咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第三章

78.誰かの記憶(リナリア視点)

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 睡魔に委ね、落としたはずの瞼がゆっくりと開らかれると、視界には何故か白しか映らない。
 真っ白な空間は、明らかにさっきまでいた私の部屋じゃない。
 どうして私はここにいるのかな。
 そもそもここは、どこ?
 虚空を眺めた後、下を見る。
 あれ、階段が。
 視線を足元に向けると、波立つように幅の広い階段が現れる。
 今度は手元に目をやると、さっきまでは意識できなかったのに、肘置きらしきもの上に腕を丁寧に乗せているので、私は座っているのだと認識する。
 白い肘置きを指でなぞると、全体を見ていないのにこの椅子のイメージが頭の中に浮かぶ。
 真っ白な石で作られた、丸みのない硬そうな椅子……神話に出てくる神様が座るような王座みたい。
 改めて正面に、顔を向ける。
 私へと続く道、その終着の頂上で立派な椅子に座っている自分が、やけに偉そうに思えてしまう。

 変な夢。

 うとうとと自分が、微睡んでいたのが最後の記憶。
 そう、これはきっと夢。
 だけど、夢の中で夢だと認識できるほど、意識がはっきりしてる。
 けどやっぱり夢だからなのか、自分の呼吸の音すら聞こえず、冷たさを感じるほどの無機質な白い石に触れても、肌には何も感じない。
 ほっぺをつねってみる。
 うん、痛くない。
 何も感じることのない自分が不気味で、妙な気持ち悪さが胸に絡む。

 ……あんまり、見たくないな。

 嫌なのに、早くここを離れたいのに、くっついたように椅子から離れられることができなくて、脳と体が解離してしまったのか、私はぼうっと階段の下を見始めてしまう。
 視線の先に突然モヤのようなものが現れる。
 白い煙は盛んに動きながら、何か造形し、完成したそれは、人の輪郭をした白い影。
 目も鼻も髪もないのに、口だけがくっきりと浮き出て……こっ、怖い。

 はわぁぁっ!!
 まさかっ幽霊じゃないよね!?
 
 私はナメクジと同じくらい、お化けが苦手。
 見たことないし、本当にいるのか分からないけど、だからこそ怖い。
 それに、闇ビトや瘴魔しょうまは物理攻撃が効いて倒せるけど、幽霊はどうしたらいいのか分からない。
 お祓いかな?
 でも、お祓いなんて私、出来ないよ。
 何か話しているような口の動きだけを見せてくる影に悍ましさを感じ、とにかくいなくなれいなくなれと念を送っていると、その影は三日月に笑わせた口を閉じ、吹き消されたかのように消えた。
 私の胸に、安堵が染み渡る。
 
 はぁ、良かった。
 あっ!!……また出てきた。
 
 その影は、一つじゃない。
 様々な人の形をした影が、代わる代わる現れては消え、それが繰り返される。
 お化けかと思って初めは怖かったけど、何もしてくる様子がないから気も緩み、恒久的な光景に次第に虚しさを感じだす。

 退屈だな。
 退屈、退屈。
 とにかく退屈。
 私はいつまでこれを見させ続けられるのかな。

 ……あの影は、もう出ないのかな。
 
 数ある影の中で、一つだけ特別な影がある。
 何度か現れる影。
 他の影の笑みは、へつらうように形を作っているだけに見えて好きじゃないけど、その影の口元は濁りなく、いつも本当に嬉しそうに笑ってる気がする。
 それともう一つ、その影が他の影と違うことがある。
 それは、髪の毛があること。
 
 ……来た。
 
 現れた影は艶やかな金色の髪をしていて、長く伸びた髪は地まで落ち、影の足元は隠される。
 この影を見ると、何故かヴァンを思い出す。
 思い浮かべた彼は、凛々しい瞳で私に微笑んでくれて、胸をドキドキさせられる。普段人を遠ざけるように笑わないのに、たまに見せてくれるあの柔らかな笑みは、本当に反則だと思う。
 私はこの影にも、ドキドキする。
 でも、このドキドキは私がヴァンを思う気持ちとは全然違う。なんていうのかな……あ、そうだ!ワクワクするんだ。
 私はきっとこの人が来るのを、楽しみにして待っている。
 だって、変わらず楽しそうに動き続ける口元を、頬杖をつきながら微笑んで見てしまっているのだから、やっぱり嬉しいんだと思う。
 でも、私は何を聞いて、貴方は何をそんなに楽しそうに話しているのかな?
 全然分からない。
 ふと饒舌に動いていた口元が、きゅっと結ばれた。
 どうしたのかなと続く言葉を待つけど、その間胸がぞわぞわとし、なんだか落ち着かない。
 影の口元が小さく開かれると、そこから初めて音が聞こえた。
 
