9 / 12
9
しおりを挟む
夕食時の忙しい時にお屋敷を抜け出した私は、痛む頭と胃を抱えながらフラフラと街を彷徨っていた。
どこかへ行くという目的もなく、何かをするという目的もない。
ただ、惰性で歩いているだけだった。
まとめた荷物は小さなトランク1個だけ。
気付くと、それを胸に抱えて乗合馬車に乗っていた。
ぼんやりと見回すと、どこか懐かしい風景の中を通っている。
見覚えのある屋根を見つけたところで下車すると、そこは私が7才までいた郊外にある教会が運営している孤児院だった。
お屋敷以外に私が行くところと言ったら、やはりここしかない。
このまま違う街へ行ってしまえば良かったと気づいたときは、馬車はもう遠くに行ってしまっていた。
どちらにしてもここを離れるのであれば、最後にシスターにご挨拶をしていきたいと思った。
遅い時間だったので子供達は寝ているだろうが、シスターは起きているだろう。
玄関の呼び鈴を鳴らし、しばらくすると扉が開いた。
「はい、どちら様で………ま、まあっ、リィンじゃないですか」
「お久しぶりです、シスター。こんな夜分に申し訳ありません」
驚くシスターに、私は頭を下げた。
「何を言っているの、ここは貴方の家なのだから、いつでもいらっしゃいと言っているでしょう?」
にっこりと笑って、さあお入りなさいと言って下さるシスターに、泣きそうになりながらも頷いて扉をくぐった。
談話室に案内されて座った私の顔色を見た途端、シスターは心配そうな顔をした。
「リィン、貴方具合が悪いのね?酷い顔色だわ」
小さな子供たちを預かる孤児院の性質上、多少医療の心得があるシスターには、すぐに体調不良は見抜かれてしまった。
「…先日から、ちょっと胃と頭が痛くて」
でも大丈夫ですと笑って、シスターにも座ってもらう。
「アレス様はお元気かしら?」
「はい、毎日お仕事を頑張っていらっしゃいます」
「そう、良かったですね」
優しく笑うシスターは、私がここに預けられた時から7才でサーブル家に入るまで面倒を見て下さった母親代わりの方だった。
いつも優しく笑っていて、躾けはしっかりとするけれども暖かく見守ってくれる大切な存在だった。
「半年前に貴方とアレス様がスタートした施設拡張の計画は順調のようですね。ここの施設も先月から工事が始まっていますよ」
「あ、始まったのですね。良かった」
アレス様に、慈善事業の一環として孤児院出身の私の視点から何か良い案はないだろうかと聞かれて私が提案した案件だった。
孤児の子供が勉強する為の施設を増やし、教育する内容ももっと多様化したら将来の選択肢が増えるのではないか?という案が採用されて、ご主人様と少し前から一緒に進めていた事業。
事業の補助なとど言うのはおこがましいが、少しでもお手伝いが出来ればと、私も勉強しながらアレス様のサポートをしていた。
私の出身施設も恩恵を受けていることが、嬉しかった。
でも、それももう終わりになる。
「……実は私、お屋敷を辞めてきましたので、もうその計画には関われないのです」
「……え?」
きょとんとしているシスターに申し訳なくて俯きながら、屋敷を辞してきたことを伝える。
もちろん、今まで不満などなかったし、皆には良くしてもらった。
アレス様に落ち度などひとつもない。
全ては自分の我が儘だということはしっかりと説明した。
「アレス様が今度……ご結婚なされるので、事業の方は奥様になられる方が引き継がれると思いますから、ご安心下さい」
私が抜けても事業はちゃんと進められるので心配しないようにと、シスターに精一杯の笑顔を浮かべてみせる。
シスターは暫くの間、じっと私を見つめていた。
「……………アレス様がご結婚されると、誰かから聞いたのですか?」
「…え?……」
不思議なことを聞かれて、ふと思い返す。
「……あの……お屋敷に出入りしている業者の人から聞きました」
そう、モノリー商会の担当が言っていたのだ。
シスターはふうと溜め息を吐いてからゆっくりと立ち上がって、私の前に来た。
「……シスター?」
見上げようとした私の頭は、シスターの胸にふわりと抱き込まれた。
ああ、この感覚………懐かしい。
子供の頃、寂しくて泣いている時や辛いことがあった時、シスターは何も言わずによくこうして頭を抱きしめてくれた。
「……貴方はいつも頑張り屋さんで、辛い時も愚痴を言わずに心の中に溜め込んでしまう子でしたね」
ふふっと頭上から笑い声が降ってきて、張りつめていたものが急に緩み、体の力が抜ける。
「回りの人は貴方を完璧でしっかり者だと見ていることでしょう。でもね、リィン。私は貴方が意地っ張りで泣き虫な女の子だってことを分かっていますよ」
