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3 神様の戯れなお遊び
しおりを挟む「はぁ、はぁ……ッ」
地面を蹴る感覚が麻痺しそうになる程に走って、走って、走って。追い込まれるように逃げた先に立ちはだかったコンクリートの壁が、神谷の心を折ってくる。けれどここで諦めれば、待っているのは死である事は明確で、だからこそ神谷は止まりかけた足に力を込めて、一直線に壁を目指した。
背後から迫ってくるのは、ゲームや漫画で見るようなドラゴンを悪意を持って捻じ曲げたような、赤と黒の巨体が悠々と空中を浮遊し大きな鉤爪と歪な頭部が甚振るように神谷へと伸びてくる。
「頼む……ッ頼む!」
目測ではあるが、跳躍をすれば超えられない壁ではないと思い、踏み込むために勢い良く足を踏み出した。元々神谷はネット上にアニソンなどで踊ってみた動画を上げたくて唯一親に頼みダンス教室に通わせてもらっていた過去があるので、運動神経は悪くない。
体育の授業で習ったバスケットボールのシュートに近い感覚で、身体の重心を移動させた。その瞬間、ずる、と足元の影が不規則に動き、神谷の踏み込んでいない左の足首にまるで触手のように絡みつく。コンクリートの上を勢い良く後方に引きずられた足に反応できず、前に踏み込んだ身体が勢い良く後方に引っ張られた。聳え立つ壁に無防備にも頭を打ちつけた神谷が、受身も取れずにその場に倒れる。打ちつけた場所が一気に熱を持って、感覚を失った。
「あ、ぐッ……!?」
視界にじわりと赤が滲んで、焦点の合わない視界が赤く染まっている。そこでようやく打ちつけた部分から血が出ていることに気付いた。強かに頭を打ちつけたせいで脳が上手く回らない。身体が、いう事を聞かない。徐々に背後の影が近付いて、それでも神谷は無駄とわかっていても腕を前に伸ばした。匍匐前進でも何でもいい。情けなくとも惨めでも構わない。この場から動いて、離れなければ。
「んふふふ! 神谷さん、痛そーですねぇ」
不意に、聞き覚えのある声がして神谷は伸ばした手を止めた。まるで歌うような弾んだ声が、木霊のように脳に響く。
「驚いた顔も、必死で逃げる姿も、さっきの勢いも、足を掴まれた瞬間の表情も、今の情けない状態も、面白くって情けなくて惨めで可哀想で……可愛くって、さいこぉです♡」
蕩けるような、甘い声。深夜の路地裏に響く靴音がやけに反響して、神谷は脳に響くその音に顔を顰めた。痛む身体と霞む視界、遠のく意識の向こうで、何かの鳴き声のような、悲鳴のような、声とも形容し難い音がして、神谷はとうとう、目を閉じた。
「──……?」
意識の覚醒。視界に映る見慣れた天井。背中に確かな感触を感じて、神谷はぼんやりと現状を把握するように目線を動かした。見慣れた自室の、ベッドの上。カーテンの向こうから燦々とした日の光が入っている。いつも通りの、平和な日常。ただ一つ違うのは、枕元に顔を寄せてにこにこと笑う男の存在だけだった。
「……なに、してんの」
「えへへ、おはよーございます。神谷さん」
何が嬉しいのか楽しいのか、目が冴えるほどに整った顔立ちで緩い微笑みを絶やさない星崎に対して、一瞬呆気にとられた神谷の表情がみるみる強張っていく。
「不法侵入なんですけど」
「嫌だなぁ神谷さん、命の恩人を犯罪者扱いするんですか? せっかく怪我まで治してあげたのに」
星崎の言葉に、神谷ははっとして自身の頭に腕を伸ばした。強かに打ちつけて流血までしていた場所は、治療や手当てどころか、怪我などしていなかったように何事もなかった。数日経っているのかと枕元のスマートフォンを手に取って確認するも、日付は昨日の今日である。
慌ててユニットバスの鏡まで走って確かめたが、僅かな怪我の痕跡さえ見当たらない。けれど鏡に映った自分の姿に、心臓がどくん、と跳ねた。昨夜着ていた服には、血がべっとりと付いている。震える手でジーンズの裾を引っ張って、左足首についた縄のような痕を見て、確信した。昨夜のあれは、夢ではない。
「大丈夫ですか、神谷さん?」
ひょこ、とユニットバスに顔を覗かせた星崎に、大袈裟なくらい肩が跳ねた。昨夜聞いた声が、目の前に立つ星崎の声をシンクロして、何度も脳内で反響する。
「お前……」
「ふふふっ、さぁ神谷さん」
にんまりと歪んだ唇から、赤い舌が覗く。猫のように細められた瞳がやけに蠱惑的で、舌で塗れた唇から視線を動かせない。背筋を何かが這い上がってきて、神谷は思わず喉を鳴らした。
「これで俺が神様だって、理解したでしょう?」
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