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プロローグ
さよなら僕の御門(みかど)寮
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山の上の見張り台跡から海を見つめるのは、一頭のシロナガスクジラである。
本州の最西端にある海峡の街、長州市(ちょうすし)の海は、幾度となく嘆きの海となった。
古くは神代(かみよ)の時代の三韓征伐。
源平合戦の最終決戦地、武蔵、小次郎の巌流島の決戦。
維新では連合艦隊と戦い、七十年前の大戦では海峡が飲みこんだ機雷(きらい)の数は、この国に仕込まれた総数の半分にもなる。
過去、外海を睨んでいた戦艦はとうに沈み、しかし戦後もしつこく栄えた鯨漁の勢いはすでに過去のものだ。
人々を集めた水族館もいまはなく、シロナガスクジラを模した『鯨館』と呼ばれる建物も、街の墓標のように、今はただ静かに山の上から海を見つめ続けている。
『鯨館』の足元は木々が鬱蒼と茂っている。
鯨館を望む見張り台跡の石垣をぐるりと回り、桜の通りを抜けるとすぐ小さな海岸に出る。
ひっきりなしに行き交うタンカーやコンテナ船を望める砂浜は、近くに住む子供たちの格好の遊び場で、この地で育った大人にも、なじみある愛する『かえるばしょ』であった。
黒々とした岩礁の向こう、海はおだやかに遠くふたつの島を包む。
遥か昔より人々の怨恨に巻き込まれるのは、常に海の方であった。
そんな長州市の城下町に、ある全寮制男子高校がひっそり歴史を紡いでいた。
学校の名前は『報国院(ほうこくいん)男子高等学校』
長州二之宮と呼ばれる格式高い神社の境内にある、文系の男子高校は、元は藩校であった歴史から今なお維新志士の子孫が多く通うという。
生徒は全員寮に所属する決まりで、報国院の生徒は三年の間、殆ど学校と寮の往復で高校の青春時代を過ごす。
報国院はクラスが成績で判れ、クラスごとにかなりの特色がある。
複数ある寮も同じで、寮ごとのカラーは学生たちの色も変えた。
中には、寮のカラーが学生に塗り替えられる事もままあったが。
その中でも特段、濃いカラーの寮があった。
三年生が卒業し、居なくなった寮は途端寂しさを増す。
全寮制の学校だから、朝から夜まで、一日中ずっと過ごす仲間は家族のようなものだった。
特にここ、いくつもある寮の中で学校から最も遠く、最も広く、しかし所属人数は最も少ない『離れ小島』と呼ばれる御門(みかど)寮は結束が固い。
三学年全部の寮生を集めても十人程度もおらず、殆ど兄弟のように三年を過ごした。
だから三年がいなくなると―――――特に今回はにぎやかだった面々だったから余計に寂しさが募る。
次の三年生になるのはたった二人、桂と山縣しかいない。
二年になる高杉、久坂、吉田の三人と合わせて五人。
次の一年生を何人寮へ入れるのか、そんな事を話さなければならない時期だった。
御門寮の代表になるはずの桂だったが、別の寮に移る依頼が学校から舞い込んだ。
当然、同じ寮の後輩たちには寝耳に水だ。
「―――――なんで雪ちゃんが出ていくのさ!御門寮の総督は雪ちゃんだろ!」
そう怒鳴ったのは桂(かつら) 雪充(ゆきみつ)の幼馴染である、ひとつ年下の久坂瑞祥だ。
「いくら学校でも横暴が過ぎる。ウチはただでさえ、人数が少ないちゅうのに」
そう言って不機嫌そうに愛用の扇子をぱちんと閉じるのは、同じく桂と久坂の幼馴染で、久坂と同い年の高杉だ。
久坂、高杉と同じ年の吉田は黙ってしまい、桂と同じ学年の山縣は我関せず、という顔をしている。
「僕も出て行くつもりはなかった」
桂の言葉に、露骨に全員がほっとした表情をするも、桂が言った。
「でも決めた。僕は恭王(きょうおう)寮へ移る」
「なんで!」
そう久坂、高杉、吉田の三人が声を上げるが、桂は答えた。
「もう決めたんだ。だから、早めにあっちの寮へ移るよ」
「ワシは反対じゃ!」
「僕は反対だ!」
そう高杉と久坂が同時に怒鳴るも、桂 雪充は首を横に振った。
「もう決まったし決めたんだ。とはいえ、なんとか後任を早く育てて、出来れば中期、遅くとも後期には御門(ここ)に戻るつもりだよ」
その言葉を聞いて、ほっとする。
「とはいえ、寮の代表は僕が兼任するわけにもいかないから、後は山縣に―――――」
するとゲームをしつつ聞いていた山縣が言った。
「俺やらね。帰ってくるつもりなら暫定でいいだろ。二年に任せろ。高杉に決まり。高杉総督。かっけえじゃん」
山縣はひとつ年下の高杉を心酔しており、誰の言う事もろくに聞かないが高杉の言う事はなんでも従う。
「そのほうが良いだろうな。じゃあ、そういう事で」
ずっと寮で一緒に過ごしてきたのに、雪充の言葉はあっさりしている。
ここに帰るつもりがあるから、だろうか。
数日して、荷物を片付けた雪充は、あんなにも愛していた御門寮を後にした。
毎日一緒に過ごしていたのに、あっさりとしたものだった。
暫定で総督と呼ばれる寮長になった高杉はずっと不機嫌、というより不満げだった。
「―――――ハル、新しい一年どうするんだ?」
高杉(たかすぎ)呼春(よぶはる)に吉田(よしだ)栄人(えいと)が尋ねた。
まさかこのまま、寮に誰も入れないわけにはいかないだろう。
しかし高杉は言った。
「誰も入れん。学校にもそうゆうて、許可も得ちょる」
「そんなの、いいの」
驚く栄人だが、高杉は言った。
「雪がおらんで、誰が面倒を見れるんじゃ。ワシ等には―――――無理じゃ」
久坂、高杉、吉田は幼いころからの幼馴染だったから、一緒に過ごすことに抵抗はない。
そして三年の山縣はほぼ引きこもりのようなもので、関わることもない。
だから、誰も新入生をどう扱えばいいのか判らない。
普通は準備をして、受け入れる教育を学んでからなのに、肝心の三年が山縣一人ではどうにもならない。
三年になった雪充がどうにかするだろう、と考えて何も準備をしていない三人に、なにかが出来るはずもない。
雪充も、そこは想定済だろう。
そして高杉と久坂の二人は、自覚がある程度には個性が強い。
新しい一年が来ても、ただもめ事が増えるだけだ。
御門(みかど)寮への希望者は居るらしいが、全て断って貰った。
ひょっとしたら、この小さな寮は廃寮になるのかもしれない。
だけど自分たちが今年と来年、過ごせるならもうそれでいいのではないか。
そんな風に高杉は思っていた。
自分は雪充のように、後輩の為に何ができるなんて考えられない。
「じゃけ、誰も入れん」
高杉の言葉に、本来なら反対しなければならないのだろう。
だけど、三年が卒業し、二年だった桂と時山はすでに寮からいなくなり、居るのは山縣一人だけ。
このままこの寮は静かに廃寮に向かうのかもしれない。
だけど誰もそれに触れず、時間が過ぎた。
春分の日も過ぎたある日の事。
教師の毛利から、御門寮の高杉に呼び出しが入った。
「どうしたのハル。学校?」
「ああ。殿に呼び出し食らっての」
スニーカーの紐を結び、高杉は栄人に答えた。
この時期に一体、何だろう。
毛利の事だ、どうせ面倒事には違いない。
高杉の予感はその通りだった。
春の訪れを待つ静かな城下町の石畳を駆け抜け、土塀に囲まれた神社の敷地内にある、報国院へと向かう。
城下町の中央に流れる川縁には桜の木が並び、蕾を膨らませている。
花が開けばまるで絵のように見事な風景となるのだが、まだ灰色の木が静かに時を待っているだけだ。
冷たい風に身をふるわせるが、冬のような厳しさはもうない。
校門と呼ばれる神社本殿の正面にある鳥居の前に立ち、高杉は一礼し、お参りに向かう。
神社の境内は開かれているせいもあり、春休みに入った子供たちが遊んでいた。
お参りを済ませて、散歩がてら大回りして、稲荷神社の脇を抜けて、ぐるりと学校を一周して、本殿正面へ戻ろう。
高杉は神社の境内を通り抜け、石畳の通り道へ向かう。
真正面に向かえば乃木神社があり、乃木神社を過ぎればしろくま保育園があり、その先は土塀が連なっている。
写真館の前の桜はどんな風だろうか。
そんな風に思いながら思い出の道を歩く。
どの道も、この辺りは自分たちにとっては大切な思い出の場所だ。
もう失った彼の姿も、この風景とともに焼き付いている。
真冬の最中二人で逃げ出し、怒涛のように状況は変わった。
去年の春、瑞祥と誓いを交わしたのは、まだたった一年ほど前の事だ。
それなのに随分と昔に感じた。
まるで吹雪の中のような、桜が世界を埋めるように舞い散る春の日に、お互いのピアスを交換して、一生守ると誓った。
その誓いはこの一年の間、勿論守られている。
朝も晩も、真夜中ですら、瑞祥と離れる事はない。
この一年、楽しくも騒がしくも寂しくもあった。
幸福な一年だった。
(でも、雪がいない)
三年生はとうに卒業し、次に三年になる雪充は別の寮へ移り、もう一人の住人、時山はとっくに寮を出て行っている。
残ったのは面倒な性格の山縣のみ。
いま、御門寮にはたった四人の寮生しかいない。
新しい一年生が入らなければ、この先、自分たちが卒業する時には三人になり、その次は多分―――――ゼロ。
だけどそれでも良いと思った。
自分たちのあの愛する寮に、雪充もいないのに、今更誰かを入れる気にもなれなかった。
毛利の用事は何だろうか。
そう思いつつ、学校を囲む土塀の通りを歩いていた、その時だった。
(―――――?)
石畳を歩く高杉の目に、土塀を乗り越えようとしている中学生くらいの少年が目に入る。
なぜか土塀を乗り越えようと、足を壁で踏んで瓦に手をかけていた。
(なにしちょるんじゃあいつは!)
去年の思い出に浸っていた高杉は、あまりの光景に驚き思わず駆け出した。
土塀はかなりもろく、しかも修繕に時間も金もかかる。
この地域の連中なら、こんなバカな事はしない。
どこの迷惑な観光客だ、と駆け出した。
「お前、なにしちょんじゃあ!」
高杉の怒鳴り声に、少年が躊躇し動きを一瞬止めた。
毛利が投げかけた、ひとつの小さな小石のようなものが、静かだった御門寮の、報国院の水面に大きな波紋になり、やがて大きな渦になる、その瞬間がここだった。
本州の最西端にある海峡の街、長州市(ちょうすし)の海は、幾度となく嘆きの海となった。
古くは神代(かみよ)の時代の三韓征伐。
源平合戦の最終決戦地、武蔵、小次郎の巌流島の決戦。
維新では連合艦隊と戦い、七十年前の大戦では海峡が飲みこんだ機雷(きらい)の数は、この国に仕込まれた総数の半分にもなる。
過去、外海を睨んでいた戦艦はとうに沈み、しかし戦後もしつこく栄えた鯨漁の勢いはすでに過去のものだ。
人々を集めた水族館もいまはなく、シロナガスクジラを模した『鯨館』と呼ばれる建物も、街の墓標のように、今はただ静かに山の上から海を見つめ続けている。
『鯨館』の足元は木々が鬱蒼と茂っている。
鯨館を望む見張り台跡の石垣をぐるりと回り、桜の通りを抜けるとすぐ小さな海岸に出る。
ひっきりなしに行き交うタンカーやコンテナ船を望める砂浜は、近くに住む子供たちの格好の遊び場で、この地で育った大人にも、なじみある愛する『かえるばしょ』であった。
黒々とした岩礁の向こう、海はおだやかに遠くふたつの島を包む。
遥か昔より人々の怨恨に巻き込まれるのは、常に海の方であった。
そんな長州市の城下町に、ある全寮制男子高校がひっそり歴史を紡いでいた。
学校の名前は『報国院(ほうこくいん)男子高等学校』
長州二之宮と呼ばれる格式高い神社の境内にある、文系の男子高校は、元は藩校であった歴史から今なお維新志士の子孫が多く通うという。
生徒は全員寮に所属する決まりで、報国院の生徒は三年の間、殆ど学校と寮の往復で高校の青春時代を過ごす。
報国院はクラスが成績で判れ、クラスごとにかなりの特色がある。
複数ある寮も同じで、寮ごとのカラーは学生たちの色も変えた。
中には、寮のカラーが学生に塗り替えられる事もままあったが。
その中でも特段、濃いカラーの寮があった。
三年生が卒業し、居なくなった寮は途端寂しさを増す。
