咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第四章

105.闇を抱く者の正体

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 空気が変わる。
 辺り一体の光が急速に失われ、生暖かな風が吹きそよそよと髪を揺らす。
 
 来るかっ。
 
 体は瞬時に危機を察知し身構える。
 脆弱だった風は突如渦巻き、切り裂くような風に変わる。
 木々はその身を大きくしならせ、激しく揺らされた葉は狂乱したように宙で踊る。
 細めた視界でしっかりと目視出来た。
 カイリの体から這い出るように闇が伸びていく。
 緩やかに伸びたそれは次第にうねりを増し、燃えるようにカイリを包む。
 激しい怒りと憎悪を孕むそれは、触れればこの身が焼きつくされると思うほどに。

「カイリ」

 声は届いているのか分からない。
 ただ殺気を放つ瞳が、俺を捉えて離さない。
 俺の知っていたカイリという人間が壊れていく。
 
 やはり、カイリがカルディアだったのか?

 走馬灯のように、カイリと過ごした記憶が蘇る。
 それら全ては、偽りだったのか。
 だが、隊が結成する以前その時は本物のカイリだった。

「リナリアも、ヴァンも嘘つき……嘘つき! 嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つきっ!!」
「カイリさん」

 ぎゅっとリナリアが背を握る。
 その手から伝わる恐怖や困惑が、俺に刃を抜かせようとする。
 
 もう俺の知るカイリではないんだ。
 なら、やるしか。
 ふん、っとカイリは冷たく鼻で笑う。

「やっぱり、あの人が言った通りだったんだ」
「あの人? カイリさんあの人って誰ですか!? 誰に何を言われたんですか!!」
「リナリア!」

 飛び出そうとするリナリアの前に腕を出し制止させる。カイリは悪魔のように顔を歪め、無防備に悪意に当てられる肌は一層ピリピリと痛む。
 
「なんで、貴方なの」
「なに」
「私の方が先に会ってたのに。貴方よりも長く一緒にいて、私の方がよく知ってるのに」
「なんの話だ」

 俺の問いかけに鈍いなぁ、っとカイリは頬を緩ませる。
 纏う闇に対して、少女のような無垢な笑み。
 その歪さに背が粟立つ。
 リナリアを押し、背に立たせ一歩下がる。
 その間を詰めるようにカイリは一歩、そしてまた一歩と近づいてくる。
 
「ねぇ、ヴァン。どうしてなの、どうしてリナリアを選んだの?」
「なんの話だ」
「笑ってほしいって、ずっとそう思ってそばにいたよ。ずっと近くで、誰よりも見てたよ」

 なんという目で俺を見てくるのだろう。
 受けた感情は愛憎。
 瞳に宿した熱は、愛しさとも憎しみともとれた。
 あまりの強烈さに目を背けたくなる。
 しかし、背けたら次の瞬間何が起こるか分からない。

「カイリ、君はカルディアなのか」
「カルディア? 何それ? 私は私だよ。ずっと貴方を見ていた私」
「俺を……何故」
「それはね」

 目の前に立ったカイリは、にっこりと俺の知っているカイリと同じ笑みをする。
 
「私がヴァンのこと好きだから」
「なにを……言っているんだ」

 なんだ、この状況は。
 カルディアは俺を惑わそうとして言ってきてるのか?
 隙を作ろうとしている?
 それとも訳の分からないことを言って、やり過ごそうとしているのか。
 さまざまな疑念が頭の中で混濁するが、それでもいつも向けてくれていた変わらない笑みを見ると、ぐっと胸に何か込み上げてくる。

「私ならヴァンを幸せにしてあげられる。ずっと笑えるようにするよ」
「俺は、別に幸せじゃないなんて」
「なら、どうして苦しそうな顔ばかりしてるの」
「仕方ないんだ。今はそんな場合じゃ」
「私だったら、ヴァンに悲しい顔をさせない。ずっとそばにいてあげる」

 悪魔の言葉なのかまだ判断がつかない。
 ただ、そばにという言葉がぐるぐると頭の中を巡る。ぎゅっとリナリアが背を掴む。

 この手を感じていたい。
 俺はずっと、リナリアのそばにいたいんだ。

 いかなる罪をつくろうとも叶えたい願い。
 彼女にしか持てない思い、自分の欲望故の覚悟は何者にも変えられない。

「誰に何を言われようと、俺はリナリアのそばにいる」
「――っ! ヴァンは、騙されてるよ! 辛い顔ばっかりさせて、リナリアはヴァンのこと何も分かってない!」
「……分かってるさ。彼女は本当の俺を受け入れてくれた」
「本当のヴァン? なにそれ」

 人ではないこと、悪魔の血を宿していることをずっと黙っていた。
 自分の口から話したのは、カイトとリナリアだけだ。心から信じている二人。
 その秘密を打ち明けることが、今何故かすべきことだと胸が訴えかけてくる。

