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8、ダンスレッスン
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朝食が終わると、すぐにドレスの採寸が始まった。
人形のように動かずに上から順番に体のサイズを測られていく。
王室御用達のドレス屋が何パターンものデザイン画を見せながら、あーでもないこーでもないと話していたが、リルの耳にはほとんど届いていなかった。
王子に見つめられて、一瞬、触れられた頬が今もむず痒いのだ。
気を抜いていると、思わずギャー!!と叫びだしそうになる。
緩む口角を、必死に何事もなかったかのように、への字にして平静を装っている最中だ。
そんなおかしな様子の花嫁などお構いなしに、ドレス屋が大きな荷物の中から、いくつもの白い布を取り出しては、リルの肌に合わせていった。
シルクに、サテンに、オーガンジー。
全部が全部、素晴らしくて選べる気がしない。
王子の結婚式だ。どれも一級品だろう。
ドレス屋のセンスを見込んで細かいディテールのほとんどはお任せになってしまったが、食事が美味しくて一カ月後には今よりも肉付きが良くなっている予感しかしないので、ウエストが緩やかなドレスをお願いすることだけは忘れなかった。
そして、王子が似合うと誉めてくれたクラシカルなデザインを取り入れて貰うことにした。
彼に言われたからじゃない。
元々、自分自身がそういうデザインが好きなのだ、と心の中で言い訳をする。
そんな自分に気付いてリルはなんだかおかしくなってしまった。
昨日、出会ったばかりなのにリルの頭の中は王子のことでいっぱいになっている。
運命の恋や一目惚れなんて、別世界の話で今まで自分には縁のないものだと思っていた。
でも、彼の女性への不器用な態度や、精一杯の優しさはリルにとって、とても好ましいものだった。
採寸が終わると次は、ダンスレッスンが待っていた。
鏡が一面に貼られたダンスルーム。
さすが王族だ。こんな部屋まで完備しているとは。
ダンスレッスンの講師はあろうことか、昨日、執務室で会ったポンプルムース宰相だった。
執事にダンス講師まで、どこまでも働き者らしい。
「はい!いち、にー、さん!にー、にー、さん!」
宰相の号令に合わせてステップを踏んでいく。
ダンスのパートナーはメイドのクレモンティーヌだ。
彼女はリルより少し背が高いくらいだったが、上手にリードしてくれる。
いきなり男性とダンスを踊るのはさすがに緊張しそうなので、相手が女性でホッとした。
普段、使わない筋肉を使いリルの足は今にも攣りそうだ。きっと明日は筋肉痛だろう。
「もっと、優雅に美しく!」
「はい!」
「足にだけ気を取られないで、上半身もしっかりホールド張って!」
気を抜いていたらすぐに見破られてしまう。
――恐るべし、ポンプルムース宰相。
「リル様、初めてにしては筋が良いですね。どこかで習ったことが?」
「……両親がダンスが好きで。小さい頃、よく家で踊っていましたから」
「ワルツを家で?失礼ですが孤児院育ちなのでは?」
「孤児院育ちでも、生物学的な両親はいますのよ、宰相」
リルは意地悪く宰相に微笑みかける。
そんなリルを見て宰相は少し考え込んでから、こう言った。
「ーーそれは、確かにそうですね。失礼いたしました」
「まぁ、六歳以前の記憶なので、もうおぼろげですが。意外に動きは覚えているものですね」
「――六歳ということは、白死病でご両親を亡くされたのですか?」
「えぇ、そうです。もう、十四年も前のことですわ」
「そうだったのですか。それは、心からお悔やみを申し上げます」
「お心遣い痛み入ります。あの頃は皆が皆、大変でしたから」
「そうですね。未曾有の事態に国中が混乱していて、我々もなす術が無く……。っと、おしゃべりはこれくらいにして、さぁもう一度、練習を始めましょう!」
(えぇ!!まだ、やるのー!?)
と、リルが心の中で突っ込む。
初日くらい、大目にみてくれても良さそうだが。
「宰相。もう、リル様は音楽に合わせて踊っても問題なさそうです。伴奏をつけましょう」
これまでリルとポンプルムース宰相の会話を邪魔しないようにと、一歩後ろで控えていたクレモンティーヌが初めて口を挟んだ。
「そうですね!それでは私が伴奏を」
そう言って、ポンプルムース宰相がグランドピアノに座る。
ピアノまで弾けるなんて、宰相はやっぱり只者じゃない。
「――パ!パ…じゃなくて、ポンプルムース宰相。最初は『美しき恋のワルツ』がよろしいかと思います」
「え!?パパ??」
「……クレモンティーヌ。いつも気をつけなさいと言っているだろう」
「申し訳ありません……」
「あら!まぁ!お二人は親子だったんですね」
「お恥ずかしながら」
「リル様の前で失礼いたしました」
二人とも気まずそうに笑い合う。
並んでいると、確かにクールな目元と纏う雰囲気がよく似ている。
「父と娘が同じ場所で働いているなんて素敵ですね!」
年頃の娘が父親を敬遠する話は、よく近所の井戸端会議でも聞いていたが。
「えぇ、小さい頃から父は私の憧れなんです」
クレモンティーヌはポーカーフェイスを崩さないままそう言った。
宰相もそう言われてすごく嬉しそうだ。
(本当に素敵な親子だわ)
お互いに尊重し合っているのが傍目に見ても良く分かる。
ポンプルムース宰相が弾くピアノの音色は、恋の曲のはずなのに娘への温かな愛で溢れているようだった。
それから三週間。
ダンスにマナー、言葉遣いから立ち居振る舞いまで、ポンプルムース親子に鬼のしごきを受けることになるとは、この時のリルは想像すらもしていなかった。
人形のように動かずに上から順番に体のサイズを測られていく。
王室御用達のドレス屋が何パターンものデザイン画を見せながら、あーでもないこーでもないと話していたが、リルの耳にはほとんど届いていなかった。
王子に見つめられて、一瞬、触れられた頬が今もむず痒いのだ。
気を抜いていると、思わずギャー!!と叫びだしそうになる。
緩む口角を、必死に何事もなかったかのように、への字にして平静を装っている最中だ。
そんなおかしな様子の花嫁などお構いなしに、ドレス屋が大きな荷物の中から、いくつもの白い布を取り出しては、リルの肌に合わせていった。
シルクに、サテンに、オーガンジー。
全部が全部、素晴らしくて選べる気がしない。
王子の結婚式だ。どれも一級品だろう。
ドレス屋のセンスを見込んで細かいディテールのほとんどはお任せになってしまったが、食事が美味しくて一カ月後には今よりも肉付きが良くなっている予感しかしないので、ウエストが緩やかなドレスをお願いすることだけは忘れなかった。
そして、王子が似合うと誉めてくれたクラシカルなデザインを取り入れて貰うことにした。
彼に言われたからじゃない。
元々、自分自身がそういうデザインが好きなのだ、と心の中で言い訳をする。
そんな自分に気付いてリルはなんだかおかしくなってしまった。
昨日、出会ったばかりなのにリルの頭の中は王子のことでいっぱいになっている。
運命の恋や一目惚れなんて、別世界の話で今まで自分には縁のないものだと思っていた。
でも、彼の女性への不器用な態度や、精一杯の優しさはリルにとって、とても好ましいものだった。
採寸が終わると次は、ダンスレッスンが待っていた。
鏡が一面に貼られたダンスルーム。
さすが王族だ。こんな部屋まで完備しているとは。
ダンスレッスンの講師はあろうことか、昨日、執務室で会ったポンプルムース宰相だった。
執事にダンス講師まで、どこまでも働き者らしい。
「はい!いち、にー、さん!にー、にー、さん!」
宰相の号令に合わせてステップを踏んでいく。
ダンスのパートナーはメイドのクレモンティーヌだ。
彼女はリルより少し背が高いくらいだったが、上手にリードしてくれる。
いきなり男性とダンスを踊るのはさすがに緊張しそうなので、相手が女性でホッとした。
普段、使わない筋肉を使いリルの足は今にも攣りそうだ。きっと明日は筋肉痛だろう。
「もっと、優雅に美しく!」
「はい!」
「足にだけ気を取られないで、上半身もしっかりホールド張って!」
気を抜いていたらすぐに見破られてしまう。
――恐るべし、ポンプルムース宰相。
「リル様、初めてにしては筋が良いですね。どこかで習ったことが?」
「……両親がダンスが好きで。小さい頃、よく家で踊っていましたから」
「ワルツを家で?失礼ですが孤児院育ちなのでは?」
「孤児院育ちでも、生物学的な両親はいますのよ、宰相」
リルは意地悪く宰相に微笑みかける。
そんなリルを見て宰相は少し考え込んでから、こう言った。
「ーーそれは、確かにそうですね。失礼いたしました」
「まぁ、六歳以前の記憶なので、もうおぼろげですが。意外に動きは覚えているものですね」
「――六歳ということは、白死病でご両親を亡くされたのですか?」
「えぇ、そうです。もう、十四年も前のことですわ」
「そうだったのですか。それは、心からお悔やみを申し上げます」
「お心遣い痛み入ります。あの頃は皆が皆、大変でしたから」
「そうですね。未曾有の事態に国中が混乱していて、我々もなす術が無く……。っと、おしゃべりはこれくらいにして、さぁもう一度、練習を始めましょう!」
(えぇ!!まだ、やるのー!?)
と、リルが心の中で突っ込む。
初日くらい、大目にみてくれても良さそうだが。
「宰相。もう、リル様は音楽に合わせて踊っても問題なさそうです。伴奏をつけましょう」
これまでリルとポンプルムース宰相の会話を邪魔しないようにと、一歩後ろで控えていたクレモンティーヌが初めて口を挟んだ。
「そうですね!それでは私が伴奏を」
そう言って、ポンプルムース宰相がグランドピアノに座る。
ピアノまで弾けるなんて、宰相はやっぱり只者じゃない。
「――パ!パ…じゃなくて、ポンプルムース宰相。最初は『美しき恋のワルツ』がよろしいかと思います」
「え!?パパ??」
「……クレモンティーヌ。いつも気をつけなさいと言っているだろう」
「申し訳ありません……」
「あら!まぁ!お二人は親子だったんですね」
「お恥ずかしながら」
「リル様の前で失礼いたしました」
二人とも気まずそうに笑い合う。
並んでいると、確かにクールな目元と纏う雰囲気がよく似ている。
「父と娘が同じ場所で働いているなんて素敵ですね!」
年頃の娘が父親を敬遠する話は、よく近所の井戸端会議でも聞いていたが。
「えぇ、小さい頃から父は私の憧れなんです」
クレモンティーヌはポーカーフェイスを崩さないままそう言った。
宰相もそう言われてすごく嬉しそうだ。
(本当に素敵な親子だわ)
お互いに尊重し合っているのが傍目に見ても良く分かる。
ポンプルムース宰相が弾くピアノの音色は、恋の曲のはずなのに娘への温かな愛で溢れているようだった。
それから三週間。
ダンスにマナー、言葉遣いから立ち居振る舞いまで、ポンプルムース親子に鬼のしごきを受けることになるとは、この時のリルは想像すらもしていなかった。
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