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【1】合縁奇縁~おかえりなさい、君を待ってた
いざ、入学式へ
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食事中の二人をおいて、栄人が洗い物を始めたので幾久も手伝った。
そうこうするうちに久坂も起きてきて、意外な事に久坂の朝食の仕度は高杉がやっていた。
山縣は、久坂が出てきた途端、さっさと食事を済ませ、まだコーヒーの入ったマグカップを握って部屋に篭ってしまったらしい。
久坂はずっと寝ぼけたままなのか、黙ったまま用意された食事を黙々と口に運んでいて、幾久の挨拶も聞こえてないようだった。
「瑞祥起きたから、次は居間の布団をなお……片付けるよ!」
幾久に判るように栄人が言いなおす。が、幾久はちょっと笑って言った。
「なおす、で判りますよ。覚えましたもん」
「あ、そお?」
布団はすでに、畳まれていたので、栄人と幾久は押入れまでそれを運んだ。
「栄人先輩って、親切っすね」
まだ二日程度しか関わっていないが、よくやっているな、と思う。
確かに最初はだまされて山登りをさせられたが、寮の中で一番くるくると動き回っているのは栄人だ。
雑務というか、細かい片付けや、食器を洗ったり、そういうちょっと嫌な仕事は全部栄人がやっているように見える。
「おれ、貧乏性なんだよね。なんか動いて仕事してないと勿体無いとか思ってさあ」
「面倒じゃないですか?」
「まあ、面倒っちゃ面倒だけど、ここでさっと片付けとけば後が面倒じゃないなーとか」
「茶碗とか、けっこう洗ってましたし」
「いっくんよく見てんね。うん、あれは茶碗が痛むのが嫌でさ。あいつらは気にしないっぽいけど」
コーヒーを飲んだり、お茶を飲んだり。
そうすると人数が五人も居れば自然とカップが溜まる。
テーブルの上に置きっぱなしだったりするそれをさっと片付けるのは栄人が殆どだ。
大体、皆シンクまでは持って行くが、洗っているのは今のところ幾久だけで、あとはほぼ、栄人がやっている。
「いっくんも気にしなくていいよ。ま、自分のものは自分でやってくれたらありがたいけど」
「自分のくらい洗うっす」
けど、と幾久は言う。
「他の人もそれ位したらいいのに」
そしたら栄人の仕事は減る。
そう言いたかったのだが。
「いやー別にいいって。あいつらだってできるときゃやってるし。おれが気にしないの知ってて置いてるわけだし」
「栄人先輩ってなんでそんなに世話焼きなんすか?」
「お兄ちゃんだからかなー。おれ、下に弟いるんだ。母子家庭だし、必然的に弟の面倒見てたし」
母子家庭、という言葉に幾久は引っかかった。
これはひょっとしなくてもプライベートな事で、あまり聞いてはいけないような気がする。だが、栄人は気にしないのか続けた。
「誰かの世話すんの嫌いじゃないし、それにまあ、ハルと瑞祥とはつきあい長いからねえ」
「そうなんすか?」
「そうそう。物心つく前くらいのおつきあいよあの二人。おれも幼稚園は一緒だったけど、あいつらと本格的につるむようになったのは小学生くらいからかな」
「へえ」
なんだかいいな、と幾久は思う。
そういう、昔からの幼馴染、というのにはちょっと憧れがある。
「山縣は中学が同じだけど、学年違うと付き合いないし」
確かに、この近辺に住んでいれば皆同じ中学に行っているから、それはそうなのか、と幾久は納得する。
そんな雑談をしながら、幾久は栄人の手伝いをしたが、まさに寮母さんの仕事みたいだった。
布団を押入れに突っ込み、寮、というか屋敷中の窓を開け、洗濯をしながら散らかった部屋を簡単に片付け、洗濯物を干す。けっこうな労働だ。
