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小話
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しおりを挟む高速と下道を使って二時間と少し。目的の場所は山の奥にある温泉地で、広々とした敷地に幾つかの小さな家屋が建っている。それぞれが個室貸し切りの露天風呂で、麓の景色が楽しめるのが最大の魅力だ。お湯も毎回入れ替え式となっており、学生時代に来て以来の葛城のお気に入りの場所だ。
まさかここに彼女を連れて来るようになるとはなあ、と妙な感慨に耽る、それよりも前に。葛城は運転席のハンドルに頭を乗せてひたすら笑いに耐えていた。
「先輩さっきから笑いすぎじゃないですか!?」
「いや……だって、お前……」
「しかたないじゃないですか! すっごい怖かったんですよ!!」
秘宝館を出てしばらくは葛城も晴香もギャアギャアと言い合っていた、のはまあいつもの事なので特に問題ではない。問題となったのは高速を降りて山道を走っていた時だ。
急に助手席が静かになったのに葛城が気が付いたのは少ししてから。寝ているのか、とチラリと横目で見れば正面を向いたまま凝視している。景色を楽しむのなら横を向いた方がいいのではなかろうかと思うが、何を見て楽しいと思うかは人それぞれだしなと葛城はそのまま運転に集中する。曲がりくねった山道はギリギリ二車線を保ってはいるけれど、山側は側溝に蓋が無く、崖側はガードレールが存在していないので油断をすると大事故を招く。
この程度の山道は走り慣れてはいるし、夜道と違ってまだ陽は高い。葛城としては余裕の道だが気をつけるに越したことは無い。最悪反対車線から対向車が飛び出してくる可能性だってあるのだから、そういった意味でも安全運転を心がけていた。そうしてどれ程過ぎただろうか、ようやく山道を抜けたその瞬間、静かだった助手席が急に騒ぎ始めたのだ。
「なんですか今の道ーっ!! 先輩見ました!? 横、崖ですよ崖!! なのにガードレールもないとかあんまりじゃないです!? ちょっとでも横にブレたら即落ちですよ!!」
晴香はひたすら悪態を吐く。今し方通り過ぎたばかりの道路に対して。
「もう本当に信じられない! あんな道が現代にあるなんて! とんだ蛮族ですよ!!」
ブハッ、と葛城は吹き出した。その勢いで危うくアクセルを踏み損ねる。
「お前……」
「なんですか!?」
「悪口の語彙力すげえな」
道路に対して蛮族とか、と葛城はクツクツと喉の奥で笑う。いやしかしそれよりも先に突っ込むべき事がある。そう思い口を開くが、それより先に晴香が叫ぶ。
「だって! あの道ありえなくないです!?」
そうそれ、と葛城はいまだ込み上がる笑いを一旦抑え込んだ。
「なんでそんなキレてんだよ?」
晴香の態度の急変っぷりが謎である。そんな葛城の疑問に晴香の勢いは止まらない。
「危ないじゃないですか! 落ちたら死ぬ高さだったんですよ!! あ、別に先輩の運転が危なっかしいとかじゃないですからね!? 先輩ガラは悪いのにすごい安全運転でびっくりしました!」
「お前は俺を褒めたいのか貶したいのかどっちだよ」
「褒めてます!」
晴香の語気は強い。興奮が続いているのだろう。しかしそれにしたってどうしてこんなにも、と葛城は不思議でならない。
「ん? お前もしかして高い所苦手なのか?」
ふと浮かんだ考えを特に気にせず口にすれば、晴香は大きく頷いた。
「あんな高い所誰だって苦手でしょう!?」
あまりの勢いに葛城は気圧される。お、おう、と間の抜けた返しをすれば、さらに晴香の勢いが増す。
