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一緒にいれば、情だって移ります。

2人で出かけよう

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「・・・ごめん」
聞こえてきた弱々しい声。

私よりも、ボスの方が驚いている。

「私こそ・・・ごめんなさい」
約束を破って、こそくなまねをした。

叱られて当然。
きっと、悪いのは私なんだ。

「叩いたことは謝る。でも、こんなことを続けるなら、武広からの仕事を全部断る」
そう言った顔は険しくて、怒鳴られるよりも怖かった。

「ダメです。皆さん、せっかく私にって言ってくださるのに申し訳ないです」
それに、手が回らないから私に頼まれているわけで、みんな遊んでいるわけではない。
「イヤなら、USBは渡さない。俺の仕事だけなら勤務時間内にできるだろう」
えー。
それではボス以外の仕事に手が回らない。

「イヤか?」
「はい」
「じゃあ、コソコソ仕事をするな。朝はゆっくり寝ろ」
「・・・」
「いいな」

コクン。
声には出さず、ただ頷いた。

***

「罰として、今日は休みだ」
はあ?

「イヤならUSBを渡さない」
真顔で言っているけれど、結構変なこと言っていると気づいているんだろうか?

「ちょうど息抜きしたかったんだ。1日付き合え」
「いや、でも・・・」
いきなり休みなんて、無茶でしょう。

「武広には連絡しておくから」
「そんな・・・」
いくら抗議してもボスの決心は変わらない。

「ほら、もう少し寝てろ。起きたら出かけるからな」
ああぁ。
今日のサボりが、決定してしまった。

確かに、今日のボスには外来の予定も大きな会議もない。
でも、仕事はいくらでもあるのに。
どうなっても知らないから。

***

仮眠を取って、朝8時。
「ねえ、おにぎりを作って」
と言われ用意した。

おかか、うめ、こんぶ。
珍しくもないけれど、安心できる味。
小さい頃母さんが作ってくれた通り、少し塩を多めにきかせて握った。

「うわ、うまそう。一個もらうぞ」
すでに口に運んでいる。
「朝食、何か作りましょうか?
「これでいい。支度したら、出かけるぞ」
「どこに行くんですか?」
「山」
「山?」
「登山しよう」
無理無理。
登山どころか、ハイキングもしたことないのに。
「心配しなくてもそんなにすごい山じゃない。服もあり合わせ、ハーフパンツにTシャツでいい。靴と靴下だけ途中で買おう」
すっかり、予定をたててしまっているボス。

なんだか経験者っぽいけれど。
本当に大丈夫だろうか。

「頑張って登ったら、帰りに日帰り温泉に入って、地元のパン屋に寄ろう。・・・いいだろう?」
うーん、それは楽しそう。

「決まりだな」
私の反応をイエスと理解したらしいボスは、1人で支度を始めてしまった。

***

途中のスポーツ用品店で靴と靴下、水と栄養補給用のお菓子を買い込んだ。

向かったのは隣県の1500メートルほどの山。
初心者でも2時間もあれば上れると言われた。

「無理するなよ。バテるぞ」
「大丈夫です」
ボスの忠告なんて完全無視。
久し振りに外を歩き、私は浮かれていた。

緑深い山。
頬をなでる優しい風。
深呼吸するだけで元気になるようで、いい気分。

しかし、1時間ほどで後悔した。

スポーツと縁のない私に、登山はキツかった。
だんだん息が上がり、何度も何度もボスが足を止めて私を待ってくれる。

「すみません」
「いいよ。大丈夫?」
「かなり、辛いです」
もう、「大丈夫です」なんて意地を張る元気もない。

辛い。
苦しい。
でも、行くしかない。
ここまできて帰るわけにはいかない。
これもボスの意地悪なんじゃないかと本気で思った。


「ほら、もう少し。その先を曲がれば開けるから」
「はぁぃ」
返事をするのも辛い。

***

「見てごらん」
うつむきながら必死に足を進めていた私に声がかかり、頭を上げる。

「うわああぁー」
もう絶叫だった。

すごい、すごすぎる。
そこは天空の世界。
足元に広がる雲海。
遠くに広がるミニチュアみたいな街。

これまでの苦労が一気に消えていった。

「気に入った?」
「はい」
登山をする人の気持ちが少しわかった。
こんなご褒美があるなら、また登りたくなる。


山頂で、2人並んでおにぎりを食べた。

「色んな事に行き詰まると、ここに来るんだ」
お日様に照らされているせいか、まぶしそうに目を細めるボス。
その顔は、いつもとは違って見えた。

「副院長でもそんなことあるんですね」
「まあね」
あれ、毒舌が返ってこない。

「大丈夫ですか?」
「ああ」
それ以上かける言葉がなくて、私たちはただ黙って山並みを見下ろした。

***

今日のボスは普段とは違っていた。

少しだけ優しくて、寂しそう。
いつもの意地悪な言葉が、聞こえてこない。

「温泉、ゆっくり入っておいで。いつも急いで入ってるだろう?」
え?
「いや、女性って普通はもっとゆっくり入るじゃないか」
照れくさそうにキョロキョロしてる。

言われてみれば、ボスのマンションでは急いでお風呂に入ることが多かった。
でもそれは、早く上がって少しでも仕事をしたかったから。

それに、『女性って普通はもっとゆっくり入るだろう』って、かなり経験豊富な発言。
きっと、素敵な人たちと恋愛してきたんだろうボス。
そんな人たちと比べられると思うと、自分が惨めすぎる。

「ほら、どうしたの。行くよ」
「はい」

温泉は男女それぞれに露天風呂やサウナがあり、とってもゆったりできた。
本当に久しぶりに長湯をした。

「すみません。お待たせしました」
「いいよ。ゆっくりしろって言ったのは俺だ」

やっぱり、いつもより優しい。

***

「へー、こんな所にパン屋さんがあるんですね」
「ああ。結構うまいぞ」

何度か来ているらしいボスは迷うことなく店に着いたけれど、知らない人はたどり着けないような田舎道。
よくこんな所に店を作ろうと思ったなって感心してしまう。

「元々、酪農家なんだ」
「酪農家?」
「うん。代々続く酪農家に都会から来たお嫁さん。それがベーカリーのオーナー。新鮮なミルクと、天然酵母で大好きなパンを作ってみたら評判になってしまった。日曜大工が趣味のご主人が奥さんのために店を作ったら、大繁盛。日曜日には渋滞ができるらしいぞ」
「へー」
「いいよな」
え?
何が?

「休日にここへ来て、牧場を散策して牛や羊を見て過ごす。時間があればパン教室や、バター作り体験。帰りにはうまいパンを買って帰る。最高だよな」
「そうですね」
「一攫千金を狙ったわけでもなく、好きなことをして商売になるなんて幸せなことだ」

ん?
ボス、何かあった?

「大丈夫、ですか?」
「ああ、明日には元気になるから」

ボス・・・

その後、パンをいっぱい買い込んだ。
車の中はパンのいいい匂いに包まれ、幸せな気分。

帰り道、疲れきって会話が続かない車内。
だからといって、沈黙が辛いわけではない。
黙っていることが負担にならないくらいには、打ち解けてきた。

そのうちに、どちらともなく手を差し出して・・・握っていた。

私にとって、ボスは上司。
その関係に変わりはない。
でも、
今日のボスは別人のようで、辛そうだった。
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