「俺には悪魔の血が流れている」
「悪魔? あははっ! ……何それ? 下手な嘘つかないでよ」 
「ずっと隠してきてすまなかった。母は、瘴気の原因を作った悪魔の一部だ。だから、俺も」
「私が聞きたいのは、そんな言い訳じゃないっ!」
「言い訳じゃないっ! 俺は……人じゃない」
「!!」
 
 わなわなと体を震わせ憤怒していた顔が、みるみると蒼白してゆく。
 そして、頭を抑えしゃがみ込み呻き声を上げる。

「カイリさんっ!」
「カイリ! どうしたんだ!?」
「所詮お伽話。願いをかけても……叶うことなんてないって分かって、いたんだけどな」

 カイリの形が歪んだ。
 何が歪んだのか、そう、腕。
 鬱血したように変色し、ぼこぼこと表皮が膨れた。
 
 カイトと、同じ。

 死んだと言われたカイトの体の異変を彷彿とさせた。

 それは瘴魔への変貌。

「カイ、リ」
「笑って欲しいなんて……私もできなかった」
「ダメだ、カイリっ!」
「わたし……どうなっちゃうの、かな。自分がよく分からないの。すごく怖いのに、本当は、こんなこと言いたくなかった。したくなかった。ただ……ヴァンが好きだっただけなのに」
「カイリさんっ!」
「リナリア、ごめんね。うぅ嫌だ、イヤだよ。こんナスガタ、ミラレ……」

 カイリの声と誰かの声が重なって聞こえた。
 一体何が、カイリはカルディアではないのか!? 
 しかしこうなってしまった以上、斬らなければ……俺には瘴魔に変わるカイリを止める手立てがない。
 
 救えなかった、のか?
 
 そう、なってしまうのか。

 見殺しにしてしまうのか?

 俺は、仲間を殺してしまうのか。

 ぐっとグリップを握り、鞘から剣ぎを抜こうとした。
 リナリアが横を抜ける。

「はっ、リナリアっ!?」

 リナリアはカイリへ飛び込み、何かを押し当てたと同時に人とは思えない奇声があがる。
 爆風が巻き起こる。
 断末魔のような叫びと共に、リナリアの声が聞こえた。

「お願いエリン様、力を貸して……」

 眩い光が辺りに広がる。
 反射的に目を瞑る。
 何がっ、リナリアとカイリは!?
 相殺されたように風はやみ、あたりが落ち着きを取り戻す感覚に目を開ける。
 カイリは地面に伏し、リナリアが叫んでいる。

「カイリさんっ!」
「リナリアっ! 大丈夫かっ!?」
「私は、平気」
「そうか。カイリは」

 腕は元に戻り、姿も人のままだ。
 今はただ、眠っているように見える。
 
「闇が消えたから、カイリさんも大丈夫だと思う」
「……カイリは、カルディアじゃなかったのか?」

 リナリアは返事をせずに腕輪を見つめている。
 あれは。
 一際大きく光を止めていた青い石に、裂いたような亀裂。
 リナリアはカイリに腕輪を使ったのか。

「リナリア、それは」
「カイリさんは、カルディアじゃない。きっとセラートさんと同じ」
「セラートと?」
「初めて会ったときのセラートさんと同じ感じがしたの。セラートさんはあの時、怒りが止められなかったって言ってた」

『ただ、どうしようもなく怒りが収まらなかった』

 郷里の友を亡くし、それをリナリアのせいだと恨んでいた。そのせいで自制が効かなかったと言っていたな。

「きっとカルディアは憎悪を持つ人に闇を植え付け増幅させる。昨日からこの町がおかしいのもカルディアのせいだと思う」
「カルディアは何を」
「リナリア様っ!」

 後ろを振り向くと、血相をかいたミツカゲ。
 立ち上がったリナリアの前に立ち、息を切らしながら口を大きく開く。
 だが気まずそうに顔を下げた彼女への言葉をぐっと飲み込んだ。

「ご無事で、なによりです」
「心配をかけて、勝手なことをしてごめんなさい」
「……まったくです」

 ふわりと口元に笑みを浮かべるミツカゲは心底安堵したのだろう。
 しかし、倒れているカイリに目を向けると途端険しい顔つきに変わる。

「リナリア様、この女は」
「……」

 リナリアは腕輪をミツカゲに差し出す。それを見たミツカゲは目を開く。

「カルディアに触らせたら、次は多分壊れちゃう」
「それでは」
「うん。これがないと私は、あちらの世界への道を開くことができない」
「まだ何か、方法があるはずです。突き止める手段はまた別に考えましょう。しかしまさか、ここまでとは」
「……それほどカイリさんの思いが強かったのかもしれない」