そうこうするうちに着替える時間になった。
昨日、高杉達に教わってはいたものの、やはりこの面倒な制服は少々厄介だ。
シャツを着て、トラウザースをはき、ブレイシーズをつける。
着ながら言葉を反復してみたものの、言いなれない。
「ズボンはトラウザース、サスペンダーは、ブレイシーズ……」
ぶつぶつと呟く幾久に栄人が笑う。
「普段はそんな使い方しないけどね。ま、豆知識みたいなもんだと思って!」
カフスボタンをとめ、かっちりと髪をまとめる。
「入学式には、親御さんは?」
「父が来ます。OBなんで」
メッセージでやりとりしたが、父は同級生との約束があるとかで、会場で落ち合うことになっている。
一応、入学式の後に話があるとは伝えたが、果たして真剣に取り合ってくれるかどうか。
着替えをすませ、姿見の前に立った。
「お、いいじゃんいいじゃん!やっぱ新しい制服って、気持ちがぴっとするよね!」
「なんか、制服っていうより、ほんと軍服って感じっすよね」
制服はどこでも一年生の時は大きくて、いかにも新入生という雰囲気があるはずなのに、この制服にはそれがない。
「そりゃそうでしょ、オーダーなんだから」
「普通制服ってそうっすよね?」
どこでも制服がある学校はそんなものだろうと幾久は思うが、栄人は首を横に振った。
「ちがうちがう。そういうお仕着せのオーダーじゃなくってさ、フルオーダーってこと。制服の採寸のとき、めっちゃあちこち採寸しなかった?」
「しましたけど」
制服の採寸にしてはやけにあちこち調べるなあとは思ったが。
「だから、あれ全部個人に合わせてオーダーしてんの。シャツとかすごいぴったりっしょ?」
確かに初めて着た昨日も、やけに着心地がいいな、とは思ったがてっきり素材がいいものだと思っていた。
「着続けたらそのうち判るよ。体に合わせてあるから凄いなじむし、しわもつかないし。ま、その分制服はお高いけどねー」
「そんな高いんすか」
「高い高い。でもまあ、ブランド品とかじゃないから、その分安いとは聞いたけど」
どっちなんだ、と思ったが栄人も詳しくは判らないのだろう。
話をするうちに、出かける時間になった。
栄人も制服に着替える。ネクタイは黒だ。
「式典関係は全員黒なんだよ」
さすがにここから帽子をかぶっていくのは恥ずかしい、と言うと栄人も俺も、と笑う。
二人ぶんの帽子を栄人の手提げに入れて、玄関で靴を履く。
靴も決まっていて、きちんとした黒の革靴でないといけないらしい。
一体これらにいくらかかったのか、考えると父に「転校したい」というのも気が引ける。
(いやいや、駄目だろ!ここはやっぱちゃんと希望通さないと)
なにせ高校時代なんて、一生がかかっているといっても過言じゃない。
いい大学、最低でも元居た学校の大学レベルでないと自分でも納得できない。
勿論、元の学校に戻るつもりは毛頭無いし、大学だってそこを選ぶつもりはなかったが。
「じゃ、行ってきまあす」
そう叫んで、玄関の引き戸を閉め、鍵をかける。
「なんで鍵、かけるんすか?」
寮にはまだ久坂と高杉に山縣もいるはずだ。
だが、栄人は言った。
「ガタは部屋に篭るから居ても意味ないし、ハルと瑞祥は出かけたはず。さっき見たけど靴なかったし」
ああ、それと、と栄人が言う。
「本当は今日、いっくんの鍵作るつもりだったけど、どうする?」
それは、この寮にこの先も居るのか、という意味だ。
じっとみつめてくる栄人に幾久はぼそりと答えた。
「わかんないっす、まだ」
正直言えば、東京に戻るつもりだ。
一旦入学してしまったから、早々編入はさせてもらえないだろうけれど、できれば早く戻りたい。
でも戻るという事は、用意したこの制服とか、荷物とか、鍵とか、そういったものが無駄になってしまうということだ。
