94 / 416
【7】貴耳賎目~なんだかちょっと引っかかる
忠犬、タマ
しおりを挟む
断るにしろ断らないにしろ、決めないといけないなと考えていると、児玉からメッセージが届いた。
「あれ、タマだ」
なんだろ、と思って見てみると「寮の外までちょっと出て」という内容だった。
どしたの、と尋ねると「いま御門の前」とあるので幾久は慌てて寮を出た。
「おう、お疲れ」
御門寮は大きな門があり、そこからは寮生でないと入れない。
「どうしたの、急に」
「うん、実はさ」
児玉は門の近く、御門寮の塀に沿う様に流れている川の境目の欄干に腰掛けた。
幾久も隣に同じように腰を下ろす。
「……気になってあれから伊藤に聞いたんだ。なんで幾久呼んだのかって」
「えっ本当に?」
児玉は相変わらず行動が早い。こうと思ったらすぐに行動に出る。
「そしたらやっぱり、伊藤の考えじゃなかった」
「ってことは偶然」
「違う。あいつ、先輩に頼まれたんだって。幾久呼べって」
「え?誰に?」
幾久を祭りに呼びたがる先輩なんて誰なんだろうか。
全く理解できずに児玉を覗き込むと、児玉は告げた。
「赤根だよ。三年の赤根先輩。あのイケメンの」
「えっ?マジで?」
なぜ赤根が幾久を知っていて、幾久をわざわざご指名したのか幾久には全く理解できない。
「つか、なんで?」
素直に疑問をぶつけると、児玉が答えた。
「赤根先輩ってさ、祭示部に関わってるから外部との接触も多いんだよ。で、やっぱ外部でも幾久のことは話題になってたらしくてさ。のぼり見たろ?」
「うん」
児玉が言うのは、神社の本殿の脇にある対ののぼりの事だ。
この祭りになるとずっと本殿横にたてられているのだが、片方が毛利家ののぼり、片方が乃木家ののぼりになっている。
つまり、そのくらいこの神社と乃木家の関わりは深いというわけだ。
「それだけ関わりがあると話題にもなるけど、基本学校関係者とかは完全スルーなわけだよ。だってなんだかんだで、幾久はただの生徒じゃん」
「うん」
自分が特別だとか、乃木家がどうとか、そんなことは全く考えたことがない。
学校でも寮でも維新志士の子孫のオンパレードだし、「乃木家」というのぼりを見ても、同じ苗字の人なんだなーというくらいの感覚だ。
「けど年寄りとか、外部の人はやっぱ興味あるわけよ。でも神社も学校も完全スルーだから、見たいなとか会いたいなとか思ってても、全く関わりなかったわけな」
「まあね」
同じ学校の生徒とか先生ならともかく、寮と学校の往復で外部と関わりなんかそう持つことは無い。
「それを知った赤根先輩がさ、勝手に安請け合いして、伊藤に幾久呼べって言ったらしいんだわ」
「なんでトシに?」
「同じ祭示部だし、先輩風吹かしたんだろ。伊藤は一応先輩は立てるし。ぶっちゃけ、深く考えてなかったんだと」
「らしいや」
伊藤が幾久を利用するとか、そんな策略を巡らすタイプではなかったというのには安心した。
「なんかちょっとほっとした」
「ほっともできねーよ。どうする幾久?うわさが回ってるから、明日はもっと人増える可能性あるぞ」
「マジで?」
「マジで」
そんなのは勘弁して欲しいと思う。
今日の雰囲気のままに明日もずっとあんな風に扱われるのはちょっといやだ。
「うわー、オレ、もうやめてもいいかなあ」
面倒くさくて嫌だな、と思っていると、児玉が言った。
「やめていいんじゃね?」
「うわ、あっさり」
「だってそうだろ。ただ手伝いに来てくれって言われただけじゃん、表向きは」
「そりゃそうだけど」
「だったらさ、あっさり『忙しいんでもう無理です』とかでいいじゃん。あ、なんなら帰省するんで、ってのもアリかも」
「だよねー」
はあ、と幾久は肩を落とす。
「面倒くさいことになっちゃったなあ。明日行きたくないなあ」
行けば行ったで、流れで手伝いをさせられそうな気がする。赤根はけっこう強引だ。
「あ、じゃあさ!」
児玉が「ひらめいた!」みたいに笑顔を見せて言った。
「逆に今日、断ったらよくね?」
「今日?」
「そうそう。今から寮に行けばいいじゃん!寮に行って、直接赤根先輩に言えばいいんだよ」
「……そっか」
その考えはなかった、と幾久は驚いた。わざわざ明日まで待たなくったって、直接言えば良いだけの話だ。
「だよね、そうだよね、うん、そしたら別に今日ですむし」
「そうそう。明日わざわざ行く必要もねえし」
「でもさ、いきなり寮行って大丈夫?つか、オレ赤根先輩の寮って知らないんだけど」
ふふんと児玉が胸を張る。
「大丈夫!俺知ってるし。それに俺は外出許可、全然OKだし。幾久だってだろ?」
「外出許可なんて御門あんのかな」
あまりに自由すぎて逆にそういった事をしたことがないのだが、一応他寮に行くのなら聞いておいたほうがいいだろう。
「ちょっと先輩に言ってくる。タマ、一緒に赤根先輩の寮に行ってくれる?」
「はぁ?んなの当たり前じゃん」
何を今更、という風に言う児玉に、幾久は「そっか」とほっとして、一旦寮へと戻ったのだった。
寮に戻るとやはり暇を持て余した久坂が出てきて、一連の説明を聞いて、「ふーん」と言っていた。
いま吉田も高杉も留守だし、山縣は引きこもり中なので、許可なんてものが必要なら久坂からしか貰えない。
「ま、許可が必要ってなら、別に僕はいくらでも出すけどね」
「あざっす!じゃあ、早速行って……」
「ちょっと待って」
「へ?」
玄関を飛び出そうとした幾久を久坂が呼び止めた。
久坂はなぜか自分も上がりかまちを降り、愛用の下駄をひっかけた。
「児玉君に挨拶しないとね」
「え?」
なんで?と幾久は思ったが、にこにこと微笑んでいる久坂には絶対に逆らわないほうがいいと知っているので、素直に久坂に従った。
「タマごめん、待たせた」
「いーってことよ……」
と、突然の久坂の登場に、児玉は一瞬で背筋を伸ばした。
「久坂先輩、おつっす!」
「やあ。今日はわざわざありがとう。いっくんが世話になったそうだね」
作務衣の袖に腕を通して言う久坂は、どう見ても高校生には見えない。おまけに妙な雰囲気があるので、さすがの児玉もやや引いている。
「とんでもないっす!」
「今から鯨王寮に行くんだって?」
「はいっす!」
「げいおうりょう?」
幾久が首を傾げると、久坂が答えた。
「赤根先輩と時山先輩が所属してる寮だよ。場所は」
「知ってます!大丈夫っす!」
ふんす!と鼻息を荒くする児玉に久坂は「そう」と微笑んだ。
「じゃあ、いっくんの事頼みたいんだけど……ちょっといいかな」
指でちょいちょい、と児玉を呼ぶ。児玉が近づくと、ぼそぼそ、となにかを囁いた。
児玉はうんうん、とうなづき、何か喋ると「大丈夫っす!了解っす!」と久坂に返事した。
「じゃ、悪いけどうちのいっくん、任せるね。頼りにしてるから」
児玉は頷きながら、「了解っす!」となぜか敬礼した。
「えーと、じゃ、行ってくるっす」
「行ってらっしゃい。気をつけて。寄り道するんじゃないよ」
「はいっす」
ひらひらと手を振る久坂に頷き、幾久と児玉は鯨王寮へと歩いて向かうことにしたのだった。
鯨王寮は恭王寮よりもっと奥まった場所にあるという。
入学式の時に皆で弁当を食べた寺の近くにあって、そこは学校だけの寮ではなく、企業の寮と合同になっているとのことだ。
「地元にさ、けっこうでかい会社があって、その会社がスポンサーになってるのが、長州ケートスっていう二部リーグのサッカーチーム。幾久知ってる?」