 強い思い。
 カイリがカルディアでなかったのなら、さっきの話は本当なのか?
 気づかなかった、長く一緒にいてもそう思ったことはなかったから。

 すまない、カイリ。

 今は謝罪の言葉しか出てこない。
 リナリアは膝をつき、倒れているカイリの手をぎゅっと両手で包み込む。

「カイリさんを私たちが取っている部屋へ運んでくれる」
「な、何故ですか!? いくら浄化したとはいえ危険では」
「憎しみを増やすために、カイリさんは誰かに何かを吹き込まれた。それの相手を聞かないと……多分、その人が」
「カルディアの可能性があると?」
「カルディアは私には、闇を消し去ることができないと思ってカイリさんに接触した。今の状況はカルディアにとって誤算……だからカイリさんの身も危ないの」

 逆を言えば、カルディアに腕輪の存在が知れたことがこちらの誤算だ。
 それを承知でリナリアはカイリを助ける道を選んだ。

「ごめんなさい、全部私のせい。カルディアはこの腕輪の存在にきっと気づいた」
「リナリア様」
「カイリさんがもし、覚えていなかったら。その相手が違ったら、もう」
「もう、なんなんだ」

 考えるよりも先に、感情が飛び出した。
 聞きたくなかった、言わせたくなかったからなのか……もう、無理だ、っなんてそんな未来。
 リナリアは何も言わず立ち上がる。

「ミツカゲは、精霊の声が聞こえる?」
「いいえ。ですが、トワに会い話をしました」
「そう。トワは管理者が怒ってるって言ってた。多分私の選択を怒ってるんだね」
「なんと無礼な」
「いえ、あの方の怒りはまた別なものな気がします」

 よろよろとした足取りでトワがこちらへ来る。
 調子はまだ変わらなさそうだな。

「リナリア様、ご無事で何よりです」
「トワっ! もう大丈夫なの?」
「はい。肝心な時にお力になれず申し訳ございません」
「私のせいでトワにまで……本当にごめんなさい」

 気まずい空気。
 私のせい、っとさっきからリナリアは、仕切りに自分を責め立てる。
 彼女の生きたいと思う気持ちが、神も悪魔も拒絶するのであれば今の心境はかなり良くない。
 この話は長くしない方がいい。

「とにかく今はカイリを運ぼう」
「……そうだね」

 倒れているカイリに手を伸ばすと、ミツカゲが横から割り込んでくる。

「この女は私が運ぶ。貴様はリナリア様のそばにいろ……先に行く」

 珍しい。
 リナリアを俺に任せるというのか?
 去っていくミツカゲのあとをリナリアは追い、カイリに語りかけている。そしてローブの中から何かを取り出しカイリの手に握らせていた。

「ヴァンさん」
「トワ、大丈夫なのか」
「心配は無用でございます。それよりもリナリア様のことをお願いいたします」

 トワの顔は、憂いていた。
 トワもリナリアのそばにいてやれと言っているのか。わざわざ二人に言われなくともそのつもりだった。

「心配するな。彼女のそばには俺がいる」
「はい。貴方のそばにいることがリナリア様にとって一番良いかと。我々は宿で待っておりますので」
「悪いが俺は、今日彼女を帰さないかもしれない」

 今回のことで決めた。
 放っておくと、すぐにどこかへ行ってしまう。
 彼女が一人で戦うというのなら、俺を置いていくというのならもう彼女のそばを離れない。
 トワは呆気に取られた顔をするが、すぐに苦笑をする。

「まぁ、困りましたね。しかし、リナリア様も望むのであれば……淫らな行動だけは謹んでくださいね」
「なっ、そういうつもりで言ったわけじゃ」
「ふふ、冗談ですよ。ただどうか、今回の件でリナリア様を責めないで下さい」

 彼女の落ち込み具合から、責め立てようとは思っていない。ただ小言ぐらいは。

「この町の状況は、急迫しています。事態が悪化する前にリナリア様は、一刻も早くカルディアを倒さねばとそうお思いです」
「だからって、一人で解決しようとすることは認められない」
「えぇ。ですが、貴方には仲間を手にかけてほしくはないのですよ」
「なんの話?」
「!!」

 びっくりしたな、いつからいたんだ。
 今の話聞いてないよな?ぽかんとしてるから大丈夫そうか。

「いえ、リナリア様もヴァンさんと積もる話があるでしょう。私もミツカゲと話がありますので先に行きます」
「えっ!? ま、待ってトワ」

 リナリアは置いていかないでと言わんばかりに、トワの背に手を伸ばしている。
 そんなに驚いて、なんだか嫌そうな感じだ。なんなんだ。

「俺といるのは嫌そうだな」
「違うよっ! そうじゃなくて、ヴァンは私といてもいいのかなって」
「なら、他にどこへ行けばいいんだ」
「家に帰るとか……カイリさんのそばにいるとか」
「確かに心配だが、二人がいるなら大丈夫だろ。それに俺は君に話があるからな」
「話? なに?」
「ミツカゲから聞いた」

 全てを察したのか途端リナリアの表情は曇りだす。
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