咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第三章

85.いつもそばに(リナリア視点)

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 フォニが消えたのと同時に背を誰かに思いっきり引っ張られ、止まった情景が吸い込まれるように遠のいて行く。
 私は誰もいないそこへ最後、熱の篭る指先を伸ばした。

 勢いよく瞼を開く。
 バクバクと鳴る鼓動が頭に響き、額から落ちた汗にむず痒さを感じた。
 まだ夢の中にいるような感覚で、素早く視線だけで辺りを見回す。映り込んできたのは、見慣れた天井。そして眉を下げて私を覗き込む、ミツカゲとトワ。
 二人の顔を見た途端、はっは、っと短い呼吸が出た。強張る胸がほろほろと崩れ、安らぎが隙間に沁み渡り、自然と目から涙が溢れ出してくる。

「ふぇっ、ミツカゲ、トワっ」
「リナリア様、大丈夫ですか!?」
「うわぁあぁぁんっ!!」

 飛び起き、ベッドの淵で横に並ぶ二人に抱きつくけど、私の小さな腕には抱えきれなかった。
 それでも精一杯、二人の体を寄せる。
 
 会いたかった!会いたかったっ!
 
 まだ部屋の中は暗いから夢を見ていたのはきっとほんの少しの時間なのに、すごく長い間会っていなかった気がしてしまう。
 子供のようにしがみつく私の頭を、トワが優しく撫でてくれる。私を慰める時は、いつもこうしてくれる。
 見えないけど、ミツカゲはきっと困った顔をしていと思うのは、私が抱きつくといつもそうだから。
 
 暖かいよ、気持ちが落ち着く……幸せだよ。
 
 この感情は知っていたはずなのに、二人が当たり前にくれていた沢山の幸せは、気づいていたようで気づいていなかった。
 その感謝の気持ちが、溢れ出る。
 ありがとう、ミツカゲ、トワ。
 大好きっ、大好きだよ。

「どうしましたか。怖い夢でも、見ましたか」

 トワに聞かれた怖い夢に、さっきの夢の記憶が蘇る。
 確かに私を壊す悪夢ではあったけど、でも最後の最後で私は一番取り戻したかったものを取り戻すことができた。
 だからね、消える覚悟はできている。
 迷いも不安も恐怖も今は乗り越えることができたのに、やっぱりどうしても貴方の笑顔だけが私の胸に染み付いたように残り続けてしまう。

 ダメだよ。
 私は今から、二人に話さないといけないから。

 いつもだったらね、このまま甘え続けていればよかったかもしれないけど、今はもうそういうわけにはいかないから。
 ミツカゲが少し体をずらしたタイミングで私は二人から離れ、ベッドの上にぺたんと座り、バラバラになりそうな決意を一本に束ね、深く息を吐いたあと顔を上げる。
 不安気に私を見つめるミツカゲの手を握ると、その手は冷たかった。

「リナリア様?」
「ミツカゲ、貴方の本当の名前は……イラエノなの」

 問うた瞬時、ピンと張った糸のような空気に変わった。
 月明かりに朧に照らされる、切れ長の青い瞳が大きく見開かれる。生気を奪われてしまったかのようにみるみる冷たくなる顔は、目の前にいるのがミツカゲなのかと、身をすくませてしまうほど。
 何度も握った、私を守ってくれた優しい手がカタカタと震え出すので、その手をぎゅっと握る。
 
 きっと私は、ミツカゲのことを傷つけてしまう。
 
 だから、これ以上口を開くことは心苦しいけれど、それでも聞いてしまうのはもう否定して欲しいからではなく、親だと思っている貴方と一緒に現実へ立ち向いたいから。

「そうなんだね。やっぱり貴方は天使なの。そして、私はルゥレリアの片割れなんだね」
「何故っ、どうしてそれをっ!?」

 私の両肩を強く掴み、みるみる激情を宿すミツカゲの目に、切実な願いを乗せて見つめ返す。
 
 そんな目をして欲しくないよ。
 私はもう、苦しくないから。
 
 それを分かって欲しいから、穏やかな口調を心掛け、平常心でいようとする。

「私の夢にフォニが現れて、全部教えてもらったの」
「――っ!? それは、全て奴の嘘ですっ!」
「でも、ミツカゲはさっきどうしてって、認めたよ」

 肩を掴んでいた両手が、恐るように離れていく。
 絶望に濡れるミツカゲの姿が均衡を保とうとしていた胸を押しつぶし、揺らぐ思いから思わず目を伏せてしまう。

「どこまで……ですか」
「もう、全部知ってしまったの。貴方が天使で、私はルゥレリアの片割れで、エリン様にいつでもマリャを消してもらえることも……ごめんね」

 へたへたとミツカゲは、その場に座り黙ってしまうので、私はさっきまで身を隠していた布を膝に引き寄せ、ぎゅっと握る。

 ごめんね、ミツカゲ、トワ。

 謝ったのはもう少し傷つかない伝え方があっただろうかと考えたけど、それを見つけられなかった自分の不出来さと、ヴァンとの記憶だけは内緒にしようと決めていたから。
 お守りのことも、押し花の花も二人はどうして持っているか本当は知っているけど、ヴァンがあそこにいたことまでは知らない。二人が来る前に、マリャが彼を連れて行ってしまったから。
 指先を撫でるようにシーツに這わせ、触れたお守りの本を手に取り眺める。
  