「…っ……シスター…」
「ここは貴方の家で、私は貴方のお母さんなのだから、気を張る必要はないのですよ」
震える手でシスターに抱き着いて、私は再び壊れてしまって止まらない涙をポロポロと零した。
意地っ張りな所が出て、声だけは出さなかったけれど。
張りつめていた糸が緩んだ私は、心も体も酷く疲れていることに気がついた。
休みなさいと言われて立ち上がってもまともに歩けず、シスターに支えてもらいながら客間へ向かった。
何とか着替えてベッドに入ると、もう目が開かなかった。
「ゆっくりおやすみなさい」
というシスターの声を最後に、吸い込まれるように暗闇に落ちていった。
どこかへ行くという目的もなく、何かをするという目的もない。
ただ、惰性で歩いているだけだった。
まとめた荷物は小さなトランク1個だけ。
気付くと、それを胸に抱えて乗合馬車に乗っていた。
ぼんやりと見回すと、どこか懐かしい風景の中を通っている。
見覚えのある屋根を見つけたところで下車すると、そこは私が7才までいた郊外にある教会が運営している孤児院だった。
お屋敷以外に私が行くところと言ったら、やはりここしかない。
このまま違う街へ行ってしまえば良かったと気づいたときは、馬車はもう遠くに行ってしまっていた。
どちらにしてもここを離れるのであれば、最後にシスターにご挨拶をしていきたいと思った。
遅い時間だったので子供達は寝ているだろうが、シスターは起きているだろう。
玄関の呼び鈴を鳴らし、しばらくすると扉が開いた。
「はい、どちら様で………ま、まあっ、リィンじゃないですか」
「お久しぶりです、シスター。こんな夜分に申し訳ありません」
驚くシスターに、私は頭を下げた。
「何を言っているの、ここは貴方の家なのだから、いつでもいらっしゃいと言っているでしょう?」
にっこりと笑って、さあお入りなさいと言って下さるシスターに、泣きそうになりながらも頷いて扉をくぐった。
談話室に案内されて座った私の顔色を見た途端、シスターは心配そうな顔をした。
「リィン、貴方具合が悪いのね?酷い顔色だわ」
小さな子供たちを預かる孤児院の性質上、多少医療の心得があるシスターには、すぐに体調不良は見抜かれてしまった。
「…先日から、ちょっと胃と頭が痛くて」
でも大丈夫ですと笑って、シスターにも座ってもらう。
「アレス様はお元気かしら?」
「はい、毎日お仕事を頑張っていらっしゃいます」
「そう、良かったですね」
優しく笑うシスターは、私がここに預けられた時から7才でサーブル家に入るまで面倒を見て下さった母親代わりの方だった。
いつも優しく笑っていて、躾けはしっかりとするけれども暖かく見守ってくれる大切な存在だった。
「半年前に貴方とアレス様がスタートした施設拡張の計画は順調のようですね。ここの施設も先月から工事が始まっていますよ」
「あ、始まったのですね。良かった」
アレス様に、慈善事業の一環として孤児院出身の私の視点から何か良い案はないだろうかと聞かれて私が提案した案件だった。
孤児の子供が勉強する為の施設を増やし、教育する内容ももっと多様化したら将来の選択肢が増えるのではないか?という案が採用されて、ご主人様と少し前から一緒に進めていた事業。
事業の補助なとど言うのはおこがましいが、少しでもお手伝いが出来ればと、私も勉強しながらアレス様のサポートをしていた。
私の出身施設も恩恵を受けていることが、嬉しかった。
でも、それももう終わりになる。
「……実は私、お屋敷を辞めてきましたので、もうその計画には関われないのです」
「……え?」
きょとんとしているシスターに申し訳なくて俯きながら、屋敷を辞してきたことを伝える。
もちろん、今まで不満などなかったし、皆には良くしてもらった。
アレス様に落ち度などひとつもない。
全ては自分の我が儘だということはしっかりと説明した。
「アレス様が今度……ご結婚なされるので、事業の方は奥様になられる方が引き継がれると思いますから、ご安心下さい」
私が抜けても事業はちゃんと進められるので心配しないようにと、シスターに精一杯の笑顔を浮かべてみせる。
シスターは暫くの間、じっと私を見つめていた。
「……………アレス様がご結婚されると、誰かから聞いたのですか?」
「…え?……」
不思議なことを聞かれて、ふと思い返す。
「……あの……お屋敷に出入りしている業者の人から聞きました」
そう、モノリー商会の担当が言っていたのだ。
シスターはふうと溜め息を吐いてからゆっくりと立ち上がって、私の前に来た。
「……シスター?」
見上げようとした私の頭は、シスターの胸にふわりと抱き込まれた。
ああ、この感覚………懐かしい。
子供の頃、寂しくて泣いている時や辛いことがあった時、シスターは何も言わずによくこうして頭を抱きしめてくれた。
「……貴方はいつも頑張り屋さんで、辛い時も愚痴を言わずに心の中に溜め込んでしまう子でしたね」
ふふっと頭上から笑い声が降ってきて、張りつめていたものが急に緩み、体の力が抜ける。
「回りの人は貴方を完璧でしっかり者だと見ていることでしょう。でもね、リィン。私は貴方が意地っ張りで泣き虫な女の子だってことを分かっていますよ」
「…っ……シスター…」
「ここは貴方の家で、私は貴方のお母さんなのだから、気を張る必要はないのですよ」
震える手でシスターに抱き着いて、私は再び壊れてしまって止まらない涙をポロポロと零した。
意地っ張りな所が出て、声だけは出さなかったけれど。
張りつめていた糸が緩んだ私は、心も体も酷く疲れていることに気がついた。
休みなさいと言われて立ち上がってもまともに歩けず、シスターに支えてもらいながら客間へ向かった。
何とか着替えてベッドに入ると、もう目が開かなかった。
「ゆっくりおやすみなさい」
というシスターの声を最後に、吸い込まれるように暗闇に落ちていった。
2
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
「君を愛す気はない」と宣言した伯爵が妻への片思いを拗らせるまで ~妻は黄金のお菓子が大好きな商人で、夫は清貧貴族です
朱音ゆうひ
恋愛
アルキメデス商会の会長の娘レジィナは、恩ある青年貴族ウィスベルが婚約破棄される現場に居合わせた。
ウィスベルは、親が借金をつくり自殺して、後を継いだばかり。薄幸の貴公子だ。
「私がお助けしましょう!」
レジィナは颯爽と助けに入り、結果、彼と契約結婚することになった。
別サイトにも投稿してます(https://ncode.syosetu.com/n0596ip/)
【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
転生したら推しに捨てられる婚約者でした、それでも推しの幸せを祈ります
みゅー
恋愛
私このシーンや会話の内容を知っている。でも何故? と、思い出そうとするが目眩がし気分が悪くなってしまった、そして前世で読んだ小説の世界に転生したと気づく主人公のサファイア。ところが最推しの公爵令息には最愛の女性がいて、自分とは結ばれないと知り……
それでも主人公は健気には推しの幸せを願う。そんな切ない話を書きたくて書きました。
ハッピーエンドです。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない
エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい
最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。
でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。
嫌われ王妃の一生 ~ 将来の王を導こうとしたが、王太子優秀すぎません? 〜
悠月 星花
恋愛
嫌われ王妃の一生 ~ 後妻として王妃になりましたが、王太子を亡き者にして処刑になるのはごめんです。将来の王を導こうと決心しましたが、王太子優秀すぎませんか? 〜
嫁いだ先の小国の王妃となった私リリアーナ。
陛下と夫を呼ぶが、私には見向きもせず、「処刑せよ」と無慈悲な王の声。
無視をされ続けた心は、逆らう気力もなく項垂れ、首が飛んでいく。
夢を見ていたのか、自身の部屋で姉に起こされ目を覚ます。
怖い夢をみたと姉に甘えてはいたが、現実には先の小国へ嫁ぐことは決まっており……
結婚5年目の仮面夫婦ですが、そろそろ限界のようです!?
宮永レン
恋愛
没落したアルブレヒト伯爵家を援助すると声をかけてきたのは、成り上がり貴族と呼ばれるヴィルジール・シリングス子爵。援助の条件とは一人娘のミネットを妻にすること。
ミネットは形だけの結婚を申し出るが、ヴィルジールからは仕事に支障が出ると困るので外では仲の良い夫婦を演じてほしいと告げられる。
仮面夫婦としての生活を続けるうちに二人の心には変化が生まれるが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる