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野良錬金術師
第三話 夕焼け亭2
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ネモは町で宿をとる時は大抵同じ宿に泊まる。
長く生き、泊まった宿が気に入ればリピーターとなり、場合によっては世代を重ねての長い付き合いになる。そうなればそれなりに信頼関係を築けるというものである。
そうすると、宿の主人らは付き合いの長さからこちらの事情をくみ取ってくれることが多く、面倒が少ない。
宿が忙しくなる食事時の前に階下へ降り、ネモはリタへ声をかけた。
「すみません、リタさん。今回もちょっとお願いしたいんですが……」
「ああ、あれね! 旦那に聞いてくるから、ちょっと待ってて」
そう言って奥へと姿を消し、再び表へ出て来た時には二人に増えていた。
増えたのは彼女の旦那であり、この宿の厨房の主であるゼラだ。
がっちりと鍛え上げられた体だが、その力は全て厨房で使っている人だ。一見怖そうな外見なのだが、カラッとした笑顔を浮かべる人で、その笑顔に相応しい心根をしている。
「あ、お久しぶりですゼラさん」
「ああ、久しぶりだな。今回も厨房を使いたいのか?」
「ええ。出来ればお願いしたいんですが」
ネモはこの宿に泊まる時、毎回厨房を借して欲しいと頼んでいた。
ゼラは二ッと笑顔で頷いた。
「構わないぜ。ただ、流石に今日は無理だから明日以降にしてくれ。それで、厨房を貸す代わりに――」
「はい、レシピですね。勝手に見て盗んで下さい。それじゃあ、明日の夕食後にお願いしても良いですか?」
そう尋ねるネモに、ゼラは楽し気に了承した。
この宿では朝夕に食事を出してくれるので、それらの業務が終わってから厨房を借りるのだ。
「今回はどれくらい作るんだい?」
「そうですね。クリームとトマトのシチューを寸動鍋一杯ずつと、ラタトゥユを大鍋一杯。厚焼き玉子を四本。肉じゃが、蕪の煮物を鍋一杯ずつ。あと、鳥の照り焼き、チーズチキンカツ、豚の生姜焼き。それからゆで卵を沢山作りたい……かな?」
大仕事だなぁ、と笑うゼラに、ネモは苦笑する。
これを例の時間停止のマジックバックに入れて保管し、旅先で食べるのだ。
この貴重で、恐ろしく高価な時間停止のマジックバックを持っていることを知られても大丈夫な信頼できる宿でネモは厨房を借り、食事を作り貯めしていくのである。
そんな二人の遣り取りを見ながら、リタが呆れ交じりに言う。
「確か、前もそれくらい作って、パンも大量に買ってたよね? それだけあって一か月持たないって言うんだから、あっくんの胃袋はどうなってんだろうねぇ?」
実はこの料理の四分の三くらいは、あっくんの胃に収まる。体長が三十センチも無い、ちょっと大きなリス程度の小動物が食べられる量ではない。
「あっくんは幻獣だからじゃないか?」
「そういうもんなんかね? 幻獣なんて中々見られないからねぇ」
夫婦の注目を集めるあっくんは、ネモの肩の上で「きゅっ?」と首を傾げた。
幻獣とは、人間並みに――ともすれば人間よりも知能の高い獣の総称である。彼等は人間が足を踏み入れるには難しい秘境に住んでおり、その姿を人間に見せることは滅多に無い。
しかし、そんな彼等とコミュニケーションを取り、その力を借りる術があった。それは、『契約召喚術』である。
まず対象を呼び出し、交渉して契約するのだ。
対象が荒っぽい性格なら、その力を示せとばかりに戦闘になるし、あるいは何かしらのアイテムを寄越せ、と物を求められることもある。
ネモとあっくんの場合は、後者のケースだ。
ただし、それは少しばかり変則的な召喚だった。
「いやぁ、契約召喚する時は対象を決めて召喚するんですけど、私の場合はカツサンドをお供えして、これ食べたい子寄っといで~、って言ったらあっくんが来たんですよね」
それはネモが学生時代の召喚術の授業でのことで、そんな変則的な召喚をしたものだから、ちょっとした騒ぎになった。