全寮制の学校だから、朝から夜まで、一日中ずっと過ごす仲間は家族のようなものだった。
特にここ、いくつもある寮の中で学校から最も遠く、最も広く、しかし所属人数は最も少ない『離れ小島』と呼ばれる御門(みかど)寮は結束が固い。
三学年全部の寮生を集めても十人程度もおらず、殆ど兄弟のように三年を過ごした。
だから三年がいなくなると―――――特に今回はにぎやかだった面々だったから余計に寂しさが募る。
次の三年生になるのはたった二人、桂と山縣しかいない。
二年になる高杉、久坂、吉田の三人と合わせて五人。
次の一年生を何人寮へ入れるのか、そんな事を話さなければならない時期だった。
御門寮の代表になるはずの桂だったが、別の寮に移る依頼が学校から舞い込んだ。
当然、同じ寮の後輩たちには寝耳に水だ。
「―――――なんで雪ちゃんが出ていくのさ!御門寮の総督は雪ちゃんだろ!」
そう怒鳴ったのは桂(かつら) 雪充(ゆきみつ)の幼馴染である、ひとつ年下の久坂瑞祥だ。
「いくら学校でも横暴が過ぎる。ウチはただでさえ、人数が少ないちゅうのに」
そう言って不機嫌そうに愛用の扇子をぱちんと閉じるのは、同じく桂と久坂の幼馴染で、久坂と同い年の高杉だ。
久坂、高杉と同じ年の吉田は黙ってしまい、桂と同じ学年の山縣は我関せず、という顔をしている。
「僕も出て行くつもりはなかった」
桂の言葉に、露骨に全員がほっとした表情をするも、桂が言った。
「でも決めた。僕は恭王(きょうおう)寮へ移る」
「なんで!」
そう久坂、高杉、吉田の三人が声を上げるが、桂は答えた。
「もう決めたんだ。だから、早めにあっちの寮へ移るよ」
「ワシは反対じゃ!」
「僕は反対だ!」
そう高杉と久坂が同時に怒鳴るも、桂 雪充は首を横に振った。
「もう決まったし決めたんだ。とはいえ、なんとか後任を早く育てて、出来れば中期、遅くとも後期には御門(ここ)に戻るつもりだよ」
その言葉を聞いて、ほっとする。
「とはいえ、寮の代表は僕が兼任するわけにもいかないから、後は山縣に―――――」
するとゲームをしつつ聞いていた山縣が言った。
「俺やらね。帰ってくるつもりなら暫定でいいだろ。二年に任せろ。高杉に決まり。高杉総督。かっけえじゃん」
山縣はひとつ年下の高杉を心酔しており、誰の言う事もろくに聞かないが高杉の言う事はなんでも従う。
「そのほうが良いだろうな。じゃあ、そういう事で」
ずっと寮で一緒に過ごしてきたのに、雪充の言葉はあっさりしている。
ここに帰るつもりがあるから、だろうか。
数日して、荷物を片付けた雪充は、あんなにも愛していた御門寮を後にした。
毎日一緒に過ごしていたのに、あっさりとしたものだった。
暫定で総督と呼ばれる寮長になった高杉はずっと不機嫌、というより不満げだった。
「―――――ハル、新しい一年どうするんだ?」
高杉(たかすぎ)呼春(よぶはる)に吉田(よしだ)栄人(えいと)が尋ねた。
まさかこのまま、寮に誰も入れないわけにはいかないだろう。
しかし高杉は言った。
「誰も入れん。学校にもそうゆうて、許可も得ちょる」
「そんなの、いいの」
驚く栄人だが、高杉は言った。
「雪がおらんで、誰が面倒を見れるんじゃ。ワシ等には―――――無理じゃ」
久坂、高杉、吉田は幼いころからの幼馴染だったから、一緒に過ごすことに抵抗はない。
そして三年の山縣はほぼ引きこもりのようなもので、関わることもない。
だから、誰も新入生をどう扱えばいいのか判らない。
普通は準備をして、受け入れる教育を学んでからなのに、肝心の三年が山縣一人ではどうにもならない。
三年になった雪充がどうにかするだろう、と考えて何も準備をしていない三人に、なにかが出来るはずもない。
雪充も、そこは想定済だろう。
そして高杉と久坂の二人は、自覚がある程度には個性が強い。
新しい一年が来ても、ただもめ事が増えるだけだ。
御門(みかど)寮への希望者は居るらしいが、全て断って貰った。
