伏せたオリアナは、職員に用意されているはずの高速飛竜を出すよう手配した。そして息子の尻をひっぱたいて高速飛竜に乗せたのである。
そうしてグレゴリーはここにいるのだが、多少冷静になったとはいえ、怒りで燃えていることには変わりない。
故に、彼の心に『手加減』の三文字はなかった。
「マデリーン、目を瞑れ!」
「は、はい!」
グレゴリーの指示にマデリーンは素直に従う。
その直後、彼女の側で恐ろしく重い打撃音が響き、人の腹から漏れたと思われる空気が潰れる音がした。
思わず目を開けた彼女が見たものは、グレゴリーの拳が盗賊の腹にめり込む様子である。
「ぐ……が……」
腹に拳をめり込ませた男は空気を求めるみたいに、はくはくと口を開閉させるも、グレゴリーの容赦ない顔への追撃で意識を飛ばした。死んではいないが、かなりギリギリである。
目の前で行われた暴力シーンに、マデリーンは目を瞬かせ、自分の手で目を覆い即座に瞑った――振りをして、指の隙間から覗き見る。
グレゴリーがマデリーンに怖い思いをさせないよう気を使ってくれたのだと察したが、全く怖くない。むしろグレゴリーに頼もしさを感じ、ぜひともその勇姿を見たかった。
そうしているうちに、グレゴリーは飛竜の上だというのに素早い動きで盗賊達との距離を詰め、反撃を許さずにノックアウトしていく。
とうとう残るは飛竜を操るジェルドだけになった。
「ヒ、ヒィィィ……!」
飛竜の操者席に座るジェルドが引きつった悲鳴を上げる。
次は己の番だと分かった。しかし、ここは空の上であり、逃げ場などない。
ジェルドはブラスを落とした時と同様飛竜を傾けようとするが、それよりも早くグレゴリーが辿り着いた。その手でジェルドの頭をがっちりと掴む。
「飛竜を地に降ろせ。そうすれば、殺さずにいてやる」
「ひ、ぎ、あぁ……!?」
ギリギリと万力のように絞められる。
この男は己の頭を握力だけで潰せるのだと悟ったジェルドは、情けない悲鳴を上げながら飛竜を操縦し、大地に着陸させた。
用が済めば、すぐにグレゴリーによって意識を刈り取られる。
それを見届けたマデリーンは安全ベルトを外し、立ち上がった。少しふらつくものの、しっかりと立って小さな歩幅でグレゴリーに近づく。
「グレゴリー様!」
「マデリーン殿……!」
グレゴリーが両手を広げたので、彼女は遠慮なくその胸に飛び込んだ。
「マデリーン殿、無事で良かった……」
「グレゴリー様……」
震える声に、彼がどれほど心配してくれたのかを知る。
存在を確かめるかの如くしっかりと抱きしめられ、マデリーンはうっとりとその腕の中に身を預けたのだった。
第八章
グレゴリーは腕の中の少女のぬくもりに、心の底から安堵の溜息をついた。
腕の中の少女は、つい最近己の婚約者となった公爵家の令嬢だ。
妹、アレッタの婚約が駄目になり、中央貴族との繋がりを切らないための政略結婚が新たに必要だとは聞いていたが、その役目を自分が負うことになるとは夢にも思っていなかった。
そもそも、彼は四男であり、典型的な気が利かない無骨な武人である。
そうした人間に淑女の相手など満足にできるはずがない。だから、まさか自分が選ばれるなど考えられなかった。
最初に候補に挙がっていた三男のディランは、グレゴリーからしてみればパーフェクトな男である。頭が良く、気の利いた言葉をさらりと言ってのける色男だ。高位貴族の令嬢の夫の座も、彼であればそつなくこなすだろう。
それなのに、選ばれたのはグレゴリーだった。彼は正直に自分には無理だと言ったのだ。自分には荷が重い、と。
しかし、母がそれを許さなかった。マデリーン・アルベロッソ公爵令嬢の相手はグレゴリーが最適である、と譲らない。
結局、恋人も好いた女もいないグレゴリーは、マデリーンの婚約者の座に納まった。
彼女との結婚は彼女が新しく領地を持たない子爵家を興し、グレゴリーはそこへ婿入りするにもかかわらず、二人はベルクハイツ領へ住み、ベルクハイツ家へ仕えるという。これはベルクハイツ家に配慮したものだ。
中央貴族と王家が最大限気を使った結果であり、アルベロッソ家からベルクハイツ家へのアピールでもあるのだろう。この婚約により、国の最大武力保持者であるベルクハイツ家と、中央で一、二を争う権力を持つアルベロッソ家には、太く強い絆ができる。
王家が無視できぬ大家との婚姻は、下手を打った王家への牽制でもあるのだとオリアナは嗤った。
子爵位であるベルクハイツ家に同じ子爵位を持つマデリーンを迎えても良いのかと聞けば、高い地位にある者のほうが他家からのちょっかいの盾になってくれてちょうど良いと返される。
それは大丈夫なのか、そもそもこの婚姻でアルベロッソ家になんの得があるのか。グレゴリーはさらに驚き質問を重ねた。
すると、オリアナはにんまりと笑う。
曰く、アルベロッソ家の保有するサファイア鉱山を始め、幾つかの宝石や鉱石を産出する鉱山は遠くない未来に底がつく。彼らは代わりになる魔物の素材が欲しいらしい。
鉱山からの収入がなくなるのも痛手だが、装飾の見事さを誇る職人の町を持つアルベロッソは、職人を腐らせ失うことを恐れた。アルベロッソ領は、職人達が鎬を削る職人の聖地でなくてはならないのだ。
元々は、アルベロッソ家はマデリーンの元婚約者であるシルヴァン・サニエリクの実家、サニエリク侯爵家の宝石鉱山をあてにしていた。ところがシルヴァンが盛大にこけそうなので、ベルクハイツ領に目を向けたのである。
それが、今回の政略結婚の裏事情であった。
事情は分かったが、はい、そうですか、と行かないのが結婚の当事者であるグレゴリーである。もっとも、幾らごねたところでベルクハイツ領の内政を仕切っている母の命令を断れるはずもなく、この婚約は決まった。
乗り気ではなくとも、自分の伴侶となる女性と不仲になりたいわけがない。ましてや彼女に恥をかかせたくもないので、グレゴリーはマナーの見直しや、エスコートの仕方を必死になって学んだ。お陰で周囲には生暖かい目で見られたが……
そうして迎えたマデリーンとの初めての対面は、グレゴリーの失態により最悪のものとなった。魔物の返り血にまみれた彼を見て、彼女は気を失ってしまったのである。
グレゴリーは心から申し訳なく思うと同時に、彼女が気を失う前に放った一言に心臓を鷲掴みにされた。要は、心を奪われたのである。
淑女の前で血まみれという凄惨な有様の自分に対し、マデリーンは真っ青になりながらもグレゴリーに怪我がないか心配してくれたのである。
高位貴族の令嬢に尻込みしていた彼にとって、その言葉は衝撃的なものだった。
貴族の令嬢という存在は弱々しく、己を見ただけで怯える小動物。そう思っていた彼は、マデリーンのように正面から目を合わせ、それだけではなく己の体の心配をしてくれる女性など初めてだったのだ。
そこからは坂を転げ落ちるかの如く、彼女の魅力的な面が目につき惚れ込んでいく。
マデリーンの容姿は文句のつけどころがないほど美しく、性格は社交的、気の使い方が上手かった。しかも、一部では悪魔と名高い母が気に入るくらい強かな面も持っているようだ。とても頼もしく、何より時折垣間見える矜持の高さが好ましい。
グレゴリーは、好いた女性には好かれたいと素直に考え、行動に出た。恋の駆け引きなど気の利いたことはできないが故に、まっすぐ好意をぶつけ始めたのである。
それはマデリーンに対して効果的だった。マデリーンもまたグレゴリーに好意を持ち始めてくれたのだ。
そうして、会って数日であるにもかかわらず、二人の関係は良好なものとなる。近しい者に揶揄われるほど距離が縮まったのだ。
