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【1】合縁奇縁~おかえりなさい、君を待ってた
春惜しむ(はるおしむ)
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「……これはひどい」
講堂に入る前から、ちょっとだけ予感はした。
というのも講堂の外まで、おっさん達の賑やかな声が聞こえていたからだ。
おまけにあろうことか、酒くさい。
「酒くっさ。おっさんくさ」
煙草のにおいがしないのがまだ救いなのか。
おっさん連中は座敷に座り、あちこちで楽しそうに喋っている。
まさに田舎の宴会場そのものだった。
ビール片手に、弁当を膝の上にのせて喋りながらつまんでいる。
さっきまでの厳粛な雰囲気はどこにいったんだと、呆れる幾久に桂が言った。
「入学式の後はこうなるんだよ。これが目当てで参加するOBも多くてさ。子供が居る訳でもないのに毎年来るOBも居るんだ」
「そうそう、んで大体、夕方までここで話した後、飲み屋に行くんだよ。ここにいるのは飲み屋が開くまでの時間潰しって聞いた」
ひどい。なんなんだこの学校は。
「……学校施設でいいんすか」
いくら飲んでいるのが大人だけだとしても、校内で飲酒はないだろう。
そう言う幾久だが、桂が説明する。
「正しくはこの講堂は学校施設じゃないんだ。あくまで学校が『借りて』いるだけで、講堂自体は個人の持ち物。だから古いけど使えるんだって」
「え?個人の?こんな立派な建物が?」
どんだけ金持ちなんだ、と驚く施設なのに。
こんな建物、学校か、地域か、国が管理してもおかしくないだろうに。
「だから学校が入学式の時に『借りて』いるだけ。そんで今は入学式は終わったから別の団体が『借りて』るんだよね。ほら、舞台。入学式の垂れ幕じゃないだろ?」
「本当だ」
さっきまで舞台の上には『入学式』の垂れ幕がかかっていたのにいつの間にか『報国院OB親睦会』になっている。
「それより父さんを探さないと」
こんな酔っ払いの中に居たくない、と思ってウロウロしていると、あからさまに怪しい団体が見えた。
(なにあれ)
大体がスーツの中で、そこだけ妙に怪しい。
それもそのはず、派手な革ジャン男に頭がおかしいとしか思えない変な柄のジャケットを着て笑っている男がいるせいだ。
栄人がすぐに気付いて言う。
「なにあれ。エアロスミス?」
「ミュージシャンじゃないか?たしかOBにそんな人いたろ?」
桂の言葉に、栄人がああ、と言う。
「いたいた。なんつったっけ、なんかバンドの人だっけ。へえ、じゃああれ芸能人か」
嫌だ。
あんな変な人たちに近づきたくないと思って背を向けようと思った瞬間。
「―――――」
ぎょっとして幾久はそこを見つめた。
その派手な、大人気ない、ロケンローラーな格好の大人の隣に、あろうことか、父が居た。
(なに話してるんだよ父さん!)