ひょっとしたら、この小さな寮は廃寮になるのかもしれない。
だけど自分たちが今年と来年、過ごせるならもうそれでいいのではないか。
そんな風に高杉は思っていた。
自分は雪充のように、後輩の為に何ができるなんて考えられない。
「じゃけ、誰も入れん」
高杉の言葉に、本来なら反対しなければならないのだろう。
だけど、三年が卒業し、二年だった桂と時山はすでに寮からいなくなり、居るのは山縣一人だけ。
このままこの寮は静かに廃寮に向かうのかもしれない。
だけど誰もそれに触れず、時間が過ぎた。
春分の日も過ぎたある日の事。
教師の毛利から、御門寮の高杉に呼び出しが入った。
「どうしたのハル。学校?」
「ああ。殿に呼び出し食らっての」
スニーカーの紐を結び、高杉は栄人に答えた。
この時期に一体、何だろう。
毛利の事だ、どうせ面倒事には違いない。
高杉の予感はその通りだった。
春の訪れを待つ静かな城下町の石畳を駆け抜け、土塀に囲まれた神社の敷地内にある、報国院へと向かう。
城下町の中央に流れる川縁には桜の木が並び、蕾を膨らませている。
花が開けばまるで絵のように見事な風景となるのだが、まだ灰色の木が静かに時を待っているだけだ。
冷たい風に身をふるわせるが、冬のような厳しさはもうない。
校門と呼ばれる神社本殿の正面にある鳥居の前に立ち、高杉は一礼し、お参りに向かう。
神社の境内は開かれているせいもあり、春休みに入った子供たちが遊んでいた。
お参りを済ませて、散歩がてら大回りして、稲荷神社の脇を抜けて、ぐるりと学校を一周して、本殿正面へ戻ろう。
高杉は神社の境内を通り抜け、石畳の通り道へ向かう。
真正面に向かえば乃木神社があり、乃木神社を過ぎればしろくま保育園があり、その先は土塀が連なっている。
写真館の前の桜はどんな風だろうか。
そんな風に思いながら思い出の道を歩く。
どの道も、この辺りは自分たちにとっては大切な思い出の場所だ。
もう失った彼の姿も、この風景とともに焼き付いている。
真冬の最中二人で逃げ出し、怒涛のように状況は変わった。
去年の春、瑞祥と誓いを交わしたのは、まだたった一年ほど前の事だ。
それなのに随分と昔に感じた。
まるで吹雪の中のような、桜が世界を埋めるように舞い散る春の日に、お互いのピアスを交換して、一生守ると誓った。
その誓いはこの一年の間、勿論守られている。
朝も晩も、真夜中ですら、瑞祥と離れる事はない。
この一年、楽しくも騒がしくも寂しくもあった。
幸福な一年だった。
(でも、雪がいない)
三年生はとうに卒業し、次に三年になる雪充は別の寮へ移り、もう一人の住人、時山はとっくに寮を出て行っている。
残ったのは面倒な性格の山縣のみ。
いま、御門寮にはたった四人の寮生しかいない。
新しい一年生が入らなければ、この先、自分たちが卒業する時には三人になり、その次は多分―――――ゼロ。
だけどそれでも良いと思った。
自分たちのあの愛する寮に、雪充もいないのに、今更誰かを入れる気にもなれなかった。
毛利の用事は何だろうか。
そう思いつつ、学校を囲む土塀の通りを歩いていた、その時だった。
(―――――?)
石畳を歩く高杉の目に、土塀を乗り越えようとしている中学生くらいの少年が目に入る。
なぜか土塀を乗り越えようと、足を壁で踏んで瓦に手をかけていた。
(なにしちょるんじゃあいつは!)
去年の思い出に浸っていた高杉は、あまりの光景に驚き思わず駆け出した。
土塀はかなりもろく、しかも修繕に時間も金もかかる。
この地域の連中なら、こんなバカな事はしない。
どこの迷惑な観光客だ、と駆け出した。
「お前、なにしちょんじゃあ!」
高杉の怒鳴り声に、少年が躊躇し動きを一瞬止めた。
毛利が投げかけた、ひとつの小さな小石のようなものが、静かだった御門寮の、報国院の水面に大きな波紋になり、やがて大きな渦になる、その瞬間がここだった。
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