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【9】拳拳服膺~仲良く皆で夏祭り
先輩に捨てられ、先輩に拾われる
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蝉の声がやかましく響く御門寮の門前に、呆然と高校生が二人立ち尽くしていた。
門の前には進入禁止のテープとご丁寧に工事中の看板がたてられている。一見、事件現場かと見間違ったほどに仰々しい。
看板には『工事中・ご迷惑をおかけします』と、頭を下げた人の絵が書いてあり、工事期間も書いてある。
今日の日付がないということは、休みということなのだろう。
「工事中……」
驚いたままにそう呟いたのは、この寮唯一の一年生、乃木幾久だ。
「マジだな」
失敗したという声色でそう返したのは、同じく寮の三年、山縣矜次。二人はついさっき、東京からこの寮へ到着したばかりだった。
「ちょ、どうなってるんすか、ガタ先輩!」
てっきりもう寮は開いているものとばかり決め付けていた幾久は、寮に帰ったらかき氷食べようとか昼寝しようとか、そんなことしか考えていなかったのに、まさか工事中で寮に入る事すらできないとは。
だが、隣の山縣も驚いて「どういうことだ?」とスマホを弄っている。そして暫くスマホを弄っていると、「あ」と声を上げた。
「……なんすか」
「んー、なんか寮、工事中らしいぞ」
「そんなの見ればわかるっすよ!なんで工事中になってるんすか!」
夏休みの間、寮母の麗子さんのお盆休み間は閉鎖されるとは聞いていた。
でもそれさえ終われば寮は入れるはずなのに、その閉鎖期間が終わったからこうして帰ってきたというのに、工事中とはどういうことなのだ。
「あー、ホントに工事中になってんじゃん」
「は?」
「や、吉田からメッセージ入ってたんだけどよ、普段つかわねーアプリだから全く気付かなかったわ。あー、お前にも教えとけって書いてあったわ」
わりいわりいと山縣は笑っているが、幾久からしてみたら冗談じゃない。
「一応聞きますけど、その連絡っていつ入ってたんすか」
「えーと、一昨昨日の前日?」
「この寮出発した日じゃないっすか!」
一昨昨日の前日といえば今日から4日前で、それはこの寮を出発した当日だ。
「夏コミで忙しくて全然見てなかったわー」
ははは、と山縣は笑っているが冗談じゃない。
「どうするんすか。寮に入れないとか」
そこで幾久は気付く。寮には入れないけれど、敷地内には麗子さんの住んでいる管理人用の家がある。
「そうだ、麗子さん!」
麗子さんならなんとかしてくれるかも、と幾久は寮に入ろうとするが門は閉まったままだ。
「麗子さんはご家族と台湾旅行に行ってるから留守だし、盆休みは工事も休みで誰も居ないから気をつけろってさ」
「その情報、先にくださいよ!」
帰って来てから貰っても今更どうしようもない。
「あーもう、どうしたらいいんスか」
寮に入れないとなると、本気で今日寝る場所が無い。
せめて中に入れればどうにかなるのに、工事のためなのかがっちり中から閉められている。
「ま、しゃーねえしゃーねえ」
言いながら山縣は足元に下ろした荷物を抱えあげた。
「じゃ、俺はこれで」
「は?」
一体山縣は何を言っているのだ。幾久と同じく寮に入れないとなると困るはずなのに。
