咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第三章

86.それでも貴方に会いたかった①(リナリア視点)

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 運命を受け入れる覚悟は、できていた。
 だけどそれは、自分だけということまで考えていなくて、大切な人をこれほど深く傷つけてしまうなんて……その覚悟は私には足りていなかった。
 私が与えてしまった痛みに打ちひしがれる二人の姿に、自責の念が押し寄せ仕方ないと正当化する事すら許さない。
 溺れてしまうような息苦しさは、私の鼓動をどんどんと弱くさせる。
 みんなの為に、大切な人が笑って生きていけるようにと思ったのに……何が正しさなのか私には、もう分からなくなってしまった。
 容赦ない責苦から絶えず二人に謝罪をするけど、ミツカゲとトワはそれでも手を差し伸べようとしてくれる。
 諦めないで、戦うから生きようと。
 だけど私にはその手を取った先の未来に覚悟はないから、騎士を辞めるって言いに行かないとね、っと無情な言葉を二人に吐き、また歪な笑みを浮かべる。



 一夜明けた朝だけは、まるで私の決断を喜んでくれるような多分、よく晴れた空が広がっている。
 多分と曖昧なのは、なんだか霞がかったように朧げな青であったので、それを確かめたくていい天気だよね、っと大通りの隅を歩く私が空っぽな声で尋ねるとそうですね、っとトワは疑念のようなものもって返事を返してくれた。
 トワの目にはこの空は、どう映っているのかな。
 長いローブを羽織り素性を隠すように深々とフードを被ったミツカゲとトワは、いつもは私の一歩後ろを着いて歩くけど、今日はずっと隣を歩いてくれる。
 会話のない私たちとすれ違う町の人は、楽しそうに話していたり、穏やかな顔で店先を眺めていたり、黙々と歩いていたりそれぞれだけど、誰の目にも光は宿っていて、今日も変わらぬ日常を送ることに、誰一人一切の疑いを抱いていない。当たり前だけどね。
 
 自分で言った通りに私は、騎士であることを辞めた。
 聖王の前で申し出るのは、普段であれば吐き気を起こすくらいの緊張に、立ちすくんでしまうのだろうけど、自分でも驚くほどすらすらと言葉を口にできた。
 予想通りに引き止められはしたけど、私はこの国ではなく、世界を守らないといけない。
 全てを話しても、眉間に皺を寄せ納得できない表情を浮かべていたけど、信仰の対象である精霊のトワが制するようなことを言えば、聖王は口を噤んでしまった。
 立ち去る前、最後聖王は私にありがとう、っと言った。
 何のお礼か分からないけど、重く威厳ある双眸の奥に見えた痛みから私なりの解釈をしたら、また息苦しくなって何も言わずその場を後にした。
 とりあえず一つ肩の荷が降りたけど、私の足は弾むことはない。
 この国の行末、ううん、この世界自体不透明だけど、それでもみんなが幸せに生きてくれるように頑張らないと。
 それを見届けられたらいいのに、ルゥレリアは下界に降りることはないってフォニは言ってだけど、たまには遊びに来たりしないかな。そうしたら私は、擬似的に世界を旅する夢も、叶えられるかも知らないね。
 消えてしまった夢を思い、霞んだ空を見上げる。
 ゆっくりと流れる雲の中、楕円形にふにゃふにゃと四本足がくっついたような雲が目についた。

 あ、あの雲、変な雲……なんだか、目玉さんが手を振ってるみたい。

 結局目玉さんって、なんだったのかな。
 私も他の世界と人と同じように、神様に選ばれて力を与えられたのかと聞いた時そうといえばそう、ってはぐらかされた。あの曖昧さは真実を知っていたのに、あえて隠していたのかな。
 フォニに聞いてみたらよかったかもしれないけど、もう会うことはないから分からずじまいになってしまう……もう、関係ないか。
 頭を垂れ下げ、吐いた重い息は小さな歩幅で歩く足を更に鈍いものにさせる。
 家の物も片付けた。
 もともと忙しくて物が少ない部屋だったけど、やっぱり思い出はあって、処分する間は口を開くことができなかった。トワがやってくれるって言ったけど、それはそれで酷なような気がして自分の手でやり遂げようと思えたし、私の時間はあまり残されていないことが、否が応でもそうさせてくれた。
 この国での立場も私の物も捨て、あと置いていかないといけないのは……私の友達。
 ふと、トワが立ち止まる。
 私も足を止め、振り向き見上げるとフードの中から見える薄紅の瞳は、複雑な色を宿して正門の方を見つめている。

「トワ、どうしたの?」
「リナリア様、ミツカゲ」
「何?」
「なんだ」
「どうやらエリン様は、使いをこちらにお送りになったようです。もう時期にアナスタシアに着くでしょう」
「そうか」

 ミツカゲはエリン様との約束を無視していたから、きっと使いを送らせてしまったんだね。
 どんな気持ちで私を待ってくれていたかと想像したら、途方もない不安が襲い出しその焦燥が自身の死期を早めようとする。

「ねぇ、わざわざここまで来てもらわなくても、今から出てこっちから会いに行けばいいんじゃないかな。大変だろうし」
「いえ。ここを出る前に、やらねばならないことがあります。ですからここで、使者を待ちましょう」
「え、うん……一人でどこか行くの?」
「よろしいでしょうか」
「もちろん、いいけど」

 珍しい。
 ミツカゲに用事がではなく、私から離れてする用事。いつも自分の用があっても、私を連れ回すのに。
 何をするのか気になるけど、聞くのは無粋な気がした。ミツカゲも天へ帰ってしまうから、この世界から離れる前に彼なりにやりたい事があるはず。そして、私もまだ用事がある。最後の約束。
 その間に悪魔が来てしまったらと不安がないわけでないけど、自分が神の片割れだと自覚し、全ての記憶が戻ってから不思議と悪魔との距離を感じるようになった。
 まだ世界と世界の壁を打ち破る気配はないけど、着実にその手は近付いてきている。
 それでは後ほど、っとミツカゲは私から視線を外した途端、底冷えするような冷たい目に変わり鋭い目で先を見据える。
 静かに去って行くその背は、水面下に震える怒りを蓄えたようなそんな背に見えた。
 どうしたんだろう……何をそんなに怒ってるのかな。やっぱり何をするのか、聞けばよかった。

「ミツカゲ、どうしたのかな」
「リナリア様」

 ミツカゲが人の中へと消え、見えなくてなった頃に、トワが私の耳元に近づき声を潜め話しかけてくる。
 何かな?

「どうしたの、トワ?」
「ミツカゲにはあえて言いませんでしたが、使いの者と一緒にあの方もおります」
「あの方? 誰のこと?」
「貴方の隊長さんですよ、元ですが」
「……へっ」

 ミツカゲへの憂慮が、消し飛んだ。
 ずっと消えてしまいそうな鼓動を打っていた心臓が、息吹を取り返したようにドクドクと大きく脈打ち出す。
 自制を忘れるような、歓喜に胸が震えた。
 目の奥がじんわりと熱くなり、唇が小さく震えだす。

 ヴァンに、会えるの?
 もう、会えないと思っていた彼に、最後会えるの?
 
 その希望は、新たな憂慮からすぐに絶望に変わる。
 上げそうになった口角を下げ、弾む声で尋ねそうになった口を噤む。
 飛び上がりそうになった体は重くなり、駆け出しそうになる足は、そこは立ち止まったまま私は下を向く。
 
 何しにアナスタシアに来るの。
 どうして、使いの人と一緒なの。
 もしかして……私のこと全部、知ってる?

「どうして」
「何用かは知りませんが、使いの者と同行しているのなら、もしやリナリア様に」
「それって私のことが、知られてるかもしれないってこと?」
「それは……分かりません」

 いや、嫌だよ、知られたくない。
 
 知ったら悲しむって分かってるのは自惚ではなく、彼がとても優しい人だと知っているから。カイトさんを失ってあんなに塞ぎ込んでいたのに、また悲しい思いをさせたくない。
 それに、彼に言った。
 自分が死ぬのなら、会えてよかったと思って欲しいって。そう思ってもらえる別れの仕方を、今の私はもう分からないし、そもそもヴァンにとって私は泥棒。彼の大切な本を奪った私は、どんな顔をして会えばいいのか分からない。
 ごめんね、っと謝って返せばいいかもしれない。
 でも、っとズボンのポケットにしまってあるお守りを、ぎゅっと服越しに掴む。

「どう、されますか」
「……私は、会わない」
「よいのですか」
「うん」

 なにより、希望を与えてくれた彼に会ってしまえば、きっと私は……。

「トワ、もしヴァンが私に会いに来ても連れてこないで。私はこれこら森の中のお花を見に行くから、そこに後で来てね」
「……ジュンとダイヤは、どうされるおつもりですか」
「あのね、今から二人と待ち合わせてるの」
「……そう、ですか」

 すごく気が重いけど、言わないとね。
 
 何か言いたげな目をしているトワを置いて、私は歩き出す。
 変わらぬ今日を送る町の人の中、身を隠すように下を向き続けて歩いた。
 町の外に出て森の中に続く砂道を歩く間も、憂いを溜め込んだ息を吐き続け、道を逸れ、禁足地である森の中に恐るように一歩踏み入れる。いつもは平気で入って行くのに、この足の重さは顕著に私の思いを表す。
 何度も通った獣道。
 なんだか、今日はやけにこの森が嬉しそうな気がする。何かいいことでもあったのかな?
 いいな、みんな楽しそうだね。
 迷うことはないのに、今は迷ってしまいたいとゆっくり進み、約束の場所に出る。

「リナっ!」

 森の開けた場所に出ると、すぐに私に気がついたジュンちゃんが嬉しそうに手を振ってくれる。それに感情が込み上げてきて、少し滲んだ二人へと得意になった笑みを向ける。

「ジュンちゃん、ダイヤ。お待たせ」

 ジュンちゃんが駆け寄ってきて、私に綺麗な笑みで笑いかけてくれる。

「いいよ、私達も今来たとこ。でも、朝いきなり精霊から知らせを聞いてびっくりしたよ。リナが急に呼び出すなんて珍しいね。何かあった?」
「あ、うんっとね」

 お別れを言う為に呼び出したのに、ジュンちゃんの曇りない笑みが私の端切れを悪くさせる。
 どうやって、切り出したらいいのかな。
 なんて言ったらなるべく、二人を悲しまないで済むのかな……。

「たくよっ! 何が楽しくて、毎年花なんて見ねぇといけねぇんだっ!」

 おどおどとしている私に痺れを切らしたのか、ダイヤが声を上げ、その声量に思わずビクッと体が跳ねる。

「なら、来なくていいのよ! 来年からお兄ぃは、誘わないんだから!」
「なっ! ジュンてめぇ!」
「なに? 本当は一緒に見たいんでしょ? なにのいっつも余計なことばっかり言って、だから取られちゃうのよっ! 意気地なしっ!」
「なっ馬鹿やろっ! 勝手なこと言ってんじゃねぇっ!」

 離れた距離で怒鳴り合う二人の会話の内容はよく分からないけど、それは昔からで今に始まったことじゃないのは、会った時から変わっていないってこと。
 それが嬉しいって、今更分かったよ。
 ジュンちゃんがもういいよ、っと私の手を引き花畑まで連れて行こうとしてくれるけど、足が鉛みたいに重くて不覚にもつまづいてしまう。
 だけど、繋いでくれている手に体が支えられ、地に伏せずにすんだ何でもない出来事が、私に友達の手を強く握らせる。
 徐々に光が濃くなり、甘い花の匂いが私を包むように広がり出す。
 その匂いが、毎年見ていた光景を脳裏に甦らせ、きっと今年も綺麗に咲いたのだろうと、期待に胸が膨らむ。
 ジュンちゃんと立ち止まり、眼前に広がる白い花の群生を見渡す。
 息を飲む。
 そして、みるみる膨らんだ胸は萎んでいく。
 緑の中、健気に咲く白い花たちはちょうど真上を来る日の光を浴び、森の中を抜ける風にゆらゆらと踊らされ互いの身を寄せ合っている。
 変わらない、毎年見ていた光景と変わらないはずなのに、こんな感じだったかな。いつもはもっと、綺麗だと思えたのに。
 味気ないというか、何も感じない。
 
 そっか。

 もう、心から抜け落ちてしまったんだ。
 何を見ても色褪せてしまって、あんな焦がれていた世界なのに。
 
「今年も綺麗に咲いたね」
「うん」
「三人でこの花を見るのは、何回目になるかな」
「うーん、7回、8回かな」
「最近さ、霧も起きなくて落ち着いてきたし、今度出かけようよ」
「え、お出かけ……」
「だってせっかく服あげたのに、着る機会ないでしょ? だからねアナスタシアじゃなくて、他の町で買い物したり、リナの好きな甘いもの食べに行こ」
「えっと……どうしようかな」
「なにぃ? ふふぅん、分かった。なら、ガンガルドでもいいよ」
「ジュ、ジュンちゃん」

 意地悪な笑みをするジュンちゃん。
 相談した時は答えをくれなかったけど、ジュンちゃんは私がヴァンのこと好きだって、やっぱり気づいてる。だから彼のいる町に行こうと、提案してくれたんだよね。
 前の私だったら、彼に会えるのなら喜んでその誘いに乗ったよ。
 
 ……会えるのに、今。

 その思いを握りつぶすように、ぎゅっと手のひらを握り込む。

「はっ! もう二度と行かなくてもいいだろ」
「なんでそれを、お兄ぃが決めるのよ」
「行く用は、ねぇって言ったんだっ!」
「だからなんで、それを」
「るせぇなっ。そろそろ、行こうぜ。腹減ったわ」

 胸が細い針で刺されたように、チクチクと痛んだ。
 ダイヤはお腹が減ったんだ。
 人ではないと知ってから、私に空腹というものは感じなくなってしまった。でも昨日の今日だから、ただ単に気分かもしれない、なんて……どうでもいいよね。
 
「はいはい、分かりましたよぉ。じゃあ行こっかリナ。来年も見にこようね」
「えっ?」

 二人は踵を翻し、歩き出す。
 ま、待って、まだ、行かないで……言わないと。
 なんで、声がうまく出せない。
 だって、また傷つけるの。
 でも、今言わないと、もう会えないのに。
 離れていく、二人の足音がやけに大きく聞こえる。
 これ以上離れたら、もう……追いつけない。

 言わないとっ。
 
「ジュンちゃん、ダイヤッ!」
「ん? なに、リナ」
「なんだ」

 二人が振り向き、私を見て目を丸くした。
 驚きを露わにした目が更に私を切迫させ、まるで言葉を忘れてしまったかのようにう、とか、あ、とかしか言えなくなる。
 言いたくないけど、言わないと。
 ミツカゲとトワと同じようにまた悲しませてしまうかも……でもお別れを言う機会があるのに言わないのは、あとできっと二人を落胆させてしまう。
 勇気が欲しいと、私はお守りを服の上から触れると、貴方が私の背を押してくれた気がした。
 二人を真っ直ぐに見つめる。
 ダイヤはぽかんととしてるけど、ジュンちゃんは私の異変を感じ取ったのか、心苦しそうな目をしている。
 そんな二人に、お別れ。
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