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16、一夜
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「それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
リルの部屋の前で、二人は別れの挨拶をしていた。
すっかり夜も更けて城内も静まり返っている。
離れがたい気持ちを断ち切るように、リルは部屋の重い扉を閉めた。
(――素敵だったな)
この夜を一生、忘れないだろう。
自分の指にある赤い石を目の前にかざし反芻する。
そして、何を思ったか、リルはもう一度、扉を開けて外に飛び出していた。
まだ遠くに行っていない王子の背中に声をかける。
「…あのッ、私の部屋でお休みになっていかれませんか?絶対、襲ったりしませんので」
王子が、苦笑いしながら振り向いた。
「いや、それは私のセリフだろう」
リルの元へゆっくりと歩み寄る。
「もっと一緒にいたくて…」
「私も同じことを思っていたところだ」
「それじゃあ」
「お邪魔しよう」
王子を部屋の中へと引き入れる。
ひんやりとした部屋の空気を頬で感じた。
「誘っておいてなんですが、婚約もまだなのに男女が夜を過ごして大丈夫でしょうか?」
「一週間後には結婚するのだから、大丈夫だろう。周りもうるさく言わないと思うが。だが念の為、明日の朝はメイドが来る前に退散するとしよう」
「それでは、早起きしないといけませんね。すぐ、休みましょう」
「そうだな」
王子が羽織物を脱ぎ、椅子に掛けた。
「あっ、クローゼットへ」
「いや、朝すぐ出られるようにここでいいよ」
リルは頷いて、自分の羽織物だけを持ってクローゼットへと向かった。
戻って来ると王子はもうベッドの中で横になっている。
この部屋に彼がいる気恥ずかしさを隠すように、リルもすぐにベッドへ潜り込んだ。
「ーーこの部屋は、なぜこんなに冷えているんだ?もう春も終わりだというのに」
「さぁ?初めから寒いので、気にもしていませんでしたけど。お城の北側にあるからかしら」
「昼間は暖かいか?」
「窓の外に大きな樹があって、それが陰をつくって日が当たらないので、昼間もひんやりしていますよ」
「なんてことだ!こんな寒い部屋にいては体調を崩してしまうではないか。ほら、もっと近くに」
そう言って、王子はリルを抱き寄せた。
王子の腕は温かくて安心する。
でも、自分の太ももに王子の足の付け根にある硬いモノが当たっていることにリルは気付いてしまった。
「あの、殿下……。男性の『色々、我慢』ってヤツは大丈夫でしょうか?」
「そういうことは聞いて欲しくないんだが」
「あっ、すみません…」
「欲望よりも一緒にいたい気持ちが勝っているんだよ」
「?」
「こちらの都合で、厄介なことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ないと思っている。だから、より一層、君を大事にしたいんだ」
「男性の気持ちは、よく分かりませんけど…。大切にして下さっているのは感じています。ありがとうございます」
「伝わっているなら、安心だ。さぁ、もう寝よう」
「…はい」
ドキドキして眠れないんじゃないかと心配したが、王子の広い胸に抱かれていると緊張よりも安心感があり、リルは次第にウトウトし始めた。
先に眠ったのは王子だった。
忙しい公務の合間に、パステッドを採掘する時間を捻出し、急いで指輪を形作り、仕舞いにはあんなにも素敵な空間をプレゼントしてくれたのだから、きっと凄く大変だっただろう。
彼の寝息に耳を澄ませ、呼吸を合わせる。
程なくして、リルも深い眠りに落ちていた。
◆◆◆
朝、まだ半分夢の中にいる時、自分のおでこに柔らかい何かが触れるのをリルは感じていた。
「……んん」
「ごめん。起こしたかな。まだ、早い。もっと眠っていていいぞ」
誰かがベッドから出ようとしている。
温かいモノが体から離れるのが嫌で、リルは思わず後ろからその温かいモノを抱きしめた。
