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1章『転生淵源』
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兄は誰からも好かれている人だった。容姿が整っている事は勿論の事、勉強も運動も出来て、学校の先生ですら一目置いていた。何時も笑みを絶やさない兄だった。
そんな兄を持つ妹の風当たりは強かった。勉強だって運動だって出来ない訳ではない。ただ、比べる相手が悪かっただけ。
優秀な兄。
普通の妹。
ただそれだけなのに、親からは罵声や暴力を浴びせられ、生徒からは陰湿な虐めに遭い、先生は見て見ぬ振りや、兄と比べて馬鹿にする始末。
優秀な兄。
落ちこぼれの妹。
彼女の成績はどんどん下がっていった。下がる度に酷くなっていく状況。その地獄の中で、何も知らない兄だけは優しかった。けれど、それが辛かった。兄も他の人と同じような人種だったら嫌いになれたのに。
彼等は狡猾だった。兄に気付かれぬように、見えないところに傷を付けた。腹部に、太腿に、背中に、心に。
もう、限界だった。彼等の暴力が、兄の優しさが辛かった。
*****
「…どうしてそんな事を言うんだい?」
兄と同じ声で、同じ顔で彼は悲しそうに柚に笑いかける。けれど、冷静で居られなかった。今すぐ逃げ出したかった。怖い、怖いのだ。最愛の兄が。
じりじり、と後ずさる柚に対して間を詰める男性。何歩か下がれば、柚の背中が壁に当たった。男性は一定の距離を保ちつつ、言葉を続ける。まるで怯えた仔犬に声を掛けるように。
「私は君に危害を絶対に加えない。君を助けに来たんだ。大丈夫。何もしない。お願いだから此方に来てくれないか?」
持っていた血濡れた剣を床に落とし、両手を広げる男性。
あの時もそうだった。柚が影で泣いていた時、兄は何も言わず、両手を広げて小さな柚の身体を抱きしめてくれた。その様子を見ていた両親からの折檻が酷くなる事をわかっていながらも柚はその暖かな腕に縋り付いた。
「……貴方は誰、ですか」
過去の亡霊を振り払いながら何とか発した言葉は氷のように冷たかった。
だが、男性は気にした様子を見せず、寧ろ柚が言葉を発してくれた事の方が嬉しかったのか破顔しながら己の紹介を始めた。
「名前も名乗らないなんて失礼だったね、ごめん。私はタマキ。グラジュスリヒト家の者と言えばわかるかな」
「た…ま、き…?」
「そこに反応するんだ。……変わった名前だろう?私は気に入っているのだけれどね。君、イミゴは私達、グラジュスリヒト家が保護する事になっている。勿論野蛮な事はしない。丁重に大事に保護させてもらうよ。昔からそうなんだ」
「……」
まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
間違えなく彼はタマキ、と名乗った。はっきりと、そう言った。柚の頭が真っ白になる。情報処理が追いつかないのだ。それも仕方の無い事だった。タマキの名前は柚の兄と同じ名を持っていたから。
「――!君っ!」
ふらり、と柚の身体が傾く。タマキは再度柚の身体を逞しい腕で抱き留めた。小さく細い身体だった。柚の身体を慎重に抱き上げ、外に待機してある馬車へと足を向ける。
歩きながら柚の顔色を伺えば血色を失っていた。
「……」
栄養が行き届いていない身体。清潔とは言い難い身なり。傷だらけの身体。そんな柚の状態を見ただけで、おおよそどんな事をされていたのか安易に想像できた。
柚を抱くタマキの腕が怒りで震える。出来る事ならこの手で一人残らず消し去ってしまいたかった。
「――タマキ様。全員残らず捕獲致しました」
外に出れば、待機していた鎧を纏った男数人から一人出、敬礼を一つし、タマキに言葉を掛ければ、タマキは労いの言葉を掛けるも瞳は笑っていなかった。
「ご苦労。殺さずに牢にぶち込んどけ。私が対応する」
「!……は!」
乱暴な言葉に兵は驚愕しそうになるも、態度には出さなかった。
――グラジュスリヒト家の次男であるタマキ皇子。日々民の事を想い、民がより良い暮らしを送られるよう日々奔走している皇子は民からとても慕われていた。
部下に対してもそうだった。どんな下の者に対してでも、労いの言葉を掛け感謝する。時には稽古に混ざり、部下と剣を交えながら日々己の鍛錬を欠かさない。
国の皇子であるのに、偉そうにせず寧ろ謙虚な姿は部下からとても好かれ、絶対的な信頼を得ていた。
今まで聞いた事の無いタマキの様子に、腕で気を失っている柚の存在がどれだけ大切な存在なのかが窺えた。
グラジュスリヒト家がイミゴが生まれ落ちると大切に保護する事は絶対だった。誰もが知っている事実。
果たして、タマキが抱いている感情はグラジュスリヒト家の使命から来ているのか、それとも他の感情から来ているものなのか。
「…イミゴは無事に保護した。可哀想に。こんなに怪我をして…。良いか、絶対に奴らを逃すな……父上に報告を頼んでも良いだろうか」
「は!承知致しました!」
兵はタマキの言葉に従い、一頭の馬に跨がり先に城に向かった。捕虜を捉えてある荷馬車も後に続く。
「……タマキ様を怒らすなんて、馬鹿な奴らだ」
怒りと少しの同情が混じった兵の呟きは、馬の走る音にかき消され誰にも届かなかった。
兄は誰からも好かれている人だった。容姿が整っている事は勿論の事、勉強も運動も出来て、学校の先生ですら一目置いていた。何時も笑みを絶やさない兄だった。
そんな兄を持つ妹の風当たりは強かった。勉強だって運動だって出来ない訳ではない。ただ、比べる相手が悪かっただけ。
優秀な兄。
普通の妹。
ただそれだけなのに、親からは罵声や暴力を浴びせられ、生徒からは陰湿な虐めに遭い、先生は見て見ぬ振りや、兄と比べて馬鹿にする始末。
優秀な兄。
落ちこぼれの妹。
彼女の成績はどんどん下がっていった。下がる度に酷くなっていく状況。その地獄の中で、何も知らない兄だけは優しかった。けれど、それが辛かった。兄も他の人と同じような人種だったら嫌いになれたのに。
彼等は狡猾だった。兄に気付かれぬように、見えないところに傷を付けた。腹部に、太腿に、背中に、心に。
もう、限界だった。彼等の暴力が、兄の優しさが辛かった。
*****
「…どうしてそんな事を言うんだい?」
兄と同じ声で、同じ顔で彼は悲しそうに柚に笑いかける。けれど、冷静で居られなかった。今すぐ逃げ出したかった。怖い、怖いのだ。最愛の兄が。
じりじり、と後ずさる柚に対して間を詰める男性。何歩か下がれば、柚の背中が壁に当たった。男性は一定の距離を保ちつつ、言葉を続ける。まるで怯えた仔犬に声を掛けるように。
「私は君に危害を絶対に加えない。君を助けに来たんだ。大丈夫。何もしない。お願いだから此方に来てくれないか?」
持っていた血濡れた剣を床に落とし、両手を広げる男性。
あの時もそうだった。柚が影で泣いていた時、兄は何も言わず、両手を広げて小さな柚の身体を抱きしめてくれた。その様子を見ていた両親からの折檻が酷くなる事をわかっていながらも柚はその暖かな腕に縋り付いた。
「……貴方は誰、ですか」
過去の亡霊を振り払いながら何とか発した言葉は氷のように冷たかった。
だが、男性は気にした様子を見せず、寧ろ柚が言葉を発してくれた事の方が嬉しかったのか破顔しながら己の紹介を始めた。
「名前も名乗らないなんて失礼だったね、ごめん。私はタマキ。グラジュスリヒト家の者と言えばわかるかな」
「た…ま、き…?」
「そこに反応するんだ。……変わった名前だろう?私は気に入っているのだけれどね。君、イミゴは私達、グラジュスリヒト家が保護する事になっている。勿論野蛮な事はしない。丁重に大事に保護させてもらうよ。昔からそうなんだ」
「……」
まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
間違えなく彼はタマキ、と名乗った。はっきりと、そう言った。柚の頭が真っ白になる。情報処理が追いつかないのだ。それも仕方の無い事だった。タマキの名前は柚の兄と同じ名を持っていたから。
「――!君っ!」
ふらり、と柚の身体が傾く。タマキは再度柚の身体を逞しい腕で抱き留めた。小さく細い身体だった。柚の身体を慎重に抱き上げ、外に待機してある馬車へと足を向ける。
歩きながら柚の顔色を伺えば血色を失っていた。
「……」
栄養が行き届いていない身体。清潔とは言い難い身なり。傷だらけの身体。そんな柚の状態を見ただけで、おおよそどんな事をされていたのか安易に想像できた。
柚を抱くタマキの腕が怒りで震える。出来る事ならこの手で一人残らず消し去ってしまいたかった。
「――タマキ様。全員残らず捕獲致しました」
外に出れば、待機していた鎧を纏った男数人から一人出、敬礼を一つし、タマキに言葉を掛ければ、タマキは労いの言葉を掛けるも瞳は笑っていなかった。
「ご苦労。殺さずに牢にぶち込んどけ。私が対応する」
「!……は!」
乱暴な言葉に兵は驚愕しそうになるも、態度には出さなかった。
――グラジュスリヒト家の次男であるタマキ皇子。日々民の事を想い、民がより良い暮らしを送られるよう日々奔走している皇子は民からとても慕われていた。
部下に対してもそうだった。どんな下の者に対してでも、労いの言葉を掛け感謝する。時には稽古に混ざり、部下と剣を交えながら日々己の鍛錬を欠かさない。
国の皇子であるのに、偉そうにせず寧ろ謙虚な姿は部下からとても好かれ、絶対的な信頼を得ていた。
今まで聞いた事の無いタマキの様子に、腕で気を失っている柚の存在がどれだけ大切な存在なのかが窺えた。
グラジュスリヒト家がイミゴが生まれ落ちると大切に保護する事は絶対だった。誰もが知っている事実。
果たして、タマキが抱いている感情はグラジュスリヒト家の使命から来ているのか、それとも他の感情から来ているものなのか。
「…イミゴは無事に保護した。可哀想に。こんなに怪我をして…。良いか、絶対に奴らを逃すな……父上に報告を頼んでも良いだろうか」
「は!承知致しました!」
兵はタマキの言葉に従い、一頭の馬に跨がり先に城に向かった。捕虜を捉えてある荷馬車も後に続く。
「……タマキ様を怒らすなんて、馬鹿な奴らだ」
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