いやいや、きっとただの同級生に違いないし、たまたまあっただけかもしれないし。
それより話をしなければいけない。
この学校じゃなく転校の話をしてほしいと。早くしないと、きっと自分は流されてしまう。
この学校も悪くないかな、とか思ってはいけない。
そんな事をするときっともう大学に間に合わなくなってしまう。
「父さん!」
意を決してその団体に近づくと、よりにもよって、一番関わりたくない派手な大人が顔を上げた。
「おお!お前幾久か!乃木の息子だろ?うわーそっくり!まじまんま、高校のときの乃木じゃん!」
大人のくせにマトモな挨拶もできないのか、とむかっときたが、幾久は「はじめまして」と不機嫌そうな顔のまま挨拶をした。
「なんだよぉ、つれねーな。はじめましてじゃねーよ?お前が赤ん坊の頃に会ってんのに忘れたのかよ」
「判りません」
抑揚のない返事はもろに不機嫌さを表している。
おや、と派手な大人が少し驚いたようだった。
「乃木、息子さん」
別の大人と話していた父はやっと幾久に気付いた。
「幾久か。どうした?」
「入学式のあと、話があるって言ったじゃん。覚えてないの?」
むっとしたまま言うと、父はすまん、と頭を下げる。
「すぐ終わるならここで聞くが。どんな内容だ?」
「それは……」
話そうとすると、派手な大人が父と肩を組んで、幾久に笑いながら言った。
「幾久良かったなあ!この学校はすっごく楽しいぞ!東京なんかより絶対にこっちだって!お前をこの学校に行かせてやりたいってこいつ、昔っからそう言ってたし、もう悲願叶って親ばか炸裂……」
かちんと来たのはどこにか、なにがそんなに腹がたったのかは判らない。
でも、自分がこんなにも悩んで、考えて、どうしていいか判らなくて、父にも気を使っているというのに、東京の学校に居たかったのにどうしてこんなところでこんな事をしなければならないのか。
おまけにこんな大人気ない格好の人に馴れ馴れしく呼び捨てまでされて。
「―――――父さん。オレ、転校したいんだけど」
低く言うと、父も、派手な大人も、そしてそばに居た栄人も桂も、伊藤も児玉も固まってしまっていた。
「幾久?」
機嫌のよかった父の表情が、すっと普段の父に戻った。
「どうした。またなにかあったか?」
幾久は首を横に振る。
「入学前から考えてた。本当はさ、高校浪人が嫌だったからとりあえずここ受けたけど、オレは東京に戻りたい。……ここに居るより、東京のほうがいい。塾もあるし。レベルだって」
幾久の言葉を派手な大人が遮った。
「はぁ?お前、鳳のレベル舐めてんじゃ」
「黙ってくれ。今、親子の会話をしてるんだ」
父の真剣な声に、派手な大人は口をつぐんで、ぐしゃぐしゃと頭をかいて黙る。
「幾久、ここに座りなさい」
父に言われ、幾久は正座をする。
父も向かい合って、幾久の目を見た。
「お前が転校したいなら、それはそれでかまわない。金のことは気にしなくてもいい。お前がそう言うかも知れないって、実は考えていたからな」
幾久が驚いて父を見る。
てっきり叱られると思っていたからだ。
だが、父は微笑んで言う。
「ただ、入学式が終わった後で、『辞めたい』というのは早計すぎると思う。実際、母さんもうるさく言うだろうし、東京の学校っていうことは家に戻るってことだぞ?どうなるかは判るな?」
幾久は頷く。
またあの母のヒステリーに付き合わなければならないのはうんざりするが、そんなもの今までそうしてきたように、塾に通って遅くまでどこかで勉強すればいいだけの話だ。
どうにでもなる。
「それとな、幾久。これは単純に父さんの我侭なんだが、父さんはこの学校が好きなんだ。本当は、お前が生まれた時に真っ先に考えたのが、この学校に通わせたいって事だった。そのくらい愛着がある」
うん、と頷く。
それは幾久にも判っている。
幾久が興味を持ってからの父の行動と、嬉しそうな毎日はちゃんと見ていたからだ。
「正直に金の事を言えば、入学金も制服も高かった。今から編入すればまた別にその金もかかってくる。母さんはそれもうるさく言うだろう。でも、それよりもこの学校に息子を入れるっていうのは父さんの夢でな。ただ、お前の人生はお前のものだ。転校したいのならそれでもいい。但し、条件がある」
「条件?」
父の言葉に幾久はいつの間にかうつむいていた顔を上げた。
「そうだ。前期、一学期の間だけ、我慢してこの学校で過ごしてみないか?」
「一学期……」
「そうだ。ほんの三ヶ月だ。その間だけは我慢できるだろう?」
幾久は少し考えるが、父は言う。
「大抵の学校はすぐの編入を受け入れないし、最低でも夏休み前くらいまではここに通っておいたほうがいい。辞めてもすぐに受けさせてくれるような学校は、お前の求めるレベルでは多分ないだろう?」
それは確かにそうだった。
入試が終わってすぐ編入、なんて真似ができるなら誰も必死に入試の為にがんばったりしない。
落ちてもまたその学校に編入すればすむだけの事だからだ。
今のレベルよりも低い学校なら幾久を喜んで受けいれてくれるだろうが、それでは何の意味もない。
「幾久、父さんとの取引だ。三ヶ月、お前は父さんの夢の為に我慢をする。その代わり、三ヵ月後は自分の好きな学校に行ける。どうだ?」
どうだ、と言われても逆らえるはずがない。
お金なんか父に任せるほかないわけだし、その父にいま『お願い』されている。
それに実際、今からすぐに編入も難しいだろう。
「―――――わかった。じゃあ、そうする」
「そうか。じゃあ、話は決まったな」
ぽん、と幾久の頭に手を乗せる。
「お前の人生だっていうことを忘れるなよ、幾久。どうしたいのか、自分は本当はどういう気持ちなのか、しっかりとこの三ヶ月の間に考えなさい」
「……アリガト」
ぽつりと幾久がつぶやくと父が言った。
「幾久の先輩達、ですね?」
幾久の父の言葉に、栄人がはっとしてしゃきっと背を伸ばした。
「は、はい!二年、鳳、御門の吉田栄人です!」
「御門なら息子と同じ寮ですね。お世話になります」
ぺこ、と父が頭を下げると、栄人が慌ててまた頭を下げる。
桂が自己紹介した。
「僕は桂雪充です。三年鳳。今は恭王ですが、この前まで御門でした。こっちは一年で、報国寮の伊藤。クラスは乃木君と同じ鳩です。こっちが児玉で、一年鳳、恭王寮です」
「そうですか。短い間かもしれませんが、息子をよろしくお願いします。あと、申し訳ありませんが、この話は内密に、ということでお願いできますでしょうか」
幾久の父の言葉に、面々は顔を合わせて、はい、と頷いた。
と、またあの派手な大人が横から口出しする。
「やぁーだ乃木さんてば、子供相手になにげに口止めさせ……」
ぎろっと乃木の父が睨み付けると、革ジャンの派手な大人はすごすごと肩をすくめる。
父のそんな表情に幾久は驚く。
幾久ですら、父のそんな表情を見るのは初めてだったからだ。
と、近くに居た、またど派手な柄ジャケットに銀髪にサングラスの男性がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「気にすることないよ、そいつ激しく馬鹿だから。ごめんな馬鹿な大人で。こんな大人になっちゃいけないよ、少年達」
「なんだと?俺様を誰だと思ってやがんだてめえ!」
銀髪の男に派手な革ジャン男がつっかかるが、サングラスの男はニヤニヤしながら幾久たちに尋ねた。
「ねえ、君らピーターアートって知ってる?」
幾久たちは首を横に振る。
そんなの聞いた事がない。
そもそも、幾久は音楽に興味がない。
栄人と桂は、聞いた事があるような、ないような、微妙な表情だ。
そんな様子を見て銀髪のサングラス男がげらげらと笑う。
「ホラな!ホラな!今時のリアル高校生への認知なんかそんなもんだって!ほーら、恥ずかしい!大御所気取り、恥ずかしい!」
げらげら笑う銀髪の男に、革ジャン男は顔を手で隠しながら、ごろごろと転がって叫んでいた。
「悔しいいいいい!なんなの!アタイの頑張ってきた年月ってなんなの!紅白出場やランキング1位ってなんの意味があったっていうのおおおお!アタイは悪くないの!レコード会社の営業が悪いのよおお!不況のせいよおおおお!」
ごろんごろん転がる革ジャン男に、父が拳骨をくらわす。
本当になんというか、意外すぎる面ばかり見た気がする。
「幾久、ここはいいから帰りなさい。もしなにかあったらいつでも連絡しなさい」
「うん。ありがとう、父さん」
「こっちこそ。お前がこの学校の制服を着ている姿を見られるとは思っていなかったよ。よく似合ってる」
親とはいえ、こうも誉められるとどうにも照れる。
栄人達の手前もあって恥ずかしいので、じゃあ、と講堂を出る事にした。
講堂を出て、靴を履き、寮に戻る事になった。
「あの、すみませんでした。変な事聞かせて」
ぺこっと幾久が桂たちの前で頭を下げる。桂はいいよ、と笑った。
「なにか事情があるんだろ?別にいいよ。トシもタマも黙っててくれるし。な?」
桂に言われると、伊藤も児玉も、うん、と頷く。
「それよりさあ、折角なんだから三ヶ月楽しむ方向でいくべきだと思うんだよねおれは!」
栄人の言葉に桂もそうだな、と頷く。
「折角長州市にいるんだから、その間思う存分楽しむべきだよな。うん、僕も協力するよ。面白そうだし」
「ひょっとしたら三か月って気が変わるかもしんないし、ね、いっくん!」
「はぁ、まぁ、わかんないっすけど」
本当にそれは判らなかった。
今まで進路の事を深く考えたことなんかなかったからだ。
漠然と、中学から高校はエスカレーターで進んで、そのまま問題なければ大学へ、できれば上のレベルの大学にも進めたら、そう思っていたからだ。
(本当は、どんな気持ちかって言われても)
そんなの、父と同じくらいの職につけたらかなりいいんだろうな、程度にしか考えたことがない。
なんにしても学力なんかレベルが上のほうがいいんだし。
(あれ?でも、なんでそんな事考えたんだっけ?)
思い返せば、父に凄く憧れたからとか、父の職業がいいな、と思ったことはない気がする。
なのにどうして、そんな風に考えていたのだろうか。
(……?)
本当の気持ちを考えなさい、と言われてもいざ考えてみると、そんなもの、考えたことがあったのだろうかと不思議になる幾久だった。
講堂に入る前から、ちょっとだけ予感はした。
というのも講堂の外まで、おっさん達の賑やかな声が聞こえていたからだ。
おまけにあろうことか、酒くさい。
「酒くっさ。おっさんくさ」
煙草のにおいがしないのがまだ救いなのか。
おっさん連中は座敷に座り、あちこちで楽しそうに喋っている。
まさに田舎の宴会場そのものだった。
ビール片手に、弁当を膝の上にのせて喋りながらつまんでいる。
さっきまでの厳粛な雰囲気はどこにいったんだと、呆れる幾久に桂が言った。
「入学式の後はこうなるんだよ。これが目当てで参加するOBも多くてさ。子供が居る訳でもないのに毎年来るOBも居るんだ」
「そうそう、んで大体、夕方までここで話した後、飲み屋に行くんだよ。ここにいるのは飲み屋が開くまでの時間潰しって聞いた」
ひどい。なんなんだこの学校は。
「……学校施設でいいんすか」
いくら飲んでいるのが大人だけだとしても、校内で飲酒はないだろう。
そう言う幾久だが、桂が説明する。
「正しくはこの講堂は学校施設じゃないんだ。あくまで学校が『借りて』いるだけで、講堂自体は個人の持ち物。だから古いけど使えるんだって」
「え?個人の?こんな立派な建物が?」
どんだけ金持ちなんだ、と驚く施設なのに。
こんな建物、学校か、地域か、国が管理してもおかしくないだろうに。
「だから学校が入学式の時に『借りて』いるだけ。そんで今は入学式は終わったから別の団体が『借りて』るんだよね。ほら、舞台。入学式の垂れ幕じゃないだろ?」
「本当だ」
さっきまで舞台の上には『入学式』の垂れ幕がかかっていたのにいつの間にか『報国院OB親睦会』になっている。
「それより父さんを探さないと」
こんな酔っ払いの中に居たくない、と思ってウロウロしていると、あからさまに怪しい団体が見えた。
(なにあれ)
大体がスーツの中で、そこだけ妙に怪しい。
それもそのはず、派手な革ジャン男に頭がおかしいとしか思えない変な柄のジャケットを着て笑っている男がいるせいだ。
栄人がすぐに気付いて言う。
「なにあれ。エアロスミス?」
「ミュージシャンじゃないか?たしかOBにそんな人いたろ?」
桂の言葉に、栄人がああ、と言う。
「いたいた。なんつったっけ、なんかバンドの人だっけ。へえ、じゃああれ芸能人か」
嫌だ。
あんな変な人たちに近づきたくないと思って背を向けようと思った瞬間。
「―――――」
ぎょっとして幾久はそこを見つめた。
その派手な、大人気ない、ロケンローラーな格好の大人の隣に、あろうことか、父が居た。
(なに話してるんだよ父さん!)
いやいや、きっとただの同級生に違いないし、たまたまあっただけかもしれないし。
それより話をしなければいけない。
この学校じゃなく転校の話をしてほしいと。早くしないと、きっと自分は流されてしまう。
この学校も悪くないかな、とか思ってはいけない。
そんな事をするときっともう大学に間に合わなくなってしまう。
「父さん!」
意を決してその団体に近づくと、よりにもよって、一番関わりたくない派手な大人が顔を上げた。
「おお!お前幾久か!乃木の息子だろ?うわーそっくり!まじまんま、高校のときの乃木じゃん!」
大人のくせにマトモな挨拶もできないのか、とむかっときたが、幾久は「はじめまして」と不機嫌そうな顔のまま挨拶をした。
「なんだよぉ、つれねーな。はじめましてじゃねーよ?お前が赤ん坊の頃に会ってんのに忘れたのかよ」
「判りません」
抑揚のない返事はもろに不機嫌さを表している。
おや、と派手な大人が少し驚いたようだった。
「乃木、息子さん」
別の大人と話していた父はやっと幾久に気付いた。
「幾久か。どうした?」
「入学式のあと、話があるって言ったじゃん。覚えてないの?」
むっとしたまま言うと、父はすまん、と頭を下げる。
「すぐ終わるならここで聞くが。どんな内容だ?」
「それは……」
話そうとすると、派手な大人が父と肩を組んで、幾久に笑いながら言った。
「幾久良かったなあ!この学校はすっごく楽しいぞ!東京なんかより絶対にこっちだって!お前をこの学校に行かせてやりたいってこいつ、昔っからそう言ってたし、もう悲願叶って親ばか炸裂……」
かちんと来たのはどこにか、なにがそんなに腹がたったのかは判らない。
でも、自分がこんなにも悩んで、考えて、どうしていいか判らなくて、父にも気を使っているというのに、東京の学校に居たかったのにどうしてこんなところでこんな事をしなければならないのか。
おまけにこんな大人気ない格好の人に馴れ馴れしく呼び捨てまでされて。
「―――――父さん。オレ、転校したいんだけど」
低く言うと、父も、派手な大人も、そしてそばに居た栄人も桂も、伊藤も児玉も固まってしまっていた。
「幾久?」
機嫌のよかった父の表情が、すっと普段の父に戻った。
「どうした。またなにかあったか?」
幾久は首を横に振る。
「入学前から考えてた。本当はさ、高校浪人が嫌だったからとりあえずここ受けたけど、オレは東京に戻りたい。……ここに居るより、東京のほうがいい。塾もあるし。レベルだって」
幾久の言葉を派手な大人が遮った。
「はぁ?お前、鳳のレベル舐めてんじゃ」
「黙ってくれ。今、親子の会話をしてるんだ」
父の真剣な声に、派手な大人は口をつぐんで、ぐしゃぐしゃと頭をかいて黙る。
「幾久、ここに座りなさい」
父に言われ、幾久は正座をする。
父も向かい合って、幾久の目を見た。
「お前が転校したいなら、それはそれでかまわない。金のことは気にしなくてもいい。お前がそう言うかも知れないって、実は考えていたからな」
幾久が驚いて父を見る。
てっきり叱られると思っていたからだ。
だが、父は微笑んで言う。
「ただ、入学式が終わった後で、『辞めたい』というのは早計すぎると思う。実際、母さんもうるさく言うだろうし、東京の学校っていうことは家に戻るってことだぞ?どうなるかは判るな?」
幾久は頷く。
またあの母のヒステリーに付き合わなければならないのはうんざりするが、そんなもの今までそうしてきたように、塾に通って遅くまでどこかで勉強すればいいだけの話だ。
どうにでもなる。
「それとな、幾久。これは単純に父さんの我侭なんだが、父さんはこの学校が好きなんだ。本当は、お前が生まれた時に真っ先に考えたのが、この学校に通わせたいって事だった。そのくらい愛着がある」
うん、と頷く。
それは幾久にも判っている。
幾久が興味を持ってからの父の行動と、嬉しそうな毎日はちゃんと見ていたからだ。
「正直に金の事を言えば、入学金も制服も高かった。今から編入すればまた別にその金もかかってくる。母さんはそれもうるさく言うだろう。でも、それよりもこの学校に息子を入れるっていうのは父さんの夢でな。ただ、お前の人生はお前のものだ。転校したいのならそれでもいい。但し、条件がある」
「条件?」
父の言葉に幾久はいつの間にかうつむいていた顔を上げた。
「そうだ。前期、一学期の間だけ、我慢してこの学校で過ごしてみないか?」
「一学期……」
「そうだ。ほんの三ヶ月だ。その間だけは我慢できるだろう?」
幾久は少し考えるが、父は言う。
「大抵の学校はすぐの編入を受け入れないし、最低でも夏休み前くらいまではここに通っておいたほうがいい。辞めてもすぐに受けさせてくれるような学校は、お前の求めるレベルでは多分ないだろう?」
それは確かにそうだった。
入試が終わってすぐ編入、なんて真似ができるなら誰も必死に入試の為にがんばったりしない。
落ちてもまたその学校に編入すればすむだけの事だからだ。
今のレベルよりも低い学校なら幾久を喜んで受けいれてくれるだろうが、それでは何の意味もない。
「幾久、父さんとの取引だ。三ヶ月、お前は父さんの夢の為に我慢をする。その代わり、三ヵ月後は自分の好きな学校に行ける。どうだ?」
どうだ、と言われても逆らえるはずがない。
お金なんか父に任せるほかないわけだし、その父にいま『お願い』されている。
それに実際、今からすぐに編入も難しいだろう。
「―――――わかった。じゃあ、そうする」
「そうか。じゃあ、話は決まったな」
ぽん、と幾久の頭に手を乗せる。
「お前の人生だっていうことを忘れるなよ、幾久。どうしたいのか、自分は本当はどういう気持ちなのか、しっかりとこの三ヶ月の間に考えなさい」
「……アリガト」
ぽつりと幾久がつぶやくと父が言った。
「幾久の先輩達、ですね?」
幾久の父の言葉に、栄人がはっとしてしゃきっと背を伸ばした。
「は、はい!二年、鳳、御門の吉田栄人です!」
「御門なら息子と同じ寮ですね。お世話になります」
ぺこ、と父が頭を下げると、栄人が慌ててまた頭を下げる。
桂が自己紹介した。
「僕は桂雪充です。三年鳳。今は恭王ですが、この前まで御門でした。こっちは一年で、報国寮の伊藤。クラスは乃木君と同じ鳩です。こっちが児玉で、一年鳳、恭王寮です」
「そうですか。短い間かもしれませんが、息子をよろしくお願いします。あと、申し訳ありませんが、この話は内密に、ということでお願いできますでしょうか」
幾久の父の言葉に、面々は顔を合わせて、はい、と頷いた。
と、またあの派手な大人が横から口出しする。
「やぁーだ乃木さんてば、子供相手になにげに口止めさせ……」
ぎろっと乃木の父が睨み付けると、革ジャンの派手な大人はすごすごと肩をすくめる。
父のそんな表情に幾久は驚く。
幾久ですら、父のそんな表情を見るのは初めてだったからだ。
と、近くに居た、またど派手な柄ジャケットに銀髪にサングラスの男性がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「気にすることないよ、そいつ激しく馬鹿だから。ごめんな馬鹿な大人で。こんな大人になっちゃいけないよ、少年達」
「なんだと?俺様を誰だと思ってやがんだてめえ!」
銀髪の男に派手な革ジャン男がつっかかるが、サングラスの男はニヤニヤしながら幾久たちに尋ねた。
「ねえ、君らピーターアートって知ってる?」
幾久たちは首を横に振る。
そんなの聞いた事がない。
そもそも、幾久は音楽に興味がない。
栄人と桂は、聞いた事があるような、ないような、微妙な表情だ。
そんな様子を見て銀髪のサングラス男がげらげらと笑う。
「ホラな!ホラな!今時のリアル高校生への認知なんかそんなもんだって!ほーら、恥ずかしい!大御所気取り、恥ずかしい!」
げらげら笑う銀髪の男に、革ジャン男は顔を手で隠しながら、ごろごろと転がって叫んでいた。
「悔しいいいいい!なんなの!アタイの頑張ってきた年月ってなんなの!紅白出場やランキング1位ってなんの意味があったっていうのおおおお!アタイは悪くないの!レコード会社の営業が悪いのよおお!不況のせいよおおおお!」
ごろんごろん転がる革ジャン男に、父が拳骨をくらわす。
本当になんというか、意外すぎる面ばかり見た気がする。
「幾久、ここはいいから帰りなさい。もしなにかあったらいつでも連絡しなさい」
「うん。ありがとう、父さん」
「こっちこそ。お前がこの学校の制服を着ている姿を見られるとは思っていなかったよ。よく似合ってる」
親とはいえ、こうも誉められるとどうにも照れる。
栄人達の手前もあって恥ずかしいので、じゃあ、と講堂を出る事にした。
講堂を出て、靴を履き、寮に戻る事になった。
「あの、すみませんでした。変な事聞かせて」
ぺこっと幾久が桂たちの前で頭を下げる。桂はいいよ、と笑った。
「なにか事情があるんだろ?別にいいよ。トシもタマも黙っててくれるし。な?」
桂に言われると、伊藤も児玉も、うん、と頷く。
「それよりさあ、折角なんだから三ヶ月楽しむ方向でいくべきだと思うんだよねおれは!」
栄人の言葉に桂もそうだな、と頷く。
「折角長州市にいるんだから、その間思う存分楽しむべきだよな。うん、僕も協力するよ。面白そうだし」
「ひょっとしたら三か月って気が変わるかもしんないし、ね、いっくん!」
「はぁ、まぁ、わかんないっすけど」
本当にそれは判らなかった。
今まで進路の事を深く考えたことなんかなかったからだ。
漠然と、中学から高校はエスカレーターで進んで、そのまま問題なければ大学へ、できれば上のレベルの大学にも進めたら、そう思っていたからだ。
(本当は、どんな気持ちかって言われても)
そんなの、父と同じくらいの職につけたらかなりいいんだろうな、程度にしか考えたことがない。
なんにしても学力なんかレベルが上のほうがいいんだし。
(あれ?でも、なんでそんな事考えたんだっけ?)
思い返せば、父に凄く憧れたからとか、父の職業がいいな、と思ったことはない気がする。
なのにどうして、そんな風に考えていたのだろうか。
(……?)
本当の気持ちを考えなさい、と言われてもいざ考えてみると、そんなもの、考えたことがあったのだろうかと不思議になる幾久だった。
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