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【16】バッハの旋律を夜に聴いたせいです

泳ぐ狸だったのかな?

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「そっちこそ、もういなくなった奴のことをいちいち話題に出すのやめたらどうですか」
「だってお前、杉松が心配してただろ」
「心配?文句ばっか言ってたじゃねえか」
「杉松は言ってたろ。ちゃんと自分の気持ちに向き合えって。お前が家でうまくいってないのも、ちゃんと知ってたから、休みでも追い出したりしなかったじゃねえか」
「そりゃお優しい。そんなのにお前ら騙されてんのかよ。あいつは偽善者だ。俺はいつだってあいつに責められてたんだよ」
 毛利はふう、とまるでタバコの煙を吐き出すかのように、ため息をついた。
「長井、あのな。お前はいつだって、自分の想像と違った時、『そうじゃない』事を受け入れない。だからいつだってお前は正しいよ。お前の想像したことしか受け入れてねえもん。だったら、自分が全部正しくて間違ってなくて世間がおかしいに決まってんじゃん」
「なに言ってんだよ」
 ふんと長井は鼻で笑った。
 毛利がまるで、自分を諭すみたいに喋っているからだ。
 こんな毛利の姿を長井は知らない。
 まるでいつかの杉松のようだ。
(マネでもしてんのかよ)
 睨む長井に毛利は続けた。
「お前、メガネ君にむかついたろ」
 黙っている長井が、苦虫を潰したような顔になっているのを見て、毛利は言った。
「あいつは容赦なく、間違ってることを真正面からぶつけてくるからな。杉松よりよっぽど気遣いがねーんだよ。元気だったろ」
「クソ生意気なクソガキだ」
「ま、それは俺も否定しないけど、お前には丁度よかったろ」
「何が言いたい」
 長井は唸った。
「高校生の頃、自分が杉松に甘やかされてたの、気づかなかった?」
 毛利の言葉に長井は息を止めた。
「……」
 黙る長井に毛利は続けた。
「その様子じゃマジで気づいてなかったのか。杉松とメガネ君は考え方も見た目も似てるけどな、違うのは杉松みたいに容赦してくれねえって事だ」
「官僚様の息子様だそうじゃねえか。王様なんだろ」
 長井が言うと毛利が噴き出した。
「ねーよ、アイツ毎日のように三年の先輩にパシらされてる上に、瑞祥とコハルにゃいいようにあしらわれてる。桜柳祭でも無理に参加させられてるし、他寮の奴には逆恨みされてボール投げつけられたりな」
 長井の考えとは全く違う幾久の生活に、長井は少し驚いた。
「でも、ちっともアイツこたえてねえし、先輩にもやりかえしてんだよ。それがアイツらも楽しそうでな」
 三年の山縣に毎日のようにコンビニに寄らされて、口げんかでもした時はわざと全く関係ないものを買ってきたりと、どうでもいい争いをしているのを毛利は知っている。
「それより、メガネ君が官僚の息子なんて、どこで知った?」
「あいつが自分で威張ったんだよ!」
 すると毛利は吹き出して笑った。
「そりゃお前、からかわれたな。お前が肩書に弱い事、調べられたんだろ」
「どうやって!」
「さあ?」
 毛利はにやにやと笑う。
 想像は簡単だ。山縣が居る。
 経済研究部に情報を売っている山縣は、どんな意味でも情報通だ。
 きっと長井の情報もあれこれ調べて、幾久とタッグを組んで喧嘩を売ったに違いない。
(ほんっと、アイツら面白れえな)
 仲が悪い癖に、仲が良さそうなことをする。
 毛利は二つ年下の、良く似た関係の後輩を思い出していた。
「ま、お前ももうちょい大人になれって。俺等はお前の事は嫌いだけど、御門じゃないとは思ってねーよ」
「何の意味があるんだ」
「意味?そりゃお前、なにがあったって、今回みたいにいつでもお前は御門に帰れるってことだよ。お前みたいなの、報国寮に居たら悲惨だぞ」
「何が違うんだよ」
 長井はずっと一人だった。
 御門寮でも一人きりで過ごした。
 何が違うんだと思う。
 毛利が言った。