そんなグレゴリーの大切な彼女が、目の前で攫われた。これは、心底応えた。ある種のトラウマになりそうである。
そのマデリーンが今、ちゃんと自分の腕の中にいる。
グレゴリーはマデリーンのぬくもりをしっかり確かめてから腕の力を緩めて、身を離した。改めて見れば、彼女は少し口を尖らせて、不満そうな顔をしている。普段、内面を外に出すのを良しとしない彼女にしては珍しい表情だ。
後から思えばこの時のマデリーンは誘拐された直後で、感情の制御が上手くできなかったのかもしれない。
興奮状態であったせいか、マデリーンは大変素直に、正直に、思ったことを口にした。
マデリーンはグレゴリーの着る鎧の胸元を撫で、言ったのだ。
「鎧が邪魔ですわ」
――グレゴリーは首まで真っ赤にして、天を仰いだ。
エピローグ
マデリーン達が乗っている飛竜が無事に地に下りたことを確認し、高速飛竜も側に降りてきた。
未だに頬に赤味が残るグレゴリーにエスコートされて、マデリーンは飛竜から降りる。
今回の誘拐事件の始めから終わりまで気絶していたメアリーは、高速飛竜に乗って来たマデリーンの護衛騎士に起こされ目を白黒させているものの、怪我はなく、精神的にも元気だ。
ちなみに、腹を刺された護衛騎士だが、すぐに回復魔法で応急手当がなされ、一命は取り留めた、とのことだった。
それは良かったと安堵したものの、その騎士も他の護衛騎士達も、マデリーンを誘拐されたせいで、王都へ帰れば処罰が待っている。少なくとも、鬼のような顔の上官に鍛え直されるだろう。
兵が気を失った盗賊達を捕らえ縛り上げるのを横目で見ながら、マデリーンはグレゴリーを盗み見た。
彼はマデリーンの隣に立ち、時々兵達に指示を出している。その様子を見つつ、マデリーンは気まずいというか、恥ずかしく思っていた。
先ほど無意識に、鎧が邪魔だなどと言ってしまったのだ。
言い換えれば、それは鎧に阻まれることなくグレゴリーに触れたい、ということである。
なかなかセクシャルな台詞だ。
しかし、既にこぼれ落ちたそれを取り消すことはできない。
彼女はいっそ開き直ることにする。
「グレゴリー様……」
小さくグレゴリーに声を掛け、その腕に自分の腕を絡めた。
彼がギシリ、と身を固くする。そろそろと視線をマデリーンに移し、見た。マデリーンが、いつもの淑女の仮面を脱ぎ捨てほんのりと頬を染めて上目遣いで彼をうかがっているのを。
「マ、マデリーン殿!?」
動揺するグレゴリーに、マデリーンは拗ねて口を尖らせる。
「あら、敬称なんてつけなくて良いんですのよ? さっきは呼び捨てにしてくださったのに……」
「いや、あの時は緊急時だったので……」
マデリーンに目を瞑れと指示した際のことを言えば、グレゴリーはそろりと視線を外す。
しかし、マデリーンは逃げるのは許さないとばかりに半ば抱き着き、強くグレゴリーの腕に密着する。彼はカチン、と石像の如くさらに固まった。
マデリーンは精一杯背伸びして、その耳元で囁く。
「次は、鎧なしでの抱擁をお願いいたしますわね」
グレゴリーは再び顔を真っ赤に染め上げた。顔を片手で隠し、とうとう座り込んでしまう。
そうして、赤い顔のまま眉を八の字に下げ、情けない表情で告げた。
「もう少し、手加減をお願いします、マデリーン殿……」
グレゴリーの思わぬ表情に、マデリーンは目を瞬かせ、自分もじわじわと頬を赤くする。さらに口元を軽く押さえて視線を逸らした。
いくら開き直ったといっても、まさか今すぐ鎧を脱げとは流石に言えなかったのだ。
――そんな初々しい二人が巻き起こし、巻き込まれる騒動付きの恋物語は、始まったばかりである。
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