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【2】一陽来復~なぜかいちゃもんつけられる
鳩たちの戯れ
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翌朝は吉田と一緒に登校して、いつものようにヤッタが声をかけてきたので教室へと向かう。
教室にはすでにトシが来ていて、いつものように手を上げる。
近づこうとすると、トシが立ち上がった。
「幾久の席に行こうぜ」
昨日、伊藤の席の近くの椅子を借りると不機嫌になったのがいたのを思い出し、幾久たちも頷く。
幾久の席に鞄を置き、弥太郎と伊藤とで喋る。
「昨日、あれから一緒に帰ったんだろ?」
高杉のファンだと公言する伊藤は興味津々で幾久に話を聞いてくる。
「うん、オレちょっと先輩達と喧嘩しちゃって」
「喧嘩?」
驚く弥太郎に、幾久が苦笑する。
「てか、オレが勝手に怒っただけなんだけど。トシがさ、入学式の時に話しかけてきてくれたじゃん」
「ああ」
入学式はクラスごと、その中でも寮ごとに並びが分けられていた。
一人だけ御門の幾久は最後尾だったのだが、その時に話しかけてきてくれたのが伊藤だ。
「トシが話しかけてきてくれたのって、ハル先輩に頼まれてたからなんだろ?」
「……ま、そうだけど」
「それをさ、余計なお節介ってオレがちょっと怒ってさ。ちゃんと誤解だったんだけど」
「どういう意味?」
判らずに弥太郎が尋ねてくる。
「ハル先輩が、トシに『乃木とオトモダチになってやれ』みたいな事を言ったのかってオレが勘違いして、怒った」
「ハル先輩はんな事しねーよ」
むっとして伊藤が言う。
「うん、そうだった。オレの勘違いだった。だからちゃんと謝ったよ」
「俺だって、気にいらねー奴と一緒になんかいねーし。へんな事考えんなよ幾久」
伊藤の言葉に、そうだよな、と幾久も頷く。
「ただ教室に来るのは辞めてくれって言ったけど」
「なんだと?幾久よけーな事を!ハル先輩なら来てもいいっつーの!」
「やだよ、すごい目立つじゃん。そんなに会いたいなら、ハル先輩の教室に行けばいいじゃん、トシ」
「ばっ、お前、鳩ごときが鳳の教室なんか行けるわけねーだろ!空気違いすぎだわ!治外法権だわ!」
でっかい図体の割りに慌てて伊藤が首を横に振る。
「それになんか用事があるわけでもねーしさ。そんなんで顔出しても『帰れ』って言われるだけだし」
「そうかなあ」
確かに高杉はつんけんした雰囲気はあるが、実際はそんな風でもない、と幾久は思っているが。
「お前にはハル先輩甘いんだよ。なんでかな、羨ましい」
「それガタ先輩にも言われた」
「やっぱさ、地元民じゃないから気になんじゃないの?私立たって、この学校って殆ど地元組ばっかだし。それにいっくんってちょっと見てて世話やきたくなる感じは確かにするし」
「それは確かに」
弥太郎の言葉に伊藤も頷く。
「子供っぽいっつう意味?」
昨日言われたことが思い出されて尋ねると、そうじゃないけど、と伊藤も弥太郎も言う。
「まあいいじゃん、いまはその立場に甘んじとけば。そのうち慣れたら、ちょっとは気を使えよ、みたいになるかもだし」
「そう、だよね」
一年が寮に入らないと思っていたらしいし、先輩たちも幾久の扱いをどうしていいのか判らなかったのかもしれない。
そのうち落ち着くだろうし、どうせ三ヶ月だけの付き合いだ、多分。
(多分?)
多分ってどういう意味だ、と幾久は考える。
(まさかオレ、ここにずっと居るつもりなの?)