幾久が東京に戻りたいと思っているのをこの寮の人は皆知っている。
「じゃ、暫く作らないでおこっか。勿体無いしね」
スミマセン、と答えると別にいいよ、と返される。
「別におれが損したり得したりする訳じゃないし、いっくんだって気が変わるかもしんないしね」
そんなことあるのだろうか、と幾久は思う。
こんな田舎で、しかもこの寮に一年生は自分ひとりで、先輩達はなんか癖があって。
もし他の寮なら、他にも一年生が居て一緒に学校へ行ったりとか、話したりもできたかもしれなかったのに。ここはあまりにもこれまでの自分の生活と違いすぎる。
寮の敷地内を出て、門の前に着いた。
まるでお城の門のような立派な門はしっかりと閉じられている。
(赤門よりもでかいよなあ)
東大にあるあの赤門を幾久は母と見に行ったことがあったが、それよりも立派のような気がする。
通用門から出て、栄人はそこにも鍵をかける。
「普段は麗子さんがいるからここまでしなくてもいいんだけどね」
鍵をかけ、二人は学校へ向かって歩き出した。
方向は、この寮に来た山道とは真逆の方向へ向かった。
本当に全然別の道だったんだな、と今更ながら栄人に少し呆れる。
学校までの道のりは、高杉が言ったように、平坦そのものだった。
国道沿いを少し歩き、細い道へと入っていく。
生活道路らしいが、車は遠慮なしに通っている。
細い道を通ると、やがて城下町らしい土塀が続く通りに入った。
まっすぐに道路が通っていて、道路をはさむ両側の家は殆どが土塀だった。
「ほんと時代劇みたいッスよね」
「これでも随分開発が進んじゃったけどね」
「昔は武家屋敷とかあったんですか?」
土塀に日本家屋なんてすごくかっこいいなと思い尋ねたが。
「残念ながら、戦争で焼かれたりとかその後にも大きな火事があったりで残らなかったみたい。天皇陛下も来られたっていうくらいだから、相当大変だったんだろうなとしか」
「なんで天皇陛下が?」
「災害レベルだったってことっしょ」
ああそれでか、と幾久は納得する。
「この見える場所、全部が焼けたくらいひどかったらしいよ」
残念だなあと幾久は思う。
「こんな土塀に武家屋敷が並んでいたら、かなり迫力ありそうなのに、勿体ないッスね」
土塀の向こうに見えるのはどれも最近建てられたような、モダンな家ばかりだ。
それでも街中には城下町だという雰囲気を残すものがいくつもある。
川の欄干も木で出来ていて、まるで神社の中のようだし、中道の道沿いには桜が植えてあって、いままさに花をつけていた。
「散歩したいなあ」
独り言のように呟く。花見なんかここ何年も出かけていない。
「じゃ、帰りあっちの道通ってみよっか」
桜並木の続く通りを指さして栄人が言った。
「いいんすか?」
「いいよそんくらい。そうだなあ、じゃ、弁当も外で食うか」
「弁当?」
なんのことだ、と幾久が目を丸くすると、栄人が言った。
「あれ?言ってなかったっけ?入学式の後、弁当が出るんだよ。新入生全員と、あと寮の代表もね」
「寮の代表?」
「そそ。おれみたいに新入生の世話役で、寮の代表とか、でかい寮は何人か代表とプラスで出るわけ。で、出ると弁当と饅頭がもらえるって言う」
「はー……」
田舎だ。
なんかすごい牧歌的だ。
弁当に饅頭とかそんな入学式、聞いた事もない。
「それで入学式、昼前からなんですね」
「や、違う違う。入学式は二回あるから」
「へ?」
またこの学校は妙な事をするのかと思った幾久に栄人が言う。
「じゃなくて、午前早くは千鳥クラスの入学式。
その後にまとめて鳩、鷹、鳳の入学式ってなってんの」
「そんなに人数多いんすか?」
「っていうか、講堂が狭いんだよ。あと、式の内容もちょっと違うし。まあ、行けば判るって」
「はあ」
そう話しているうちに、学校の門の前、つまり神社の鳥居の前に到着した。
