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人間の殺意

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 駅を降りて三十分ほど歩いたところ、ギルドにしては小さいその酒場の入り口には、準備中のプレートがかけられていた。
 準備中のプレートの上、木製の扉に掘られるような形で刻まれる『紅の猫ロートキャッツ』の文字。

「ここが紅の猫ロートキャッツか……」

「紅の猫は昼間はギルド、夜は酒場として営業してるの。今はみんな依頼で出かけているから、おじさんしかいないけど」

 そう言いながらマリンは扉を開ける。ドアチャイムが店内に響き、

「ただいまぁふがぁ!?」

 マリンの脳天に強烈な一撃が繰り出された。
 後ろにいた三人は、頭を押さえて悶えるマリンを見て、理解が追い付かずに立ち尽くしていた。
 店内から現れたのは二メートルはある巨漢な男。厚い胸板と広い肩幅、朱色の髪と髭。そしてその肉体にはあまりに合わないバーテン服を身に包み、濃い眉の下には温かい瞳。
 彼を例えるならクマと言ったところか。

「いっっったぁぁあい!!」

「マリン、また問題を起こしたらしいな! なんで御使いを頼む度にトラブルばかり起こすんだお前は!!」

「ちがっ、あれはアイツらが――」

「言い訳無用!!」

「ふんぎゃっ!?」

 脳天を抑え反論を唱えるマリンに、愛ある鉄拳が繰り出される。
 マリンの頭から鈍い音が聞こえ、後ろの三人は開いた口が塞がらない模様。
 そんな三人の存在に気付く、拳を握ったバーテン服の男。

「ん? 君たちは?」

「あ、はっ初めまして相沢薫です。ウルドさん……ですか?」

「あぁ、私がウルドだが。君たちは依頼に来たのか? そうなら、今スグに動ける者がいないんだが……」

「いや、僕はウィリアムさんからこちらを預かりお伺いしました」

 薫は懐にしまっていた手紙を渡す。ウルドは手紙を受け取り、内容を一通り目を通すと、

「……なるほど、事情は理解した。三人とも中に入りなさい」

 手厚い歓迎を受け、薫達は今も尚頭を押さえて屈むマリンを横目に、紅の猫へと入っていった。



 ********************



 ギルドの内装は、入ってすぐに五つの机、その奥にカウンターがある。
 カウンターの右には階段が、下へと続いている。

「さてカオル君。君の口から事情を説明してくれないか?」
 
「え?」

 玄関ではウルドは手紙を読んで事情を理解したとのことだが、今再び薫に尋ねている。
 一瞬困惑するも、ウルドの眼を見て、気を使ってくれていることを理解した。
 一緒に来た茅原と葵、そして、マリン。この三人が薫の状況をどこまで知っているかはウルドは知らない。 
 薫が話せる段階を知ろうと、もう一度事情の説明を求めた。
 
 薫は茅原達同様、建国祭の護衛の件だけ話した。ウルドはすべてを分かっていると理解しながら。

「なるほど……カオル君、私と手合わせしてみないか?」

「手合わせ?」

「なに、君の実力が知りたいだけさ。君の力量を知らないとどう鍛えようか分からないからね」

 ウルドは階段を降りる。輝石によって照らされているその階段は、螺旋状にカーブを描き、かなり下へと続いている。
 その階段は一分としないうちに一つの扉へとたどり着いた。 
 分厚く、金庫のようなその扉が、ウルドのごつい手によって、錆びれた音を立てながら開いた。

「ここは普段訓練所として使っている。まぁ暴れているのはそこの馬鹿だけだがね」

「馬鹿じゃないもん! 外で暴れちゃダメって言ったのはおじさんじゃん!」

 結果、外でトラブルを起こして暴れているのだが、そこにツッコミは入れずただひたすらにジト目でマリンを見る薫達三人。

「話を戻そう。ここは多少派手に暴れても問題ない。軽い手合わせと言ったが、本気は出してもらうよ」

 その部屋は九十平米ほどの広さがあり、全面石造りで、天井に埋め込まれた大量の輝石が、部屋を明るくしている。
 入り口の隣には数種類の武器が立てかけられており、ウルドはその中にある剣を手に取る。
 そして、立ち尽くす薫から数メートルほど離れ、素振りを行い薫を見る。

「何をしているんだい? カオル君も構えたまえ。君の背中にあるその飾りを!」

 ウルドの覇気が薫を襲う。薫は無意識に柄を握り剣を抜いていた。
 心配そうに見つめる茅原と葵。そんな二人の視線を背中に受けながら、薫は直立不動のウルドと対峙していた。