「ちょっと、ガタ先輩?」
「寮に入れないのは仕方ねえよな。ってことで、俺は失礼する」
「え?ちょ、待ってくださいよ!オレ、どうしたらいいんすか!行くとこ、ここしかないんすよ!」
山縣は地元民だから、実家に帰ればいいだけのことかもしれないが、幾久の実家は東京だ。
いまからとんぼ返りする意味も無いし、金も無い。ここで山縣に逃げられたら幾久には行く場所が無い。
だが、山縣は非情にも幾久に告げた。
「こっちはこっちでどうにかすっから、てめーはてめーでどうにかしろ」
「は?え?ちょっと、ガタせんぱ」
「ま、お前ならどーにでもなんとでもならぁな!」
「いや、無理っすってば」
「じゃ、ここで解散ってことで。お疲れっしたー」
まるで部活動が終了した時のように山縣は直角に腰を曲げて幾久に頭を下げるが、それどころではない。
「いやいやいやいや、ガタ先輩ちょっと待ってくださいって、マジでそんなのオレ困るんスけど!」
幾久の必死の訴えもむなしく、山縣はさわやかな笑顔を見せて幾久に告げた。
「俺はお前を信じてる!お前も俺の信じるお前を信じろ!健闘を祈る!」
じゃーな、と言うと山縣は大荷物を持っているとは思えないスピードで走って逃げ去ってしまった。
幾久は足元に荷物を置いたまま、山縣の去った後を見送ると一言「マジでか」と呟いた。
みーんみんみんみーん。しゃわしゃわしゃわしゃわ。みーんみんみんみーん。
幾久の耳に蝉の声が響く。
数分間呆然としていると、汗が頬をつたい、あまりの暑さと痛いほどの日差しで幾久は、はっと我に返った。
「こうしちゃいられねーって。マジでどうすんの」
どうしても宿が無いならホテルとか?しかし未成年の幾久を簡単に泊めてくれるのだろうか。
下手したら家出とでも思われそうだ。
それに身分を証明する学生証を寮に置いたままなので、いま幾久を証明できるものはなにもない。
学校も多分盆休みだろうし、誰もいない可能性が高い。そもそも報国院は学校外での生徒のトラブルにはノータッチときている。
泊めてくれる友人が誰か、と思ったがそこまでずうずうしいことを頼めるほどの友人も居ないし、寮だからいつでも会えるので互いの家に泊まりに行くとか、そういった発想が全く無く、これまで誰ともそんな話をしたことがない。
それに急に『泊めてくれ』なんて言っても、どこも盆休みでは迷惑だろう。
「詰んだ」
幾久は呟いた。
なんてことだ。
幾久は山縣を自宅に泊めたのに、こんなことなら山縣だって幾久を自宅に泊めてくれてもいいだろうに。そもそも東京が実家の幾久を一人置いてとっとと自分だけ実家に帰るとか酷すぎる。
「ガタ先輩の、おたんこなすー!」
精一杯の悪口を言ってもこの程度の自分に逆に情けなくなってしまう。
さて、本当にどうすればいいのだろうか。
今夜の宿をどうにかしないと。最悪、どこかの公園でも寝るしかないか。
「のどかわいた……あつい……」
寮に入れないとなるとどうしようもない。
どこか自販機でお茶でも買うか、コンビニでも行くか。
「でもまずは、ハル先輩に報告かぁ」
一応、寮で一番偉い責任者の立場である高杉には告げておいたほうがいいだろう。メッセージで今到着したことと、寮が工事中で入れずに今晩寝る場所がないと泣き言を書いて送った。
(ハル先輩んち、泊めてくんねーかなあ)
なんだかんだ、面倒見のいい高杉のことだ。困っていると告げればどうにかしてくれるだろう。
メッセージをいつ確認してくれるかは判らないが、自分ではどうしようもないので諦めつつコンビニへ向かっていると、突然スマホが鳴り響いた。高杉から着信だ。
「うわっ、はい、」
『幾久か。どねえした』
「……ハル先輩~」
高杉の声にほっとして、幾久はしょんぼりした気持ちのままにまくし立てた。
「聞いてくださいよ!ガタ先輩ひどいんすよ!オレ、寮が工事中って知らなかったし、知ってたら今日こっちに帰ってこなかったし!ガタ先輩は一人で帰っちゃうし!」
『落ち着け。栄人にガタから返事がねえ言いよったからそうじゃねえかと思ったら案の定か』
高杉が呆れたようにため息をついた。
「そーなんすよ!ホントマジガタ先輩むかつくんすけど!」
『諦めぇ。あいつはああいうヤツじゃ』
「ハル先輩~、オレどうしたらいいんすか。今日寝るとこないっすよ」
『それなら泊めてやる、と言いたいとこなんじゃが、ワシも今、実家じゃのうて別のとこにおるんじゃ』
「えっ」
それは計算外だった。てっきり高杉は地元の実家に戻っているものとばかり思っていた。旅行かなにかに出かけているのだろうか。
『まあ、そう落胆せんでエエ。お前、いま寮の前か?』
「いえ、コンビニ行こうかと思って、鳥居前に向かってます」
鳥居前は城下町の中心にあるバス停の名前だ。
大きな鳥居が道にどーんと建っていて、その道路をまっすぐ進むと報国院の東口の境内へ続く。
『じゃあ、そのままいつもの和菓子屋に向かっとけ。家主に相談してから、折り返し電話する』
エエな、という高杉の言葉に頷き、幾久はなじみの和菓子屋へ向かった。
とぼとぼと歩いていると、高杉から連絡がすぐに入った。
『家主の許可が下りたから、泊まりに来てもエエぞ』
「マジっすか。やった!」
どうやら旅行ではなかったらしい。
これで今夜は野宿しなくて済みそうだ。
高杉の家でないのは心配だけど、この際泊まれればどこでもいい。
「で、今更っすけど、ハル先輩どこに居るんスか?」
『瑞祥の家じゃ』
「えッ」
驚いていると高杉が言った。
『和菓子屋に居れ。迎えに行く』
電話は切れてしまったので、幾久は指示通り和菓子屋へと向かったのだった。
和菓子屋の前で待っていると、高杉がすぐに現れた。
数日振りだというのに顔を見るとものすごくほっとしたのは、かなり心細かったからかもしれない。
「お帰り、幾久。東京はどうじゃった」
「ハル先輩~」
幾久の荷物をひょいと抱え、高杉は笑って言った。
「情け無い顔するな。泊まる場所くらいどうとでもなろうが」
「ならないっすよ。オレ、未成年だから多分どっか泊まっても家出と思われるし」
「違いない」
高杉は楽しそうに声を上げて笑った。
「笑い事じゃないっすよ。オレマジで焦りましたもん」
「そうじゃろうの。泣きそうな声出してたからのう」
「泣くっすよ」
意気揚々と帰ってきたのに寮に入れないとか、本当にがっかりだった。
「まあ、寮が開くまではおってエエと言われたから、野宿はせんでもエエぞ」
「本当に助かります。よかったぁ」
野宿しなくて済んだのは、本当にありがたいし助かった。でも久坂の家なんて大丈夫なのだろうか。
(家主って、やっぱり久坂先輩なんだろうか?)
以前、久坂の家庭環境についてはちょっとだけ聞いていたが、天涯孤独とか言っていた気がする。
(ってことは、まさか久坂先輩、一人暮らしとか?)
だったら高杉が泊まっているのも納得だ。
でも一人暮らしということは、普段は家はどうしているのだろうか。
和菓子屋を抜けて向かうのは、城下町らしい、旧家ばかりが連なる通りだった。
恭王寮の方向で、静かで散歩にはもってこいの、よく観光パンフレットでも写真が使われている通りだ。
古めかしい旧家もあれば、かなり大きなお金持ちっぽい家もある。
石畳を進み、突き当りの通路の手前の大きな門前で高杉は足を止めた。家の前には水路があり、そこを超えたら門だ。
御門寮ほどではないが、かなり立派な門構えで、いかももお武家様が住んでいそうな雰囲気だ。
「時代劇みたいっすね」
「古いからのう」
言って高杉は自宅のようにその門を抜けた。
きょろきょろと珍しそうに見回す幾久に「入れ」と声をかけ、幾久は従って門を抜けた。
「―――――わぁ」
思わず声が出てしまったのは、そこがあまりに広く青く美しい庭園だったからだ。
夏のせいか、足元は芝生が生き生きとした鮮やかな緑色で、庭には池と大きな岩、岩から池に向かって滝がある。
「お寺じゃないっすよね」
幾久の言葉に高杉が笑った。
「違う違う。フツーの家じゃ」
「……これ、フツーじゃないっすよね」
見事なまでのお屋敷だ。
庭は広く、家も木造だがかなりしっかりした造りで、そのまま時代劇に使われそうな雰囲気がある。
もし幾久がなにも知らないままにこの場所を見たら、観光地の公園か何かと勘違いしてしまうだろう。
「ただいまー。幾久、連れてきたぞ」
高杉が玄関口で怒鳴った。
そうだ、ここは寮じゃないんだ、と幾久は気付き、やや緊張した面持ちで玄関へ入る。
寮より広く、まるで土間のような玄関に入ると、だだだだだ、という足音と共に現れたのは久坂、ではなく。
現れたのはすらっとした、二十台半ばに見える女性だった。
肩までのストレートの髪に、まるで先生のようなきりっとしたデザインの眼鏡、鋭い眼光は高杉に雰囲気がよく似ている。家の中なのに服はぴったりしたグレーの膝下までのパンツにぴったりしたシャツを着ていて、勤め帰りのような雰囲気だ。手首には腕時計と、丸い玉のついた無骨なデザインのブレスレットがいくつかついている。
「いっくん?!」
そう言われ、頷くとその女性は満面の笑みで言った。
「はじめまして!久坂六花です。瑞祥のおかあさんだよ!」
「……は?え?」
久坂は天涯孤独と言っていなかったか?それに、この女性が久坂の母親と言うには若すぎる。
せいぜい年の離れた姉弟にしか見えない。
突然の意味不明な自己紹介に驚いていると、高杉があからさまにため息をついて幾久の背を押した。
「ええから上がれ。説明する」
門の前には進入禁止のテープとご丁寧に工事中の看板がたてられている。一見、事件現場かと見間違ったほどに仰々しい。
看板には『工事中・ご迷惑をおかけします』と、頭を下げた人の絵が書いてあり、工事期間も書いてある。
今日の日付がないということは、休みということなのだろう。
「工事中……」
驚いたままにそう呟いたのは、この寮唯一の一年生、乃木幾久だ。
「マジだな」
失敗したという声色でそう返したのは、同じく寮の三年、山縣矜次。二人はついさっき、東京からこの寮へ到着したばかりだった。
「ちょ、どうなってるんすか、ガタ先輩!」
てっきりもう寮は開いているものとばかり決め付けていた幾久は、寮に帰ったらかき氷食べようとか昼寝しようとか、そんなことしか考えていなかったのに、まさか工事中で寮に入る事すらできないとは。
だが、隣の山縣も驚いて「どういうことだ?」とスマホを弄っている。そして暫くスマホを弄っていると、「あ」と声を上げた。
「……なんすか」
「んー、なんか寮、工事中らしいぞ」
「そんなの見ればわかるっすよ!なんで工事中になってるんすか!」
夏休みの間、寮母の麗子さんのお盆休み間は閉鎖されるとは聞いていた。
でもそれさえ終われば寮は入れるはずなのに、その閉鎖期間が終わったからこうして帰ってきたというのに、工事中とはどういうことなのだ。
「あー、ホントに工事中になってんじゃん」