「この想いをどうか、受け取ってくれませんか」

 恥じらうような仕草をする影から、愛慕という生々しい感情が顕著に見て取れ、私の胸は酷くかき乱だされる。

 どうして……なんで、そんなこと言うの。

 驚きと裏切り、恐怖と拒絶。
 影の思いに私はそんな感情しか芽生えなくて、目はないはずなのに、何故か熱を帯びた視線を感じ、それがたまらなく嫌。
 私には経験のないこの嫌悪に、記憶のどこかには覚えがあった。
 そう、私はこの目が嫌い。

 この目で見られるのが、嫌。

「身の程を知れ」

 やっと私が発せられた音は、普段使わない言葉で、それも勝手に口が吐いた。
 酷い言葉に影は何も言わないけど、ただ深い悲しみを感じ、居た堪れなくて、もうこの場を逃げ出したい。
 それでも私は動けない。
 永遠に感じる沈黙の中、何もできない私はただ影を見つめていると、影は項垂れるように顔を落とす。
 それに背が粟立つ。

 なんだろう、すごく嫌な感じがする。

 その胸騒ぎの正体は、すぐに分かった。
 影の美しい金色の髪に、異変が起こる。
 地に垂れた毛先から黒が徐々に這い登り、それが頭頂まで登り、ついに影の髪は真っ黒に染まってしまった。
 黒に侵食された髪が、急速に影自身に巻き付く。
 黒に覆い尽くされた影の姿は、まるで蛹。
 ドクドクと数回跳ねるような脈を打つと、黒い繭がひび割れ、そこから産まれた影は、飲み込まれてしまいそうなほどの深い黒に変わっていた。
 それを見た私は……後悔、だけをする。
 影はだらしなく口を開いたまま、私を求めるようにゆっくりと手を伸ばすと、黒い何かが放たれた。
 それだけを理解できる速さ。
 次に激痛が体を走り、声にならない声が漏れ、息が止まる。
 恐る恐る痛みを感じた左肩を見る。

 髪……の毛。

 黒い髪が束となって私の肩を貫き、そこからぬらぬらと赤が流れ落ちる。
 刺されたんだと分かった途端、バクバクと鼓動が音を立て鳴り出す。
 さっきは頬をつねっても痛くなかったのに、燃えるような痛みに感情が込み上げてくる。

 痛い、悲しい、悲しい。

 私は急に立ち上がり、誰かに操られるように、弓を構える動作をする。
 いつの間にか手には、光り輝く弓矢が持たされていて、そのまま矢先を影に向ける。
 
 私は、この影を殺さなくちゃいけないんだ。
 でも、嫌だな。
 さっきはあんなに、楽しかったのに……どうして。

 痛みに上手く力が入らない。
 それでも私は弓矢を引き……手を離した。
 意思に関係なく放たれた矢は、彗星のように尾を引き、影の左目を射抜ぬいた。
 だけど、影は死ななかった。
 撃たれた反動で影は、体を大きく揺らした後、穴の空いた左目を黒い手で覆いながら私を見上げる。

――必ず……また――

 そう言い残し、影は光に溶けて、分散した。
 影を仕留めなかったのは、肩を刺されて力が入らなかった……からじゃない。

 私は、わざと外した。

 懺悔と共に私は、思い切り瞼を開いた。
 今の悪夢の光景はもうないけど、同じ白い空間に閉じ込められたままで、私はまた座っている。
 
 夢の中で夢を見ていたよう。
 
 頭が痛い。
 気持ち悪い。
 胸がぐしゃぐしゃで苦しい、息ができない。
 怖い、嫌だ、もう見たくないっ。
 これは夢。

 だから早く、目を覚まして……。

「お願い……早く、目を覚まして」
「これは、夢ではありませんよ。貴方の記憶、いえ、あの人の記憶と言った方が、正しいでしょうか」

 無音の世界に、幼い少年の声が広がる。
 階段の下、そこには影はなく、色のない世界にポツリとオレンジ色が立っている。
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