いやいやいや、それはないわ、と幾久は思う。
確かに先輩達はお節介でもいい人、らしいし、伊藤も弥太郎もいい奴だ。
でも冷静に考えないと、この先の人生が全部決まってしまう。東京の大学に入るならそれなりの環境にいないと絶対に取り残される。
皆、『鳳』は違うと言うけれど所詮は地方の進学校レベルなら、東京に戻って別の学校を選んだほうが絶対にいい。
考えていると、幾久の机の傍に誰かが来た。
ふいっと顔を上げるとそこに居たのは、昨日幾久に『擦り寄り』と言はなったあのクラスメイトだ。
なんだ、と思っていると、伊藤に用事があったらしい。
「おはよう、伊藤」
「おお、はよ」
「なに、今日は乃木の机で会議なの」
「んー、まぁな」
伊藤が自分の席でなく、わざわざ幾久の席まで来たのは昨日こいつが不機嫌そうにしたからなのに、何を言ってるんだと幾久は思う。弥太郎も思ったらしい、幾久にちら、と目で『こいつなに?』と訴えている。
「伊藤さ、わざわざ移動しなくても、自分の席に居ればいいじゃん」
「同じ教室だし、わざわざってこともねえよな、幾久」
「あ、うん」
いきなり伊藤に言われて、幾久は頷く。するとそのクラスメイトは一気に不機嫌な顔になる。
「伊藤、気をつけたほうがいいよ。そいつ、お前に取り入ろうと必死だから。擦り寄られんなよ。先輩に遠慮してるのかもしれないけどさ。お前、いい奴だし」
突然そんな事を言われ、幾久はびっくりした。そもそも、クラスメイトといっても名前をまだ認識もしてない程度なのになぜそんな事を言われないといけないのか。
伊藤は苦笑いをして、「忠告ありがとな」と答えたが、「でさ」と幾久と話を再開させた。
(……なんだあれ)
ひょっとして、昨日不機嫌だったのは幾久が席を勝手に使っていた事に対してではなく、幾久と伊藤が仲がいいから、なのだろうか。
伊藤を見上げると、苦笑いして伊藤が幾久に言った。
「気にするなよ、幾久。お前、東京からだから、変に注目浴びてんだよ」
「そうそう、どうせそのうち混じるから、気にしないほうがいいよ!」
弥太郎もそう言うが、ありがとう、と言うしかない。
どうしてあんなに露骨に敵意を向けられるのか。
東京から来たというだけで、ああまで言われる筋合いはない。
「擦り寄りって何なんだよ」
ぼそっと文句を言う幾久に、伊藤は困った表情になる。
「あー、ハル先輩とか桂先輩とか、鳳クラスって一目置かれてるからさあ、多分そういう意味なんじゃねえの?」
うんうんと弥太郎も頷く。
「雪ちゃん先輩がいると、ついいっくんの話題になるし、雪ちゃん先輩も御門の事聞きたがるし。そういうの、あいつらも聞いてるからさあ」
弥太郎とさっきのクラスメイトは同じ恭王寮だったはずだ。
そういう所から情報が入るのだろう。
恭王寮には幾久の事を嫌いな児玉も居たから、余計にそういった事もあるのかもしれない。
こっちだって好きで関わってんじゃない、と思ったが、昨日わざわざ高杉が幾久の教室に顔を見せた理由が少しだけ判った気がした。
(面倒くさいなあ……)
御門に所属するのってけっこう大変なのかも、と幾久はうな垂れた。
今日は土曜日なので午前中で終わりだったが、部活が再開され、学食が開くということなので幾久は伊藤、弥太郎と一緒に学食で食事を取る事にした。
報国院の学食は広く、かなりのスペースがある。
運よく窓際の席が空いていたので、そこを陣取り、三人で定食を囲んだ。
「今日はハル先輩いねえの?」
「さあ。寮に戻ったか、学食に居るかだと思うけど」
高杉を心酔している伊藤は残念がるが、それでも冗談の範疇だ。
「いっくんは今日どうすんの?飯食ったら帰る?」
「うん。いつもと違う道を通ってみようかと。いっつも中の道だから、国道沿いのほう」
中の道、というのは城下町のなかを突っ切る道で、車道もあるが歩道がきちんと確保されている。
通りはほとんどが土塀で緑も多く、城下町らしい街並みだ。
一方、国道沿いは道も広いがかなり車の往来がある。
暫くとはいえここに住むのだから、ちょっとくらい道は覚えないと、と思ったのだ。
「ま、迷うほどの道じゃないしね。城下町って基本、碁盤の目だし。行きたい方向に進めば自然そこに出るし」
「迷ったら学校に戻りゃいいんだよ」
「面倒じゃん」
「じゃ、報国寮に一緒に帰ろうぜ。もう俺、あの寮やなんだよなぁ。慣れるっていうけどさぁ。帰ったらもう出られねーし」
伊藤が言い、弥太郎が続ける。
「それキツイよなー。せめてちょっと出るくらい許せばいいのにさぁ」
「無理無理。だからギリギリまで学校に残るんだよな。部活もちょっと考えねーと、寮に戻って苛々しなきゃなんねえし」
「恭王寮は出られるの?」
幾久が尋ねると、弥太郎が出られるよ、と言う。
「一応許可がいるんだけど、許可取るの雪ちゃん先輩に、だし」
「ああ、じゃあ問題ないよな」
「でも、実は恭王寮の周りってコンビニないんだよ。住宅街の中だしさ。コンビニ行くにもけっこう歩くから、結局学校帰りに寄って帰るからそんな出ないっていうね」
どこもいいところばかりじゃないんだなあと幾久は思う。
暫く食堂で伊藤と弥太郎と喋っていると、幾久の携帯に山縣からメッセージが入った。
「オレ帰るわ。ガタ先輩から買い物頼まれた」
「おう、気をつけてな」
「二人とも帰んないの?」
幾久が尋ねると、伊藤が頷く。
「教室に戻ってヤッタと喋っとくわ。門限まで寮に戻りたくねーし」
食堂は、食事を済ませたのにまだ出て行かない人も多い。ネクタイを見ると千鳥格子が多く、なるほどな、と幾久は納得する。
「じゃ、また来週にな」
「おー」
「またねーいっくん」
二人と別れ、幾久は食堂を出て歩く。
山縣からのメッセージは『うまい棒買って来い』だった。
そんなの自分で買って帰ればいいのに、と思ったが多分もう寮に戻ってゲームにへばりついているのだろう。
コンビニは国道沿いになるので丁度良いか、と幾久はいつもと違う通学路を通って帰る事にした。
コンビニで買い物をしていると、幾久は「うわ」と思った。向こうは気付いていないが、あの「擦り寄り」といちゃもんをつけてきた奴がいるのだ。
向こうは友達らしい他校の生徒と雑誌を立ち読みしながら喋っていたのでこっちに気付いていないらしい。逃げようにも幾久はここしかまだコンビニを知らない。
見つからないようにこっそりと買い物を済ませ、店を出ようとしたその時、どん、と肩がぶつかった。
「あ、ゴメン」
見ると詰襟の学生服を着た生徒で、しかもさっき見たあの面倒な奴の友人っぽい。
思わず雑誌の場所を見たが、そいつはいなくなっている。トイレにでも隠れているのかもしれない。
「お、いってーじゃん、なんだよお前」
じろっと幾久を睨み付けてくる。
うわ、面倒なのに絡まれる、と幾久は思い、「すいません」と言いながらコンビニを出て行く。
さっと抜けて、国道への道を進むが、後ろからその生徒たちが追いかけてきた。
三人だった。
「おいおい、報国院さんー、なんなの、無視すんなよー」