「は?」
「や、吉田からメッセージ入ってたんだけどよ、普段つかわねーアプリだから全く気付かなかったわ。あー、お前にも教えとけって書いてあったわ」
わりいわりいと山縣は笑っているが、幾久からしてみたら冗談じゃない。
「一応聞きますけど、その連絡っていつ入ってたんすか」
「えーと、一昨昨日の前日?」
「この寮出発した日じゃないっすか!」
一昨昨日の前日といえば今日から4日前で、それはこの寮を出発した当日だ。
「夏コミで忙しくて全然見てなかったわー」
ははは、と山縣は笑っているが冗談じゃない。
「どうするんすか。寮に入れないとか」
そこで幾久は気付く。寮には入れないけれど、敷地内には麗子さんの住んでいる管理人用の家がある。
「そうだ、麗子さん!」
麗子さんならなんとかしてくれるかも、と幾久は寮に入ろうとするが門は閉まったままだ。
「麗子さんはご家族と台湾旅行に行ってるから留守だし、盆休みは工事も休みで誰も居ないから気をつけろってさ」
「その情報、先にくださいよ!」
帰って来てから貰っても今更どうしようもない。
「あーもう、どうしたらいいんスか」
寮に入れないとなると、本気で今日寝る場所が無い。
せめて中に入れればどうにかなるのに、工事のためなのかがっちり中から閉められている。
「ま、しゃーねえしゃーねえ」
言いながら山縣は足元に下ろした荷物を抱えあげた。
「じゃ、俺はこれで」
「は?」
一体山縣は何を言っているのだ。幾久と同じく寮に入れないとなると困るはずなのに。
「ちょっと、ガタ先輩?」
「寮に入れないのは仕方ねえよな。ってことで、俺は失礼する」
「え?ちょ、待ってくださいよ!オレ、どうしたらいいんすか!行くとこ、ここしかないんすよ!」
山縣は地元民だから、実家に帰ればいいだけのことかもしれないが、幾久の実家は東京だ。
いまからとんぼ返りする意味も無いし、金も無い。ここで山縣に逃げられたら幾久には行く場所が無い。
だが、山縣は非情にも幾久に告げた。
「こっちはこっちでどうにかすっから、てめーはてめーでどうにかしろ」
「は?え?ちょっと、ガタせんぱ」
「ま、お前ならどーにでもなんとでもならぁな!」
「いや、無理っすってば」
「じゃ、ここで解散ってことで。お疲れっしたー」
まるで部活動が終了した時のように山縣は直角に腰を曲げて幾久に頭を下げるが、それどころではない。
「いやいやいやいや、ガタ先輩ちょっと待ってくださいって、マジでそんなのオレ困るんスけど!」
幾久の必死の訴えもむなしく、山縣はさわやかな笑顔を見せて幾久に告げた。
「俺はお前を信じてる!お前も俺の信じるお前を信じろ!健闘を祈る!」
じゃーな、と言うと山縣は大荷物を持っているとは思えないスピードで走って逃げ去ってしまった。
幾久は足元に荷物を置いたまま、山縣の去った後を見送ると一言「マジでか」と呟いた。
みーんみんみんみーん。しゃわしゃわしゃわしゃわ。みーんみんみんみーん。
幾久の耳に蝉の声が響く。
数分間呆然としていると、汗が頬をつたい、あまりの暑さと痛いほどの日差しで幾久は、はっと我に返った。
「こうしちゃいられねーって。マジでどうすんの」
どうしても宿が無いならホテルとか?しかし未成年の幾久を簡単に泊めてくれるのだろうか。
下手したら家出とでも思われそうだ。
それに身分を証明する学生証を寮に置いたままなので、いま幾久を証明できるものはなにもない。
学校も多分盆休みだろうし、誰もいない可能性が高い。そもそも報国院は学校外での生徒のトラブルにはノータッチときている。
泊めてくれる友人が誰か、と思ったがそこまでずうずうしいことを頼めるほどの友人も居ないし、寮だからいつでも会えるので互いの家に泊まりに行くとか、そういった発想が全く無く、これまで誰ともそんな話をしたことがない。
それに急に『泊めてくれ』なんて言っても、どこも盆休みでは迷惑だろう。
「詰んだ」
幾久は呟いた。
なんてことだ。
幾久は山縣を自宅に泊めたのに、こんなことなら山縣だって幾久を自宅に泊めてくれてもいいだろうに。そもそも東京が実家の幾久を一人置いてとっとと自分だけ実家に帰るとか酷すぎる。
「ガタ先輩の、おたんこなすー!」
精一杯の悪口を言ってもこの程度の自分に逆に情けなくなってしまう。
さて、本当にどうすればいいのだろうか。
今夜の宿をどうにかしないと。最悪、どこかの公園でも寝るしかないか。
「のどかわいた……あつい……」
寮に入れないとなるとどうしようもない。
どこか自販機でお茶でも買うか、コンビニでも行くか。
「でもまずは、ハル先輩に報告かぁ」
一応、寮で一番偉い責任者の立場である高杉には告げておいたほうがいいだろう。メッセージで今到着したことと、寮が工事中で入れずに今晩寝る場所がないと泣き言を書いて送った。
(ハル先輩んち、泊めてくんねーかなあ)
なんだかんだ、面倒見のいい高杉のことだ。困っていると告げればどうにかしてくれるだろう。
メッセージをいつ確認してくれるかは判らないが、自分ではどうしようもないので諦めつつコンビニへ向かっていると、突然スマホが鳴り響いた。高杉から着信だ。
「うわっ、はい、」
『幾久か。どねえした』
「……ハル先輩~」
高杉の声にほっとして、幾久はしょんぼりした気持ちのままにまくし立てた。
「聞いてくださいよ!ガタ先輩ひどいんすよ!オレ、寮が工事中って知らなかったし、知ってたら今日こっちに帰ってこなかったし!ガタ先輩は一人で帰っちゃうし!」
『落ち着け。栄人にガタから返事がねえ言いよったからそうじゃねえかと思ったら案の定か』
高杉が呆れたようにため息をついた。
「そーなんすよ!ホントマジガタ先輩むかつくんすけど!」
『諦めぇ。あいつはああいうヤツじゃ』
「ハル先輩~、オレどうしたらいいんすか。今日寝るとこないっすよ」
『それなら泊めてやる、と言いたいとこなんじゃが、ワシも今、実家じゃのうて別のとこにおるんじゃ』
「えっ」
それは計算外だった。てっきり高杉は地元の実家に戻っているものとばかり思っていた。旅行かなにかに出かけているのだろうか。
『まあ、そう落胆せんでエエ。お前、いま寮の前か?』
「いえ、コンビニ行こうかと思って、鳥居前に向かってます」
鳥居前は城下町の中心にあるバス停の名前だ。
大きな鳥居が道にどーんと建っていて、その道路をまっすぐ進むと報国院の東口の境内へ続く。
『じゃあ、そのままいつもの和菓子屋に向かっとけ。家主に相談してから、折り返し電話する』
エエな、という高杉の言葉に頷き、幾久はなじみの和菓子屋へ向かった。
とぼとぼと歩いていると、高杉から連絡がすぐに入った。
『家主の許可が下りたから、泊まりに来てもエエぞ』
「マジっすか。やった!」
どうやら旅行ではなかったらしい。
これで今夜は野宿しなくて済みそうだ。
高杉の家でないのは心配だけど、この際泊まれればどこでもいい。
「で、今更っすけど、ハル先輩どこに居るんスか?」
『瑞祥の家じゃ』
「えッ」
驚いていると高杉が言った。
『和菓子屋に居れ。迎えに行く』
電話は切れてしまったので、幾久は指示通り和菓子屋へと向かったのだった。
和菓子屋の前で待っていると、高杉がすぐに現れた。
数日振りだというのに顔を見るとものすごくほっとしたのは、かなり心細かったからかもしれない。
「お帰り、幾久。東京はどうじゃった」
「ハル先輩~」
幾久の荷物をひょいと抱え、高杉は笑って言った。
「情け無い顔するな。泊まる場所くらいどうとでもなろうが」
「ならないっすよ。オレ、未成年だから多分どっか泊まっても家出と思われるし」
「違いない」
高杉は楽しそうに声を上げて笑った。
「笑い事じゃないっすよ。オレマジで焦りましたもん」
「そうじゃろうの。泣きそうな声出してたからのう」
「泣くっすよ」
意気揚々と帰ってきたのに寮に入れないとか、本当にがっかりだった。
「まあ、寮が開くまではおってエエと言われたから、野宿はせんでもエエぞ」
「本当に助かります。よかったぁ」
野宿しなくて済んだのは、本当にありがたいし助かった。でも久坂の家なんて大丈夫なのだろうか。
(家主って、やっぱり久坂先輩なんだろうか?)
以前、久坂の家庭環境についてはちょっとだけ聞いていたが、天涯孤独とか言っていた気がする。
(ってことは、まさか久坂先輩、一人暮らしとか?)
だったら高杉が泊まっているのも納得だ。
でも一人暮らしということは、普段は家はどうしているのだろうか。
和菓子屋を抜けて向かうのは、城下町らしい、旧家ばかりが連なる通りだった。
恭王寮の方向で、静かで散歩にはもってこいの、よく観光パンフレットでも写真が使われている通りだ。
古めかしい旧家もあれば、かなり大きなお金持ちっぽい家もある。
石畳を進み、突き当りの通路の手前の大きな門前で高杉は足を止めた。家の前には水路があり、そこを超えたら門だ。
御門寮ほどではないが、かなり立派な門構えで、いかももお武家様が住んでいそうな雰囲気だ。
「時代劇みたいっすね」
「古いからのう」
言って高杉は自宅のようにその門を抜けた。
きょろきょろと珍しそうに見回す幾久に「入れ」と声をかけ、幾久は従って門を抜けた。
「―――――わぁ」
思わず声が出てしまったのは、そこがあまりに広く青く美しい庭園だったからだ。
夏のせいか、足元は芝生が生き生きとした鮮やかな緑色で、庭には池と大きな岩、岩から池に向かって滝がある。
「お寺じゃないっすよね」
幾久の言葉に高杉が笑った。
「違う違う。フツーの家じゃ」
「……これ、フツーじゃないっすよね」
見事なまでのお屋敷だ。
庭は広く、家も木造だがかなりしっかりした造りで、そのまま時代劇に使われそうな雰囲気がある。
もし幾久がなにも知らないままにこの場所を見たら、観光地の公園か何かと勘違いしてしまうだろう。
「ただいまー。幾久、連れてきたぞ」
高杉が玄関口で怒鳴った。
そうだ、ここは寮じゃないんだ、と幾久は気付き、やや緊張した面持ちで玄関へ入る。
寮より広く、まるで土間のような玄関に入ると、だだだだだ、という足音と共に現れたのは久坂、ではなく。
現れたのはすらっとした、二十台半ばに見える女性だった。
肩までのストレートの髪に、まるで先生のようなきりっとしたデザインの眼鏡、鋭い眼光は高杉に雰囲気がよく似ている。家の中なのに服はぴったりしたグレーの膝下までのパンツにぴったりしたシャツを着ていて、勤め帰りのような雰囲気だ。手首には腕時計と、丸い玉のついた無骨なデザインのブレスレットがいくつかついている。
「いっくん?!」
そう言われ、頷くとその女性は満面の笑みで言った。
「はじめまして!久坂六花です。瑞祥のおかあさんだよ!」
「……は?え?」
久坂は天涯孤独と言っていなかったか?それに、この女性が久坂の母親と言うには若すぎる。
せいぜい年の離れた姉弟にしか見えない。
突然の意味不明な自己紹介に驚いていると、高杉があからさまにため息をついて幾久の背を押した。
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