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【16】バッハの旋律を夜に聴いたせいです

馬鹿げた「好き」に傷つくのは

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 食事を終え、ホームルームを終えた生徒たちは講堂に移動することになった。
 千鳥は素行が悪いので、管理しやすい前の方へ押し込まれ、その後ろが鳩。
 鷹と鳳は自由なので、幾久は鳳の面々と一緒にコンサートを見ることにした。
「チェロって、一体どんなのするんだろうね?」
 普が言うと、御堀が答えた。
「御門寮でバッハをやってたから、バッハじゃないかな」
「電人ザボーガー?」
 山田が首を傾げるが、幾久が言った。
「御空、それ特撮の話だろ?作曲家のほうだから」
「無理にこじつけるのは味噌だけに?」
「うるせえ黙れ万頭が」
 いつものように山田と入江が喋り出す。
「でもずーっとコンサートじゃないから、退屈はしないんじゃない?」
 御堀が言うと、児玉も頷いた。
「犬養アナウンサーが来るんだろ?やったじゃん」
 犬養アナウンサーは地方アナだが、奥様にも人気の穏やかで優しい男性アナだ。
 報国院の先輩で、御門寮の出身者でもある。
「犬養アナと、今日コンサートする長井さんって、御門寮の同級生なんだろ?」
 山田が尋ねたので幾久は頷いた。
「そうらしいね」
「世界的なチェリストって、なんかかっこいい」
 普が言うも、幾久と児玉と御堀は苦笑した。
「いやー……」
「なんていうか、アレは」
「性格と口がひんまがってる」
 三人が揃えて言うと、皆、苦笑した。
「なんか大変そうだったね。ハル先輩と、久坂先輩、避難したって相当じゃん」
「あの二人が出て行くって相当だな」
 普と山田が言うが、幾久は笑った。
「本当はそこまででもないんだけどさ、オレがすっげー嫌だったから逃げてくれたの。先輩達はオレの我儘聞いてくれたみたいなもんだよ」
 幾久が言うと、児玉がニヤッと笑って言った。
「幾久、おっとな」
「やめろよもう。照れるだろ」
「え、なにいっくん、なにかあったの?大人になったの?」
「もー普、うるさいって」
 ふざけていると、講堂でブザーが鳴った。
 地球部の面々には聞き慣れた音だ。
「なんか懐かしい気がするね」
「まだ一か月もたってないのに」
 皆が言うと、幾久も頷く。
「ほんと。なんかちょっとこっちが緊張する」
 桜柳祭の舞台で何度も聞いたブザーを聴くと、ちゃんとしなくちゃ、という気持ちになる。
 ざわざわとしていた講堂内に、アナウンスが流れ始めた。
『本年度、報国院の文化芸術祭を開催いたします。本年度のゲストは、わが報国院高等学校出身の生徒である、世界的チェリスト、長井時雄さんをお招きしました。生徒は拍手でお迎えください』
 アナウンスに従い、生徒がわーっと拍手をすると、長井がステージに現れた。
 にこやかな笑顔で現れ、何度も頭を下げ、手を振って席についた。
「けっこうイケメンじゃん」
「気取ってる臭いがするな」
「お金持ちっぽーい」
 山田、入江、普が言うと、幾久は苦笑した。
『そして、長井さんと偶然にも同じ学年、報国院時代は同じ寮で過ごしたという、こちらも我が校出身の、皆さまおなじみ、犬養アナウンサーの登場です』
 長州市の住人にはおなじみである犬養の登場に、生徒たちはわーっと色めきたった。
 やはりテレビで見ている人が、出てくると反応が良かった。

 講堂の舞台に椅子が用意され、長井に犬養が質問すると言う形でトークショウは進行した。
 犬養の挨拶から長井の紹介、これまでの経歴をざっと説明する。
 長井は報国院を卒業後、海外の音楽院に留学、そこでめきめきと頭角を現し今ではあちこちに呼ばれ、自分でもソロ活動を行っていて、日本でも活動をはじめるという。
『今回は営業ですね。こうして名前を憶えて貰ったら、後輩が買ってくれるかもしれないでしょ』
 そう言う長井にどっと笑いが起きる。
「すげー猫かぶり」
 幾久が言うと御堀が笑った。
「営業としては正しいんじゃないかな。興味がないジャンルでも、先輩ならちょっと見ようかなって思うだろうし」
 御堀が言うと児玉も頷いた。
「うちのカーチャンも、なんかよく判らんコンサートに友達と行ったら、いつの間にかファンになってCD会場で買ったりサイン貰ったりしてるし」
 でも、と児玉が言う。
「実際、チェロは上手かったし、あんな人って知らなかったら俺、CD買ったかも」
「まーね。確かにきれいな曲だったし」
 麗子もそこは評価していたから、本当に実力はあるのだろう。
 舞台では、犬養と長井が和やかに話しているが、絶対に仲が良くないであろう二人のけん制が、幾久には見えるようだった。
(犬飼先輩は穏やかだもんなあ、モウリーニョの前以外では)
 夕方の地方ニュースや、ローカルの番組でも、犬養は怒ったことがないし、少々きわどい事を言われたり、空気が妙になっても見事にかわしていた。
(あれってやっぱ、こういう環境で培われたのかなあ)
 御門寮での長井の態度は大人のくせに散々だった事を考えれば、今よりもっと若い頃はもっと酷かったのかもしれない。
(三吉先生はうまくかわしそうだし、犬養先輩も苦労してこうなったのかなあ)
 いま、御門寮には長井のような存在は居ない。
 だから幾久にとっては良い事だらけだし、毎日楽しくのんびりと暮らせるのだが、誰か一人、かみ合わない人がいるだけであんなにも楽しくなくなるのか。
(オレ、自分がそうなるところだったんだよな)
 ぶるっと幾久は体を震わせた。
 気づかず、寮で甘えて、もし注意もされず呆れられてしまったら、長井のようにいつの間にかひとりぼっちになっていたかもしれない。
 自分に問題があるなんてちっとも思わず、間違ったことなんか言ってないと信じて。
 実際、幾久は間違ってはいなかった。
 だけどそれは、所詮幾久の考えと意見でしかなかった。
 誰だって考え方も感じ方も、思いも違う。
 それを判っていたら、自分の考えを当たり前なんだから受け入れろなんて馬鹿なことはしなかっただろう。
 幾久は運が良かっただけだ。
 自分が一年生で、後輩で、杉松に似ていたから、みんながチャンスをくれただけだ。
(でも、本当に長井先輩にチャンスはなかったのかな)
 幾久を山縣が強引に連れだしたように、久坂が強めに忠告したみたいに、児玉が寄り添ってくれたように。
 本当に長井には、助けてくれる人が誰もおらず、何のチャンスもなかったのだろうか。
 幾久にはそうは思えない。
 実際にどんな人か知りはしないが、杉松の性格を考えたり毛利や三吉を見ていると、チャンスは与えてそうな気がする。
 だったらどうして。
 幾久は思う。
(なんで長井先輩は、同じ失敗を繰り返しているんだろう)
 長井と犬養の会話は、全く問題もなく、まるで久しぶりの友人との再会そのものという空気だった。
 見ている幾久も、ひょっとしてあの二人は仲がいいのだろうかと疑ったほどだ。
 だけど、話はあくまでうわべの事だけで、めちゃくちゃな話が出てこないあたりで、御門寮に住んでいる幾久には、それが大人同士のビジネストークなんだな、と気づくと残念な気持ちになった。
「ちょっと心配したけど、ちゃんとしてるね」
 御堀に幾久も頷いた。
「あの感じで寮にいたら良かったのに」
 幾久が言うと児玉が苦笑した。
「だよな。大人なんだから」
 あの空気と雰囲気で、探しているものがあるから探して欲しい、と言われたら幾久達だって素直に長井を手伝っただろう。
「変な人だな」
 多分、仲が良くなかっただろう犬養とあれだけ和やかな雰囲気で話ができるのなら、高校生の幾久達になんていくらでも誤魔化せただろうに。


 毛利と三吉は、長井と犬養の会話を聞きながら苦笑していた。
「ほんっと見事な化かし合いだな。見てるこっちの胃がいてえや」
「犬養君、上手ですもんああいうの。長井には慣れてるし」
 三吉が言うと、毛利が言った。
「オメー、俺らが卒業したらやりたい放題だったらしいもんな」
「そんなことないですよ。本性が出ただけで」
「それをやりたい放題って言うんだよ」
 三吉は中学生の頃から北九州の塾に通っていて、その結果いつの間にか遊ぶフィールドも地元よりそっちが主になっていた。
 夜まで塾があるせいで、いわゆるあまり良くない連中とも付き合いがあったが、三吉曰く、バカはバカなりのルールを持っているとかで、上手い事悪い事を避けて遊んでいたらしい。
「やーね修羅育ち、コワーイ」
「その修羅の国でも、長州市にやべーの居るって話は流れてきてましたよ」
「やべえ、海外でも人気者かよ」
「北九州は海外ですか」
 呆れて言う三吉だったが、毛利はニヤッと笑って言った。
「長井君もお前も海外でかっけえじゃん」
「マスターの事忘れてません?」
 よしひろはああ見えてメキシコに修行に行っていたし、スペイン語がペラペラだ。
「あいつはプロレスの国に行ったからなあ」
 なるほど、確かに言われてみたらそうかもな、と三吉は笑った。

 じゃあ、長井は何の国に行ったのだろう。
 よしひろのように、求めた夢の場所へ行けたのだろうか。
 だとしたら、なぜ心から楽しそうでなく、人を見下したような雰囲気をいまだにまとっているのだろうか。

 犬養と話す表情は笑っていて、時折楽しそうな雰囲気も見せるが、それが心からのものでないことは、長年の付き合いで判る。

 ステージの上では、長井がビジネストークをしていた。
 生徒達にはそうと気づかれないだろうけれど。
(いや、そうでもねーか)
 長井の本性をすでに知ってしまった、御門の連中はきっといまの長井の話を、呆れながら見ているのだろう。

 長井はステージの上から、生徒たちに向かい、皆が喜びそうな事をいつものように喋っていた。
 取材で尋ねられたらそうするように、犬養にも合わせて話をすれば、犬養だってバカじゃない。
 自分の仕事をちゃんとやった。
『では、長井さんはチェロの音に惹かれて、こうして活動をされているんですね』
『そうですね。何が正しい音かずっと追及してきましたが、最近、正しいものより人は美しいものに惹かれるのではないかと思うようになりましたね』
 そんなことは考えたことも無い。音楽をやってない連中に何が判る。才能がなければ、違う音も同じに聞こえて、雑音としてしか届かない。
 だけどそんなことを言って何になる。
 適当に言って適当に答えたほうが、みんな喜ぶのだ。
(だから寮でもそうしろってか。面倒な連中)
 本音を言って何が悪い。
 うわっつらの適当な付き合いをしろとか、そのくせ本音を話せとか、連中の言っていることはわけのわからないことだらけだ。
『ただ、やはり好きではないと続かないですよね、何事も』
 犬養のあたりさわりのない言葉に、長井は張り付いたような笑顔で『勿論です』と頷いた。
(なにが好きだ)
 ばかげた言葉だ、と長井は思う。
 それなのに幾久のまっすぐな目と言葉が、長井の脳裏によみがえった。

 ―――――好きって気持ちでしか、オレたちは繋がれない
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