さすがに敷地内に入ると人が多い。
ぱりっとした制服で一年生がすぐにわかった。
鳥居の横には受付があり、そこで在校生が新入生の受付をしていた。
「受付しますので、クラスと名前と、寮名をお願いします」
受付の在校生に尋ねられたが、幾久が言う前に栄人が答えた。
「鳩。乃木幾久。御門」
在校生が名簿にチェックを入れた。
「はい、受付おわりです。ご入学おめでとうございます」
そして差し出されたのは紙袋だ。中には式次第や、校内の案内図やパンフレットなどが入っていた。
ちいさい白い箱もある。
中身が気になったが、封がしてあるのでいま開けられない。
ぺこ、と頭を下げると、在校生が胸章を取り出した。
紅白の小さな胸章だ。
「あ、いいよ、こっちでつけます」
ひょいと栄人が胸章を受け取り、幾久の制服の胸の部分につけてくれた。
「式が終わったら学校の食堂で弁当もらえるから、そっから合流しよ。食堂の、いっちゃん奥、覚えてる?一昨日いっくんが座ってたあたり」
「あ、ハイ」
入寮式のとき、ぼっちで座っていた場所だろう。
「あのあたりのテーブルに居るからさ、弁当受け取ったらそこ来て。スマホ持ってるよね?」
「あります」
この学校はスマホの持ち込みも使用も禁止されてない。
「じゃ、講堂まで一緒、式が終わったら食堂にね」
「判りました」
「あといっくん、帽子!」
「あ、はい」
帽子を受け取り、それを被る。
栄人も帽子をかぶり、講堂へ近づく。
「じゃ、あとで食堂!」
「……はい!」
ばいばいと大きく手を振り、栄人が遠ざかった。
ここからはひとりで行かなくてはいけない。
(ま、大丈夫だろ)
別に周りを気にしなくても、入学式なんか二時間もないはずだ。
適当に話を聞いて、適当にあわせて、弁当貰って食堂で食べて帰れば、それで今日はおしまい。どうせこの学校に長く居るつもりはないのだから、そこまで真剣に考えることもない。
そしてそう思っていた幾久は、さして時間がたたないうちに、また新しい世界を知るのだった。
そうこうするうちに久坂も起きてきて、意外な事に久坂の朝食の仕度は高杉がやっていた。
山縣は、久坂が出てきた途端、さっさと食事を済ませ、まだコーヒーの入ったマグカップを握って部屋に篭ってしまったらしい。
久坂はずっと寝ぼけたままなのか、黙ったまま用意された食事を黙々と口に運んでいて、幾久の挨拶も聞こえてないようだった。
「瑞祥起きたから、次は居間の布団をなお……片付けるよ!」
幾久に判るように栄人が言いなおす。が、幾久はちょっと笑って言った。
「なおす、で判りますよ。覚えましたもん」
「あ、そお?」
布団はすでに、畳まれていたので、栄人と幾久は押入れまでそれを運んだ。
「栄人先輩って、親切っすね」
まだ二日程度しか関わっていないが、よくやっているな、と思う。
確かに最初はだまされて山登りをさせられたが、寮の中で一番くるくると動き回っているのは栄人だ。
雑務というか、細かい片付けや、食器を洗ったり、そういうちょっと嫌な仕事は全部栄人がやっているように見える。
「おれ、貧乏性なんだよね。なんか動いて仕事してないと勿体無いとか思ってさあ」
「面倒じゃないですか?」
「まあ、面倒っちゃ面倒だけど、ここでさっと片付けとけば後が面倒じゃないなーとか」
「茶碗とか、けっこう洗ってましたし」
「いっくんよく見てんね。うん、あれは茶碗が痛むのが嫌でさ。あいつらは気にしないっぽいけど」
コーヒーを飲んだり、お茶を飲んだり。
そうすると人数が五人も居れば自然とカップが溜まる。
テーブルの上に置きっぱなしだったりするそれをさっと片付けるのは栄人が殆どだ。
大体、皆シンクまでは持って行くが、洗っているのは今のところ幾久だけで、あとはほぼ、栄人がやっている。