そして交渉の末、カツサンドをお気に召したあっくんに、ネモが美味しいものを食べさせ続ける限り力を貸すという緩い契約をして、今に至っている。
「あっくんは可愛くて強いから、これくらい安いもんですね」
それを聞いたあっくんが、ふん、とドヤ顔をして胸を張る。大変可愛らしい。
その様子を見たリタとゼラは、確かに可愛い、と思ったが、強い、という言葉はスルーした。何せ、この小さく可愛らしい外見からそんな力を持っているとは思えなかったのだ。
しかし、このあっくんは中堅冒険者達が恐れる『グレートボア』を軽く吹っ飛ばす程度の力の持ち主である。見た目でナメてかかったら痛い目を見る典型的な例だ。
「そうだ、今回も手伝いはいるかい?」
「出来ればお願いします」
ゼラがそう尋ねてきて、ネモは即座にお願いした。
何せ、皮むきだけでも大仕事だ。スピーディーに終わらせなければ徹夜で料理する羽目になる。
「お手数をおかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「やだ、そんな硬い事言いっこなしだよ」
「そうだぜ、ネモちゃん。ネモちゃんがこの宿で料理を作ってくれるお陰で俺の料理のレパートリーが増えたんだからな」
お陰でショウユの使い方が分かったぜ、とゼラが破顔する。
実はこの世界、醤油や味噌がある。マイナーな調味料ではあるのだが、ある国の王弟殿下が出資して作り上げ、最近他の国にも出回るようになったのだ。
さて、この醤油や味噌を作り上げた王弟殿下だが、実は彼も日本からの転生者である。
何故ネモが王弟殿下が転生者であるか知っているかと言うと、ただ単純に世間一般に広く知られているからだ。
転生者は多少珍しいだけで、騒ぐほどの存在ではないとはいえ、流石に王族であり、新しい調味料を作ったとなると話題に上がるものだ。
「それじゃあ、明日材料を買って来るんで、よろしくお願いしますね」
「おう!」
「あたしも手が空いてたら手伝うね」
宿屋の夫婦は、気持ちの良い笑顔を浮かべてそう言った。
長く生き、泊まった宿が気に入ればリピーターとなり、場合によっては世代を重ねての長い付き合いになる。そうなればそれなりに信頼関係を築けるというものである。
そうすると、宿の主人らは付き合いの長さからこちらの事情をくみ取ってくれることが多く、面倒が少ない。
宿が忙しくなる食事時の前に階下へ降り、ネモはリタへ声をかけた。
「すみません、リタさん。今回もちょっとお願いしたいんですが……」
「ああ、あれね! 旦那に聞いてくるから、ちょっと待ってて」
そう言って奥へと姿を消し、再び表へ出て来た時には二人に増えていた。
増えたのは彼女の旦那であり、この宿の厨房の主であるゼラだ。
がっちりと鍛え上げられた体だが、その力は全て厨房で使っている人だ。一見怖そうな外見なのだが、カラッとした笑顔を浮かべる人で、その笑顔に相応しい心根をしている。
「あ、お久しぶりですゼラさん」
「ああ、久しぶりだな。今回も厨房を使いたいのか?」
「ええ。出来ればお願いしたいんですが」
ネモはこの宿に泊まる時、毎回厨房を借して欲しいと頼んでいた。
ゼラは二ッと笑顔で頷いた。
「構わないぜ。ただ、流石に今日は無理だから明日以降にしてくれ。それで、厨房を貸す代わりに――」
「はい、レシピですね。勝手に見て盗んで下さい。それじゃあ、明日の夕食後にお願いしても良いですか?」
そう尋ねるネモに、ゼラは楽し気に了承した。
この宿では朝夕に食事を出してくれるので、それらの業務が終わってから厨房を借りるのだ。
「今回はどれくらい作るんだい?」
「そうですね。クリームとトマトのシチューを寸動鍋一杯ずつと、ラタトゥユを大鍋一杯。厚焼き玉子を四本。肉じゃが、蕪の煮物を鍋一杯ずつ。あと、鳥の照り焼き、チーズチキンカツ、豚の生姜焼き。それからゆで卵を沢山作りたい……かな?」
大仕事だなぁ、と笑うゼラに、ネモは苦笑する。
これを例の時間停止のマジックバックに入れて保管し、旅先で食べるのだ。
