57 / 416
【4】夜の踊り子
いじめに強いってなんだ
しおりを挟む
山縣が風呂場へ向かうと、今は二年生と幾久の四人になった。
傍から見たら仲が悪いようにすら見えるのに、これでうまくいっているのだからこの寮は不思議だ。
「でもいっくんも大分、ガタの扱い判ってきたよね」
吉田が言う。
「あ、ええ、まぁ」
最初は山縣がどういう人なのかさっぱり判らず、山縣の悪口を言う二年生に反抗したらなぜか当の山縣に嫌がられ、文句を言われるという事になってしまった。
結果、入寮早々に喧嘩までしてしまったが今はそんなことはない。
「ほんっと、ガタ先輩って正直っすよね」
オタクで引きこもりで友人もオンラインにしかいないレベルの山縣だが、いい意味でも悪い意味でも正直者だった。
思ったことを素直に口に出し、それ以上の事はない。
腹が見えるといえば聞こえはいいが、言わなくてもいいことを口に出すのでトラブルも多いらしい。
しかし山縣自身はそれを全く気にしていないようで、嫌われていても「で?」で終わる。
だから幾久は、そこまで山縣が嫌いではなくなっていた。嘘はつかないし、なんとなく、憎めない所もある。
どんな嫌なことも質問すれば、正直に答えるし、他人の話をちゃんと聞く。
聞いた後の答えがあまり誉められたものではない事が殆どだが、それでも上手く誤魔化したりしない所は判ってきていた。
さっきも癇癪を起こしていたが、おこせばそれで終わってしまうので多分、風呂を上がってくる頃には機嫌も直っているだろう。
「ま、あいつもぼちぼち鳳に戻らんといけんけど、多分今回の試験はスルーじゃろうの」
「だろうね」
おれ、教科書取ってくる、と言う吉田に久坂と高杉が自分たちの分も、と頼んでいた。
「ガタ先輩って、頭いいんですか?」
高杉達に勉強を教わりながら幾久が尋ねると、久坂が答えた。
「あ、うーん。なんていうか。興味のあることなら頑張るよね」
パソコンとか、と言う言葉にああ、と幾久も頷く。
学校から寮に戻ると速攻部屋に引きこもってゲームばかりしている山縣は、パソコンやインターネットの知識もスキルもかなりあるほうだという。
一方、二年生の三人はさほどでもないらしい。
たまに高杉がスマホでなにか見ているくらいだ。
「じゃあ勉強には興味あるんですかね?」
不思議に思った幾久が首をかしげると、久坂が困ったように答えた。
「誤解を生むような言い方だけど、山縣が興味あるのはハルだからさあ」
ぞわわっと高杉が体を振るわせた。
「キモい言い方すんな」
「えー、でもそうでしょ」
確かに、山縣の高杉への心酔っぷりは半端じゃない。
以前『高杉は俺の嫁だ!』と幾久に怒鳴って高杉に蹴っ飛ばされたくらいだ。
「え?じゃあひょっとしてハル先輩が鳳だから?」
まさかね、と幾久が苦笑いしながら言うと、勉強道具を抱えた吉田が言った。
「そうだよ。ガタはハルしか目に入ってないもん」
「え、マジですか」
それ引く、と幾久が言うと吉田が「おれもー」と笑いながら言う。
「でもそんなんに一々引いててもしょうがないし」
「なんでそこまで、なんすかね」
確かに高杉は不思議な雰囲気もあるし、けっこうお洒落だし、成績もいい。
存在感もあるので憧れている一年生もいるのは幾久も知っていたが、山縣はそのどれよりも突き抜けている。
「なんか、中坊の頃にハルにすごい感銘受けたとからしいよ」
「え?同じ中学なんすか?」
「そそ。ハルが二年生で、ガタが三年。いまと一緒だね」
そんな頃に、学年がひとつ下の高杉に何を感じたのだろうか。
「同じクラブだったとか?」
「違う」
高杉がむすっとして言う。あまり触れられたくないのだろう。
吉田が幾久に説明した。
「ガタさ、中学の頃登校拒否してたんだよ。いまはああだけど、あいつ中学の時はもうびっくりするぐらい太っててさ。あとあの性格もあっていじめみたいな目にもあってたみたいで」
「……太っていたはともかく、いじめにあってもあの人気にしそうにないっすよ」
三年前の山縣の性格は知らないが、そういう目にあっても鼻で馬鹿にしそうなのだが。
「そうそう、全く本人気にしてなくって。で、なんかの時に学校に来たとき、ハルとブッキングしたらしいんだよ。生徒指導室だっけ」
「そうじゃ」
高杉が静かに言う。
生徒指導室、というと高杉もなにか問題を起こしていたのだろうか。そういえば確かに、ちょっと荒れた頃があったと高杉から聞いたこともあったけれど。
「で、なんかハルが言ったことにすごい感動したらしくって。高杉の進路が報国院希望って聞いて、それだけで報国院目指したって言う」
「馬鹿っすね」
思わず口に出して言うと後ろから足で軽く蹴られた。
「誰が馬鹿だ誰が」
風呂を上がったらしい山縣が、幾久の背を軽く蹴ったのだった。
「なにすんすか。勉強の邪魔っす」
「いまお前ら話してたじゃん、勉強してねーじゃん」
「あーあ、ガタが邪魔する」
もー、と吉田が言うが、山縣はふんっと鼻を鳴らす。
「いいからさっさと風呂いけよ。ガス代勿体ねえだろ」
「あ、じゃあ先に僕らが入ろうか」
久坂が言うと高杉がそうじゃな、と言う。
「じゃ、今日はいっくん、おれと風呂ね!」
「あ、はい。それでいいっす」
この寮に風呂はふたつあったが、今は人数が少ないので普通の家にある家庭用の大きさの風呂を使っている。時間の都合もあるが、大抵二人ずつ一緒に入る。
高杉と久坂は風呂以外、どこでも一緒なので二人だったが吉田は山縣や幾久と、空いている誰とでも一緒に風呂を使っていた。
高杉と久坂が風呂に向かったので、幾久はわくわくしながら山縣に尋ねた。
「ガタ先輩、なんでそんなにハル先輩のこと尊敬してるんすか」
「は?見りゃわかんだろ」
「判るわけないだろ」
呆れて吉田が言う。
「なんていうか、もし全知全能の神がいたら絶対に高杉だと俺は思うね」
「あー、ハイハイ」
また馬鹿げた事を言い出した山縣にこりゃ駄目だと幾久が後ろを向く。
「なんだよ、てめえから聞いてきたくせによー」
「ちゃんと教えてくれたら聞くっすけど、ガタ先輩意味わかんないっす」
はー、とまるで幾久が悪いようにため息をつく山縣だったが、いつものことなので幾久も気にしない。
「高杉は俺の世界に新しい価値観をもたらしたんだよ。だから俺の神なの」
「価値観……」
またぼんやりとした言葉だな、と思ったが山縣が言った。
「ま、そのあたりは内緒だけどな。なんたって俺と高杉の秘密だし!」
「いや、おれも知ってるよ?」
吉田の突っ込みはあえて無視して山縣は両手を神に祈るように大げさに組んで言う。
「とにかく、俺の価値観はそんときに目覚めたわけ!だから神なの!」
「はー、わかんないっす」
「そのうち判る」
そう変に格好つけて、山縣は冷蔵庫からジュースを出してそれを飲みながら部屋へ向かった。
「おやすみー」
まだ多分、山縣は部屋に戻って何時間もゲームをするのだろうけど吉田が言うと山縣が「おう」と返事をする。こういうところはちゃんとしている。
「ガタ先輩、ジュースとか好きっすよねぇ」
「ああ、でもカロリー計算はばっちりしてるから大丈夫だろ。もう絶対にデブには戻らないよあいつ」
吉田が楽しそうに言う。
「そんなに太ってたんすか?」
「だって三桁だよ。デブだろ」
「三桁……」
ということは、百キロ超え?ええ?まさか、と驚く幾久に吉田が言う。
「本当。おれも最初は疑ったけど」
「なんであそこまで痩せたんすかね」
いまの山縣はデブの欠片もない。
どころかむしろ逆に細いくらいだ。
百キロ、ということは今の倍近い重さがあるんじゃないだろうか。
「ハルに憧れて、ハルみたいになりたいって思ったかららしいよ」
「だからって……」
それで五十キロも痩せるもんなんだろうか、と思ったが、幾久をからかっているわけではないらしい。