「イヤ。行かないで」
眠気に負けて目はまだ、開かない。
「そんなこと言うと戻れなくなるだろう」
声の主はもう一度、リルに向き直りギュッと強く抱きしめてくれた。
それから、おでこ、頬、最後に唇に優しく口づけて、
「また、後ですぐ会える。安心して眠ると良い」
「唇はダメって言ったのに」
相変わらず、目は開かないままで口だけを動かす。
「君からはダメだ。私の歯止めが利かなくなるからな」
「えー…」
なんとか目を開けて、起き上がろうと試みるが、カーテンの隙間から差し込む太陽が眩しくて、思うように動けない。
「見送りはいい。さぁ、そのまま眠って」
大きな手のひらが頭を優しく何度も撫でてくれる。
それが心地よくて、深い深い眠りの森に、リルはもう一度迷い込んでしまっていた。
次に意識を取り戻したのは、クレモンティーヌの声が聞こえた時だった。
「ーーリル様、おはようございます」
「…はっ!」
慌てて飛び起きる。
周りを見渡すと、メイド達がいつもよりも慌ただしく朝の準備に取り掛かっている。
椅子に掛けてあった、王子の羽織物は無くなっていた。
「リル様、どうされました?」
不思議そうにクレモンティーヌが、リルの顔を覗き込んでいる。
「…あっ、寝坊しちゃったかと思って」
苦し紛れの言い訳を何とか口から絞り出す。
昨日の事は夢かと思ったが、自分の薬指にはしっかりと赤いパステッドが嵌めてある。
「そうですね。急いで準備して頂けると助かります」
「は~い」
「今日は、お部屋での朝食ですので」
「あっ、そうだったわね」
花婿と花嫁は、婚約式の会場に入るまでお互いの姿を見たらいけないしきたりらしい。
まぁ、婚約の前に一夜を共にしてしまっているのだけど。
「…ふぁ~」
大きなあくびをしてから、ベッドを降りた。
「よく、眠れませんでしたか?」
「えっ!…あぁ!あの、やっぱり緊張しちゃって」
「よく眠れるハーブティをご用意すれば良かったですね」
「ハハ…。ありがとう。結婚式の前日にはお願いしようかしら」
悪いことをしている様な気がして、しどろもどろになりながらもリルはなんとか取り繕った。
薬指の指輪を、もう片方の手でなんとなく隠しながら。
「おやすみなさい」
リルの部屋の前で、二人は別れの挨拶をしていた。
すっかり夜も更けて城内も静まり返っている。
離れがたい気持ちを断ち切るように、リルは部屋の重い扉を閉めた。
(――素敵だったな)
この夜を一生、忘れないだろう。
自分の指にある赤い石を目の前にかざし反芻する。
そして、何を思ったか、リルはもう一度、扉を開けて外に飛び出していた。
まだ遠くに行っていない王子の背中に声をかける。
「…あのッ、私の部屋でお休みになっていかれませんか?絶対、襲ったりしませんので」
王子が、苦笑いしながら振り向いた。
「いや、それは私のセリフだろう」
リルの元へゆっくりと歩み寄る。
「もっと一緒にいたくて…」
「私も同じことを思っていたところだ」
「それじゃあ」
「お邪魔しよう」
王子を部屋の中へと引き入れる。
ひんやりとした部屋の空気を頬で感じた。
「誘っておいてなんですが、婚約もまだなのに男女が夜を過ごして大丈夫でしょうか?」
「一週間後には結婚するのだから、大丈夫だろう。周りもうるさく言わないと思うが。だが念の為、明日の朝はメイドが来る前に退散するとしよう」
「それでは、早起きしないといけませんね。すぐ、休みましょう」
「そうだな」
王子が羽織物を脱ぎ、椅子に掛けた。
「あっ、クローゼットへ」
「いや、朝すぐ出られるようにここでいいよ」
リルは頷いて、自分の羽織物だけを持ってクローゼットへと向かった。
戻って来ると王子はもうベッドの中で横になっている。
この部屋に彼がいる気恥ずかしさを隠すように、リルもすぐにベッドへ潜り込んだ。
「ーーこの部屋は、なぜこんなに冷えているんだ?もう春も終わりだというのに」
「さぁ?初めから寒いので、気にもしていませんでしたけど。お城の北側にあるからかしら」
「昼間は暖かいか?」
「窓の外に大きな樹があって、それが陰をつくって日が当たらないので、昼間もひんやりしていますよ」
「なんてことだ!こんな寒い部屋にいては体調を崩してしまうではないか。ほら、もっと近くに」
そう言って、王子はリルを抱き寄せた。
王子の腕は温かくて安心する。
でも、自分の太ももに王子の足の付け根にある硬いモノが当たっていることにリルは気付いてしまった。
「あの、殿下……。男性の『色々、我慢』ってヤツは大丈夫でしょうか?」
「そういうことは聞いて欲しくないんだが」
「あっ、すみません…」
「欲望よりも一緒にいたい気持ちが勝っているんだよ」
「?」
「こちらの都合で、厄介なことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ないと思っている。だから、より一層、君を大事にしたいんだ」
「男性の気持ちは、よく分かりませんけど…。大切にして下さっているのは感じています。ありがとうございます」
「伝わっているなら、安心だ。さぁ、もう寝よう」
「…はい」
ドキドキして眠れないんじゃないかと心配したが、王子の広い胸に抱かれていると緊張よりも安心感があり、リルは次第にウトウトし始めた。
先に眠ったのは王子だった。
忙しい公務の合間に、パステッドを採掘する時間を捻出し、急いで指輪を形作り、仕舞いにはあんなにも素敵な空間をプレゼントしてくれたのだから、きっと凄く大変だっただろう。
彼の寝息に耳を澄ませ、呼吸を合わせる。
程なくして、リルも深い眠りに落ちていた。
◆◆◆
朝、まだ半分夢の中にいる時、自分のおでこに柔らかい何かが触れるのをリルは感じていた。
「……んん」
「ごめん。起こしたかな。まだ、早い。もっと眠っていていいぞ」
誰かがベッドから出ようとしている。
温かいモノが体から離れるのが嫌で、リルは思わず後ろからその温かいモノを抱きしめた。
「イヤ。行かないで」
眠気に負けて目はまだ、開かない。
「そんなこと言うと戻れなくなるだろう」
声の主はもう一度、リルに向き直りギュッと強く抱きしめてくれた。
それから、おでこ、頬、最後に唇に優しく口づけて、
「また、後ですぐ会える。安心して眠ると良い」
「唇はダメって言ったのに」
相変わらず、目は開かないままで口だけを動かす。
「君からはダメだ。私の歯止めが利かなくなるからな」
「えー…」
なんとか目を開けて、起き上がろうと試みるが、カーテンの隙間から差し込む太陽が眩しくて、思うように動けない。
「見送りはいい。さぁ、そのまま眠って」
大きな手のひらが頭を優しく何度も撫でてくれる。
それが心地よくて、深い深い眠りの森に、リルはもう一度迷い込んでしまっていた。
次に意識を取り戻したのは、クレモンティーヌの声が聞こえた時だった。
「ーーリル様、おはようございます」
「…はっ!」
慌てて飛び起きる。
周りを見渡すと、メイド達がいつもよりも慌ただしく朝の準備に取り掛かっている。
椅子に掛けてあった、王子の羽織物は無くなっていた。
「リル様、どうされました?」
不思議そうにクレモンティーヌが、リルの顔を覗き込んでいる。
「…あっ、寝坊しちゃったかと思って」
苦し紛れの言い訳を何とか口から絞り出す。
昨日の事は夢かと思ったが、自分の薬指にはしっかりと赤いパステッドが嵌めてある。
「そうですね。急いで準備して頂けると助かります」
「は~い」
「今日は、お部屋での朝食ですので」
「あっ、そうだったわね」
花婿と花嫁は、婚約式の会場に入るまでお互いの姿を見たらいけないしきたりらしい。
まぁ、婚約の前に一夜を共にしてしまっているのだけど。
「…ふぁ~」
大きなあくびをしてから、ベッドを降りた。
「よく、眠れませんでしたか?」
「えっ!…あぁ!あの、やっぱり緊張しちゃって」
「よく眠れるハーブティをご用意すれば良かったですね」
「ハハ…。ありがとう。結婚式の前日にはお願いしようかしら」
悪いことをしている様な気がして、しどろもどろになりながらもリルはなんとか取り繕った。
薬指の指輪を、もう片方の手でなんとなく隠しながら。
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