「いっくんも気にしなくていいよ。ま、自分のものは自分でやってくれたらありがたいけど」
「自分のくらい洗うっす」
けど、と幾久は言う。
「他の人もそれ位したらいいのに」
そしたら栄人の仕事は減る。
そう言いたかったのだが。
「いやー別にいいって。あいつらだってできるときゃやってるし。おれが気にしないの知ってて置いてるわけだし」
「栄人先輩ってなんでそんなに世話焼きなんすか?」
「お兄ちゃんだからかなー。おれ、下に弟いるんだ。母子家庭だし、必然的に弟の面倒見てたし」
母子家庭、という言葉に幾久は引っかかった。
これはひょっとしなくてもプライベートな事で、あまり聞いてはいけないような気がする。だが、栄人は気にしないのか続けた。
「誰かの世話すんの嫌いじゃないし、それにまあ、ハルと瑞祥とはつきあい長いからねえ」
「そうなんすか?」
「そうそう。物心つく前くらいのおつきあいよあの二人。おれも幼稚園は一緒だったけど、あいつらと本格的につるむようになったのは小学生くらいからかな」
「へえ」
なんだかいいな、と幾久は思う。
そういう、昔からの幼馴染、というのにはちょっと憧れがある。
「山縣は中学が同じだけど、学年違うと付き合いないし」
確かに、この近辺に住んでいれば皆同じ中学に行っているから、それはそうなのか、と幾久は納得する。
そんな雑談をしながら、幾久は栄人の手伝いをしたが、まさに寮母さんの仕事みたいだった。
布団を押入れに突っ込み、寮、というか屋敷中の窓を開け、洗濯をしながら散らかった部屋を簡単に片付け、洗濯物を干す。けっこうな労働だ。
そうこうするうちに着替える時間になった。
昨日、高杉達に教わってはいたものの、やはりこの面倒な制服は少々厄介だ。
シャツを着て、トラウザースをはき、ブレイシーズをつける。
着ながら言葉を反復してみたものの、言いなれない。
「ズボンはトラウザース、サスペンダーは、ブレイシーズ……」
ぶつぶつと呟く幾久に栄人が笑う。
「普段はそんな使い方しないけどね。ま、豆知識みたいなもんだと思って!」
カフスボタンをとめ、かっちりと髪をまとめる。
「入学式には、親御さんは?」
「父が来ます。OBなんで」
メッセージでやりとりしたが、父は同級生との約束があるとかで、会場で落ち合うことになっている。
一応、入学式の後に話があるとは伝えたが、果たして真剣に取り合ってくれるかどうか。
着替えをすませ、姿見の前に立った。
「お、いいじゃんいいじゃん!やっぱ新しい制服って、気持ちがぴっとするよね!」
「なんか、制服っていうより、ほんと軍服って感じっすよね」
制服はどこでも一年生の時は大きくて、いかにも新入生という雰囲気があるはずなのに、この制服にはそれがない。
「そりゃそうでしょ、オーダーなんだから」
「普通制服ってそうっすよね?」
どこでも制服がある学校はそんなものだろうと幾久は思うが、栄人は首を横に振った。
「ちがうちがう。そういうお仕着せのオーダーじゃなくってさ、フルオーダーってこと。制服の採寸のとき、めっちゃあちこち採寸しなかった?」
「しましたけど」
制服の採寸にしてはやけにあちこち調べるなあとは思ったが。
「だから、あれ全部個人に合わせてオーダーしてんの。シャツとかすごいぴったりっしょ?」
確かに初めて着た昨日も、やけに着心地がいいな、とは思ったがてっきり素材がいいものだと思っていた。
「着続けたらそのうち判るよ。体に合わせてあるから凄いなじむし、しわもつかないし。ま、その分制服はお高いけどねー」
「そんな高いんすか」
「高い高い。でもまあ、ブランド品とかじゃないから、その分安いとは聞いたけど」
どっちなんだ、と思ったが栄人も詳しくは判らないのだろう。
話をするうちに、出かける時間になった。
栄人も制服に着替える。ネクタイは黒だ。
「式典関係は全員黒なんだよ」
さすがにここから帽子をかぶっていくのは恥ずかしい、と言うと栄人も俺も、と笑う。
二人ぶんの帽子を栄人の手提げに入れて、玄関で靴を履く。
靴も決まっていて、きちんとした黒の革靴でないといけないらしい。
一体これらにいくらかかったのか、考えると父に「転校したい」というのも気が引ける。
(いやいや、駄目だろ!ここはやっぱちゃんと希望通さないと)
なにせ高校時代なんて、一生がかかっているといっても過言じゃない。
いい大学、最低でも元居た学校の大学レベルでないと自分でも納得できない。
勿論、元の学校に戻るつもりは毛頭無いし、大学だってそこを選ぶつもりはなかったが。
「じゃ、行ってきまあす」
そう叫んで、玄関の引き戸を閉め、鍵をかける。
「なんで鍵、かけるんすか?」
寮にはまだ久坂と高杉に山縣もいるはずだ。
だが、栄人は言った。
「ガタは部屋に篭るから居ても意味ないし、ハルと瑞祥は出かけたはず。さっき見たけど靴なかったし」
ああ、それと、と栄人が言う。
「本当は今日、いっくんの鍵作るつもりだったけど、どうする?」
それは、この寮にこの先も居るのか、という意味だ。
じっとみつめてくる栄人に幾久はぼそりと答えた。
「わかんないっす、まだ」
正直言えば、東京に戻るつもりだ。
一旦入学してしまったから、早々編入はさせてもらえないだろうけれど、できれば早く戻りたい。
でも戻るという事は、用意したこの制服とか、荷物とか、鍵とか、そういったものが無駄になってしまうということだ。
幾久が東京に戻りたいと思っているのをこの寮の人は皆知っている。
「じゃ、暫く作らないでおこっか。勿体無いしね」
スミマセン、と答えると別にいいよ、と返される。
「別におれが損したり得したりする訳じゃないし、いっくんだって気が変わるかもしんないしね」
そんなことあるのだろうか、と幾久は思う。
こんな田舎で、しかもこの寮に一年生は自分ひとりで、先輩達はなんか癖があって。
もし他の寮なら、他にも一年生が居て一緒に学校へ行ったりとか、話したりもできたかもしれなかったのに。ここはあまりにもこれまでの自分の生活と違いすぎる。
寮の敷地内を出て、門の前に着いた。
まるでお城の門のような立派な門はしっかりと閉じられている。
(赤門よりもでかいよなあ)
東大にあるあの赤門を幾久は母と見に行ったことがあったが、それよりも立派のような気がする。
通用門から出て、栄人はそこにも鍵をかける。
「普段は麗子さんがいるからここまでしなくてもいいんだけどね」
鍵をかけ、二人は学校へ向かって歩き出した。
方向は、この寮に来た山道とは真逆の方向へ向かった。
本当に全然別の道だったんだな、と今更ながら栄人に少し呆れる。
学校までの道のりは、高杉が言ったように、平坦そのものだった。
国道沿いを少し歩き、細い道へと入っていく。
生活道路らしいが、車は遠慮なしに通っている。
細い道を通ると、やがて城下町らしい土塀が続く通りに入った。
まっすぐに道路が通っていて、道路をはさむ両側の家は殆どが土塀だった。
「ほんと時代劇みたいッスよね」
「これでも随分開発が進んじゃったけどね」
「昔は武家屋敷とかあったんですか?」
土塀に日本家屋なんてすごくかっこいいなと思い尋ねたが。
「残念ながら、戦争で焼かれたりとかその後にも大きな火事があったりで残らなかったみたい。天皇陛下も来られたっていうくらいだから、相当大変だったんだろうなとしか」
「なんで天皇陛下が?」
「災害レベルだったってことっしょ」
ああそれでか、と幾久は納得する。
「この見える場所、全部が焼けたくらいひどかったらしいよ」
残念だなあと幾久は思う。
「こんな土塀に武家屋敷が並んでいたら、かなり迫力ありそうなのに、勿体ないッスね」
土塀の向こうに見えるのはどれも最近建てられたような、モダンな家ばかりだ。
それでも街中には城下町だという雰囲気を残すものがいくつもある。
川の欄干も木で出来ていて、まるで神社の中のようだし、中道の道沿いには桜が植えてあって、いままさに花をつけていた。
「散歩したいなあ」
独り言のように呟く。花見なんかここ何年も出かけていない。
「じゃ、帰りあっちの道通ってみよっか」
桜並木の続く通りを指さして栄人が言った。
「いいんすか?」
「いいよそんくらい。そうだなあ、じゃ、弁当も外で食うか」
「弁当?」
なんのことだ、と幾久が目を丸くすると、栄人が言った。
「あれ?言ってなかったっけ?入学式の後、弁当が出るんだよ。新入生全員と、あと寮の代表もね」
「寮の代表?」
「そそ。おれみたいに新入生の世話役で、寮の代表とか、でかい寮は何人か代表とプラスで出るわけ。で、出ると弁当と饅頭がもらえるって言う」
「はー……」
田舎だ。
なんかすごい牧歌的だ。
弁当に饅頭とかそんな入学式、聞いた事もない。
「それで入学式、昼前からなんですね」
「や、違う違う。入学式は二回あるから」
「へ?」
またこの学校は妙な事をするのかと思った幾久に栄人が言う。
「じゃなくて、午前早くは千鳥クラスの入学式。
その後にまとめて鳩、鷹、鳳の入学式ってなってんの」
「そんなに人数多いんすか?」
「っていうか、講堂が狭いんだよ。あと、式の内容もちょっと違うし。まあ、行けば判るって」
「はあ」
そう話しているうちに、学校の門の前、つまり神社の鳥居の前に到着した。
さすがに敷地内に入ると人が多い。
ぱりっとした制服で一年生がすぐにわかった。
鳥居の横には受付があり、そこで在校生が新入生の受付をしていた。
「受付しますので、クラスと名前と、寮名をお願いします」
受付の在校生に尋ねられたが、幾久が言う前に栄人が答えた。
「鳩。乃木幾久。御門」
在校生が名簿にチェックを入れた。
「はい、受付おわりです。ご入学おめでとうございます」
そして差し出されたのは紙袋だ。中には式次第や、校内の案内図やパンフレットなどが入っていた。
ちいさい白い箱もある。
中身が気になったが、封がしてあるのでいま開けられない。
ぺこ、と頭を下げると、在校生が胸章を取り出した。
紅白の小さな胸章だ。
「あ、いいよ、こっちでつけます」
ひょいと栄人が胸章を受け取り、幾久の制服の胸の部分につけてくれた。
「式が終わったら学校の食堂で弁当もらえるから、そっから合流しよ。食堂の、いっちゃん奥、覚えてる?一昨日いっくんが座ってたあたり」
「あ、ハイ」
入寮式のとき、ぼっちで座っていた場所だろう。
「あのあたりのテーブルに居るからさ、弁当受け取ったらそこ来て。スマホ持ってるよね?」
「あります」
この学校はスマホの持ち込みも使用も禁止されてない。
「じゃ、講堂まで一緒、式が終わったら食堂にね」
「判りました」
「あといっくん、帽子!」
「あ、はい」
帽子を受け取り、それを被る。
栄人も帽子をかぶり、講堂へ近づく。
「じゃ、あとで食堂!」
「……はい!」
ばいばいと大きく手を振り、栄人が遠ざかった。
ここからはひとりで行かなくてはいけない。
(ま、大丈夫だろ)
別に周りを気にしなくても、入学式なんか二時間もないはずだ。
適当に話を聞いて、適当にあわせて、弁当貰って食堂で食べて帰れば、それで今日はおしまい。どうせこの学校に長く居るつもりはないのだから、そこまで真剣に考えることもない。
そしてそう思っていた幾久は、さして時間がたたないうちに、また新しい世界を知るのだった。
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