「違うに決まってんだろ。お前がぼっちなのは御門寮の連中みんな知ってたけど、報国寮に居たら、お前がぼっちなことも気づかれねえし、お前の存在自体も気づかれねえ。ぼっちですらなかったって事よ」
 毛利の言葉に長井は黙り込んだ。
 成績は悪かったくせに、育ちはいいせいか、たまに毛利は不思議な事を言う事があった。
 いま言われたこともそれと同じだ。
 けれど素直に従うのが癪で、長井は言い返した。
「御門と何が違う」
 毛利は答えた。
「だって食事の時には顔を合わせたし、風呂だって声かけただろ。お前はまるっきり俺らを無視してたけど。部屋だって放置してたし、御門から追い出すなんてしなかった。俺、いま報国寮に居るんだけどさ、あそこヒデーぞ。下手したらずっと飯が食えねえし、風呂だって入れねえ。それを誰にも気づかれねえ。とんでもねえぞ」
 そんな状態もあったから、今ではグループを作らせて班行動で生活させている。
 寮がいくつもあって良かったと、こういう時は思う。
 逃げ場所があるのは、いいことだ。
 毛利は言う。
「お前が俺らを無視してるんだから、俺らだってそりゃ無視するよ。気分悪いもん。お前は悪口ばっか言ってるし」
「本当の事だ」
「お前にはな。でも、そうじゃない奴だっている」
「だから何だよ。俺には関係ない」
 うっとおしい。
 早く出て行ってほしい。
 長井は思う。
 こうして毛利の話を聞くのだって、長井にとっては苦痛なのに我慢している。大人だから。

「あと、人の忠告を、攻撃って思うのもやめとけ。確かにマウンティングする奴もいるけど、そうじゃ無いのだっているだろ」
「お前の言葉は俺に攻撃してないから、従えって?」
「従えなんて言ってねえよ。ただ、今回は間が悪かった。お前、ずいぶん今回、食い下がったらしいな」
「コンサートの日程か?仕方ないだろ、日本に帰る予定がなかった」
 それは本当だった。
 東京で行われるコンサートの為に日本に戻ることになっていたのだが、帰郷したいと申し出て、無理にこちらへ帰って来た。
 御門寮にただ泊まりたい、なんて毛利が納得するはずもない。
 なにかあると疑われるのが嫌で、コンサートの為と言い訳をした。今となっては、意味のなかった事になったが。
「それに報国院はめちゃくちゃ吹っかけてきやがったぞ。コンサートで金を貰うのは慣れてるけど払うとは。おまけに夕方までしか使わないのに一日貸切にしろと迫りやがった」
 長井にとって必要なのは、リハーサルの時間とコンサートの時間のみだ。
 なのに報国院は、基本的に丸一日借りないとダメだと言ってきた。
 元々の予定があったらしいが、長井には関係のない事だ。
 だから強引に変えさせた。
(銭ゲバが)
 請求書を出すんじゃなくて貰うほうになってしまった。バカな母親のせいで痛い出費になった。
「お前、なんで一日借りなかったの?」
 外部に貸す場合は、一日単位が必須だ。
「俺には必要ねえだろ」
「お前にはそうかもだけど、こっちはおかげでエライ面倒なんだけど」
「出来たじゃねーか。知るかよ」
「そのせいで、面倒が起っても知らねえぞ」
「そうやってすぐ脅せばいいと思ってるの、高校時代から変わらねえな、先輩」
 長井に毛利はため息をついた。
「脅してなんかいねえよ?お前がいつも勘違いしてるだけだろ」
「そうやって俺のせいにするな」
 長井は苛立ち始め、毛利を睨んだ。
「こっちは金払って講堂借りて、音楽もくそもわかんねえガキどもに世界レベルの音聞かせてやろーってんだよ、それでいいだろ!お前らにとっていいことだらけのくせに、お前の文句までこっちは聞きたくねーんだよ!」
 なにがぼっちだ。
 なにが御門だ。
 どうせもう二度と帰ることはない。
 勝手に長井に大人ぶって、自分たちは悪くないと思っておけばいい。
「お前の、お前らの思い出話に付き合うのなんかまっぴらだ。お前らには楽しく過ごした思い出でもな、俺にはただの思い出したくもない高校時代でしかねーんだよ」
 毛利は肩を落とすと。ぽつりと言った。
「そっか。じゃあ、まあいい。余計な事で時間とって悪かった。今日はうちの生徒の為にありがとうよ」
 それだけ言うと、部屋を出て行った。
 怒鳴った長井の方が面喰った。
(―――――なんだよ)
 もしこれが、高校時代の毛利なら、長井にくってかかって文句を言って、いいかげんにしろと唸っていただろう。
 だけどそうじゃなかった。
 大人だからか。
 先生だからか。
 それとも杉松が死んでしまったからか。
(―――――なんだよ)

 まるであんな態度を取られたら、こっちが子供みたいじゃないか。

 毛利はため息をつく。
 犬養にそれとなく様子を尋ねた時、いやーあいつ高校生の頃のまんまでしたねーと苦笑していた。
 そうなのかな、と思って顔を出して話をするも、長井はやっぱり長井だった。
(もうちょい、考えると思ったんだけどなあ)
 長井は寮で嫌われていた。
 そりゃそうだろう、口を開けば他人を攻撃し、隙あらば誰かをバカにして見下す。
 なんであいつはああなんだ、と腹を立てたことも一度や二度ではなかった。
 だけど、杉松の、『ひょっとしたら、誰かと戦ってああなっているのかもしれない。僕も覚えがある』という言葉に、そうかもしれない、とも思った。
 だから、先輩として、少しはアイツを見守ろう。
 そう思っていたけれど、やっぱり長井は変わらなかった。
(杉松が死んだときには、花は送ってきたのにな)
 亡くなったことを、寮生はみんな知っていた。
 だから、一応は同じ寮の仲間として、長井にも連絡を入れた。
 バカにして笑うくらいの事をするかもしれない、とすら思っていたけれど、長井からは定型文そのままだったが、おくやみと花と、包みが届いた。
 なんだ、あいつも一応は大人になっていたのか。
 そう思っていたのに。
「メガネ君が、あだになっちゃったのかねぇ」
 毛利はため息をついた。
 誰だって杉松を知っている人が、幾久を見たらびっくりする。良く見たらそこまででもないのに、幾久は杉松を彷彿とさせるなにかがあった。
 そのなにかを、杉松の妻である六花はとうに見抜いていたが、尋ねる自分たちに「教えねーわ気づけ」と笑っていた。
 六花には、きっと幾久は杉松と全く違うものに見えていて、それでも似ている場所もちゃんと理解できるのだろう。
 自分たちにはそれが判らない。
 だから、長井にはなおさらだ。

 すでに去ったと思った感情が、毛利に湧き上がってきたように、長井もそうだったに違いない。
 幾久は、なにかを起こす嵐じゃない。
 毛利はなにかあればいいと、水面に石を投げいれたつもりでいたが。
「アイツ、さざ波を起こすなんてもんじゃなかったな」
 瑞祥は変わった。呼春もだ。
 どこか達観した雰囲気があったのに、今では普通の、ちょっと出来がいい、生意気な高校生の顔になってきている。
 賢さは変わらない。
 でも、諦めた大人じみた賢さから、子供らしい狡賢さに変わってきて、毛利は昔を思い出す事が多くなった。

(なんだろうなあ)

 杉松は、静かで大人しいのに他人を弾きつけるものがあった。
 あのメガネ君は、おとなしそうなところは似ているが、実際は騒がしいしにぎやかだ。
 中身だけで言うのなら、杉松はむしろ、御堀の方にタイプが似ている。

「似てねーのに、なんか似てるんだよな」

 杉松にも、どこか狸にも。
 毛利は想像して、噴き出した。
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