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1章『転生淵源』

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もう、限界だった。現状から抜け出すには自分がこの世から消えてしまうしか方法が無い事に気付いた少女は自ら死を選んだ。恐怖何て存在しなかった。寧ろ、晴れやかな気持ちで少女が住むマンションの屋上のフェンスの向こう側に立った事を少女は記憶している。

「もう痛い思いはしなくて、良いんだよね…」
                                                            
少女は小さく呟きながら地上に身を投げた。
これで罵声を浴びせられる事から、毎日殴られる事から解放される。少女の周りには敵しか居ない。教師も、学友も、家族も……兄を除いて皆敵だった。
兄は少女の唯一の救いだった。少女とは違って誰からも好かれている兄。いつでも和やかで、優しくて、格好良くて。自慢の兄。
少女の虐めの原因だとしても少女は兄を嫌う事は出来なかった。

「ゆず!!」

ごめんね、ごめんなさい。こんな弱い、醜い妹でごめんなさい。けれど、最期に大好きな蒼く澄んだ空と、大好きな貴方を見るとこが出来て幸せでした。

殴られても、罵声を浴びせられても涙を流す事をしなかった少女。けれど、最期に、溢れた涙。
少女の痩せ細った小さな身体がコンクリートに打ち付けられ、周りの叫声と共に流れ出す真っ赤な罪。

こうして少女――椎名 柚の16年という短い人生の幕が降りた。


……降りた筈なのに。

「イミゴ!」

大きな声で呼ばれて、柚ははっと目を醒ました。疲労と空腹で気絶するように眠ってしまったようだ。きしむ身体に鞭を打ちながらゆっくりとした動作で起き上がれば、鼓膜を震わす金属音。まるで罪人のように首枷と手枷を嵌められている。
何故こんな事になってしまったのか。あの時、確かに柚は自死した筈なのに。気が付けばこの牢のような部屋で鎖に繋がれていた。
窓一つ無い土壁、部屋に不自然な程頑丈な檻に、湿気を吸い込んだ寝具。ぽつんと置かれた不衛生な御手洗い。灯りと言えば、天井にぶら下がっている小さな灯りのみだ。まるで牢獄のような部屋だった。土とカビが混じった匂いに最初は吐き気を催してしまったが、今となっては慣れてしまった。

――慣れてしまう程に、柚はこの牢のような部屋に長い間監禁されているのだ。
現状が全く理解出来ないまま、月日のみが無情に過ぎていく。何をする訳でもなく、日々虚空を見つめながら思考を放棄して。

何時ものように一日一回の食事を柚を『イミゴ』と呼んだ男が床へと叩き付けるように投げ捨てる。転がった硬いパンに、ボトルに入った水。それが柚の一日の食事だった。柚は這いつくばりながら、それらを拾う。惨め、だなんて感情はとうの昔に無くなってしまった。

出来る事なら食べずに死んでしまいたかった。生きているようで死んでいるなら、このまま前のように死んでしまいたいのに、何故か死ねないのだ。気付けばパンを口に含んでいる。無意識のうちに、まるで本能が死を拒んでいるかのように。

「…………」

震える手でパンを囓る。じゃり、と不快な音が腔内で広がった。床の土が付いてしまっていたのだろう。それでも柚は構わず咀嚼を続けた。

「は、まるで餓えた獣のようだな」

声をする方へ視線を向けると、男が下卑た笑みを浮かべながら柚を見下している。何度もぶつけられる感情に柚は咄嗟に視線を逸らす。そうする事によって男を助長させる事を柚は知らない。

「どんな気持ちだ?こんな汚ぇところで罪人のように繋がれて、ゴミまみれの飯を食わされてよ、生きてて楽しいか?…まぁ、お前はどうやっても死ねねぇらしいからな、少しは同情してやるよ」

プッと吐かれた唾がボトルに掛かる。それでも惨めだと思わない……、思いたくないのだ。

それから散々罵声を浴びせた男は満足したのか大きな足音を立てながら部屋を去って行った。

「……死にたい」

心からの言葉だった。死にたい。けれど、死ねない。男の言う通り死ねないのだ。柚は『イミゴ』という存在だから。
食べたくないご飯を無意識に食べてしまうのも、舌を噛み切ろうしたら意識を飛ばしてしまうのも、どれも『イミゴ』という柚の今の立場が邪魔をしている、らしい。

「……」

『イミゴ』が何を指しているのかは柚にはわかり得ないけれど、言葉として良い意味では無い事はわかる。忌み、子という言葉だろう。
だとしたらまさに自分の事ではないか、と柚は苦笑を浮かべた。

間違いなく柚はここに居る。死んだ筈が生きて、ここに居る。『イミゴ』と呼ばれ、蔑まれ、飼い殺されている。

「……」

次、生まれ変わるなら幸せじゃなくていい。ただ、普通に家族と、友達という存在と笑いあえるような人に生まれ変わりたかった。それだけだったのに。
自ら死を選ぶという事がこんなにも業の深い事なのだろうか。ならばどうすれば良かった?あの最悪な世界でどう生きれば良かったの。

「何の為に私はここに、いるの」

小さく呟いた柚の自問自答に答えてくれる者などおらず、小さな言葉は儚く虚空に消えた。


                                                          
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