 呼吸が荒い。剣が重い。足が鉛のように動かない。骨が、筋肉が、身体が、だんだんと重く――

「来い!!」

 ウルドの叫びによって、薫は大地に響く強烈な一歩を踏み出していた。薫が自分の行動に気付いたのは、凄まじい速さでウルドに近づいている瞬間だった。
 だが、薫が次にとった行動は、躊躇による硬直ではなく、本能による攻撃だった。

 無意識に踏み出した一歩は、ウルドとの距離を一気に縮め、その勢いを殺さずに、薫は身体を捻り、ウルドの脇腹目掛けて鋭い一閃。
 ウルドは何食わぬ顔でその一撃を受け止める。
 
「なんだその生温い攻撃は!」

 ウルドが薫の剣を強く弾く。強烈な振動が薫の握力を一瞬で奪う。辛うじて剣を手放すことは防げたが、ウルドが一回弾いただけで、剣先が地面に触れそうなほど脱力していた。
 一旦距離を置く薫に、ウルドは剣先を薫に向ける。

「言ったはずだよカオル君、本気は出してもらうと。少なくとも私は……君を殺す気でいるよ」

「――――ッ!」

 出会ったときの温厚な瞳は冷え切り、薫の本能による警笛が激しく鳴る。
 受け身の体勢で構えるウルドに、薫の重い身体は再び距離を縮めた。力が上手く入らない薫はよろけながらもウルドに剣を振るう。
 しかし、その剣は空を切り、

「――――っな!?」

 ウルドの剣が、薫を真上から切り裂くように振り下ろす。
 咄嗟に薫はその一撃を防ぐが、薫を襲うのは潰されそうになるほどの重圧。
 片膝をつき、微弱な力を両腕にかき集める。

「――――はぁあ!!」

 茅原すら聞いたことのない叫びで自らを鼓舞し、ようやくウルドの斬撃から解き放たれた。
 だが、今ので薫の体力はかなり奪われた。
 剣を杖代わりに立つ薫。薫の脳内は疑問で満ちていた。
 ウルドの一撃は、強力には違いないが、それはあくまで人間の能力としてだ。今の一撃は一切のマナを感じなかった。それなのに、恩恵者である薫に片膝をつけるまで追い込ませた。
 そして、一切足掻きが取れない身体。

「はぁ……はぁ……一体、何が」

「教えてあげよう。これで獣ではなく人間から向けられる殺気だ」

 薫の身体が無意識に動いた理由。ウルドの強烈な殺気が薫の防衛本能を呼び起こした。
 その時点で薫の身体はウルドの殺気によって蝕まれていた。魔族のような本能による殺気ではなく、理性による殺気。人間による人間を殺す覇気。

「君は今まで魔族としか相手にしていなかったのだろう。だが、これからは魔族ではなく人間が相手になる。私よりも強い相手も当然現れる。相手は君を殺すのに手段は択ばない」

 今度はウルドが仕掛ける。その巨体に似合わない軽やかな足取りで薫に近づき、再び重い一撃を繰り出す。受け止めると体力を奪われる薫は、ウルドの剣戟を流しにかかる。
 対人戦など初めての薫は、恩恵者の身体能力でなんとか食らいついているが、身体の使い方、手の読みあいに関してはウルドが遥かに勝る。

 そして再び鍔迫り合いに陥る。だが、薫も慣れてきたのか、先ほどよりも辛くはない。
 それでも薫に反撃の余地はない。

「力が均衡した、自分を殺そうとしている相手に対抗するのはただ一つ。自分も相手を殺す気で向かうことだ。問おうカオル君。君に私は殺せるかい?」

「あなたを……殺す?」

 薫の力が緩む。ほんの一瞬、コンマ何秒という刹那の脱力をウルドは見逃さない。
 さらに一歩ウルドが強く踏み出し、両腕を薙ぎ払うように動かす。

「薫!?」

 薫の身体は軽々と宙を舞い、地面に強く背中を打ち付けた。
 見ているのも限界の茅原は仰向けに倒れる薫の元へと駆け寄る。
 ウルドの攻撃は受け流していたものの、僅かに体力は削ぎ取られている。
 体を起こす薫に、ウルドの瞳は再び温かくなる。

「今日はこの辺にしておこうか。実践は体力だけでなく精神的にも疲弊するからね。マリンはカオル君のご友人を送っていきなさい。カオル君、君はしばらくここに泊まるといい」
 
「泊まる? いいんですか?」

「ギルドの二回に空き部屋があるからそこを使ってくれて構わない。そこの君」

「え、私?」

 唐突にウルドと視線が合った茅原は戸惑いを隠せない。

「すまないが、彼の荷物を整理しておいてくれないか? 五日間ほど泊まることになるだろうからね。マリンはその荷物を持ってきてくれ。くれぐれもトラブルは起こさないように」

「はーい。それじゃ二人とも行こっか」

「うん……薫、頑張ってね」

「ありがとちーちゃん。ごめんだけど荷物よろしく」

 マリンを先頭に茅原と葵は階段を上っていく。地下に残されたのは剣を元の場所に直すウルドと、今も尚立ち上がれる程足に力が入らない薫のみ。

「ようやく二人きりになれたね」

「そのセリフ誤解を招きそうなんで止めてもらえませんか」
 
 身体を起こそうとする薫。じんわりと汗をかき、地下という風通しの悪いこの場所では薫の体感温度はサウナのように感じられる。

「楽な体勢で構わないよ。君の体力消費は精神的な疲労が大きいからね。こればかりは慣れるしかない」

「あと六日……慣れるんでしょうか?」

「さぁね。君が今慣れようとしているのは血の香りが漂う世界の感覚だ。本音を言うなら君はこの世界に踏み入れてほしくない」

「血の香りが漂う世界……」

「君の悩みは覚悟を決めるほどの自信がないこと。勇者の素質、姫の騎士……この二つの立場はともに国と人類の命運を背負うことになる。君の剣筋を見るにこちらに召喚される前は戦いと無縁の世界で生きていたんだろう」

 元の世界で薫が真剣を握ったことなどあるはずもなく、その扱い方をもなんだこともない。恩恵者になったことで発揮される高い身体能力がなければただ適当に棒を振り回しているだけだ。
 無駄な動きも多く、知識の無さから相手の攻撃を予測するのも無理だ。

 そんな状態の薫に与えられた勇者の素質という大きすぎる力と、姫の騎士という重すぎる立場。
 そして、ウルドとの手合わせによって初めて実感した人間が放つ殺意。
 
「まずは君に身体の使い方を知ってもらう。だが、そこに時間はあまり使えない。君の場合、力量よりも精心が重要だからね」

 実際、薫は勇者の素質により練度に関しては問題ない。薫も呑み込みは早い方で、身体の使い方もそれなりにはこの短期間で仕上がるだろう。
 だが、精神的な問題だけはそう簡単にいかない。人を守る覚悟を決めるために、人を殺す覚悟も決めなければならない。
 戦いとは無縁の世界で生きてきた薫にとっては、吐きそうになるような世界に慣れる必要がある。
 ウルドはこちらの方に時間を費やしたい。

「心……ですか。ウルドさんはどれくらいで慣れました?」

 元騎士団のウルドと言っても、最初からその世界にいたわけではない。参考のつもりで雑談程度に聞いてみると、ウルドは瞳を閉じた。

「私の実体験はあまり参考にはならない。始まりの感覚が君とは違いすぎるからね」

「感覚ですか?」

「君は命を奪うことを恐れている。それが普通だ。だが私は違う。初めて人を切った時、私は何を考えたと思う?」

 ウルドの問いに薫は言葉がすぐに見つからなかった。人を殺した時、相手の家族を思うのか、生き様を思うのか、それとも自らの震える手を抑えるのか。
 人それぞれ思うことは違うが、ウルドの場合は幾つか浮かんだ薫の予想から離れていた。

「何も思わなかった。私の前に転がる死体の瞳は光を失い、涙を目じりに残していた。それを見ても私の感情は一切ブレなかった。初めて人を切った時、あまりの衝撃に吐いていた私の同期が辿り着いたのは廃人という末路なのにだ」

 ウルドの同期、人を守りたいという理由で衛兵になり、国民からの信頼を得て騎士の称号を得た。 何度も戦場に足を運び、人を殺し続けた結果、彼の精神が完全に壊れてしまった。耳に残る断末魔と、焼き付いた戦場の光景、血の香りが鼻に染み付き、人を切った時の感覚が手から離れない。

 対してウルドは何の躊躇いもなかった。もう誰一人、切り殺した人間の顔が思い出せない。薫と違って、ウルドは人間の殺意に何の抵抗も感じなかった。

「君には私のようになってほしくない。命に無関心になるのではなく、命に関心があるからこその覚悟を持ってもらいたい。人を守るなら人を殺す覚悟も必要だ。だが、その覚悟を持って初めて相手も生かせることが出来る」

 それは薫が理想とするもの。自分も、仲間も、相手も、誰も死なないという戦場には甘すぎる考えかもしれないが、薫はそれを一番望んでいる。

「救うために殺す覚悟……」
 
「そこはまぁ何とかなるように考えているから心配する必要はない」

 励ましのつもりか、ウルドはそう言って薫の肩に手を置く。
 ウルドの大きい手は薫に落ち着きを与え、

「……がんばります」 

 自分に言い聞かせるように一言言ってから、薫はそのまま眠りについてしまった。
 隣にいたウルドは、我が子を見る親のような温厚な笑みを浮かべて、食事の準備へと向かった。
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