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狂気に満ちた姿

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 拳を模した緑毛が頬を掠めた。
 頬に切り傷が残り、痛みから擦れたというよりは刃物で切られたような感覚が走り、皐月は目前の敵を睨む。
 ここまで自ら敵と近づいたのは初めてで、足が竦んでいしまう自分を気力だけで持たせている。
 そして実感するのだ。自分は今まで守られていたのだということを。
 
「遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い――――――――ッ!!!!」

「くっ――【水刃】!」

 瞳孔を開かせて、唾を吐き散らしながら奇声を上げる男――エレント。
 エレントに杖を横に一閃。水の刃が切りかかるも、エレントは自分の髪を縦に刃を弾く。
 【水刃】の切れ味は樹木なら簡単に切り倒せるほどだが、何故か男の髪にあたった途端に鋼でも斬ったような硬質な音が響いた。

「あなたの髪……性質も変えられるようですね。ただ、さっきの性質が刃物に対して、今のは盾。似ているようで違う性質。もしかして二つ以上の性質は同時に発動できないのでは?」

「テケケケ……お見事です!!」

 皐月に賞賛のセリフを吐きながら、緑の髪が赤く染まっていく。それは色が変わるというより、燃えているようで、周囲の温度が上がっていくのを肌で感じた。
 エレントは炎を纏った髪が皐月に襲い掛かる。空気を焼いて迫るそれを躱すも、揺れた髪に触れそうになって、毛先が焦げてしまう。

「は、速い!」

「【強身】!!」

 布谷から皐月へマナが送られて、全身の細胞を刺激されて、体中の重力に鈍感になって、浮くような体験をした。
 【強身】によって身体能力を上げられた皐月は、エレントの攻撃を余裕をもって躱す。

「【移空】――【鎖縛】!」

 灼熱の髪が皐月を捉えようとしたとき、虚空を貫いた毛先の感覚に力の抜けた表情。
 それが険しいものになったのは、一秒にも見たいない僅かな時間だ。
 全身を締め付けられて、その圧力に骨が軋み、内臓を押しつぶされる。

「ケケッケケケ、テ、ケケ……ケケテケ――ッケケ……」

 皐月は背後からマナで練り上げた鎖でエレントを拘束する。
 まるで感電でもしたかのように、口からだらしなく唾液が零れて、瞳は上を向いてほぼ白目。
 エレントの必死の抵抗は、オクトフォスルほどではないものの、そこには人間とは思えないほどの怪力が、マナの鎖を伝って全身の筋肉に警笛を上げさせた。

「なっ、なにこの、人! 本当に人間!?」

「さっちんもうちょっと踏ん張って!」

 布谷の周囲に漂うマナが震え始めた。
 三十センチほどの杖を顔の前に立てて、目を閉じて集中する。
 皐月を援護しながらだと、集中力がかけてしまう為時間がかかるが、エレントが拘束された今、全ての集中を一点に注ぐことが出来る。

「テケケ――ッケケ!!」

 気を失いかけているというのに、エレントの髪は防衛本能に従って皐月に伸びる。
 咄嗟に【魄壁】で防ぐも、その恵術が気を逸らすきっかけとなり僅かに鎖が緩む。
 しまったと声を上げる前に、マナの鎖は粉々に砕かれて、

「テケケ――――ッッ!!」

 それは理性ではなく本能。
 意識を自分の物にする前に、身体だけが危機を感じて反応する。
 皐月ではなく、布谷の方に飛び掛かる。周囲を震わすマナの大気が、細胞に針でも刺されたような感覚が、選択するよりも先に、行動へ移させた。

 十メートル、九メートル、八、七……徐々に縮まる布谷とエレントの距離。
 それでも布谷は未だに瞳を閉じて、外部の感覚を己の中に閉じ込めている。
 エレントの髪が布谷に伸びる。風を切る音が鋭利な槍を彷彿とさせて、

「さっちん避けて!!」

 眼を開けて外の景色を瞳から脳へと送り理解する。
 杖先をエレントに向けて、己の内だけでなく、空気中に溶け込むマナの粒子も刺激して、マナを弾丸に、杖を銃身に見立てて、

「【魄龍砲】!!」

「テケーーーーッ!? ッッ…………」

 彼女の杖先が白銀に輝いて、エレントの視界が白銀の光で埋め尽くされる。
 視界が焼かれるような光弾が、まだ僅かに散らばるマナも巻き込んで触れるもの全てを分解していく。
 エレントを挟んで立っていた皐月は、光弾が届く前に【移転】で安全な場所に。
 エレントの身体は、光弾に溶け込み、分解され、空気中のマナと化して。

「――――んぁ、はぁ~……ヒヤヒヤたぁ~。さっちん、お疲れ~」

「はぁはぁ、お疲れ様」

 緊張から解き放たれた布谷は思わず座り込み、皐月も布谷の背後から息を切らして立っている。
 完全に、姿だけでなく存在していた気配までもが消えたエレント。
 
 【魄龍砲】――自分を含めた周囲のマナをかき集めて全てを分解する光弾に変換し撃ち放つ魔導士の最大にして最強の攻撃系恵術。あまり加減や融通が利かない故に、使用後はマナが全て奪われて激しい脱力感に見舞われる。その代わり、たとえ【魄壁】で防御したとしても、それに使われるマナさえも力に還元する高威力だ。

「にしても、アイツ一体何なの? 何が目的……」

「分からない。けど、明らかに私達を狙ってるよね。分散させられたし」

 皐月はポケットに入れていた方位磁針と、記録して作った筆写士の作成する地図とは比べられないほど簡素な地図を照らし合わせる。

「現在地分かりそう?」

「ううん、駄目みたい。【移空】か【標転】、どっちを受けたのか分からないけど、その時にマナの磁気が影響して針が定まらないみたい」

「まあ、道は一本だからとりあえず奥に進もっか」

 そうだねと呼吸を整えた皐月と、激しい脱力感に重く感じる身体を持ち上げた布谷は、奥へと続く道にゆっくりだが確かに進んでいった。



 ********************



「んぁ、ふぁ~あ……十五分。やっと一人か……」

 水蓮石の床に寝転ぶ銀髪の少女は、これ以上にないほど口を開いて間抜けな声を漏らして、人の気配を僅かに感じ、ようやくかと身体を起こす。

「ん、おぉ、なんだアンタ一人か。他は?」

「お前が最初だ。それにしても随分と落ち着いているな。お前からすれば私達は忽然と消えたわけだが?」

 メアリーは見上げて言う。
 頭上から鋭利な先端を突き出している水蓮石の巨大な氷柱。それを囲うように水蓮石の橋が、壁に空いた穴々を繋いでおり、その一つの端から見下ろすのは鬼一翠人だ。
 声のテンション、息遣い、表情。どれをとっても焦り、動揺などは感じない。

 普通なら仲間がいきなり消えた場合、少なからず焦りを覚え、状況を把握しようとするものだが、彼の息遣いから、こちらには歩いて、それも体力の消耗を考えたペースで来たと見える。
 それに彼がメアリーと出会った反応は、まるで待ち合わせ場所にでも来たかのような反応だ。
 
「ここに来るまでに男に遭った。あの綺麗な骸骨共を操ってた奴だ。そいつから洗いざらい聞かせてもらった。戦力を聞くにみんななら大丈夫だろうと思ったし、転移された場所に関しても問題なさそうだしな。時期にみんなここに集まるだろう。俺達が進んできた場所も、みんなが転移された場所も運がいい」

 そこまで見下ろされる形で鬼一は言い切って、メアリーは床の水蓮石を撫でる。
 
「なるほど。中心部近くとは思っていたが、ここがそうだったとはな」

「全員集まったら水蓮石を回収、ついでに“蒼月”も確保して帰還。後は一夏の弔いだ。それで、上に上る手段はあるのか?」

「ない。道もなければ窪みもない。とはいえ、この硬さだと器具があれば登れそうだ。ジークが来るのを待つしかないな」

 壁を撫でて問題ないとの返答。
 鬼一は足をぶらつかせるようにして、自分のいる水蓮石の橋に座り込む。
 数分、特に会話もなく待っているとようやく、

「ああ! 良かった。みんな無事だったんだね!」

「哀とジークはまだ来ていないみたいだけど」 

 鬼一が出てきたのとは違う穴から皐月と布谷が姿を見せた。
 場所は鬼一より更に一つ高い水蓮石の橋。橋の方向が違う為、鬼一の姿もしっかりと見えて、一番底にいるメアリーも多少小さく映るが、目立つ銀髪が彼女を認識させる。

「よう。刺客は大丈夫だったか?」

「何とかねー。もうへとへとだけど」

 布谷が自分の肩を揉んで疲れたアピール。
 鬼一が状況を簡単に説明し、これ以上敵はいないと一安心。
 余裕そうにしている布谷とは違い、皐月は何かを懸念しているようで、どこか落ち着きがない。
 何を心配しているかは、鬼一は理解できたようで、

「そんなに心配しなくてもジークなら大丈夫だと思うぞ。どうやら花江も一緒みたいだしな」

「ぇ、ああ、う、うん。そうだね。ジークさんも戦えるし」

 心を見透かされたことに驚きを隠せず、赤面して吃ってしまう。
 そして、彼女の心配が杞憂であることは、数秒後には証明されて。

「皆さん無事でしたか」

 皐月達がいる橋上。皐月が出てきた穴と橋で繋がれたもう一つの穴から白髪の少年とショートカットの少女が姿を見せる。
 予備の服に着替えた優希は戦闘後の片鱗を見せず、誰も優希が戦闘したとは思えない。
 優希の姿を見てすぐに駆け寄った皐月は、唐突に優希の身体に怪我がないか確認する。

「良かった。怪我はないようですね」

「心配しすぎだよ。花江さんも一緒だったし、敵もそんなに強くなかったから」

「心配するに越したことは無いです。ここではジークさんが一番危険なんですから。無理して倒れられたら困ります」

 心配にしては過保護な対応。それは優しさなのか、それとも心の依り代を守る為か。
 そんな会話をしている中、布谷も花江の傍に駆け寄り、

「依頼人の護衛お疲れさん。そっちの敵はどんなんだった? こっちは気持ち悪い奴でさー」

「…………」

「変な奇声あげるし、唾吐き散らすし、キモイしウザし」

「…………」

「ま、私の【魄龍砲】で一撃だったけどね! って、どうしたの哀。さっきから上の空って感じだけど……」

 無言で無表情の花江は、上の空というよりは、魂が全て抜き取られたような感じだ。
 そんな彼女に、布谷はどうしたのと肩に手を置いて首を傾げた。
 不審に思った皐月は二人に視線を送る。何気なく視界に入れた光景に言葉を失った皐月は、状況が理解できず、時間に身を任せるように思考を閉じた。
 その状態に陥ったのは皐月だけではない。布谷も同じだ。

 こみ上げる熱い何か。
 それは喉から口に広がり、生温かい鉄錆の味を感じる。そして、

「ぇ……ごふッ――」

 吐き出した。
 朱色の流動体が自分に伸びた腕を汚す。
 じわじわと感じる鈍い痛みに比例して、自覚できるほど下がる体温。
 全身から抜け落ちる体力。それは徐々に身体を支えることも難しくなって。

 状況を理解しようとするも、脳に必要なものは自分で吐き出してしまっている為に思考が止まる。
 視界に映るのは生々しい朱色に染まる腕。だが、見えている腕は肘から先が自分の身体で見えなくなっている。
 視線で見えないのではない。自分の身体に抉り込んでいるのだ。

「ぁ……んで……」

 疑問の言葉は溢れ出る血が邪魔して上手く発音できず、目前の相手に寄りかかり、滑り落ちて地面に身体を打ち付ける。
 空気と共に吐き出す血は、硬い水蓮石の床を伝って鬼一がいる橋にも落ちる。
 
「おい大丈夫か! 何があった!?」

「な、何がって……」

 皐月が未だに混乱の渦から抜けられない。
 異変を感じて下から叫ぶ鬼一に、状況の説明をしようとするも、自分すら理解が追い付いていない為、言葉を発する前に喉元で瓦解する。

 混乱と恐怖。皐月の脳裏には柑奈達の悲劇を思い出す。視界に入った光景が理解出来ずに、血に染まるクラスメイトを目に焼き付けることしか出来ずに無力さを思い知らされた悲劇を。
 新たに目に焼き付けられた光景は、彼女に再び心的外傷を植え付ける。

 疑念の表情を固めたまま、血で汚れた地面に倒れ込む布谷。そして、返り血を浴び、腕からべっとりと血がしたたり落ち、友人が足元で倒れているというのに、一切の表情の変化を見せない――



「………………」



 ――――狂気に満ちた、花江はなえ あいの姿がそこにあった。

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