「ねえねえ、どこのクラスー?」
あいつの友達なら絶対に妙にからんでくるはずだ。
はやしたててくるのを無視して進もうとした幾久の前に一人がぐるっと回りこんできた。
「だから、無視すんなって。一年鳩の、のーぎーくーん」
名札を掴んで言われる。
なんだよこいつら、とムッとして強引に抜けようとしたが、いかんせん体格がそいつらの方が上だった。
「だからさ、逃げんなよ。金とろうってんじゃないんだしさあ」
「そうそう、オトモダチになってよー、擦り寄り上手なんだろ?乃木君」
やっぱりな、と幾久は思う。
擦り寄りなんていうのはあのクラスメイトしかいない。じろっとそいつらを睨むと、詰襟の三人はニヤニヤしながら幾久を小突く。
「擦り寄り上手の乃木君、ねえねえ、俺らさあ、ネクタイないんだけど貸してよ」
言いながら幾久のネクタイを強引に引っ張る。
ばしっとその手を叩いて幾久が言う。
「あんたらにネクタイなんかいらねーだろ」
詰襟でなに言ってんだ馬鹿、と言いそうになったがそこは堪える。
「なに、いいじゃん。どうせ鳩クラスなら大事なもんでもないでしょー」
よく知ってるな、と思うが三人のうち一人がゲラゲラ笑う。
「お前、自分が千鳥しか受かんなかったからって八つ当たりだろ!」
「っせえな!こいつがいなけりゃ俺だって鳩だっつうの!」
その言葉に幾久が返す。
「オレは追加入試だから、オレのせいであんたが落されたとかありえないんだけど」
すると、ネクタイを掴んだ奴が、かっとなって幾久のネクタイを再び掴み、強引に引っ張る。
「やめろよっ!」
「うるせえ!伊藤君とダチになったからって調子こいてんじゃねーよ!」
言われて蹴っ飛ばされ、どすんと尻餅をついた。
そこで初めて、幾久はあれ?と気づく。
(擦り寄りって、鳳とか、ハル先輩に、じゃなくてトシに?なんで?)
「んで、トシが関係あるんだよ」
言うとバッグで殴られる。
「はぁ?とぼけんなテメー!伊藤君に擦り寄りしてんの、ダチに聞いて知ってんだよ!まじふざけんな」
「ふざけてんのはそっちだろ!」
言うと幾久もどすっとタックルをかませる。
喧嘩を売ってきたのは向こうのほうだから、こっちに非はないはずだ。
「うわ、なにこいつ!」
「うるさい!ネクタイ返せ!」
言いながらそいつから一度はネクタイをひったくるが、背後から押され、また盗られた。
「、の、っ」
取り返そうとすると腕をひねられ、背中に付けられた。くそ、と思ったが三対一では分が悪い。
勝利を確信した詰襟の一人が幾久に近づいた、その時。
「おい、いじめかっこ悪いぞ」
はぁ?と三人が振り向いたとき、そこに居たのは。
「児玉、君?」
幾久にあまりいい印象でない雰囲気の、恭王寮の一年鳳、児玉だった。
しかも以前に見たときより、なんだか表情が凶悪だ。
「なにがいじめだよ」
詰襟が児玉に言うが、児玉は言い返す。
「え?三人相手に一人とかいじめだろ?さっき見てたけど殴ってたじゃん」
「ハァ?てめえなんだよ!」
あーん、と古臭いヤンキーのように顎を上げるが、児玉はこともあろうに、そいつの顎をいきなりひっぱたいた。
そんなに効果があったようには見えないのに、ひっぱたかれた方はくらっと足をふらつかせた。
「べつに参加してもいいけどさ」
言いながらいきなり児玉は、詰襟の一人に自分の持っていた鞄を投げつけた。
さすがにその乱暴さに幾久は驚いてぽかんとなる。驚いたのは詰襟の三人もだったらしく、児玉の妙な雰囲気にのまれて、慌てて「おい、行くぞ!」と逃げ出した。
「ちょ、ネクタイ置いてけよ!」
幾久は怒鳴ったが、逃げる三人はうるせえバーカ、といいながら最終的にはなにがおかしいのか笑いながら逃げて行った。
その場に残された幾久と児玉は、顔を見合わせた。
児玉の表情が、少し怖い。
教室にはすでにトシが来ていて、いつものように手を上げる。
近づこうとすると、トシが立ち上がった。
「幾久の席に行こうぜ」
昨日、伊藤の席の近くの椅子を借りると不機嫌になったのがいたのを思い出し、幾久たちも頷く。
幾久の席に鞄を置き、弥太郎と伊藤とで喋る。
「昨日、あれから一緒に帰ったんだろ?」
高杉のファンだと公言する伊藤は興味津々で幾久に話を聞いてくる。
「うん、オレちょっと先輩達と喧嘩しちゃって」
「喧嘩?」
驚く弥太郎に、幾久が苦笑する。
「てか、オレが勝手に怒っただけなんだけど。トシがさ、入学式の時に話しかけてきてくれたじゃん」
「ああ」
入学式はクラスごと、その中でも寮ごとに並びが分けられていた。
一人だけ御門の幾久は最後尾だったのだが、その時に話しかけてきてくれたのが伊藤だ。
「トシが話しかけてきてくれたのって、ハル先輩に頼まれてたからなんだろ?」
「……ま、そうだけど」
「それをさ、余計なお節介ってオレがちょっと怒ってさ。ちゃんと誤解だったんだけど」
「どういう意味?」
判らずに弥太郎が尋ねてくる。
「ハル先輩が、トシに『乃木とオトモダチになってやれ』みたいな事を言ったのかってオレが勘違いして、怒った」
「ハル先輩はんな事しねーよ」
むっとして伊藤が言う。
「うん、そうだった。オレの勘違いだった。だからちゃんと謝ったよ」
「俺だって、気にいらねー奴と一緒になんかいねーし。へんな事考えんなよ幾久」
伊藤の言葉に、そうだよな、と幾久も頷く。
「ただ教室に来るのは辞めてくれって言ったけど」
「なんだと?幾久よけーな事を!ハル先輩なら来てもいいっつーの!」
「やだよ、すごい目立つじゃん。そんなに会いたいなら、ハル先輩の教室に行けばいいじゃん、トシ」
「ばっ、お前、鳩ごときが鳳の教室なんか行けるわけねーだろ!空気違いすぎだわ!治外法権だわ!」
でっかい図体の割りに慌てて伊藤が首を横に振る。
「それになんか用事があるわけでもねーしさ。そんなんで顔出しても『帰れ』って言われるだけだし」
「そうかなあ」
確かに高杉はつんけんした雰囲気はあるが、実際はそんな風でもない、と幾久は思っているが。
「お前にはハル先輩甘いんだよ。なんでかな、羨ましい」
「それガタ先輩にも言われた」
「やっぱさ、地元民じゃないから気になんじゃないの?私立たって、この学校って殆ど地元組ばっかだし。それにいっくんってちょっと見てて世話やきたくなる感じは確かにするし」
「それは確かに」
弥太郎の言葉に伊藤も頷く。
「子供っぽいっつう意味?」
昨日言われたことが思い出されて尋ねると、そうじゃないけど、と伊藤も弥太郎も言う。
「まあいいじゃん、いまはその立場に甘んじとけば。そのうち慣れたら、ちょっとは気を使えよ、みたいになるかもだし」
「そう、だよね」
一年が寮に入らないと思っていたらしいし、先輩たちも幾久の扱いをどうしていいのか判らなかったのかもしれない。
そのうち落ち着くだろうし、どうせ三ヶ月だけの付き合いだ、多分。
(多分?)
多分ってどういう意味だ、と幾久は考える。
(まさかオレ、ここにずっと居るつもりなの?)
いやいやいや、それはないわ、と幾久は思う。
確かに先輩達はお節介でもいい人、らしいし、伊藤も弥太郎もいい奴だ。
でも冷静に考えないと、この先の人生が全部決まってしまう。東京の大学に入るならそれなりの環境にいないと絶対に取り残される。
皆、『鳳』は違うと言うけれど所詮は地方の進学校レベルなら、東京に戻って別の学校を選んだほうが絶対にいい。
考えていると、幾久の机の傍に誰かが来た。
ふいっと顔を上げるとそこに居たのは、昨日幾久に『擦り寄り』と言はなったあのクラスメイトだ。
なんだ、と思っていると、伊藤に用事があったらしい。
「おはよう、伊藤」
「おお、はよ」
「なに、今日は乃木の机で会議なの」
「んー、まぁな」
伊藤が自分の席でなく、わざわざ幾久の席まで来たのは昨日こいつが不機嫌そうにしたからなのに、何を言ってるんだと幾久は思う。弥太郎も思ったらしい、幾久にちら、と目で『こいつなに?』と訴えている。
「伊藤さ、わざわざ移動しなくても、自分の席に居ればいいじゃん」
「同じ教室だし、わざわざってこともねえよな、幾久」
「あ、うん」
いきなり伊藤に言われて、幾久は頷く。するとそのクラスメイトは一気に不機嫌な顔になる。
「伊藤、気をつけたほうがいいよ。そいつ、お前に取り入ろうと必死だから。擦り寄られんなよ。先輩に遠慮してるのかもしれないけどさ。お前、いい奴だし」
突然そんな事を言われ、幾久はびっくりした。そもそも、クラスメイトといっても名前をまだ認識もしてない程度なのになぜそんな事を言われないといけないのか。
伊藤は苦笑いをして、「忠告ありがとな」と答えたが、「でさ」と幾久と話を再開させた。
(……なんだあれ)
ひょっとして、昨日不機嫌だったのは幾久が席を勝手に使っていた事に対してではなく、幾久と伊藤が仲がいいから、なのだろうか。
伊藤を見上げると、苦笑いして伊藤が幾久に言った。
「気にするなよ、幾久。お前、東京からだから、変に注目浴びてんだよ」
「そうそう、どうせそのうち混じるから、気にしないほうがいいよ!」
弥太郎もそう言うが、ありがとう、と言うしかない。
どうしてあんなに露骨に敵意を向けられるのか。
東京から来たというだけで、ああまで言われる筋合いはない。
「擦り寄りって何なんだよ」
ぼそっと文句を言う幾久に、伊藤は困った表情になる。
「あー、ハル先輩とか桂先輩とか、鳳クラスって一目置かれてるからさあ、多分そういう意味なんじゃねえの?」
うんうんと弥太郎も頷く。
「雪ちゃん先輩がいると、ついいっくんの話題になるし、雪ちゃん先輩も御門の事聞きたがるし。そういうの、あいつらも聞いてるからさあ」
弥太郎とさっきのクラスメイトは同じ恭王寮だったはずだ。
そういう所から情報が入るのだろう。
恭王寮には幾久の事を嫌いな児玉も居たから、余計にそういった事もあるのかもしれない。
こっちだって好きで関わってんじゃない、と思ったが、昨日わざわざ高杉が幾久の教室に顔を見せた理由が少しだけ判った気がした。
(面倒くさいなあ……)
御門に所属するのってけっこう大変なのかも、と幾久はうな垂れた。
今日は土曜日なので午前中で終わりだったが、部活が再開され、学食が開くということなので幾久は伊藤、弥太郎と一緒に学食で食事を取る事にした。
報国院の学食は広く、かなりのスペースがある。
運よく窓際の席が空いていたので、そこを陣取り、三人で定食を囲んだ。
「今日はハル先輩いねえの?」
「さあ。寮に戻ったか、学食に居るかだと思うけど」
高杉を心酔している伊藤は残念がるが、それでも冗談の範疇だ。
「いっくんは今日どうすんの?飯食ったら帰る?」
「うん。いつもと違う道を通ってみようかと。いっつも中の道だから、国道沿いのほう」
中の道、というのは城下町のなかを突っ切る道で、車道もあるが歩道がきちんと確保されている。
通りはほとんどが土塀で緑も多く、城下町らしい街並みだ。
一方、国道沿いは道も広いがかなり車の往来がある。
暫くとはいえここに住むのだから、ちょっとくらい道は覚えないと、と思ったのだ。
「ま、迷うほどの道じゃないしね。城下町って基本、碁盤の目だし。行きたい方向に進めば自然そこに出るし」
「迷ったら学校に戻りゃいいんだよ」
「面倒じゃん」
「じゃ、報国寮に一緒に帰ろうぜ。もう俺、あの寮やなんだよなぁ。慣れるっていうけどさぁ。帰ったらもう出られねーし」
伊藤が言い、弥太郎が続ける。
「それキツイよなー。せめてちょっと出るくらい許せばいいのにさぁ」
「無理無理。だからギリギリまで学校に残るんだよな。部活もちょっと考えねーと、寮に戻って苛々しなきゃなんねえし」
「恭王寮は出られるの?」
幾久が尋ねると、弥太郎が出られるよ、と言う。
「一応許可がいるんだけど、許可取るの雪ちゃん先輩に、だし」
「ああ、じゃあ問題ないよな」
「でも、実は恭王寮の周りってコンビニないんだよ。住宅街の中だしさ。コンビニ行くにもけっこう歩くから、結局学校帰りに寄って帰るからそんな出ないっていうね」
どこもいいところばかりじゃないんだなあと幾久は思う。
暫く食堂で伊藤と弥太郎と喋っていると、幾久の携帯に山縣からメッセージが入った。
「オレ帰るわ。ガタ先輩から買い物頼まれた」
「おう、気をつけてな」
「二人とも帰んないの?」
幾久が尋ねると、伊藤が頷く。
「教室に戻ってヤッタと喋っとくわ。門限まで寮に戻りたくねーし」
食堂は、食事を済ませたのにまだ出て行かない人も多い。ネクタイを見ると千鳥格子が多く、なるほどな、と幾久は納得する。
「じゃ、また来週にな」
「おー」
「またねーいっくん」
二人と別れ、幾久は食堂を出て歩く。
山縣からのメッセージは『うまい棒買って来い』だった。
そんなの自分で買って帰ればいいのに、と思ったが多分もう寮に戻ってゲームにへばりついているのだろう。
コンビニは国道沿いになるので丁度良いか、と幾久はいつもと違う通学路を通って帰る事にした。
コンビニで買い物をしていると、幾久は「うわ」と思った。向こうは気付いていないが、あの「擦り寄り」といちゃもんをつけてきた奴がいるのだ。
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見つからないようにこっそりと買い物を済ませ、店を出ようとしたその時、どん、と肩がぶつかった。
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見ると詰襟の学生服を着た生徒で、しかもさっき見たあの面倒な奴の友人っぽい。
思わず雑誌の場所を見たが、そいつはいなくなっている。トイレにでも隠れているのかもしれない。
「お、いってーじゃん、なんだよお前」
じろっと幾久を睨み付けてくる。
うわ、面倒なのに絡まれる、と幾久は思い、「すいません」と言いながらコンビニを出て行く。
さっと抜けて、国道への道を進むが、後ろからその生徒たちが追いかけてきた。
三人だった。
「おいおい、報国院さんー、なんなの、無視すんなよー」
「ねえねえ、どこのクラスー?」
あいつの友達なら絶対に妙にからんでくるはずだ。
はやしたててくるのを無視して進もうとした幾久の前に一人がぐるっと回りこんできた。
「だから、無視すんなって。一年鳩の、のーぎーくーん」
名札を掴んで言われる。
なんだよこいつら、とムッとして強引に抜けようとしたが、いかんせん体格がそいつらの方が上だった。
「だからさ、逃げんなよ。金とろうってんじゃないんだしさあ」
「そうそう、オトモダチになってよー、擦り寄り上手なんだろ?乃木君」
やっぱりな、と幾久は思う。
擦り寄りなんていうのはあのクラスメイトしかいない。じろっとそいつらを睨むと、詰襟の三人はニヤニヤしながら幾久を小突く。
「擦り寄り上手の乃木君、ねえねえ、俺らさあ、ネクタイないんだけど貸してよ」
言いながら幾久のネクタイを強引に引っ張る。
ばしっとその手を叩いて幾久が言う。
「あんたらにネクタイなんかいらねーだろ」
詰襟でなに言ってんだ馬鹿、と言いそうになったがそこは堪える。
「なに、いいじゃん。どうせ鳩クラスなら大事なもんでもないでしょー」
よく知ってるな、と思うが三人のうち一人がゲラゲラ笑う。
「お前、自分が千鳥しか受かんなかったからって八つ当たりだろ!」
「っせえな!こいつがいなけりゃ俺だって鳩だっつうの!」
その言葉に幾久が返す。
「オレは追加入試だから、オレのせいであんたが落されたとかありえないんだけど」
すると、ネクタイを掴んだ奴が、かっとなって幾久のネクタイを再び掴み、強引に引っ張る。
「やめろよっ!」
「うるせえ!伊藤君とダチになったからって調子こいてんじゃねーよ!」
言われて蹴っ飛ばされ、どすんと尻餅をついた。
そこで初めて、幾久はあれ?と気づく。
(擦り寄りって、鳳とか、ハル先輩に、じゃなくてトシに?なんで?)
「んで、トシが関係あるんだよ」
言うとバッグで殴られる。
「はぁ?とぼけんなテメー!伊藤君に擦り寄りしてんの、ダチに聞いて知ってんだよ!まじふざけんな」
「ふざけてんのはそっちだろ!」
言うと幾久もどすっとタックルをかませる。
喧嘩を売ってきたのは向こうのほうだから、こっちに非はないはずだ。
「うわ、なにこいつ!」
「うるさい!ネクタイ返せ!」
言いながらそいつから一度はネクタイをひったくるが、背後から押され、また盗られた。
「、の、っ」
取り返そうとすると腕をひねられ、背中に付けられた。くそ、と思ったが三対一では分が悪い。
勝利を確信した詰襟の一人が幾久に近づいた、その時。
「おい、いじめかっこ悪いぞ」
はぁ?と三人が振り向いたとき、そこに居たのは。
「児玉、君?」
幾久にあまりいい印象でない雰囲気の、恭王寮の一年鳳、児玉だった。
しかも以前に見たときより、なんだか表情が凶悪だ。
「なにがいじめだよ」
詰襟が児玉に言うが、児玉は言い返す。
「え?三人相手に一人とかいじめだろ?さっき見てたけど殴ってたじゃん」
「ハァ?てめえなんだよ!」
あーん、と古臭いヤンキーのように顎を上げるが、児玉はこともあろうに、そいつの顎をいきなりひっぱたいた。
そんなに効果があったようには見えないのに、ひっぱたかれた方はくらっと足をふらつかせた。
「べつに参加してもいいけどさ」
言いながらいきなり児玉は、詰襟の一人に自分の持っていた鞄を投げつけた。
さすがにその乱暴さに幾久は驚いてぽかんとなる。驚いたのは詰襟の三人もだったらしく、児玉の妙な雰囲気にのまれて、慌てて「おい、行くぞ!」と逃げ出した。
「ちょ、ネクタイ置いてけよ!」
幾久は怒鳴ったが、逃げる三人はうるせえバーカ、といいながら最終的にはなにがおかしいのか笑いながら逃げて行った。
その場に残された幾久と児玉は、顔を見合わせた。
児玉の表情が、少し怖い。
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