 もう、貴方には会えないんだね。

 振り返れば、後悔ばかり。
 もう会えないのに、ヴァンとの最後があんなものになってしまうなんて……あの時、貴方が伸ばしてくれようとした手をとっていれば、何か今と変わっていたかな。
 もう変えることができない過去と、私の未来は色褪せてしまったけど、唯一輝くあの思い出だけは私だけのものにしたいから、最後まで誰にも言わずにもっていきたい。
 だからごめんね、ヴァン。
 本当はこれも貴方に返さなければいけないんだろうけど、これも持っていきたいの。
 
 どうしても手放せない、私の最後の希望。
 
 ヴァンは私のこと、覚えているかな。
 お父さんとマリャの思い出は、思い出したくないって言ってたから、あの出来事も貴方の中では消されてるかな。
 悲しいけど、それでいいよね。
 だって貴方にとって私は、大切な物を奪った泥棒で、仮に覚えていてもいい思い出では決してないだろうから。

「……申し訳、ございません……申し訳ございません」

 消え入りそうな声に、思い出していた彼の顔が薄くなる。
 ぎこちなく顔を向けた先、頭を垂れ下げながら謝るミツカゲの姿に、言おうと思っていた慰めや容赦の言葉は、首元を締め上げられるような苦しさに飲み込んでしまった。

「あの悪魔が、いつまでこうしているのかと言ったのは、私に言ったのです」
「……ううん。そんなことないよ」
 
 答えを知りたいフォニは、私たちに言ったのかもしれない。でも、正直その通りなの。

「もうエリン様がいつでも、マリャを消してくれるんだよね。ミツカゲはどうして、教えてくれなかったの。そのためにずっと私を守ってくれて、その使命も果たせるのに。やっとルゥレリアの元に帰れるのに……どうして」

 この先は、まだ私が知らない真実。
 私はこんなことになってしまっても、二人が大好だよ。神様の片割れだろうと、本当の親のように思ってる。ミツカゲは、どう?
 
 貴方は私のこと、どう思ってた?

 自分の死期を知って、もうこれ以上の恐れなんてないと思っていたけど、ミツカゲが発する言葉に私はお守りを握り締めながら身構えてしまう。

「……言えなかったのは……恐ろしかったからです」

 ポツリと、落ちてしまいそうな声。
 フォニはミツカゲが私を守るのは、ルゥレリアへの忠義であってそれ以外何もないと言った。
 だから、そうだね。私も聞くのが、恐ろしいよ。
 
「……何が、怖かったの」
「主の元へ貴方をお返しすることは、承知していたはずでした。ですが……やはり私はリナリア様を失うことに、耐えられなかったのです。人のように成長を始めた貴方を、ずっとおそばで見守っていたいと……そう、願ってしまったのです」
 
 涙が一筋頬に流れた。でもそれは悲しい涙ではないから、私の口元は笑みを作る。
 やっぱり私は、酷い人かもしれないね。
 だってミツカゲは、こんなにも悲痛な声を上げているのに私は愛されていたって、欲しかった言葉を聞けて、真実を知れて良かったとやっと心の底から思えた。
 ふいに、抱き寄せられる。

「トワ」
「リナリア様。創世主である貴方様にこのようなことを言うのは、恐れ多いことだと思います。ですが、私もミツカゲもリナリア様とできた絆を、失いたくはなかったのです」

 どんな時だって、凛とした声は揺らぐことはなく私の背を押してくれたけど、今トワの声は震えている。

「いつかはと覚悟をして、おそばにおりました。ですがその覚悟は、リナリア様と過ごす時間が増えていくほど揺らぎ、私たちには決断ができなかったのです」
「うん」
「差し出すことが道理であったとしても、神の意向に背向いたとしても私たちは、リナリア様に生きていて欲しいのです」
「う゛ん」

 記憶が戻った私は、二人が今までしてきてくれたことも全て思い出していた。
 目が覚めても何も喋らない人形なような私に、ミツカゲはずっと本を読み聞かせてくれていた。
 それはどうしてなのかは、分からない。
 ルゥレリアは世界の話を聞くのが好きだから、片割れである私にもそうしてくれたのかもしれないけど、それが私を人のようにしてくれた。

「ミツカゲは、ずっと私に本を読んでくれたよね。だから私は、本が好きになったんだよ」

 トワはよく綺麗な景色を、私に見せてくれた。
 季節が変われば、風景も変わる。
 何度も巡った季節、変わる自然の色や空を一緒に見て、植物や花の名前を教えてくれたね。
 私を変えてくれたあの日も、そうだった。
 虚な目でも、しっかり見えていたよ。

「トワは素敵な景色を、たくさん私に見せてくれたね。特に花のことをよく話してくれて、だから私は花が好きになったんだよ」
「リナリア様」
「二人がたくさん世界を見せてくれたから、私はきっと夢を持つことができたと思うの」

 悲しませるつもりはなかった。
 ただずっと忘れてしまっていた恩に、感謝の言葉を送りたかっただけなのに、二人は見慣れない涙を静かに流し出してしまう。
 頬から下へ落ちる前にミツカゲは拭い、その手でお守りを抱きしめていた片手を剥がし、私の手を包むように握る。

「リナリア様、悪魔は私が必ず倒します。結界が消え、主は貴方を迎えに来るでしょうが、私が何をしてでもやめさせてみせます。ですから、貴方はどうか生き続けて下さい」

 意志宿る力強い目で、私を真っ直ぐに見つめるミツカゲから視線を落とし、悩んだ。
 
 なんて言って、納得して貰えばいいのかな。
 
 だって、そう言ってくれるだけで十分だった。ミツカゲとトワの思いが聞けて私は今幸せで、これ以上はないと思うから。
 大好きな二人を、大好きなみんなを守りたいって心から思っているし、そもそも天秤にかけられるようなことじゃない。
 許されない。
 世界を危険に巻き込んでまで、生きるようとすることは。
 許されない。
 そんな勝手は。
 大好きなみんなが生きていてくれるなら、それでいい……それで、いい。

 でも、本当は、私。

 はっ、とした。
 恐ろしいことを考えてしまったような嫌悪に私は、急いでミツカゲの手を離し、首を横に振った。

「ううん、私は行かないと」
「リナリア、様」
「私は、みんなのことを守らないと。これはずっと前から、決まっていたことだから」
「ですが、それは、もう……貴方が」

 消えてしまう。
 その言葉を理解すると、笑みを零すようになってしまったのは、どうしてかな。
 でも、ちょうどいいや。

「私は、大丈夫だよ。やっと自分がすべきことが分かって、むしろよかったと思ってる。ルゥレリアに力が戻れば、悪魔には勝てるってフォニが言っていたし、それに魔王もいるんでしょ。フォニは悪魔と戦ったあと魔王に勝てるかは、奇跡以外を願うしかないって言ってた。だからね、私はその奇跡じゃない奇跡を起こせるように、頑張るから」

 隙も与えず饒舌に話し終えた私を、二人は息を飲み見つめるだけで、何も言い返してこない。
 そんな言葉をわざと選んだ私は、薄情者。

 ごめんね、ごめんね。
 二人の気持ちは痛いほど分かっているのに、普段の性格が祟ったのかな……これしか言葉が思いつかないよ。
 でももう後悔しないように、伝えたい気持ちは言っておかないと。
 大好きな二人へ。
 私は二人に改めて向き直る。

「今まで私を育ててくれてありがとう。守ってくれて、ありがとう……今度は私が二人を守るから」
 
 私を見上げていたミツカゲの顔がみるみる歪み、床に頭を当て咽び泣く。今までどんなことがあっても、声を上げて涙を流すことはなかった。いつも私の前に立ち守ってくれていた、大きな背は今小さく震えている。
 トワは静かに泣いている。
 いつも私の頭を撫でてくれる暖かい手は、今は自分の涙を見せぬように目を覆い、綺麗な言葉を話す唇を力強く噛み締め、震わせる。
 少しでも、喜んでしまった自分を恥じた。
 二人の愛を知って嬉しいって、でもそれを知った分私に大きな罪悪感を背負わせる。
 お守りの本を抱きしめ、縋りつく。
 笑顔でお別れができるなんて思ってなかったけど、やっぱり苦しい、苦しいよ。

 これでどうやって最後笑えばいいの、フォニ。
 
 ……でも、これでいいんだよね。
 別に私が、笑えなくたって……みんなは笑っていられる。自分のためじゃなくみんなの為に戦うと、彼にそう言ったのだから。
 
 世界を守れますように。

 そう、星に願いをかけた。
 でもそれを神様に任されたのに、神様に願うのはおかしいかなってヴァンに言ったけど、確かに私が私に願いをかけたのは、おかしなことになってしまったね。
 結局叶えるのは、自分自身だってことかな。
 ねぇ、ヴァン。
 これからも続いていくこの世界で貴方は、貴方の幸せを見つけて生きていってね。
 悲しみを乗り越えて、夢を持ったり新しい友達ができたり……好きな人ができて、大切だと思える人と貴方は生きていく。
 貴方は誰を、愛するのかな。
 その人は、どんな人かな……。
 きっと、美人で奥ゆかしい素敵な人だろうね。
 ふふ、でも貴方は口下手だから、それを好きな人には伝えられなさそうだけど。
 貴方は素敵な人だから、例え悪魔の血が流れていようと私にしてくれたように、みんなの希望になれる人。
 会わなくなる私のことは、どんどん影が薄れ、忘れちゃう。
 いつまで覚えていてくれるかな。
 貴方が思い出してくれたら私は、記憶の中で生きていけるし、その時に会えて良かったってそんなふうに思ってくれたらいいな、って話をしたこと覚えてる?
 消えてしまうけど、最後まで希望をくれた大好きな貴方のために生きたい。だって私は貴方の希望になると、約束したのだから。

 だからね……どうか最後、また私の背を押して。
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