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一章
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しおりを挟む人間慣れない事はするものではない――アニタは後にそう語る。
アニタ・ダルトン子爵令嬢はそもそも今日の夜会には可能な限り参加をしたくはなかった。こういった華やかな場は極力避けたいと思っているのに、それが王家主催ともなれば尚更足も気持ちも遠のく。が、王家主催だからこそ気軽に逃げるわけにもいかず、今日という日まで領地でひたすらグダグダと愚痴ばかりをこぼしていた。
それでもどうにかこうにか参加を決めたのは、とある目的のために人脈を少しでも広げておきたいと思ったからだ。そして、一応の婚約者であるロニー・マグレガーとの親睦を深めるため。
婚約者なのに親睦を深めるとはこれいかに、とアニタでなくとも笑ってしまうだろう。そして実際笑うしかない状況なのだから本当にもう、とアニタは乾いた笑みを浮かべるしかない。
エスコートをしてくれるはずの婚約者様は、当日になって急な体調不良を訴えて欠席となった。いやまあそんな気はしてたけど、とアニタは一言「お大事に」とだけ使いの者へ伝え、夜会には叔父に同伴する形で参加となった。
婚約者であるロニーもまた同じ子爵家であるが、最近の彼、というか、おそらくはアニタと婚約の話が出た辺りからずっととある伯爵家のご令嬢と親密であるらしい。らしい、と言うのは聞きたくもない噂やらなにやらと、そして悲しいかな彼の到底誠実とはいえない素行の数々からまあそうなのだろうなと推察される。
お互い貴族の出である以上、心から通じあっての結婚がむしろ珍しいとは思うけれど。それでも少しでも心を通わせて、せめて親愛を育めるような家庭を築けていければと、そう思ってもいたのだがどうやら無理の様だ。いっそ婚約破棄でもしてくれないだろうかとアニタは願いもするが、そうなった時に非を押し付けられても困る。
せっかくの華やかな宴の席であるというのに、一人壁際に立ちそんな事ばかりを考えているアニタはこの場においてかなり可哀相な存在であった。つい、今までは。
ふと気付けばすぐ隣に煌びやかなご令嬢達が集まっていた。流石都会のドレスは洗練されている、と思ったのも束の間、そこから聞こえてくる話にアニタは震え上がる。
曰く、そのドレスの色は何かしら、王太子の髪色と瞳の色を身に纏ってまるで自分が婚約者とでも言わんばかりね? などという、どこをどう聞いても難癖でしかない。あげく、そのドレスの色が相応しいのはこのばに置いてどなたかだなんて、いくら貴女でもお分かりになるでしょう? と数人が代わる代わるに一人の――緑を基調とし、青い糸で刺繍の施されたドレスに身を包んだ令嬢を吊し上げるかの様に囲んでいる。
こっわ、とアニタはそれを真横で聞いて戦いた。会話の中身もさることながら、この様子が一見すると仲の良い友人同士で歓談しているかの様に見えるからだ。
声を荒げず、不快感をあらわにした表情などおくびにも出さず、ただにこやかに、時折笑い声を上げたりしながらたった一人をいたぶっている。
え、ほんとに怖い、とアニタはじりじりとその場から離れるべく壁伝いに動く。その動きに、少しばかり後方にいた、おそらくはこの場の中心人物であろう令嬢と目が合った。
チラリとだけ一瞥され、そしてなにも見なかったかの様に視線を反らされる。自分の様な田舎者は相手にする必要など無いという事かと、本来であれば怒る場面であろうがアニタはその意に感謝した。
だって自分も絡まれている令嬢と同じく緑のドレスに青い糸で刺繍が入っている。彼女ほどの立派な刺繍ではないけれども。
なにはともあれお目こぼしをいただいたのだ、不当に責められている彼女には申し訳ないが、かといってこの窮地を救ってやれるような技量をアニタは持ち合わせてはいない。せめてもの償いで、友人と歓談中の叔父を急いで呼んでくる事くらいしかできない。ごめんなさい、と心の中で詫びつつ、徐々に彼女達との距離が離れる。
ふと、その時視線が重なった。ひどく泣きそうな顔をしつつ、それでも懸命に耐えているかのご令嬢と。
そして彼女は小さく、他の人間に気付かれない様にアニタに向けて指を動かした。
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