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第三連

第三連・承句 潔斎の塩

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第三連・承句 潔斎の塩

View point of張楚歌

その日、僕はいつもの様にトウキョウにログインした。委員長や自成、それに碧海もいつも通り一緒だ。いつもと違うのは、僕だけ別行動だってことだ。ウツツとの待ち合わせ場所はいつだったか会ったシナガワステーション。

ウツツも一人のようだった。いつもの様に表面上の笑顔を浮かべながら手を振っている。オモウの巨乳がないのは少し物足りないけど、それでもきっとこれはちょっとしたデートだ。彼女の慎ましめな胸を見ながら思考する。中国では大抵カップルは同じ班の中でできる。だがこの第二班は自成と天衣の仲がいい以外に、特に自分と碧海に接点はないのだ。アニメの中のように、映画の中のように、恋するにはきっとここがいい。結局のところ班のみんなは現実の自分を知っている。不格好で鈍臭い自分を。情愛なんて起こりようもない。

「おお、来たか。では、行こうか」
ウツツが言う。
「ああ、そうだ。一仕事終わったらラーメンを食べに行くぞ」

そう言って彼女は歩き出した。なぜだか、その背中は意味深に見えた。とはいえ、そんなこといちいち気にしていても仕方ないということもとっくに僕は学んだ。結局のところ彼らと僕らは違うのだ。彼女がどう感じてようが気にすると頭が痛いだけだ。そんなことよりもラーメンのことでも考えてた方が現実的だ。全ては慣れること、考えないこと、それが一番楽な生き方なのだ。

最初に彼女に連れられて行ったのは霞ヶ関、公安委員と書かれた神殿に登殿する。幾重ものセキュリティ認証で区切られた結界の内側で僕とウツツは全ての装備を解除して全裸になった。多少はにかみながら白い布で体を隠す彼女の肩は少しだけ震えていたようだった。
渡されたのはいくつかの特殊装備、伝統的な和服と完成された痩身の男のアバターだ。

「公安委員が公務を執行する場合、個人情報保護の観点から統一されたアバターを使うことが義務付けられている」

そう一言だけ告げてウツツは普段の女っぽくない顔立ちと袴から、長い黒髪に面長の線の細い女性の姿になった。僕も彼女も紺の幾つか複雑な模様の描かれた和装だ。

「嫌なことはさっさと終わらせてしまおう」
っと普段と違う顔のウツツがいう。筆舌でも表しきれないけれども、どこか冷たい気がしたその表情はいつもと変わらずすましている。

「どうした?元気が無いぞ?」
そういった彼女はたぶん僕以上に気が進まないのではないだろうか。微笑の影で彼らがそう思い悩んでいるのを今の僕は知りながら無視する。

「いえ、ただ初めてウツツさんと一緒だから緊張しちゃって…」
そう言って僕は照れ隠しに笑う。

複雑なことは考えずにこの与えられた格好いい日本人風のアバターを感じる。普段より少し背が高めの身長、少し身軽で身の引き締まった感覚。自成とかはこんなふうに日々を生きているのかっと。

「そう固くなるな。今日から私とお前は同じ風紀委員だ」
そういってウツツが僕の肩をバシバシ叩く。慣れない身長の慣れない場所を叩かれて僕は少しめまいを覚えた。だが一方で思うのは、ゲーム以外で天衣や自成と離れてこんな風になにか重大なことをするのは初めてかもしれないということだ。班行動の時はいつも彼らが既に話を決めて、僕や碧海はただそれに頷くだけだ。碧海がどう思っているか知らない。もしかしたら彼女は本当に天衣に心酔しているのかもしれない。でも、僕は違う。ゲームの中でならいつも活躍できる僕が、父親の階級だってけっして低くない僕が、現実世界でいつも一方的に命令されるのは納得がいかない。悔しい。それでも、体型のことがあるから、責任を負いたくないから僕は彼らの指示に従ってやっているんだ。

今回のこれはそういう意味で僕が主導権を握り、能力を示す絶好のチャンスだった。また、オモウのおっぱいはないけれども、ウツツの好感度を上げる絶好のチャンスでもあった。将来のことを考えれば少しでも僕の能力をここで示して置かなければ。堂々として泰然、そんな風にこのミッションをクリアして見せなければ。


そこはアキハバラステーションエレクトリカルシティゲートスクエア、伝統的な町並みのシナガワ地区とは打って変わって色とりどりの雑然としたネオンと騒がしい客引きの声、どこか上海を想起させるような町並みだった。正直に言って日本にこんな場所があるなんて思いもしなかった。そう思いながら、ちょっと思い出す。自分の言ったことのない場所が無数にあった子供の頃を。いつの間にかそれらは全て通学路であり、買い物先であり、日常の全てに組み込まれていた。結局この世界は僕が思うほど狭くはないけれど、僕が期待するほど広くもないのだ。ここに通っていればいずれここも慣れる。

「ああ、あそこだ」
そう言ったウツツの指の先には男のアバターがいた。少し、いかつく壮大に作られ、体躯の大きなそれはいかにも筋肉質な雰囲気をまとっている。

横でウツツがいつになく真面目な声色で口を開いた。彼女の目線は男を捕らえて離さない。

「場所は大切だ。少しでも多くの市民に印象付けるために、通行人は多ければ多いほどいい。もちろん、映像で撮影されて公開されもするんだがな。そうして初めて彼の処刑は社会を無秩序から遠ざける礎になる。公開処刑は基本だな。

まず、私が罪状を読み上げる。終わったらアイテム『潔斎の塩』を渡して3分待つ。あいつが使うか確認してくれ。3分経つか、逃げようとすればその時点でアイテム『罪符』に所定のコマンドを入力して使用してくれ」

「了」

張り詰めた彼女の緊張を感じて僕はそれ以外に言葉がなかった。それほどまでに彼らにとってこれから起こることは大切なのだろうか。なにが起こるのかますます混乱する僕の頭の中で、あの最後の試練が思い出される。寂しかったのは確かだ。辛くなかったわけではない。けれども、耐え難いかといえばそうではないと思う。物理的な、あるいは精神的な痛みもない。
幾度と無く繰り返された教練もなく、空腹の絶望も、誇りの喪失もない。それこそがたぶん、僕らと、彼らの、違いなのだろう。気にすることは辛いだけだ。

「そこの君、君はアカウントネーム『スサノオ』。真名は鈴木史朗で間違いないだろうか?」

ウツツがオープンチャットで話しかけた。屈強な男のアバターが振り返って僕達を確認する。とたん、表情がくもり膝をつく。
「いや、俺は、違い、、、ます」
そう言った男の表情はすがるようだった。
「みっともないぞ」
そう言った彼女の表情は冷たく見えた。一定程度に近付いたため、アバターの個人情報が表示され、『スサノオ』と読める。

「私たちは風紀委員だ。そこに座れ、正座だ」

冷酷にウツツが命令する。普段の彼女とはかけ離れた冷たさ、冷酷さだ。やっぱり僕はウツツが苦手だと思う。そしてどこか彼女は天衣に似ている。だから余計になんというか得意ではない。
男がペタンと座り込む。ウツツがコマンドを触って真っ白な長方形の布が僕達の足元にひかれる。

「私、風紀委員登録番号26号乙と61号丙がこれより、清めの儀を執り行う。これから読み上げる罪状は全て確定事項であり、決定は覆らない。繰り返す、決定は覆らない」

彼女は今まで僕が聞いた誰よりも冷たい声で断定する。

「汝、アカウントネーム『スサノオ』、名を『鈴木史朗』、

公安委員会は以下の訴状において汝を精査した。
一つ、他人に本人の意に反した過度の接触行動を試みたこと、三千七百十五号
一つ、公道において暴力的な画像の頒布を行い公衆の不快指数を上昇させたこと、三千九百号
一つ、他人に看過出来ない程度の暴言を吐いたこと、四千二十一号
一つ、他人の個人情報の一部を本人の意に反して開示し、保存したこと、 四千三十三号
以上の件に対して汝は公衆の社会秩序を著しく乱したと判断された。
個々の案件に対して汝の釈明及び弁護は既に十分に査定され、なおもって罪過が酌量をもって余りあると判決された。

以上の件により、公安委員会と今上帝の名において汝は透明刑に値すると判断された」

男は巨体に似合わず、縮こまって俯いていた。白く引かれた布の外側で野次馬が集まっている。彼らの目を見た時に僕はぞっとした。皆々ウツツと同じように酷薄な薄ら笑いを浮かべて眺めていたからだ。彼らの眼は一体何を見ているのだろうか、何を見ていないのだろうか。僕はそっちを無視して男だけに集中するように努力した。

ウツツが僕に仕事をするようにと微かに小突く。僕は『潔斎の塩』を恭しく捧げて男に渡す。ウツツがまたもや無機質な声で口を開く。

「これより三分の猶予を与える。よく考えるように!」
そして沈黙が訪れた。ウツツは時計を睨んでいる。町中だというのに誰一人口を開く者はなく、ざわめきすらもない。男と僕達を遠巻きにしている群衆達。それは気味の悪い光景だと思った。まるで墓場のような気分だった。
男が動いた。

のろのろと無言で捧げられた『潔斎の塩』を取り、中空でかたつむりのように彼の指が動く。本当にそれは窓をはうかたつむりのようだった。そして男は、一瞬僕の方を見て、目を見開いた。次の瞬間、男はいなくなっていた。

無言でウツツが布を消去する。

一分立たずにもとの騒々しい街に戻る。まるで嘘のようにっという言葉がまさにこれなんだろう。全ては元通り、ただ一人男はいなくなっていた。街は変わらず騒がしく、ちょっと前の死の静寂は掻き消えていた。

ウツツは言った、彼の処刑は社会を混乱から遠ざける礎になるっと。しかし数分立たずに回復した街の喧騒はそうは思えない。

「あの、ウツツ、えっと、これでよかったの?」
僕の口から出てきた疑問は思っていたものとは似ても似つかないものだった。
「ああ、上出来だ。社会はこれを記憶した。これを以って明日のトウキョウは今日よりも平和になるだろう。おそらく、通行人たちは今日のことを心に刻み込むだろう」

「本当に?」

「ああ、もちろんだ。ここで取り乱したら、恥ずかしいだろ。だからみんなそれまで通りを装うのさ。でも、恐怖は彼らの深層心理に刻み込まれる、恐れは彼らに大胆な行動を萎縮させるだろう」

「恐怖…一体『潔斎の塩』ってなに?」
「ああ、一種の薬物だな。あれを服用すると現実の体の方にも致死性の薬物が投与されて、安らかに逝ける。そういう仕組だ、彼は自分の存在という罪を自らを消去することによって消し去った。それ故、彼の名誉は恢復され、罪人の名簿から消される」

「じゃぁ、『罪符』っていうのは?」
「それは、透明刑の執行コマンドだ。お前たちが受けた最後のチュートリアルミッションで体験したものだな。全てのコマンドが封鎖され、社会の外に置かれる。誰とも喋れず、何も語れない。数年で精神は崩壊し、ものも言えなくなるが10年間は生かされ続ける。すべての公的記憶は罪人の烙印を押され、その名誉は永遠に恢復されない。だから大半の罪人たちは自ら『潔斎の塩』を選ぶ。それによってお前や私の精神的負担が低減される」

嘘だと思った。その酷薄たる偽善的機構を知ってしまえば、やはりそれは殺したも同然、それでも罪悪感を無視できるとしたらわざと自分を騙している意外ありえない。

まぁ、それも仕方がない。世の中とはそういうもので、この十数年間で学んだ最大のことはそういうことなのだ。平等を謳いながら、その実党内の階級が全てを決めるのも、諸国協和を掲げながら今まで一度だって中華以外のことは教わっていないことも、謙譲の美徳を訴えながら誰一人実行しないことも、全て仕方がないことなのだ。そういう現実を見た自分自身を意図して忘れ、意図して忘れた自分を更に忘れる。これを繰り返せば血も涙もない自分が出来上がる。どんな道義に悖ることも平気でやって忘れられるようになる。つまり、ウツツもそういうことなのだろう。楚歌は気持ちの悪いものを抱えながら呟く。

「ラーメン食べに行こう」
ウツツが明るい声で行った。
「おう、そうしよう。アキバにおすすめの豚骨ラーメン屋があるんだ。うまいぞ。今日は初仕事の祝におごってやろう」
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