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【5】岡目八目~仲良しと仲悪し

アイデンティティ

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「オレ、サッカー好きじゃないっすか」
「突然なんだよ」
 吉田が言うが、幾久は続ける。
「父さんもサッカー好きなんすけど、イングランドとかって、クラブチームに下部組織があってですね。子供の頃から才能ある奴は育てて貰えるんすよ。日本もそういうのありますけど」
「ほう」
 少し高杉が興味をもったらしく、食いついてきた。
「で、そういうクラブチームで育ったからって、当然全員が世界のトップクラスの選手になれるわけでもねーんすよね。全員才能はあるわけだし」
「まあ、そうだろうね」
 久坂も頷く。
「で、そういうクラブチームで育ったからって自慢してるトップ選手がいるか?って父親に尋ねられて」
「いないの?」
 吉田の問いに、幾久はないっすね、と答えた。
「あくまでもオレが知ってる限りのトップ選手は、育ててくれたクラブチームに感謝して愛情は持っていても、『おれあのクラブチームで育ったんだぜ、スゲーだろ』なんていう選手はいませんよ。結果が全ての世界だし、そういうの意味ないっすよね」
「トップアスリートの世界だもんね」
 吉田も頷いて納得する。
「いい教育を受けたっていうのはいい結果が出せて初めて言えるものであって、結果が出せないならクラブチームの下部組織に所属していた事に一体何の意味があるんだ?って。それは一流選手になる為の土台であって、土台は足元にあるものだろう、土台を頭の上に抱え上げて喜ぶのは意味のない事だぞって」
「栄人がファンになるの、なんとなく判るね」
 めずらしく久坂が感心して近寄ってくる。
「すごいのう、幾久の父親は」
 高杉も感心していて頷く。
「ね、ね、いっくんのパパ、いいっしょ!おれがハマるの、わかるっしょ!」
 いつの間にか起きて来ていた山縣はその話をまたいつの間にか聞いていたのだろう。通りすがりに足を止めて言った。
「けっこう無礼者だなおめーの父親。官僚様は東大すら踏み台とかかっけえな」
 へっとそう一言だけ言うと、またいつものように冷蔵庫から甘い飲み物を持って部屋へと帰って行ってしまう。
「……ったくあのクソガタは」
 吉田が折角盛り上がっていた気分に水をさされて拳を握るが、幾久はきょとんとしている。
「気にすることないよ、いっくん」
「や、気にはしてないっすけど。ガタ先輩、すげえっすね」
 心底幾久は山縣に感心していた。
「え?いっくん?怒ってないの?」
 吉田の言葉に幾久はますます驚く。
「え?だってまあ、言葉は悪いけど実際そういう意味ではありますよね。なんかスゲー納得」
「ちょっといっくん、あいつに悪い影響受けてるんじゃないの」
 久坂が露骨に嫌そうな顔になる。
「いや、ガタ先輩の言葉も態度も最悪っすよ?でも最悪だけど、そう考えればそうも受け取れるわけで」
「おい幾久、お前アイツに影響されとるんじゃないか?」
 高杉も嫌そうな顔になるが、幾久は首を横に振る。
「そりゃ少しくらいは影響も受けるかもっすけど、ガタ先輩、言ってることは間違ってないっすよ。伝え方と使ってる言葉は間違ってるけど」
 それに、と幾久は少し自分を反省した。
「オレ、やっぱ父親とそういうの似てるのかも。悪気はなかったけど、報国院を踏み台にして他の学校に行こうとしてたわけだし」
 東京の私立から逃げて、こんな場所に来て。べつにここが悪いわけじゃないけれど、学力が低いものだと決めつけて、早く東京に戻りたい、なんて。
「タマがなんであんだけ怒って、オレの事嫌ってたか、判るっす。オレも、入学式の時にあんな場所であんな風に言うべきじゃなかった」
 入学式が終わって、幾久は他に生徒がいるのに父親に『東京に戻りたい』と告げた。今思えば完全にただの甘えだ。
「たった二ヶ月前なのに、オレってマジでガキなんだって、すげえ今なら判るっす」
 幾久の言葉に、そこに居た全員が黙りこくった。
「なんか、駄目っすねマジで。オレ、頑張らないと、馬鹿でガキのまま、終わりそう」
 幾久の言葉に、誰も何と返せばいいのか判らない。
 でも多分それは独り言みたいなもので、幾久の心の吐露だったのだろう。
「今のオレ、大学がどうとか言う以前の問題な気がするっす。割とマジで」
 こういう時、どうしたらいいのだろう。多分答えのない答えを自分で見つけるしかないのだろうか。
 黙ってしまった先輩達に幾久は「スンマセン」というしか出来なかった。



 幾久が風呂に入っている間、二年生三人はいつものように会議に入っていた。
「やっぱいっくん、東京に戻っちゃうのかなあ」
 がっかりと言う吉田に久坂が鼻で笑った。
「そんなのあるわけないだろ」
「瑞祥、すげえ自信。なにその根拠」
 不安になっている自分を笑われてしまい、吉田はむっとするが久坂は全く気にしない。
「見たら判るだろ。あれは自分で気付いてないだけで、絶対に東京になんか戻らない」
「見たってわかんねえよ、おれ瑞祥みたいに頭よくないし」
 ふんとまた鼻を鳴らす吉田の鼻を瑞祥が指でつまむ。
「いててっ!やめろよ瑞祥」
「ブーって言いな、ブーって」
 はしゃぐ久坂なんて、この三人でなければまず見れない。昔どおりの久坂に高杉も昔からそうするように、ため息をつく。
「ったく、幾久は真面目に考えちょるのに」
「おれらが不真面目みたいな言い方」
「いっくんがクソ真面目すぎるだけだよ」
 だから、と久坂が言う。
「絶対に戻らない。断言できるね」
「だからぁ、その根拠って何なんだよ」
 この寮で幾久の世話を一番やいているのが吉田だ。
 寝る部屋も一緒だし、食事の時もかいがいしく世話をやいているから食事の好みも把握している。
 一番幾久の日常を観察できているのも吉田のはずなのだが、吉田が判らないのに幾久と関わりの少ない久坂がなぜそこまで断言できるのか、吉田は知りたいのだ。
 久坂は手の甲に顎を乗せて、涼しげな表情で薄く笑った。こういうときの久坂は幼馴染から見てもすごく整った顔立ちをしているのがよく判る。
「―――――嫌いだからだよ」
「嫌い?何が?」
「母親。いっくんは露骨に言わないけど、絶対に母親になんか思うことがあるじゃない、あれ」
 反抗期じゃないんだよね、と久坂は言う。吉田は首をかしげている。
「反抗期だったら『うっせーなババア』みたいな判りやすい反抗だと思うんだよね。でもいっくんのってものすごく悩んでるじゃない。特に大学のくだりなんかさ」
「まぁ、そうじゃの」
「あれって、アイデンティティの崩壊だよ」
 ふふっと久坂はそう言った。
「アイデンティティ……」
「今まで自分の考え、なんていっくんさ、なかったんじゃないの?自分でこうしたいって意思みたいなの。親に言われて、そのままレールに乗っかっててさ。それが普通と言えば普通なんだろうけど」
 悪くない家庭環境、悪くないどころかエリートの父親、教育熱心な母親、私学に通えるだけの経済状態。
「そんな中でさ、はじめて母親の敷いたレールじゃない場所を走ってる訳だろ?」
「そうだね」
 そのあたりは吉田も理解できる。
 母親が教育ママ、というのは知識でしか知らないけど幾久の様子を知る限りではなんだかあまり羨ましい環境ではなかった。
「だから、今は父親の話が多いんだよ。父親の敷いたレールの上を走ってる訳だから」
「……そうじゃの」
 高杉もそこには気付いていたらしい。驚きもせずに久坂に同意する。
「父親のレールに乗っかってる今から、また母親のレールに戻るってのが、東京に戻るって意味だよ。戻りたい訳がない」
「でも、もし幾久が自分の意思で大学に行きたい、と思ったら今からでも方向転換するんじゃないのか」
 高杉の言葉に久坂がないない、と手を振る。
「僕はさ、いっくんの父親に会ったことないじゃん」
 幾久の父親に会ったことがあるのは、この寮では吉田しかいない。幾久のメガネを買いに行った時に、電話をしていたところは知っているが。
「いっくんの話と今までの事を考えるとさ、けっこういっくんの父親って怖い人だよね。よく言えば、出来る人だけど」
「ああ、うん」
「まあの」
 幼い頃から大人や老人に囲まれて、その良さも悪さも存分に経験している三人にとって、大人はイメージの産物ではなくどういうものかを理解している。
 だから幾久の父親の凄さも、そこいらにいる普通の高校生みたいに『乃木君のお父さん』レベルのイメージよりかは判ると思っている。
「もし、いっくんが『ママに会いたい』とか『友達に会いたい』『東京が大好き』ってレベルであれば、東京に戻ると思うんだよね。でもいっくんはどれもそこまで好きじゃないだろ、話を聞く限りでは」
「そうだね」
「そうじゃの」
 母親は好きじゃないし、東京の友達はいないも同じ。そんな中、こんな僻地に逃げてきたのだから、そういう意味では戻る理由がない。
「でもさ、もしそんなのはどうでも良くて、『東京の大学に行きたい!』って思ったとする。例えるならさっき話で出た東大とか」
「うん」
「判りやすいの」
「―――――もし本気でそう思ったらさ。報国院の事情が判った上で東京に戻るって言い出すと思う?」
「!」
「……なるほどのう」
 報国院の鳳クラスは、東大や京大といったいわゆる有名な学校に入る生徒が多い。
 というのも単純に、この地方でそういった所に対応しているのがこのあたりではこの学校しかないからだ。
「東大、京大でなくてもそれなりの学校に行ったりするだろ?それは進路見たら明らかだし」
 旧帝大や、工学に優れた学部、いきなり獣医学部に進む生徒もいる。報国院の鳳クラスなら、そのどれもに対応してくれる。
 成績のいい生徒にはマンツーマンで、とことん付き合ってくれるのがこの学校だ。
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