「そんなに憧れるなにがあったんすかね」
「や、単純だよ。山縣が気付かなかったことを、たまたまハルが答えただけってことで。ハルってちょっと面白い考え方してるだろ?」
「確かに」
思いがけないことを突然目の前に突きつけて、考えさせるようなことを高杉はいう事がある。
実際、それで幾久も進路をかなり悩んで、いまも考え中だ。
「ハルのそういう部分で感銘を受けて、すごい憧れて、絶対にハルと同じ学校で同じ寮に入るんだって。それでトラブルも多かったらしいけど、あいつ、その部分は一貫してるからしょうがないっていうか」
「なんか判ります」
本当に山縣は呆れるくらいに高杉が好きでいるというのは判る。
高杉は露骨にその表現を嫌ってはいたけれど、共同生活で排除するとかそういうことはしない。
高杉が嫌っているのは山縣のわけのわからないスラングの多用のせいもあるとは思うけれど。
「でも、ほんと凄いですね。百キロからいまのガタ先輩だったら、殆ど一人分の重さあるじゃないですか。そのダイエット本とか出したら売れるんじゃないですか?」
「いやーどうだろ。あいつああ見えて根性あるからなあ。ダイエットも周りが止めるレベルで本気だったらしいし」
「そんなに」
学校から帰ったらゲーム漬けの山縣からは想像もつかない。
「最初はもう、ほんっと中学、全校の笑いものだったくらい。おれも後から聞いて『あの走ってるデブ?』とかびっくりしたレベルだったし」
「そんな有名だったんすか?」
「もうそりゃねえ。休み時間になった途端、走り続ける百キロのデブって嫌でも目に入るでしょ」
「休み時間?」
幾久が言うと吉田が頷く。
「おれら学年違うじゃん?で、人数もわりといたから三年とか知らないわけよ。そんであるときから、休み時間になるたびに校庭で必死に走ってるデブがいるわけ。目立つじゃん」
「……そっすね」
「で噂でそいつが苛められてて不登校、っていうのも耳に入るわけ。そいつが急に学校に来はじめたら休み時間ごとに走り続けてんの。中休みも、昼休みも、放課後も」
「……」
それは目立つ。確かに凄く目立つ。
「元々苛められてたわけだから、からかったりもされるし馬鹿にするやつもいるだろ?でもあいつ、全く気にしねえの。最初は先生も『いじめで走らされてるんじゃないか』とか疑ってたくらい」
「そりゃ、そう思うっすよねぇ」
「もう女子なんかひでえよ。動画とってネットにあげて笑いものにしたり」
うわ、と幾久が引く。確かに性格の悪いやつならそんなことをしそうではあるけれど。
「当然それが学校にもばれて、市の教育委員会でも問題になったんだけどさ、山縣、あいつ斜め上の事やらかしたんだよ」
「なにやったんすか」
「動画を自分でアップした」
「……」
なんだそれは。
さっきまで山縣がひどく苛められている話じゃなかったのか。
「しかもそれを自分で編集して面白おかしくして『デブの俺がダイエットしている様子を晒す』とかネットに上げて、女子の上げた動画をさんざん『編集しろよ馬鹿』とか『面白くねえ』とかネットで叩きまくって炎上させた」
「うわあ……」
山縣の性格を知っているだけに、どっちに同情していいか判らなくなってきた。
「なんかああいうノリってネットの一部ではウケたらしくて。動画あげた女子は親バレでスマホ取り上げ。他のやつらも『動画はやりすぎ』って逆に引いてたし、その女子、希望の進学先も落されたんだと。それは当然だとおれは思うけどね」
「確かに、動画はやりすぎっすね」
「で、ガタの馬鹿は調子にのって、それからダンスを習い始めて」
「ダンス……」
「太ったままだろ?腹がたゆんたゆん動く状態で激しいダンスで、しかもすんごいへったくそで、でもそれがもうめちゃくちゃ面白いわけ。で、それを自分でまた面白い動画にして」
「……すごく才能の無駄遣いっすね」
「そうこうするうちにどんどん痩せていって、一年後にはもう今のアレだよ。痩せたら踊っても面白い動画じゃねえとか言ってその動画も消したし」
