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【5】岡目八目~仲良しと仲悪し
楽しく素敵で無駄な三年
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鷹の背後から足払いをかけて足元を崩し、怪我をしないように背後から両脇を抱えるという事を、誰も気付かないうちに雪充はさっとやらかしていた。
勢いをくじかれた上に、寮でも一番偉い雪充を前にして、鷹は平身低頭だ。
丁度その頃、だれが呼んだのか、二年の高杉と久坂が慌てて学食に走りこんできた。
幾久たち渦中の面々は気付いていないが、高杉は幾久の近くに雪充が居るのを見てほっと息をついた。
雪充が居るなら、安心だからだ。
雪充のそんな登場にしん、となった学食の中、雪充の声が響いた。
「次の桜柳祭は女子を入校禁止にする」
その瞬間、どわあ、と声が上がった。
うわぁあああ、そりゃねえよぉ、という叫びがあちこちであがる。
叫んでいるのは主に二年、三年で一年は何のことかわからずぽかーんとしている。
幾久も桜柳祭が文化祭というのは知っているが、なぜ雪充がそんな事を言うのだろうと思っていると、弥太郎が教えてくれた。
「雪ちゃん先輩、実行委員のエライ人」
いろんな事の決定権を持ってる、と聞いてああ、と幾久も納得した。
「ふざけんな女子禁止とかまじふざけんな!」
「なんで関係あんだよ!いま関係ないじゃん!」
「黙れ!」
雪充が怒鳴るが、幾久は雪充のこんな声を初めて聞いて驚いていた。
内容より、(雪ちゃん先輩って怒鳴ることできるんだ)というとんちんかんな感心をしていた。
雪充の声に周りがしんとなっている。雪充が一番近くに居た千鳥の三年生に言う。
「どうせお前らモテないだろ。必要ない」
「そういう事じゃねえんだよぉおおお!」
「希望くれよ希望!」
「じょーし!じょーし!じょーし!」
「我々は断固、反対する!」
「黙れ」
雪充が言うと、ぴたっと騒がしい団体が静かになる。
雪充が再び、口火を切った。
「一年生がもめてんのに、誰一人止めないとかお前ら何考えてるんだ。頭悪いにも程があるだろ」
背が高くて超さわやかイケメンで、鳳のトップ付近にいる雪充にそんな風に言われてしまっては、誰も反論できない。
「頭悪い奴はモテないし彼女もできないから女子不要だろ」
「すみません桂先輩!おれら悪気はなかったんす!」
「悪い奴はみんなそう言う」
「いちばん悪いのはあの鳩と鷹の一年じゃねーっすか!」
「一年が悪いことをしてるのなら止めない二年三年はもっと悪い」
千鳥が訴えても、雪充はぱんぱんと歯切れ良く返していく。
そんな雪充を見た事がない幾久は、ぼうっとしてすらいた。
「じょし!お慈悲を!じょし!」
「次はもう絶対に止めますから!女子だけは!」
「鳳様!桂様!提督様!お願いします!」
「おれたち、こうみえてすっげえ後輩思いなんですぅううう!」
叫び、大げさに訴える連中に、雪充はわざとらしいほど大きくため息をついた。
「反省している奴は挙手!」
雪充が言うと、ばっ!ばっ!ばっ!と手が挙がる。
両手を思い切り挙げたり、食堂の椅子に立って必死に挙手している者もいる。
「お前ら、手ェあげろ!」
そう、二年か三年かの千鳥が怒鳴る。
二年、三年は手を上げているが、意味が判らない一年はおろおろしているからだ。
「いーから一年、手ェあげろっつってんだよ!」
千鳥の声の大きな誰かが怒鳴り、慌てて一年生も挙手をする。
弥太郎も、伊藤も、児玉も挙手している。
『いっくん、挙手、挙手』
こそっと弥太郎に言われて、幾久も挙手する。
じっと雪充が誰かを見ている。
幾久に喧嘩を売ってきた、一年の鷹と鳩だ。
二人は顔を見合わせて、しずしずと手を上げる。
食堂に居る全員が、手を上げているのを確認すると、雪充は言った。
「二年、三年は反省して次はこういったことを起こさせるな。一年は自重するように。以上!」
雪充が言うと、「はいっ!」といい声で返事があり、全員がほっと肩を下ろし、ぱちぱちと拍手が起こっていた。
雪充が学食を出ると、学食は再び元の賑やかさを取り戻した。
一年生はさっきの雪充の姿を見て、あれ一体誰?とか回りに尋ねている。
近くに居た二年、三年があれは三年鳳の桂って言ってさ、と雪充の噂話に入っていた。
幾久は一気に疲れて、どっと椅子に腰を下ろした。
「幾久、やるなお前」
「いっくん、すごいね。やっぱけっこう武闘派なんじゃん」
ウエーイ、となぜか伊藤と弥太郎がハイタッチしている。
幾久にも当然ハイタッチを求めるが、幾久は軽く手を上げただけだ。
「やめろよ。あんだけ出るとは思わなかった……」
あれはもう間違いなく、山縣のせいだ。
毎日毎日、はーと、はーとと事あるごとに馬鹿にされていたから、最近では何回も「鷹うるせー」とか「鷹は鳴かないんすよね黙れ」とか「鷹落ちって楽しいっすか?」とやり返していたせいで、いつの間にかそういった攻撃に免疫が出来てしまっていた。
今日の鷹のやつの文句なんて、山縣に比べたら挨拶みたいなものだ。
(これ絶対、ガタ先輩のせいだ)
いつの間にか山縣に鍛えられていたなんて、なんだか勝ったのに負けた気分で、幾久はげんなりする。
だけど弥太郎と伊藤は気分が良さそうだ。
そしてなぜか、席の周りに鳩クラスの連中が集まってきて、幾久はばんばん頭を叩かれた。
「やるじゃん乃木、おれ見ててスカーッとしたわ」
「すげえよ、お前大人しそーなのに、あんな啖呵切るんだな」
「次はお前落とすとか、成績良くなきゃ言えねーよ、かっけえ!」
口々に鳩や千鳥の生徒がそう褒め称えるが、幾久は恥ずかしくてたまらない。
「や、もうホントなんかスンマセン」
「なに謝ってんだよ、面白いなお前!」
わはは、と千鳥や鳩が笑っている。
いつも下に見られているから、鳩が鷹にやりかえしたのが楽しくて仕方がないのだろう。
盛り上がったままの連中が、児玉に話しかけた。
「なあなあ、あんたさ、なんかやってんの?ガツッツガシッて掴んでたじゃん!めっちゃかっこええ!あれやべーよまじでやべー!」
シャドーボクシングみたいに、腕をしゅっしゅっと動かし、千鳥が尋ねてきた。
戸惑う児玉に、弥太郎が答えた。
「タマ……こいつははボクシングやってるんだよ」
「えー!マジで?すっげえやべぇ!鳳で頭いいのにそんなんもできるとか!」
素直に目をきらきらさせて尊敬の眼差しで見つめている。
「ボクシングは最近で……」
児玉がぼそりと言うが、盛り上がった千鳥の子はくいついてきた。
「うっそ!動きシロートじゃねえじゃん!」
「合気道とか昔やってたよ、コイツ」
伊藤が言うと、まじで?まじで?とその千鳥の子がくいついてきた。
「まじでぇ?なんすかそれかっけえ!漫画かよ!」
千鳥の子はおれもボクシング習いにいこっかなーと腕をしゅっしゅっと動かしている。
「習うなら、行ってる所教えるけど」
「え?マジでほんとに?このへんジムあんの?」
おれいってみてぇ!と食いつく千鳥に児玉はちょっと楽しそうだった。
児玉の様子に、幾久も弥太郎も伊藤も、にっと顔を合わせて笑った。
幾久に喧嘩を売ったあの二人は当然、とっくの昔に学食からいなくなっていた。
「なんだ、心配することなかったな」
久坂が言うと高杉も「まぁの」と答える。
ちょっと遠目で幾久達の様子を確認して、心配ないと安堵した高杉と久坂は、教室へ戻る事にした。
今回は雪充の独壇場だ。
自分達が出る幕はなかった。
「なんかちょっと懐かしいね。雪ちゃんのあの啖呵」
「久しぶりに見たな」
雪充は滅多な事では声を荒げないし、感情的になることなんかまずない。
だけど、毎日が戦争みたいな御門寮では、割と雪充はあれをやっていた。
久坂や高杉にとっては幼い頃からの慣れた雪充のお説教でも、普段の大人しく物静かなイメージしかない人にとってはかなりのインパクトがあるらしい。
「ま、雪ちゃん出れば、大抵の事は片付くよ。実際今日もそうだったし」
それにしても、と久坂は苦笑いをする。
「いっくん、あれガタのせいであんなの言えるようになったんだよねぇ、間違いなく」
「じゃろうの」
高杉はため息をつく。
「ったく、ガタの馬鹿はろくなことを教えん」
「でもさ、そのおかげで、ちゃんと反撃できてるんだし」
馬鹿は放っておけばいい、なんていうのが定説だけど、実際目の前に邪魔しにくるやつはどうしようもない。
その度に雑草を引き抜くように、毎回毎回、やっつけるしかないのだ。
むっとしている高杉に、久坂は悔しいんだろうな、と高杉の心のうちを見る。
山縣がこういった事を想定して、幾久に日々喧嘩を売っていたわけでは絶対にないけれど、あの馬鹿げたやり取りの中で幾久が「仕返し」を学んだのは間違いない。
子供みたいで馬鹿げていて、大人気なくて、どうしようもない。
だけどその、馬鹿げた意味のない、棘みたいなささいなものが、今日の幾久を戦わせたのだ。
「別にさ、自分からわざわざやり返す必要はないんだよ。棘ひとつ、あればいいんだからさ」
たったひとつ、ちくりと刺すものがあれば、そう簡単に近寄ってこない。
それは身を守るのに必要なことだ。
その単純なことに気付くのに、どれだけの時間がかかるのか。
幾久は間違いなく、山縣からそれを学んだのだろう。
「今回は、ガタに軍配かな」
久坂が言うと、高杉が舌打ちした。
本当に心底悔しいのだろう。
それも仕方がない。
「ガタって、本当に無駄なことしかしないし、無駄なものしか持ってないけど、それもアリっちゃありなのかもね」
徹底した実利主義の、無駄を嫌う高杉が、無駄でどうでもよくて、よく判らないことに心血を注ぐ山縣を嫌うのは久坂も理解できる。
久坂も高杉と同じ感性だ。
だから高杉の悔しい気持ちも理解できてしまう。
「腐っても先輩ってことだよ、ハル。来年までに超えてりゃいいんだし」
「わしがガタの下ちゅうんか」
「お互い頑張らないとねぇ。いっくんだってそう言ってたわけだし」
ふふ、と久坂が楽しそうに笑う。
毎日馬鹿だな、とスルーしていた山縣と幾久のあの無駄な会話が、こんな場所で生きることもあるのだ。
だから高杉は悔しいし、その無駄の意味を考える。
きっとまた、心の中ではいろんな事を思うのだろう。
無駄な三年って奴だよ。
そう楽しそうに言っていたのは宇佐美だったろうか。
昔の事を思い出して、久坂はこの『無駄な三年』の学生生活の意味が、なんとなく判ってきたような気がした。
岡目八目・終わり
勢いをくじかれた上に、寮でも一番偉い雪充を前にして、鷹は平身低頭だ。
丁度その頃、だれが呼んだのか、二年の高杉と久坂が慌てて学食に走りこんできた。
幾久たち渦中の面々は気付いていないが、高杉は幾久の近くに雪充が居るのを見てほっと息をついた。
雪充が居るなら、安心だからだ。
雪充のそんな登場にしん、となった学食の中、雪充の声が響いた。
「次の桜柳祭は女子を入校禁止にする」
その瞬間、どわあ、と声が上がった。
うわぁあああ、そりゃねえよぉ、という叫びがあちこちであがる。
叫んでいるのは主に二年、三年で一年は何のことかわからずぽかーんとしている。
幾久も桜柳祭が文化祭というのは知っているが、なぜ雪充がそんな事を言うのだろうと思っていると、弥太郎が教えてくれた。
「雪ちゃん先輩、実行委員のエライ人」
いろんな事の決定権を持ってる、と聞いてああ、と幾久も納得した。
「ふざけんな女子禁止とかまじふざけんな!」
「なんで関係あんだよ!いま関係ないじゃん!」
「黙れ!」
雪充が怒鳴るが、幾久は雪充のこんな声を初めて聞いて驚いていた。
内容より、(雪ちゃん先輩って怒鳴ることできるんだ)というとんちんかんな感心をしていた。
雪充の声に周りがしんとなっている。雪充が一番近くに居た千鳥の三年生に言う。
「どうせお前らモテないだろ。必要ない」
「そういう事じゃねえんだよぉおおお!」
「希望くれよ希望!」
「じょーし!じょーし!じょーし!」
「我々は断固、反対する!」
「黙れ」
雪充が言うと、ぴたっと騒がしい団体が静かになる。
雪充が再び、口火を切った。
「一年生がもめてんのに、誰一人止めないとかお前ら何考えてるんだ。頭悪いにも程があるだろ」
背が高くて超さわやかイケメンで、鳳のトップ付近にいる雪充にそんな風に言われてしまっては、誰も反論できない。
「頭悪い奴はモテないし彼女もできないから女子不要だろ」
「すみません桂先輩!おれら悪気はなかったんす!」
「悪い奴はみんなそう言う」
「いちばん悪いのはあの鳩と鷹の一年じゃねーっすか!」
「一年が悪いことをしてるのなら止めない二年三年はもっと悪い」
千鳥が訴えても、雪充はぱんぱんと歯切れ良く返していく。
そんな雪充を見た事がない幾久は、ぼうっとしてすらいた。
「じょし!お慈悲を!じょし!」
「次はもう絶対に止めますから!女子だけは!」
「鳳様!桂様!提督様!お願いします!」
「おれたち、こうみえてすっげえ後輩思いなんですぅううう!」
叫び、大げさに訴える連中に、雪充はわざとらしいほど大きくため息をついた。
「反省している奴は挙手!」
雪充が言うと、ばっ!ばっ!ばっ!と手が挙がる。
両手を思い切り挙げたり、食堂の椅子に立って必死に挙手している者もいる。
「お前ら、手ェあげろ!」
そう、二年か三年かの千鳥が怒鳴る。
二年、三年は手を上げているが、意味が判らない一年はおろおろしているからだ。
「いーから一年、手ェあげろっつってんだよ!」
千鳥の声の大きな誰かが怒鳴り、慌てて一年生も挙手をする。
弥太郎も、伊藤も、児玉も挙手している。
『いっくん、挙手、挙手』
こそっと弥太郎に言われて、幾久も挙手する。
じっと雪充が誰かを見ている。
幾久に喧嘩を売ってきた、一年の鷹と鳩だ。
二人は顔を見合わせて、しずしずと手を上げる。
食堂に居る全員が、手を上げているのを確認すると、雪充は言った。
「二年、三年は反省して次はこういったことを起こさせるな。一年は自重するように。以上!」
雪充が言うと、「はいっ!」といい声で返事があり、全員がほっと肩を下ろし、ぱちぱちと拍手が起こっていた。
雪充が学食を出ると、学食は再び元の賑やかさを取り戻した。
一年生はさっきの雪充の姿を見て、あれ一体誰?とか回りに尋ねている。
近くに居た二年、三年があれは三年鳳の桂って言ってさ、と雪充の噂話に入っていた。
幾久は一気に疲れて、どっと椅子に腰を下ろした。
「幾久、やるなお前」
「いっくん、すごいね。やっぱけっこう武闘派なんじゃん」
ウエーイ、となぜか伊藤と弥太郎がハイタッチしている。
幾久にも当然ハイタッチを求めるが、幾久は軽く手を上げただけだ。
「やめろよ。あんだけ出るとは思わなかった……」
あれはもう間違いなく、山縣のせいだ。
毎日毎日、はーと、はーとと事あるごとに馬鹿にされていたから、最近では何回も「鷹うるせー」とか「鷹は鳴かないんすよね黙れ」とか「鷹落ちって楽しいっすか?」とやり返していたせいで、いつの間にかそういった攻撃に免疫が出来てしまっていた。
今日の鷹のやつの文句なんて、山縣に比べたら挨拶みたいなものだ。
(これ絶対、ガタ先輩のせいだ)
いつの間にか山縣に鍛えられていたなんて、なんだか勝ったのに負けた気分で、幾久はげんなりする。
だけど弥太郎と伊藤は気分が良さそうだ。
そしてなぜか、席の周りに鳩クラスの連中が集まってきて、幾久はばんばん頭を叩かれた。
「やるじゃん乃木、おれ見ててスカーッとしたわ」
「すげえよ、お前大人しそーなのに、あんな啖呵切るんだな」
「次はお前落とすとか、成績良くなきゃ言えねーよ、かっけえ!」
口々に鳩や千鳥の生徒がそう褒め称えるが、幾久は恥ずかしくてたまらない。
「や、もうホントなんかスンマセン」
「なに謝ってんだよ、面白いなお前!」
わはは、と千鳥や鳩が笑っている。
いつも下に見られているから、鳩が鷹にやりかえしたのが楽しくて仕方がないのだろう。
盛り上がったままの連中が、児玉に話しかけた。
「なあなあ、あんたさ、なんかやってんの?ガツッツガシッて掴んでたじゃん!めっちゃかっこええ!あれやべーよまじでやべー!」
シャドーボクシングみたいに、腕をしゅっしゅっと動かし、千鳥が尋ねてきた。
戸惑う児玉に、弥太郎が答えた。
「タマ……こいつははボクシングやってるんだよ」
「えー!マジで?すっげえやべぇ!鳳で頭いいのにそんなんもできるとか!」
素直に目をきらきらさせて尊敬の眼差しで見つめている。
「ボクシングは最近で……」
児玉がぼそりと言うが、盛り上がった千鳥の子はくいついてきた。
「うっそ!動きシロートじゃねえじゃん!」
「合気道とか昔やってたよ、コイツ」
伊藤が言うと、まじで?まじで?とその千鳥の子がくいついてきた。
「まじでぇ?なんすかそれかっけえ!漫画かよ!」
千鳥の子はおれもボクシング習いにいこっかなーと腕をしゅっしゅっと動かしている。
「習うなら、行ってる所教えるけど」
「え?マジでほんとに?このへんジムあんの?」
おれいってみてぇ!と食いつく千鳥に児玉はちょっと楽しそうだった。
児玉の様子に、幾久も弥太郎も伊藤も、にっと顔を合わせて笑った。
幾久に喧嘩を売ったあの二人は当然、とっくの昔に学食からいなくなっていた。
「なんだ、心配することなかったな」
久坂が言うと高杉も「まぁの」と答える。
ちょっと遠目で幾久達の様子を確認して、心配ないと安堵した高杉と久坂は、教室へ戻る事にした。
今回は雪充の独壇場だ。
自分達が出る幕はなかった。
「なんかちょっと懐かしいね。雪ちゃんのあの啖呵」
「久しぶりに見たな」
雪充は滅多な事では声を荒げないし、感情的になることなんかまずない。
だけど、毎日が戦争みたいな御門寮では、割と雪充はあれをやっていた。
久坂や高杉にとっては幼い頃からの慣れた雪充のお説教でも、普段の大人しく物静かなイメージしかない人にとってはかなりのインパクトがあるらしい。
「ま、雪ちゃん出れば、大抵の事は片付くよ。実際今日もそうだったし」
それにしても、と久坂は苦笑いをする。
「いっくん、あれガタのせいであんなの言えるようになったんだよねぇ、間違いなく」
「じゃろうの」
高杉はため息をつく。
「ったく、ガタの馬鹿はろくなことを教えん」
「でもさ、そのおかげで、ちゃんと反撃できてるんだし」
馬鹿は放っておけばいい、なんていうのが定説だけど、実際目の前に邪魔しにくるやつはどうしようもない。
その度に雑草を引き抜くように、毎回毎回、やっつけるしかないのだ。
むっとしている高杉に、久坂は悔しいんだろうな、と高杉の心のうちを見る。
山縣がこういった事を想定して、幾久に日々喧嘩を売っていたわけでは絶対にないけれど、あの馬鹿げたやり取りの中で幾久が「仕返し」を学んだのは間違いない。
子供みたいで馬鹿げていて、大人気なくて、どうしようもない。
だけどその、馬鹿げた意味のない、棘みたいなささいなものが、今日の幾久を戦わせたのだ。
「別にさ、自分からわざわざやり返す必要はないんだよ。棘ひとつ、あればいいんだからさ」
たったひとつ、ちくりと刺すものがあれば、そう簡単に近寄ってこない。
それは身を守るのに必要なことだ。
その単純なことに気付くのに、どれだけの時間がかかるのか。
幾久は間違いなく、山縣からそれを学んだのだろう。
「今回は、ガタに軍配かな」
久坂が言うと、高杉が舌打ちした。
本当に心底悔しいのだろう。
それも仕方がない。
「ガタって、本当に無駄なことしかしないし、無駄なものしか持ってないけど、それもアリっちゃありなのかもね」
徹底した実利主義の、無駄を嫌う高杉が、無駄でどうでもよくて、よく判らないことに心血を注ぐ山縣を嫌うのは久坂も理解できる。
久坂も高杉と同じ感性だ。
だから高杉の悔しい気持ちも理解できてしまう。
「腐っても先輩ってことだよ、ハル。来年までに超えてりゃいいんだし」
「わしがガタの下ちゅうんか」
「お互い頑張らないとねぇ。いっくんだってそう言ってたわけだし」
ふふ、と久坂が楽しそうに笑う。
毎日馬鹿だな、とスルーしていた山縣と幾久のあの無駄な会話が、こんな場所で生きることもあるのだ。
だから高杉は悔しいし、その無駄の意味を考える。
きっとまた、心の中ではいろんな事を思うのだろう。
無駄な三年って奴だよ。
そう楽しそうに言っていたのは宇佐美だったろうか。
昔の事を思い出して、久坂はこの『無駄な三年』の学生生活の意味が、なんとなく判ってきたような気がした。
岡目八目・終わり
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