幾久は首を横に振る。
「ぜんぜん」
「サッカー好きじゃねーのかよ」
「オレ、好きなのってヨーロッパサッカーだから。ぶっちゃけ日本の一部リーグだって、そんなに詳しくはないよ。さすがに代表クラスになるとチェックは入れるけど」
サッカーは野球とシステムが違い、クラブチームはいくつもある。地域サッカーがいきなり強くなって、三部、二部、と上がっていくこともあるのだ。
だけど一部になると集客やスタジアムの条件などがあるので、中々一気に一部とまでは行けないのが現状だが。
「だから二部とか、余計にわかんない」
ずっと一部リーグに居て、二部に落ちたのなら聞いたことがあるかもしれないが、地方のチームなんてチェックするのはよっぽどのサッカー好きか、もしくはその地元地域の人だけだろう。
「タマはサッカー詳しかったっけ?」
「全然。地元だから知ってるだけ」
「ま、そうだよな」
「幾久サッカー好きつってたから、とっくに知ってるかと思ってた」
「知らないよ。うちの学校にユースの生徒がいるとかも知らなかったし」
ユースとは育成世代の事で、サッカーリーグのチームが育成している高校生の事を言う。
高校の部活ではなく、外部のサッカーリーグに所属してプロとしての活動をする。
部活ではなく、あくまでプロの下部組織ということになる。
なので学校は関係ないはずなのだが。
「なんか昔、報国院はサッカー部けっこう強かったんだけど、地元にリーグが出来たのを機会に、リーグ育成のほうに流したんだって」
「流した?」
「よくわかんねーんだけど、企業と学校でタッグ組んで、サッカーは基本ユースで学ばせるってなったらしいよ」
「へー、そんなことあるんだ」
普通、学校とユースは互いに選手の奪い合いをするものだと幾久は思っていた。
「大抵ユース落ちた子が、高校サッカーに行くもんだと思ってたのに」
「こっちはんなことねえよ。人数いないからさ、ユースに入る奴はそのまま報国院に来て、通いながらサッカーってかんじ」
「サッカー部じゃないのに?」
「そのへんはホラ、千鳥あんじゃん」
「ああ」
サッカー推薦と言うなら、当然試験もそれなりに楽になるはずだが、報国院には千鳥という、ぶっちゃけ誰でも入れるレベルのクラスがある。
「推薦って言いながら、結局は実力主義だからなあ」
「へえ」
「そのリーグの選手も一緒に居るのが鯨王寮。施設はすっげ整ってて、専属の栄養士さんもいるからメシがすげーうめーって言われてる」
「へー、すごい!」
「サッカーチームの寮だから、広いし、スポーツクラブみたいにいろんなマシンがあって、スポーツドクターもいるっていうからスポーツするなら環境めっちゃいいんだって」
「それはすごいや」
聞いているだけでちょっと入りたくなってしまうくらいには魅力的だ。二部とはいえ、プロならサッカーもかなり上手いだろう。
「で、鯨王寮はシェアハウスみたいになってるけど、部屋は一人暮らしみたいに完全個室で、出入りもかなり自由なんだってさ。そこらへんはいいよな」
それで時山は勝手に御門に来ることができるのか、と幾久は納得した。
「けど、その分やっぱ厳しいっていうか。ユース脱落しちゃったら居づらいよな」
「えっ、あ、そっか」
ユースを落ちても高校にサッカー部があればそっちに行くしかないけれど、もしサッカー部がなければ逆に言うなら挽回のチャンスがない、ということだ。
「報国って、サッカー部あったっけ?」
「同好会レベルだった気がする。良い奴はみんなユースに所属するから」
「……だよね」
学校と企業が競っているなら、本気で活動もするだろうけれど学校と企業がタッグを組んでいるのなら、逆に一強になるということで、そこから落ちれば逃げ場が無い、ということになる。
高校サッカーがユースの受け皿だとは思わないけれど、幾久が子供の頃所属していたユースでも、そんなことはしょっちゅうだった。だから幾久も早々に落とされてしまったわけだし。
「赤根先輩、ユースだったよね」
「そう。あの外見で、あの身長で、しかもサッカーうまいとか、モテないわけないよな」
むっとする児玉に幾久も「わかる」と頷く。
「手伝ってる間中ずっとさあ、女子がスゲー聞いてきたよ。『赤根先輩に彼女いるんですか?』とか、『赤根先輩のタイプは?』とか、『赤根君って学校とか寮じゃどうなの?』とか、知らないっつうの」
幾久の言葉に児玉も「判る!めっちゃ判る!」と盛り上がる。
「俺も幾久と同じ!めちゃくちゃ聞かれた!あの背の高い人だれーとか、赤根君って二年年下でもオッケーかなあとか、赤根君の誕生日いつ?とかさ。知らないって言ったら同じ寮のくせに知らないのとかって逆切れされるし。同じ寮じゃねぇっつうの!んで、赤根君休みの日ってなにしてるんだろうとか、ユースだからサッカーだろ!とか、俺、思わずツッコミ入れそうになったもん」
お互いが同じ目にあっていたのを知ると、妙に親近感が湧いて、思わずがっと手を握ってしまった。
「俺ら、気があうな」
「ホントだね」
ぶはっと笑って、鯨王寮までの道をのんびりと歩く。
殆ど通学路と同じなので、幾久には慣れた道だ。
歩きながら幾久がぽつりと、口を開いた。
「別にさ。赤根先輩がもてるからひがみ、ってワケじゃないんだけど。でもなんか、オレ、あの先輩ちょっと苦手なんだよな」
幾久が言うと、児玉が「そうなん?」と不思議がる。
「幾久が苦手とかって、なんか珍しいな」
「そう?なんていうか、久坂先輩とはちょっと違う苦手さっていうか」
「久坂先輩苦手なんだ」
へえーっと児玉は言うが、幾久は「ちょっとね」と答える。
「あれ、タマだ」
なんだろ、と思って見てみると「寮の外までちょっと出て」という内容だった。
どしたの、と尋ねると「いま御門の前」とあるので幾久は慌てて寮を出た。
「おう、お疲れ」
御門寮は大きな門があり、そこからは寮生でないと入れない。
「どうしたの、急に」
「うん、実はさ」
児玉は門の近く、御門寮の塀に沿う様に流れている川の境目の欄干に腰掛けた。
幾久も隣に同じように腰を下ろす。
「……気になってあれから伊藤に聞いたんだ。なんで幾久呼んだのかって」
「えっ本当に?」
児玉は相変わらず行動が早い。こうと思ったらすぐに行動に出る。
「そしたらやっぱり、伊藤の考えじゃなかった」
「ってことは偶然」
「違う。あいつ、先輩に頼まれたんだって。幾久呼べって」
「え?誰に?」
幾久を祭りに呼びたがる先輩なんて誰なんだろうか。
全く理解できずに児玉を覗き込むと、児玉は告げた。
「赤根だよ。三年の赤根先輩。あのイケメンの」
「えっ?マジで?」
なぜ赤根が幾久を知っていて、幾久をわざわざご指名したのか幾久には全く理解できない。
「つか、なんで?」
素直に疑問をぶつけると、児玉が答えた。
「赤根先輩ってさ、祭示部に関わってるから外部との接触も多いんだよ。で、やっぱ外部でも幾久のことは話題になってたらしくてさ。のぼり見たろ?」
「うん」
児玉が言うのは、神社の本殿の脇にある対ののぼりの事だ。
この祭りになるとずっと本殿横にたてられているのだが、片方が毛利家ののぼり、片方が乃木家ののぼりになっている。
つまり、そのくらいこの神社と乃木家の関わりは深いというわけだ。
「それだけ関わりがあると話題にもなるけど、基本学校関係者とかは完全スルーなわけだよ。だってなんだかんだで、幾久はただの生徒じゃん」
「うん」
自分が特別だとか、乃木家がどうとか、そんなことは全く考えたことがない。
学校でも寮でも維新志士の子孫のオンパレードだし、「乃木家」というのぼりを見ても、同じ苗字の人なんだなーというくらいの感覚だ。
「けど年寄りとか、外部の人はやっぱ興味あるわけよ。でも神社も学校も完全スルーだから、見たいなとか会いたいなとか思ってても、全く関わりなかったわけな」
「まあね」
同じ学校の生徒とか先生ならともかく、寮と学校の往復で外部と関わりなんかそう持つことは無い。
「それを知った赤根先輩がさ、勝手に安請け合いして、伊藤に幾久呼べって言ったらしいんだわ」
「なんでトシに?」
「同じ祭示部だし、先輩風吹かしたんだろ。伊藤は一応先輩は立てるし。ぶっちゃけ、深く考えてなかったんだと」
「らしいや」
伊藤が幾久を利用するとか、そんな策略を巡らすタイプではなかったというのには安心した。
「なんかちょっとほっとした」
「ほっともできねーよ。どうする幾久?うわさが回ってるから、明日はもっと人増える可能性あるぞ」
「マジで?」
「マジで」
そんなのは勘弁して欲しいと思う。
今日の雰囲気のままに明日もずっとあんな風に扱われるのはちょっといやだ。
「うわー、オレ、もうやめてもいいかなあ」
面倒くさくて嫌だな、と思っていると、児玉が言った。
「やめていいんじゃね?」
「うわ、あっさり」
「だってそうだろ。ただ手伝いに来てくれって言われただけじゃん、表向きは」
「そりゃそうだけど」
「だったらさ、あっさり『忙しいんでもう無理です』とかでいいじゃん。あ、なんなら帰省するんで、ってのもアリかも」
「だよねー」
はあ、と幾久は肩を落とす。
「面倒くさいことになっちゃったなあ。明日行きたくないなあ」
行けば行ったで、流れで手伝いをさせられそうな気がする。赤根はけっこう強引だ。
「あ、じゃあさ!」
児玉が「ひらめいた!」みたいに笑顔を見せて言った。
「逆に今日、断ったらよくね?」
「今日?」
「そうそう。今から寮に行けばいいじゃん!寮に行って、直接赤根先輩に言えばいいんだよ」
「……そっか」
その考えはなかった、と幾久は驚いた。わざわざ明日まで待たなくったって、直接言えば良いだけの話だ。
「だよね、そうだよね、うん、そしたら別に今日ですむし」
「そうそう。明日わざわざ行く必要もねえし」
「でもさ、いきなり寮行って大丈夫?つか、オレ赤根先輩の寮って知らないんだけど」
ふふんと児玉が胸を張る。
「大丈夫!俺知ってるし。それに俺は外出許可、全然OKだし。幾久だってだろ?」
「外出許可なんて御門あんのかな」
あまりに自由すぎて逆にそういった事をしたことがないのだが、一応他寮に行くのなら聞いておいたほうがいいだろう。
「ちょっと先輩に言ってくる。タマ、一緒に赤根先輩の寮に行ってくれる?」
「はぁ?んなの当たり前じゃん」
何を今更、という風に言う児玉に、幾久は「そっか」とほっとして、一旦寮へと戻ったのだった。
寮に戻るとやはり暇を持て余した久坂が出てきて、一連の説明を聞いて、「ふーん」と言っていた。
いま吉田も高杉も留守だし、山縣は引きこもり中なので、許可なんてものが必要なら久坂からしか貰えない。
「ま、許可が必要ってなら、別に僕はいくらでも出すけどね」
「あざっす!じゃあ、早速行って……」
「ちょっと待って」
「へ?」
玄関を飛び出そうとした幾久を久坂が呼び止めた。
久坂はなぜか自分も上がりかまちを降り、愛用の下駄をひっかけた。
「児玉君に挨拶しないとね」
「え?」
なんで?と幾久は思ったが、にこにこと微笑んでいる久坂には絶対に逆らわないほうがいいと知っているので、素直に久坂に従った。
「タマごめん、待たせた」
「いーってことよ……」
と、突然の久坂の登場に、児玉は一瞬で背筋を伸ばした。
「久坂先輩、おつっす!」
「やあ。今日はわざわざありがとう。いっくんが世話になったそうだね」
作務衣の袖に腕を通して言う久坂は、どう見ても高校生には見えない。おまけに妙な雰囲気があるので、さすがの児玉もやや引いている。
「とんでもないっす!」
「今から鯨王寮に行くんだって?」
「はいっす!」
「げいおうりょう?」
幾久が首を傾げると、久坂が答えた。
「赤根先輩と時山先輩が所属してる寮だよ。場所は」
「知ってます!大丈夫っす!」
ふんす!と鼻息を荒くする児玉に久坂は「そう」と微笑んだ。
「じゃあ、いっくんの事頼みたいんだけど……ちょっといいかな」
指でちょいちょい、と児玉を呼ぶ。児玉が近づくと、ぼそぼそ、となにかを囁いた。
児玉はうんうん、とうなづき、何か喋ると「大丈夫っす!了解っす!」と久坂に返事した。
「じゃ、悪いけどうちのいっくん、任せるね。頼りにしてるから」
児玉は頷きながら、「了解っす!」となぜか敬礼した。
「えーと、じゃ、行ってくるっす」
「行ってらっしゃい。気をつけて。寄り道するんじゃないよ」
「はいっす」
ひらひらと手を振る久坂に頷き、幾久と児玉は鯨王寮へと歩いて向かうことにしたのだった。
鯨王寮は恭王寮よりもっと奥まった場所にあるという。
入学式の時に皆で弁当を食べた寺の近くにあって、そこは学校だけの寮ではなく、企業の寮と合同になっているとのことだ。
「地元にさ、けっこうでかい会社があって、その会社がスポンサーになってるのが、長州ケートスっていう二部リーグのサッカーチーム。幾久知ってる?」
幾久は首を横に振る。
「ぜんぜん」
「サッカー好きじゃねーのかよ」
「オレ、好きなのってヨーロッパサッカーだから。ぶっちゃけ日本の一部リーグだって、そんなに詳しくはないよ。さすがに代表クラスになるとチェックは入れるけど」
サッカーは野球とシステムが違い、クラブチームはいくつもある。地域サッカーがいきなり強くなって、三部、二部、と上がっていくこともあるのだ。
だけど一部になると集客やスタジアムの条件などがあるので、中々一気に一部とまでは行けないのが現状だが。
「だから二部とか、余計にわかんない」
ずっと一部リーグに居て、二部に落ちたのなら聞いたことがあるかもしれないが、地方のチームなんてチェックするのはよっぽどのサッカー好きか、もしくはその地元地域の人だけだろう。
「タマはサッカー詳しかったっけ?」
「全然。地元だから知ってるだけ」
「ま、そうだよな」
「幾久サッカー好きつってたから、とっくに知ってるかと思ってた」
「知らないよ。うちの学校にユースの生徒がいるとかも知らなかったし」
ユースとは育成世代の事で、サッカーリーグのチームが育成している高校生の事を言う。
高校の部活ではなく、外部のサッカーリーグに所属してプロとしての活動をする。
部活ではなく、あくまでプロの下部組織ということになる。
なので学校は関係ないはずなのだが。
「なんか昔、報国院はサッカー部けっこう強かったんだけど、地元にリーグが出来たのを機会に、リーグ育成のほうに流したんだって」
「流した?」
「よくわかんねーんだけど、企業と学校でタッグ組んで、サッカーは基本ユースで学ばせるってなったらしいよ」
「へー、そんなことあるんだ」
普通、学校とユースは互いに選手の奪い合いをするものだと幾久は思っていた。
「大抵ユース落ちた子が、高校サッカーに行くもんだと思ってたのに」
「こっちはんなことねえよ。人数いないからさ、ユースに入る奴はそのまま報国院に来て、通いながらサッカーってかんじ」
「サッカー部じゃないのに?」
「そのへんはホラ、千鳥あんじゃん」
「ああ」
サッカー推薦と言うなら、当然試験もそれなりに楽になるはずだが、報国院には千鳥という、ぶっちゃけ誰でも入れるレベルのクラスがある。
「推薦って言いながら、結局は実力主義だからなあ」
「へえ」
「そのリーグの選手も一緒に居るのが鯨王寮。施設はすっげ整ってて、専属の栄養士さんもいるからメシがすげーうめーって言われてる」
「へー、すごい!」
「サッカーチームの寮だから、広いし、スポーツクラブみたいにいろんなマシンがあって、スポーツドクターもいるっていうからスポーツするなら環境めっちゃいいんだって」
「それはすごいや」
聞いているだけでちょっと入りたくなってしまうくらいには魅力的だ。二部とはいえ、プロならサッカーもかなり上手いだろう。
「で、鯨王寮はシェアハウスみたいになってるけど、部屋は一人暮らしみたいに完全個室で、出入りもかなり自由なんだってさ。そこらへんはいいよな」
それで時山は勝手に御門に来ることができるのか、と幾久は納得した。
「けど、その分やっぱ厳しいっていうか。ユース脱落しちゃったら居づらいよな」
「えっ、あ、そっか」
ユースを落ちても高校にサッカー部があればそっちに行くしかないけれど、もしサッカー部がなければ逆に言うなら挽回のチャンスがない、ということだ。
「報国って、サッカー部あったっけ?」
「同好会レベルだった気がする。良い奴はみんなユースに所属するから」
「……だよね」
学校と企業が競っているなら、本気で活動もするだろうけれど学校と企業がタッグを組んでいるのなら、逆に一強になるということで、そこから落ちれば逃げ場が無い、ということになる。
高校サッカーがユースの受け皿だとは思わないけれど、幾久が子供の頃所属していたユースでも、そんなことはしょっちゅうだった。だから幾久も早々に落とされてしまったわけだし。
「赤根先輩、ユースだったよね」
「そう。あの外見で、あの身長で、しかもサッカーうまいとか、モテないわけないよな」
むっとする児玉に幾久も「わかる」と頷く。
「手伝ってる間中ずっとさあ、女子がスゲー聞いてきたよ。『赤根先輩に彼女いるんですか?』とか、『赤根先輩のタイプは?』とか、『赤根君って学校とか寮じゃどうなの?』とか、知らないっつうの」
幾久の言葉に児玉も「判る!めっちゃ判る!」と盛り上がる。
「俺も幾久と同じ!めちゃくちゃ聞かれた!あの背の高い人だれーとか、赤根君って二年年下でもオッケーかなあとか、赤根君の誕生日いつ?とかさ。知らないって言ったら同じ寮のくせに知らないのとかって逆切れされるし。同じ寮じゃねぇっつうの!んで、赤根君休みの日ってなにしてるんだろうとか、ユースだからサッカーだろ!とか、俺、思わずツッコミ入れそうになったもん」
お互いが同じ目にあっていたのを知ると、妙に親近感が湧いて、思わずがっと手を握ってしまった。
「俺ら、気があうな」
「ホントだね」
ぶはっと笑って、鯨王寮までの道をのんびりと歩く。
殆ど通学路と同じなので、幾久には慣れた道だ。
歩きながら幾久がぽつりと、口を開いた。
「別にさ。赤根先輩がもてるからひがみ、ってワケじゃないんだけど。でもなんか、オレ、あの先輩ちょっと苦手なんだよな」
幾久が言うと、児玉が「そうなん?」と不思議がる。
「幾久が苦手とかって、なんか珍しいな」
「そう?なんていうか、久坂先輩とはちょっと違う苦手さっていうか」
「久坂先輩苦手なんだ」
へえーっと児玉は言うが、幾久は「ちょっとね」と答える。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる