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昼前に外出したご主人様が戻られたのは、夕方。
玄関で召使い達と共にお迎えに出た私は、ご主人様の横に立つ背の高い青年に少し驚いた。
外出の際に、お客様を連れてくるとは言われていなかったのに。
歳は私より少し上なくらいだろうか。
ご主人様よりは少し低い身長だけれど、私は見上げる形になる。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいま。急に連れてきてしまったが、彼の名はヨハン。執事見習いとして雇うことになった。リィンの下につけるから、指導をお願いしたいんだ」
「え……」
下げた頭を上げてご主人様を見上げたまま、私は固まった。
一瞬、自分の耳を疑った。
ご主人様は、今なんとおっしゃられた?
「執事……見習いですか?」
「そうだ。本当は来月から来てもらう予定だったんだが、事情が変わって早く来れることになったのでね。私の方も早く来てもらいたかったから、突然で申し訳なかったが連れてきてしまったんだ」
後ろで召使い達がザワリと動揺するのを感じて、我に返った私は慌てて頭を下げて了承した。
「かしこまりました。では本日は客間の方に、明日には部屋を用意します」
「うん、よろしく頼む。ヨハン、リィンは屋敷の全てを把握しているから、分からないことは全て彼女に聞くといい」
「ありがとうございます、ご主人様。リィンさん、よろしくお願い致します」
ご主人様にお辞儀をしたヨハンは、次に私にも頭を下げてきた。
挨拶も言葉もしっかりとした青年だ。
「よろしくヨハン。では、こちらに」
私は体の震えを必死に抑えながら、ヨハンを客間の方へ案内した。
普通、執事見習いを入れるということは、職を引継ぐ時だ。
まさか私は………解雇されるのだろうか?
いや、稀に即使える執事が欲しい所などもあって、その場合は違う場所でしばらく修行を行い、それから向かわせるといったこともある。
……本当に稀なことだけれど。
でも、ご主人様からは解雇とも何とも言われていない。
違う仕事を割り振られる可能性だってある。
心の隅でピシリと何かが音を立てたが、無視した。
得意のポーカーフェイスで動揺を押し隠し、とにかくご主人様の力となれる様にヨハンをしっかりと教育することに専念しようと思った。


数日もすれば、ヨハンが優秀な執事であることは分かった。
聞けば、違う大きな屋敷で既に執事を何年もやっていたという。
ただ、そこの屋敷が別の領地に移ることになり、この地を離れたくなかったヨハンはその屋敷を辞してきたそうだ。
「恋人がいるんです。その子の親が病気でこの地を離れられないので、私もこちらに残りたかったんです」
少し照れながら、ヨハンは来年結婚したいのだと話した。
「親御さん思いの良い娘さんですね。それは幸せにしてあげないと」
誠実で真面目な好青年であるヨハンを、私は全力で応援してあげたかった。
執事業務の基本は既にマスター済のヨハンには、この屋敷独特のやり方や癖を覚えてもらえば良いだけだったので、一からの指導よりも全然楽だった。
後は他の使用人達の性格を把握して、適材適所の仕事の割り振りが出来るようになれば問題ない。
「……ここで、最初の部署に連絡が回って全部署に通知が行きます。何か不明な点が出た時は、その都度聞いて下さいね」
ヨハンは理解も早くて正確なので、すぐに馴染めるだろう。
「ありがとうございます。これは前のお屋敷よりも格段に効率が良いですね。このシステムはリィンさんの考案ですか?」
「ええ、急ぎの伝達の場合は時間が最優先になるので、余分な所を極力カットしたんです」
「いいですね。サーブル家には有能な女性執事がいると噂に聞いていましたが、本当でした」
にこにこしながら言うヨハンの言葉に少し驚いたけれど、すぐに思い直す。
「……噂なんて当てになりませんよ」
私より優秀な執事など、たくさんいる。
全力で勤めているつもりだけれども、まだまだ他には及ばないだろう。
「では厨房の方に行ってきますので、こちらの書類をお願いしますね」
厨房に向かいながら、気持ちが沈んでいく。
もしそんなに優秀な執事ならば、見習い執事が入ろうともこんなに動揺したりはしないだろうに。
自分に全く自信が持てなくて、溜め息が出た。
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