「わけがわからないです」
「でも行動は一貫してるだろ?ガタらしいっつうか」
「確かにそうですけど」
しかしすごいメンタリティだ。
学校中の笑いものになっているのに、おまけに馬鹿にされて動画なんかアップされているのに逆にそれを笑いに替えてしまうとか。
「ほんとどんだけ凄いメンタルしてるんですかガタ先輩」
「逆に言えば、そのくらいなんでもない目にあってたんじゃないかってハルは言うけどね」
はっと幾久は顔を上げる。
吉田が、少し大人びた表情で幾久に説明した。
「おれらが、ハルってすげえな、って思うのは、そういう所だよ。だからガタが、ハルを心酔するのはちょっと判る」
そんな風に幾久は全く考えなかった。
さっきまでの話では、山縣のメンタルがまるで鋼のように頑丈で、ふてぶてしい性格がそういうことを気にさせないのだとしか思わなかった。
でも、もし、全校に笑われるくらいなんでもない、という目に山縣があっていたのだとしたら。
「それが本当にそうなのかは判んないけどね!」
吉田がわざと明るく言ったのは、少し雰囲気が重くなったからだろう。
幾久もそれに気付いたが、「ガタ先輩見てたら、そんな風には思えないっすけどね」と返した。
傍から見たら仲が悪いようにすら見えるのに、これでうまくいっているのだからこの寮は不思議だ。
「でもいっくんも大分、ガタの扱い判ってきたよね」
吉田が言う。
「あ、ええ、まぁ」
最初は山縣がどういう人なのかさっぱり判らず、山縣の悪口を言う二年生に反抗したらなぜか当の山縣に嫌がられ、文句を言われるという事になってしまった。
結果、入寮早々に喧嘩までしてしまったが今はそんなことはない。
「ほんっと、ガタ先輩って正直っすよね」
オタクで引きこもりで友人もオンラインにしかいないレベルの山縣だが、いい意味でも悪い意味でも正直者だった。
思ったことを素直に口に出し、それ以上の事はない。
腹が見えるといえば聞こえはいいが、言わなくてもいいことを口に出すのでトラブルも多いらしい。
しかし山縣自身はそれを全く気にしていないようで、嫌われていても「で?」で終わる。
だから幾久は、そこまで山縣が嫌いではなくなっていた。嘘はつかないし、なんとなく、憎めない所もある。
どんな嫌なことも質問すれば、正直に答えるし、他人の話をちゃんと聞く。
聞いた後の答えがあまり誉められたものではない事が殆どだが、それでも上手く誤魔化したりしない所は判ってきていた。
さっきも癇癪を起こしていたが、おこせばそれで終わってしまうので多分、風呂を上がってくる頃には機嫌も直っているだろう。
「ま、あいつもぼちぼち鳳に戻らんといけんけど、多分今回の試験はスルーじゃろうの」
「だろうね」
おれ、教科書取ってくる、と言う吉田に久坂と高杉が自分たちの分も、と頼んでいた。
「ガタ先輩って、頭いいんですか?」
高杉達に勉強を教わりながら幾久が尋ねると、久坂が答えた。
「あ、うーん。なんていうか。興味のあることなら頑張るよね」
パソコンとか、と言う言葉にああ、と幾久も頷く。
学校から寮に戻ると速攻部屋に引きこもってゲームばかりしている山縣は、パソコンやインターネットの知識もスキルもかなりあるほうだという。
一方、二年生の三人はさほどでもないらしい。
たまに高杉がスマホでなにか見ているくらいだ。
「じゃあ勉強には興味あるんですかね?」
不思議に思った幾久が首をかしげると、久坂が困ったように答えた。
「誤解を生むような言い方だけど、山縣が興味あるのはハルだからさあ」
ぞわわっと高杉が体を振るわせた。
「キモい言い方すんな」
「えー、でもそうでしょ」
確かに、山縣の高杉への心酔っぷりは半端じゃない。
以前『高杉は俺の嫁だ!』と幾久に怒鳴って高杉に蹴っ飛ばされたくらいだ。
「え?じゃあひょっとしてハル先輩が鳳だから?」