この貴重で、恐ろしく高価な時間停止のマジックバックを持っていることを知られても大丈夫な信頼できる宿でネモは厨房を借り、食事を作り貯めしていくのである。
そんな二人の遣り取りを見ながら、リタが呆れ交じりに言う。
「確か、前もそれくらい作って、パンも大量に買ってたよね? それだけあって一か月持たないって言うんだから、あっくんの胃袋はどうなってんだろうねぇ?」
実はこの料理の四分の三くらいは、あっくんの胃に収まる。体長が三十センチも無い、ちょっと大きなリス程度の小動物が食べられる量ではない。
「あっくんは幻獣だからじゃないか?」
「そういうもんなんかね? 幻獣なんて中々見られないからねぇ」
夫婦の注目を集めるあっくんは、ネモの肩の上で「きゅっ?」と首を傾げた。
幻獣とは、人間並みに――ともすれば人間よりも知能の高い獣の総称である。彼等は人間が足を踏み入れるには難しい秘境に住んでおり、その姿を人間に見せることは滅多に無い。
しかし、そんな彼等とコミュニケーションを取り、その力を借りる術があった。それは、『契約召喚術』である。
まず対象を呼び出し、交渉して契約するのだ。
対象が荒っぽい性格なら、その力を示せとばかりに戦闘になるし、あるいは何かしらのアイテムを寄越せ、と物を求められることもある。
ネモとあっくんの場合は、後者のケースだ。
ただし、それは少しばかり変則的な召喚だった。
「いやぁ、契約召喚する時は対象を決めて召喚するんですけど、私の場合はカツサンドをお供えして、これ食べたい子寄っといで~、って言ったらあっくんが来たんですよね」
それはネモが学生時代の召喚術の授業でのことで、そんな変則的な召喚をしたものだから、ちょっとした騒ぎになった。
そして交渉の末、カツサンドをお気に召したあっくんに、ネモが美味しいものを食べさせ続ける限り力を貸すという緩い契約をして、今に至っている。
「あっくんは可愛くて強いから、これくらい安いもんですね」
それを聞いたあっくんが、ふん、とドヤ顔をして胸を張る。大変可愛らしい。
その様子を見たリタとゼラは、確かに可愛い、と思ったが、強い、という言葉はスルーした。何せ、この小さく可愛らしい外見からそんな力を持っているとは思えなかったのだ。
しかし、このあっくんは中堅冒険者達が恐れる『グレートボア』を軽く吹っ飛ばす程度の力の持ち主である。見た目でナメてかかったら痛い目を見る典型的な例だ。
「そうだ、今回も手伝いはいるかい?」
「出来ればお願いします」
ゼラがそう尋ねてきて、ネモは即座にお願いした。
何せ、皮むきだけでも大仕事だ。スピーディーに終わらせなければ徹夜で料理する羽目になる。
「お手数をおかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「やだ、そんな硬い事言いっこなしだよ」
「そうだぜ、ネモちゃん。ネモちゃんがこの宿で料理を作ってくれるお陰で俺の料理のレパートリーが増えたんだからな」
お陰でショウユの使い方が分かったぜ、とゼラが破顔する。
実はこの世界、醤油や味噌がある。マイナーな調味料ではあるのだが、ある国の王弟殿下が出資して作り上げ、最近他の国にも出回るようになったのだ。
さて、この醤油や味噌を作り上げた王弟殿下だが、実は彼も日本からの転生者である。
何故ネモが王弟殿下が転生者であるか知っているかと言うと、ただ単純に世間一般に広く知られているからだ。
転生者は多少珍しいだけで、騒ぐほどの存在ではないとはいえ、流石に王族であり、新しい調味料を作ったとなると話題に上がるものだ。
「それじゃあ、明日材料を買って来るんで、よろしくお願いしますね」
「おう!」
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宿屋の夫婦は、気持ちの良い笑顔を浮かべてそう言った。
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