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産後の具合も良く、ジュディ様が明日戻ることになったと連絡が入って、私はほっとした。
もう昨日辺りから固形物が口に出来なくて、急速に体力が落ちてきてしまっていた。
常に頭痛と胃痛がして、顔色も誤魔化せなくなってきており、ギャレットさんや屋敷の使用人達からもひどく心配されていた。
医者を呼びましょうというギャレットさんに頑なに首を横に振って、
「明日にはジュディ様も戻られますし、そうしたらアレス様の屋敷でゆっくりと休ませて頂きますから」
と断った。
「リィン、どうしたの?どこか痛いの?」
ついにはランディ様にも気付かれて泣きそうな目で見上げられてしまい、私は慌てて誤魔化す。
「大丈夫ですよ、ちょっと先日から風邪気味で頭が痛いだけです。すぐに良くなりますからね」
「風邪のときは、おくすりを飲まなきゃだめなんだよ?リィン、おくすり飲んだ?」
おくすり、おくすりと騒ぐランディ様に、私は致し方なくお医者様に行っておくすりをもらってきますねと言って、外に出た。
薬局が近くにあるので、そこで風邪薬を買って見せれば納得するだろうと考えて薬局に足を向けた。
しくしくと痛む胃を抱えながら薬局から戻る途中で、ふとアレス様のお顔が無性に見たくなった。
もうひと月もお会い出来ていない。
お元気だろうか?
お仕事で夜更かしされていないだろうか?
ご主人様のお好きな香りで執務室は満たされているだろうか?
美味しい紅茶を飲まれているだろうか?
気になりだしたらいてもたってもいられなくなり、つい足がサーブル家に向いてしまう。
陰から少しだけでもお姿を拝見したい。
通りを渡り、少し行ったところで左に曲がれば屋敷が見える。
「あら?……」
角を曲がって見えたお屋敷は、少し見た目が変わっていた。
もう少し近づいてみると、2階のアレス様のお部屋の横に新しい部屋が増設されていた。
改築すると言っていたのは、ここだったの。
中庭に面した日当たりの良い場所で、いずれご結婚されたら奥様の部屋をそこに……
突然、色々なピースがカチッとはまり、私は呆然となった。
まさか、そういうことなの?
その時、新しい部屋の窓から会いたくて堪らなかったご主人様の姿が見えた。
「ああ……ご主人様……」
ひと月ぶりに見るアレス様のお姿に、感激が込み上げてきた。
陽射しを受けて輝く金髪も、鮮やかなエメラルドの瞳も、背筋のスッと伸びた立ち姿も、なにひとつ変わらないお姿にほっとする。
でも次の瞬間、すっと横に現れたマリエ様の姿に、ハンマーで後頭部を一撃されたくらいの衝撃を受けた。
にこやかに笑い合って話している2人の姿は、まるで1枚の絵画を見ているかのように美しかった。
やはり、そういうこと……
その時、裏門からちょうど出てきた人物を見て、私は急ぎ足で近づいた。
「すみません、モノリー商会の方ですよね?」
「え?……ああ、リィン様じゃないですか。お久しぶりです」
年配の男性は、たまに家具などを買い付けている商会の担当者だった。
「この間お伺いしたら、別の執事さんに変わっていて驚いたんですよ」
「すみません。しばらくの間、妹君のジュディ様のお屋敷にお手伝いに行ってまして」
不在の説明をすると、なるほどと納得してくれた。
「あちらの奥様はご出産されたと聞きました、おめでとうございます」
「ありがとうございます。それであの……こっちの改築の進捗状況が気になりまして」
「ああ、大丈夫ですよ。昨日内装も仕上がりましたし。ひと月で完成させるのは少し強行軍でしたけどね」
カマをかけたら上手いことスラスラと話してくれた。
「もうすぐご結婚なさるとお屋敷の方に聞きましてね。今度はお祝いの品を持ってお伺いさせて頂きますよ」
めでたいこと続きですなと笑いながら、年配の担当者は去っていった。
「そう……なの………ご結婚される…のね……」
メキ、という心が折れる嫌な音を聞いた気がする。
全てに合点がいった。
新しく雇った執事に屋敷の切り盛りをまかせ、奥方になる方が他の事を仕切る。
そうだ、ヨハンが引き継がなかったものは、本来ならば奥様がやるべき事柄だった。
今までは奥様がいなかったから執事である私が肩代わりしていただけで。
では、明日屋敷に戻ったら、ヨハンに引き継いでいないその残された物をマリエ様に引き継がないといけないの?
増設された真新しい奥方の部屋で、事業のサポートや、ご主人様の体調に合わせた香選びや、お好みの紅茶の種類や入れ方……
「っ……ぐっ…う……」
急に吐き気が込み上げてきて、その場にうずくまる。
胃が燃えるように熱い。
頭もガンガンして冷や汗が滴った。
押さえ込んできた感情が、出口を求めて荒れ狂っている。
だめ、もう少し、あと少し我慢しなくては。
必死に壁に手をついて立ち上がり、よろけながらも屋敷から遠ざかる。
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