まさかね、と幾久が苦笑いしながら言うと、勉強道具を抱えた吉田が言った。
「そうだよ。ガタはハルしか目に入ってないもん」
「え、マジですか」
それ引く、と幾久が言うと吉田が「おれもー」と笑いながら言う。
「でもそんなんに一々引いててもしょうがないし」
「なんでそこまで、なんすかね」
確かに高杉は不思議な雰囲気もあるし、けっこうお洒落だし、成績もいい。
存在感もあるので憧れている一年生もいるのは幾久も知っていたが、山縣はそのどれよりも突き抜けている。
「なんか、中坊の頃にハルにすごい感銘受けたとからしいよ」
「え?同じ中学なんすか?」
「そそ。ハルが二年生で、ガタが三年。いまと一緒だね」
そんな頃に、学年がひとつ下の高杉に何を感じたのだろうか。
「同じクラブだったとか?」
「違う」
高杉がむすっとして言う。あまり触れられたくないのだろう。
吉田が幾久に説明した。
「ガタさ、中学の頃登校拒否してたんだよ。いまはああだけど、あいつ中学の時はもうびっくりするぐらい太っててさ。あとあの性格もあっていじめみたいな目にもあってたみたいで」
「……太っていたはともかく、いじめにあってもあの人気にしそうにないっすよ」
三年前の山縣の性格は知らないが、そういう目にあっても鼻で馬鹿にしそうなのだが。
「そうそう、全く本人気にしてなくって。で、なんかの時に学校に来たとき、ハルとブッキングしたらしいんだよ。生徒指導室だっけ」
「そうじゃ」
高杉が静かに言う。
生徒指導室、というと高杉もなにか問題を起こしていたのだろうか。そういえば確かに、ちょっと荒れた頃があったと高杉から聞いたこともあったけれど。
「で、なんかハルが言ったことにすごい感動したらしくって。高杉の進路が報国院希望って聞いて、それだけで報国院目指したって言う」
「馬鹿っすね」
思わず口に出して言うと後ろから足で軽く蹴られた。
「誰が馬鹿だ誰が」
風呂を上がったらしい山縣が、幾久の背を軽く蹴ったのだった。
「なにすんすか。勉強の邪魔っす」
「いまお前ら話してたじゃん、勉強してねーじゃん」
「あーあ、ガタが邪魔する」
もー、と吉田が言うが、山縣はふんっと鼻を鳴らす。
「いいからさっさと風呂いけよ。ガス代勿体ねえだろ」
「あ、じゃあ先に僕らが入ろうか」
久坂が言うと高杉がそうじゃな、と言う。
「じゃ、今日はいっくん、おれと風呂ね!」
「あ、はい。それでいいっす」
この寮に風呂はふたつあったが、今は人数が少ないので普通の家にある家庭用の大きさの風呂を使っている。時間の都合もあるが、大抵二人ずつ一緒に入る。
高杉と久坂は風呂以外、どこでも一緒なので二人だったが吉田は山縣や幾久と、空いている誰とでも一緒に風呂を使っていた。
高杉と久坂が風呂に向かったので、幾久はわくわくしながら山縣に尋ねた。
「ガタ先輩、なんでそんなにハル先輩のこと尊敬してるんすか」
「は?見りゃわかんだろ」
「判るわけないだろ」
呆れて吉田が言う。
「なんていうか、もし全知全能の神がいたら絶対に高杉だと俺は思うね」
「あー、ハイハイ」
また馬鹿げた事を言い出した山縣にこりゃ駄目だと幾久が後ろを向く。
「なんだよ、てめえから聞いてきたくせによー」
「ちゃんと教えてくれたら聞くっすけど、ガタ先輩意味わかんないっす」
はー、とまるで幾久が悪いようにため息をつく山縣だったが、いつものことなので幾久も気にしない。
「高杉は俺の世界に新しい価値観をもたらしたんだよ。だから俺の神なの」
「価値観……」
またぼんやりとした言葉だな、と思ったが山縣が言った。
「ま、そのあたりは内緒だけどな。なんたって俺と高杉の秘密だし!」
「いや、おれも知ってるよ?」
吉田の突っ込みはあえて無視して山縣は両手を神に祈るように大げさに組んで言う。
「とにかく、俺の価値観はそんときに目覚めたわけ!だから神なの!」
「はー、わかんないっす」
「そのうち判る」
そう変に格好つけて、山縣は冷蔵庫からジュースを出してそれを飲みながら部屋へ向かった。
「おやすみー」
まだ多分、山縣は部屋に戻って何時間もゲームをするのだろうけど吉田が言うと山縣が「おう」と返事をする。こういうところはちゃんとしている。
「ガタ先輩、ジュースとか好きっすよねぇ」
「ああ、でもカロリー計算はばっちりしてるから大丈夫だろ。もう絶対にデブには戻らないよあいつ」
吉田が楽しそうに言う。
「そんなに太ってたんすか?」
「だって三桁だよ。デブだろ」
「三桁……」
ということは、百キロ超え?ええ?まさか、と驚く幾久に吉田が言う。
「本当。おれも最初は疑ったけど」
「なんであそこまで痩せたんすかね」
いまの山縣はデブの欠片もない。
どころかむしろ逆に細いくらいだ。
百キロ、ということは今の倍近い重さがあるんじゃないだろうか。
「ハルに憧れて、ハルみたいになりたいって思ったかららしいよ」
「だからって……」
それで五十キロも痩せるもんなんだろうか、と思ったが、幾久をからかっているわけではないらしい。
「そんなに憧れるなにがあったんすかね」
「や、単純だよ。山縣が気付かなかったことを、たまたまハルが答えただけってことで。ハルってちょっと面白い考え方してるだろ?」
「確かに」
思いがけないことを突然目の前に突きつけて、考えさせるようなことを高杉はいう事がある。
実際、それで幾久も進路をかなり悩んで、いまも考え中だ。
「ハルのそういう部分で感銘を受けて、すごい憧れて、絶対にハルと同じ学校で同じ寮に入るんだって。それでトラブルも多かったらしいけど、あいつ、その部分は一貫してるからしょうがないっていうか」
「なんか判ります」
本当に山縣は呆れるくらいに高杉が好きでいるというのは判る。
高杉は露骨にその表現を嫌ってはいたけれど、共同生活で排除するとかそういうことはしない。
高杉が嫌っているのは山縣のわけのわからないスラングの多用のせいもあるとは思うけれど。
「でも、ほんと凄いですね。百キロからいまのガタ先輩だったら、殆ど一人分の重さあるじゃないですか。そのダイエット本とか出したら売れるんじゃないですか?」
「いやーどうだろ。あいつああ見えて根性あるからなあ。ダイエットも周りが止めるレベルで本気だったらしいし」
「そんなに」
学校から帰ったらゲーム漬けの山縣からは想像もつかない。
「最初はもう、ほんっと中学、全校の笑いものだったくらい。おれも後から聞いて『あの走ってるデブ?』とかびっくりしたレベルだったし」
「そんな有名だったんすか?」
「もうそりゃねえ。休み時間になった途端、走り続ける百キロのデブって嫌でも目に入るでしょ」
「休み時間?」
幾久が言うと吉田が頷く。
「おれら学年違うじゃん?で、人数もわりといたから三年とか知らないわけよ。そんであるときから、休み時間になるたびに校庭で必死に走ってるデブがいるわけ。目立つじゃん」
「……そっすね」
「で噂でそいつが苛められてて不登校、っていうのも耳に入るわけ。そいつが急に学校に来はじめたら休み時間ごとに走り続けてんの。中休みも、昼休みも、放課後も」
「……」
それは目立つ。確かに凄く目立つ。
「元々苛められてたわけだから、からかったりもされるし馬鹿にするやつもいるだろ?でもあいつ、全く気にしねえの。最初は先生も『いじめで走らされてるんじゃないか』とか疑ってたくらい」
「そりゃ、そう思うっすよねぇ」
「もう女子なんかひでえよ。動画とってネットにあげて笑いものにしたり」
うわ、と幾久が引く。確かに性格の悪いやつならそんなことをしそうではあるけれど。
「当然それが学校にもばれて、市の教育委員会でも問題になったんだけどさ、山縣、あいつ斜め上の事やらかしたんだよ」
「なにやったんすか」
「動画を自分でアップした」
「……」
なんだそれは。
