先輩とわたしの一週間

新高

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木曜日

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 二日続いて晴香は朝から落ち着かない。なのに葛城は余裕綽々で目の前でコーヒーを飲んでいる。腹が立つことこの上なかった。



 晴香が目覚めた時にはすでに朝で。葛城に促されるままにシャワーを浴び身支度を調えていれば紅茶を出され、ここはわたしの部屋のはずなのに? と頭上に思わず疑問符も浮かぶが、それを解消する間もなく一緒に外へ出て今は会社近くのカフェで朝食を食べている。
 んんん? と未だに首を傾げてしまう状態なのだが、すでに食べ終わった葛城は時々携帯を操作してネットニュースを読んでいる。いや、別にそれはいいんだけども、と晴香はひとまず口を動かす。早い時間に家を出たのでカフェでゆっくりはできるけれども、そろそろ通勤が始める時間帯だ。

「まだ余裕あるだろ?」
「誰かに見られる前に先輩着替えなきゃじゃないですか」

 葛城が着ているのは当然昨日と同じ服だ。ロッカーにシャツとネクタイの替えがあるとの事だったので、晴香としては速やかにそれに着替えてもらいたい。

「別に誰も気にしやしねえって」
「先輩は女子社員の目を甘く見すぎですよ……!」

 女同士のファッションチェックはもちろんながら、気になる男性社員ともなればそのチェックはさらに入念になる。

「終電逃してとか、会社で完徹してとかでもう何度も同じ服着てんの見られてんだよ。今更だって」

 そういった過去の出来事を踏まえて、葛城も中条もロッカーに最低限の着替えは置いているそうだ。用意周到でさすがである、とそこは賞賛に値するけれども。

「……だから別々に出ましょうよって言ったのに」

 葛城だけがその状態でいたならば誰も疑いはしないだろうが、昨日と同じ服を着てその隣りに晴香がいたとなれば話は変わる。一気に疑いを持たれる事間違いない。そしてそれが本当に「間違いではない」のだから晴香としては非常に落ち着かないのだ。
 それを回避したくて別々に出勤しようと提案してみたのにすげなく却下され、わざわざ職場近くのカフェで共に朝食を摂るはめになっている。寝起きに加え、昨夜からの動揺が残っていたために簡単に言いくるめられてしまった。胃に食べ物が入り頭が動くようになった今ではもうどうしようもなく、後はもう誰かに見られる前にこの店を出て、職場でさっさと着替えてもらいたい、ただそれだけだ。
 葛城をチラチラと見ながら食事を続ける。正直味はしない。そんな晴香の様子に葛城は最後の一口を飲み干した後にわざとらしく大きめの息を吐いた。

「それ食ったら出るぞ」
「え、いいんですか?」
「いいんですか、って言いながら食うスピードあげてんじゃねえか」

 嬉しそうに頬張る晴香の態度に葛城は心底不服そうに顔を顰めた。



 まだ人がまばらな内に職場に着いた。後はお互い更衣室に分かれてしまえば万事オーケーだと油断していたのがまずかった。「あれ?」と背後から聞こえた声に晴香はビクリと肩を跳ねさせる。

「おはようございます、二人とも早いんですねー」

 遠藤と橋口が晴香の両脇に陣取るとスルリと腕を絡めてきた。

「なになに日吉さん一緒に出勤なの?」
「あっやしーなー」
「もしかして二人朝帰りですー?」

 ニヤニヤとした顔で聞いてくる橋口に晴香は「まさかー」と笑うが、頬が引きつりそうになるのを抑えるのに必死だ。冗談で言っているのは分かるけれども、冗談ではないのだから笑えない。

「あれ? 葛城さんそのネクタイ昨日と同じじゃないです?」
「目聡いな遠藤」
「え!? ほんとに!?」

 晴香の腕を抱き締めたまま橋口が身を乗り出す。うわ、と晴香は踏鞴を踏むが橋口は気付かない。葛城のネクタイをじっと見つめ「ほんとだ」とポツリと呟いた。
 どうしてこの人達は先輩のネクタイを把握してるんだろう、と晴香はいっそ感心してしまう。自分なんて二年も傍にいるのに覚えてなどいない。何色の、どんなデザインのスーツを着ているかもそうだ。それと同時に、こうして他人に覚えられる程見られている葛城が少しばかり気の毒でもある。気楽な格好とかできないんだろうなあ、とそんな風に同情の眼差しを向けられていたのもそこまでだった。

「昨日コイツの家に泊めてもらったんだよ」

 普段の逆襲とでも言わんばかりに葛城からとんでもないボールが飛んできた。なんてことを、と叫びかけるがそれより先に橋口と遠藤が大声をあげる。

「えええ!?」
「葛城さん!?」
「久々の定時あがりで浮かれてたんだよなあ。日吉と一緒に飯食ったり飲んだりしてたら寝落ちしかけてさ。家が近くだって言うから転がりこんでた」
「日吉さんって一人暮らしでしょう? そこに転がり込むってちょっとそれは」
「そうですよ葛城さん、いくら職場の先輩だからって年下の女の子の家に泊まるって普通だったらアウトですからね!」
「葛城さんだからいいにしても」
「俺ならいいのか?」
「葛城さんは日吉さんにヘンなことしないじゃないですか」
「まあな」

 お酒なんて一滴も飲んでいないしヘンなことしかしてないくせにどの面さげて、ってその面ですよね知ってたーイケメンに笑顔で言い切られたらそれが嘘かどうかなんてどうでもよくなりますもんね知ってましたー、と晴香は目の前で繰り広げられる会話を遠い目で眺める。すると矛先が晴香に向けられた。

「日吉さんもいくら相手が職場の先輩でもちゃんと断っていいんだからね!」
「そうよ! ほんと葛城さんだから大丈夫だったけど、これ他の男だったら襲われる危険性あるんだから!」

 襲ってきたその人めっちゃ襲ってきましたむしろその目的のためにうちまで来たんです、と言えたらどんなに良かったか。

「ヘンに噂になったりとかもでてくるし」
「その時は葛城さんちゃんと責任とってくださいよ?」

 橋口のからかう口調に葛城が「おう」と答えるのに対し、晴香は虚ろな目をしたまま「はは」と乾いた笑いを浮かべる事しかできなかった。
 その後、橋口と遠藤に両方から腕を抱き込まれたまま更衣室に入ったので晴香は軽く着替える。二人とはあれこれと会話は続いているものの、すでに場所を移動したのもあって話の中身は変わっている。これでようやく落ち着けると思った晴香は、ロッカーを閉じると共に意識を切り替えた。今からは仕事の時間だ、今日も一日頑張ろうとそんな殊勝な考えまで抱いていたと言うのに何故か天は晴香に厳しい。

「日吉さん、いくら葛城君が先輩だからって女の子が簡単に男を泊めるのは危ないからね?」

 この場合もちろん悪いのは葛城君なんだけど、とフォローも入れつつ営業主任からお小言をもらった。それだけでも意識を飛ばしたい勢いであったというのに、他の先輩社員からも同様に声をかけられ一体どこまで話が広がっているのかと泣きたくなった。あとこの話は誰が広めているのかよもや先輩が、とつい疑いの眼差しを向けそうになるが、そもそも社内であれだけ騒いでいれば誰かしらに聞かれていても当然である。特に口止めもしなかった、と言うか忘れていたので総務の女子社員の間でも広まるのは時間の問題だろう。実際昼休憩の時には冷やかしのメッセージがいくつか届いた。
 しかしどれも全てが「今回は相手がよかったから問題ないけど、他の相手だとそうはいかないから気をつけろ」という中身ばかりで、やはりこれはと晴香は一人大きく頷く。

「またお前なんか妙なこと考えてんだろ」

 スパン、と小気味良い音を立てて後頭部が叩かれた。休憩から戻ってきた葛城に「セクハラにパワハラですよ!」と訴えるが華麗に流される。

「で、今度はなに考えてた?」
「先輩の信頼度が絶大だなと改めて痛感してました」

 その筆頭はお前だけどな、と葛城がポツリと零すがあまり意味を考えるでもなく今度は晴香がそれを流す。

「あとわたしと先輩だとまかり間違ってもそういう関係に思われないんだなって!」
「イイ笑顔で言うことがそれか」

 成人した男女が一晩共にしたと知られても、誰もそこに性的な可能性を考えない。それはつまりは恋愛関係にあるという事すら考えられないわけで。
 これで会社の人にバレずに済んだ、とあまりにも喜んでいれば座っていた椅子をクルリと回される。葛城と正面から向き合う状態で、そして目の前のイケメンが殊更笑顔を向けてくるのでこれはヤバイやつ、と晴香は咄嗟に額を隠す。が、痛みどころかなんの衝撃も無い。不思議に思いチラリと視線を向けると呆れたような、それでいてどこか優しさのある瞳とぶつかり思わず額を抑えていた掌が緩む。



 途端、葛城の長い中指が親指に弾かれて飛んできた。


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