「え、なんですか先輩その反応! もしかして平気なんです!? あの高さですよ!? 落ちたら即死間違いなしなのに! 先輩危機感なさ過ぎでは!?」
「えらい言われ様……」
葛城の突っ込みというかぼやきというか。小声だったために晴香の耳には届かず、そこから後はひたすら横で文句を言い続けていた。狭く曲がりくねった道路に対して。
目的地である露天風呂に到着した頃には流石に晴香も大人しくなったが、今度は葛城の笑いが止まらなくなった。おかげでいまだに運転席から動けずにいる。
「……先輩本当に笑いすぎなんですけど」
「悪い……」
そう口にするも語尾が笑いで揺れる。ふっ、と短く声を上げれば晴香の眉間の皺も深くなる一方だ。
「先輩」
「あー……ってかさ、お前、高い所苦手って」
「人が苦手にしているのを笑うのなんて良くないです!」
「そこじゃねえよ」
高所が苦手だとは今まで知らなかったので驚きはしたが、それに対して笑いを覚える様な事はない。葛城がひたすら笑い続けている理由はただ一つ。
「か……完全に、道が広くなってからキレ散らかすとか……!」
身の危険を感じている間はひたすら耐え、安全が完全に確保された状態で初めて怒りを露わにする、それがあまりにも葛城の笑いのツボを刺激してくるのだ。
「小者っぷりがさあ!」
ひーっ、と笑いながら葛城はハンドルをバシバシと叩いた。晴香の眉間の皺は益々深くなるが、それに気付く余裕などない。
「お前どんだけビビってたんだよ」
道路に対してあまりにも怯えすぎである。それに対して晴香は心外であると身体ごと葛城に向き合った。
「わたしが横で騒いで先輩の気を散らして落ちたら大変だから静かにしてたんです! お気づかい!!」
「ッ……とんだお気遣い……!」
どうしたって噛み殺しきれない笑いが漏れる。そんな葛城に晴香はついに臍を曲げてしまった。
「あー悪かった悪かった」
ポンポンと頭を撫でてやるも、晴香はジトリとした目線を向けて頬を膨らませる。
「先輩、人間本当のことは一回しか言わないらしいですよ」
「悪かったって」
ほれ、と眠気覚ましに運転席の横のポケットに入れていた飴玉を一つ渡してやり、葛城はシートベルトを外した。これすら外さずに笑っていた自分にさらに笑いが込み上がるが、いつまでも車内にいるのも時間の無駄であるからしてひとまず外へと出る。
「こんなので誤魔化そうとして……」
ぶつぶつと文句を言いつつも晴香も車から出て荷物を降ろしている。一泊二日でしかないのにやたらと荷物が多いのが謎だが、そこは突っ込んでは駄目な部類であるのを理解しているので葛城は何も言わない。
「ここで一泊できるんですか?」
「ああ、昔は露天風呂だけだったんだが、何年か前に二棟だけ泊まれる様に改装したんだ。俺も泊まるのは今回が初めてだけど」
「昨日の今日でよく予約できましたね」
「特に連休とかでもなかったしな。あとほら、ここに来るまでが結構難易度高いだろ?」
「あの道ありえませんもんね」
たしかに、と晴香はウンウンと頷く。それに対しても葛城は口を噤んだ。実はあの道はたまたまナビでそうなっただけで、普段はもっと走りやすい道がある。それを伝えればまた晴香がキレ散らかすのは目に見えているので、ここはそっとしておくしかない。
「先輩?」
何かしらを感付いたらしい晴香が怪訝な顔をする。葛城はなんでもねえよと短く返しながら、晴香の方へ移動するとそのまま軽く背中を押した。
受け付けでチェックインを済ませ、宿泊棟の鍵を受け取る。ついでに籠と「サービスです」とトウモロコシとジャガイモも渡された。宿泊客用の専用の蒸し釜があり、温泉に入っている間にこの籠に野菜を入れて釜にセットしておけば簡単に蒸し野菜が出来上がる仕組みだ。
「やったー! わたし温泉の蒸気で蒸し野菜するの初めてです!」
すっかり上機嫌の晴香に、お前チョロすぎやしないかと葛城は若干不安になるがここでもどうにか突っ込みを堪える。せっかく機嫌が直ったのだ、あえてまた不機嫌にさせたくはない。
渡された鍵でまずは泊まる棟へと入り荷物を置く。露天風呂はそこから繋がっている、というか、元々あった露天風呂にこの棟を増設したそうだ。
「だからこんな不思議な造りなんですね」
ペタペタと素足で短い廊下を渡れば脱衣所へと辿り着く。外へ出る扉とは逆にあるガラス戸の向こうが露天風呂だ。タオルと着替えを籠に入れ、葛城は念の為にと外用の扉の鍵を確認する。きちんと掛かっているのを確認して一安心、と振り返ればそこにはすでに全裸の晴香が立っていた。
「――はえーよ!」
「え? なにがですか?」
手早く備え付けのバスタオルを身体に巻き、髪の毛もゴムで結い上げている。温泉に入る準備は万全、もいいところだ。
「ちょ待てお前いつの間にそんな脱いで……!」
「温泉ですよ? 脱がないと入れないじゃないですか」
「そうだけど!」
論点はそこじゃない、と葛城は叫ぶ。
「だってお前この数秒で!? 俺が鍵確認してるだけでなんですでに準備万端なんだよ!」
「温泉に行くから着替えやすい服にしてきたからですね!!」
なるほどだからか、とようやく葛城は納得した。今日の晴香は頭からすっぽりと被るタイプのロング丈のワンピースを着てきた。いつもならその下にズボンかなにかを穿いているのに、珍しく素足でいたものだから、これは脱がせやすくていいなどと一瞬思ったりしたのだが。
「完全に温泉のためだけかよ……」
「ん? なにがですか?」
一応付き合いだして初めての泊まりがけの旅行だ。急遽決まったものだとはいえ、あとそう浮つく様な年でもないとはいえ、全くこれっぽちもそういう意識をされていないという事実がわりと結構非常にとてつもなく面白くない。
「それにしたって勢いよく脱ぎすぎだろ」
「だから温泉入るのに服脱がなくてどうするんですか」
「……ベッドの上だとシャツ一枚脱がせるのだって恥ずかしがるくせにな」
「それはそれですね!」
器が小さい自覚をしつつ、つい腹いせにからかいの言葉を投げてみたがあえなく打ち返された。というか、晴香はもう露天風呂に意識が向きすぎていて言われた事を半分も聞いていない。
「わたし先に入ってますから! 先輩はゆっくりでいいですよ!」
「わかった……って走るな! 飛び込むな泳ぐなよ日吉!」
「大丈夫でーす! ちゃんと掛かり湯もしますから! 安心してください!」
きゃーっ、と歓喜の声を上げつつ派手な水音が響く。
「わー! 先輩すごい! 温かいです!!」
「そりゃ温泉だからな……」
「お湯もずっと出てくるんですねすごい! ぜいたくー!!」
宿泊客専用の露天風呂は二十四時間お湯が出続けている。しかも源泉掛け流しだ。この辺りではかなりの贅沢で、だからこそ葛城は気に入って何度も通っていた。
そこにこうして恋人を連れて来れたのは純粋に嬉しいが。
「あんまりはしゃぐなよ! 湯あたりおこすぞ!」
「頭の上にタオル乗せてるから大丈夫です! あとペットボトルの水も持ってきてます!」
先輩の分もありますよ! とやたらと晴香の準備がいい。それほどまでに楽しみにしてくれていたのもこれまた嬉しいのだが、なんとなくこう、今の気分は恋人との旅行という甘さを感じない。
「……なんつーか、野生動物を温泉に入れてる気分だな」
「なんですかー!?」
なんでもねえよ、と晴香が浴室に入るときに脱ぎ散らかしたバスタオルを拾い、葛城も自分の服を脱ぎ始めた。
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