さっきまで山縣がひどく苛められている話じゃなかったのか。
「しかもそれを自分で編集して面白おかしくして『デブの俺がダイエットしている様子を晒す』とかネットに上げて、女子の上げた動画をさんざん『編集しろよ馬鹿』とか『面白くねえ』とかネットで叩きまくって炎上させた」
「うわあ……」
山縣の性格を知っているだけに、どっちに同情していいか判らなくなってきた。
「なんかああいうノリってネットの一部ではウケたらしくて。動画あげた女子は親バレでスマホ取り上げ。他のやつらも『動画はやりすぎ』って逆に引いてたし、その女子、希望の進学先も落されたんだと。それは当然だとおれは思うけどね」
「確かに、動画はやりすぎっすね」
「で、ガタの馬鹿は調子にのって、それからダンスを習い始めて」
「ダンス……」
「太ったままだろ?腹がたゆんたゆん動く状態で激しいダンスで、しかもすんごいへったくそで、でもそれがもうめちゃくちゃ面白いわけ。で、それを自分でまた面白い動画にして」
「……すごく才能の無駄遣いっすね」
「そうこうするうちにどんどん痩せていって、一年後にはもう今のアレだよ。痩せたら踊っても面白い動画じゃねえとか言ってその動画も消したし」
「わけがわからないです」
「でも行動は一貫してるだろ?ガタらしいっつうか」
「確かにそうですけど」
しかしすごいメンタリティだ。
学校中の笑いものになっているのに、おまけに馬鹿にされて動画なんかアップされているのに逆にそれを笑いに替えてしまうとか。
「ほんとどんだけ凄いメンタルしてるんですかガタ先輩」
「逆に言えば、そのくらいなんでもない目にあってたんじゃないかってハルは言うけどね」
はっと幾久は顔を上げる。
吉田が、少し大人びた表情で幾久に説明した。
「おれらが、ハルってすげえな、って思うのは、そういう所だよ。だからガタが、ハルを心酔するのはちょっと判る」
そんな風に幾久は全く考えなかった。
さっきまでの話では、山縣のメンタルがまるで鋼のように頑丈で、ふてぶてしい性格がそういうことを気にさせないのだとしか思わなかった。
でも、もし、全校に笑われるくらいなんでもない、という目に山縣があっていたのだとしたら。
「それが本当にそうなのかは判んないけどね!」
吉田がわざと明るく言ったのは、少し雰囲気が重くなったからだろう。
幾久もそれに気付いたが、「ガタ先輩見てたら、そんな風には思えないっすけどね」と返した。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
夏の決意
S.H.L
青春
主人公の遥(はるか)は高校3年生の女子バスケットボール部のキャプテン。部員たちとともに全国大会出場を目指して練習に励んでいたが、ある日、突然のアクシデントによりチームは崩壊の危機に瀕する。そんな中、遥は自らの決意を示すため、坊主頭になることを決意する。この決意はチームを再び一つにまとめるきっかけとなり、仲間たちとの絆を深め、成長していく青春ストーリー。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
坊主頭の絆:学校を変えた一歩【シリーズ】
S.H.L
青春
高校生のあかりとユイは、学校を襲う謎の病に立ち向かうため、伝説に基づく古い儀式に従い、坊主頭になる決断をします。この一見小さな行動は、学校全体に大きな影響を与え、生徒や教職員の間で新しい絆と理解を生み出します。
物語は、あかりとユイが学校の秘密を解き明かし、新しい伝統を築く過程を追いながら、彼女たちの内面の成長と変革の旅を描きます。彼女たちの行動は、生徒たちにインスピレーションを与え、更には教師にも影響を及ぼし、伝統的な教育コミュニティに新たな風を吹き込みます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる