咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第三章

64.煩わしい問答

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 大きな水溜りが広がる砂利道を、俺達は無言で進む。
 あれからアトラスは立ち止まることも、振り返る事もしない。足に泥をつけながら、ひたすらに歩く。
 それは、覚悟の表れなのかは分からないが、順調に進めることに俺は安堵する。

 歩みを進めていると平坦な道から、緩やかな丘に差し掛かる。
 確か、この辺りだったはず。
 くらにかけた鞄から地図を取り出し、確認する。
 アナスタシアはこの丘を越えれば、そろそろ見えるはず。
 やっとリナリアに会える喜びと同時に、初めて訪れる場所に胸が高鳴る。

 アナスタシアとは、どんな町なのだろう?
 
 この国ファリュウスは精霊を崇拝し、信心深い人々が多い。首都アナスタシアには聖地として大切にされる大聖堂があり、この国だけにとどまらず世界中から祈りを捧げに訪れる者がいる、って事くらいしか知らない。だが、美しい街だと聞く。
 リナリアに手紙を届けるだけしか用はないが、せっかくなら少し見ていきたい。

「この丘を越えれば、アナスタシアが見える」
「そうか」

 そう言うとアトラスは、足を止める。
 ここに来てまたか、っと言いたいところだが、こいつの胸の内を聞いた俺は、強く急かす気になれない。
 地図をしまいながら馬の足を数本進め振り返り、黙って見守っていると、アトラスの青い瞳が俺を見る。何故か胸が跳ねる。
 
 何だ?何か、違和感が。
 
 その原因を探ろうと、青い目を見つめ返す。
 そうだ。ずっと虚で光ない目をしていたのに、やけに瞳が青く見える。
 アトラスは視線を逸らして歩き出し、俺を追い越して行く。

 なんだか、変わったな。

 出会った時は無気力で陰気な奴だと思っていたが、今は生きる意思、前に進もうとする力みたいなものを感じる。少し力になれたのか、とは自惚かも知れないが、それでもよかった。
 そんなアトラスの変化を感じた俺は、淡い期待が芽生える。

 今なら聞けそうだ。さっきの話、もう一度聞いてみるか。

 アトラスから聞いた話。天への道が閉ざされた原因が、母の張った結界のせいなのかははっきりと分からない。
 でも、その人の言う事が事実ならば、カイトの為にも早くリナリアの中にいる闇を消さなくてはいけない。
 魂の輝きが見えるのなら、悪魔の心臓を見つけられる。悪魔を倒せれば、結界は消えるのではないか。やはりその人の手助けが必要だし、彼女にも一度会ってほしい。
 俺はアトラスの横に並び、尋ねる。

「アトラス」
「ん? なんだ、急にどうした?」
「どうしてもその人を、外に連れ出す事は出来ないのか?」
「あんたも諦めが悪いな。力にはなってやりたいが、それだけはどうしても出来ない」

 やはり、ダメか。それなら。

「なら、せめて会ってほしい人がいるんだが」
「会って欲しい人? まさか、例の憑かれている奴じゃないだろうな。さっきも言っただろ? 彼女にそんな不浄な奴を、近づけさせられない」
「おい、彼女の事をそんな風に言うな。彼女だって好きでこんな事になった訳じゃない」
「あ、あぁ」

 失礼な奴だ。リナリアの事を、汚らわしいみたいに言わないで欲しい。
 
 でもそれなら、どうしたらいい。
 
 その人が約束を果たし、村から離れる前に会う事ができないだろうか。村の場所は聞いた。勝手に尋ねるか。アトラスには忍びない気持ちにはなるが、それしか思いつかない。それとも他に方法が……。
 いろいろと頭の中で画策かくさくしながら、お互い黙って丘の中腹まで歩いていると、アトラスが話しかけてくる。

「すまなかった。気を悪くしたか?」
「なんの話だ」
「さっきから、度々耳にする彼女が悪魔に憑かれているのか?」
「……」

 憑かれてると言うか、なんと言うか複雑だ。説明するのは難しいし、そもそもこの話は他人に話さないほうがいいか。

「詳しくは、答えられない」
「そうか……でも、あんたにとって大切な人なんだろ」
「な、大切なんて、そんな事言ってないだろ」
「あんたの口ぶりがそう言っていた。どんな人間だ、その女は」
「言いたくない」
「俺には聞いてきたじゃないか。なら、俺の問いに答えるのは、礼儀だとは思わないか?」

 ぐぅぅっ、こいつ。少し喋り出す様になったら、途端これだ。リナリアがどんな人かって、急に聞かれてもすぐに言葉が出ない。
 でも、悔しい気持ちにさせられ、少し考えてみる。リナリアの事を考えている最中、頭の中に浮かぶ彼女はずっと笑っている。そう、それが彼女。

「よく笑う」
「ほぉ。それだけか?」

 イラっとする。
 お前には言われたくない。それに、それだけじゃない。彼女は俺にないものを、たくさん持っている。
 今度は小馬鹿にされた気分に口が動く。

「彼女は夢をみる事ができて、俺にないものをたくさん持ってる。それを俺にも見せてくれようとする。俺は俺だって、そう言ってくれた。それが」

 嬉しかった、っと言葉が喉元を通る前に、ぎゅっと固く口元を結ぶ。

 喋りすぎた。

 横目でアトラスを見る。目を細め、よく分からない表情で俺を見つめてくる。視線も、今は沈黙の空気も嫌だ。そんな目で俺を見るな。黙ってないで何か言ったらどうなんだ。

「聞かれたから、答えたんだぞ」
「いや、なるほど。恋人なのか?」
「違うっ!!」
「そうなのか。でも、好きなんだろ? 何故、伝えない?」
「お前には関係ないだろ」
「はぁ。あんたは聞くだけで本当に俺には、何も話してくれないな」

 ぶつぶつとアトラスが文句を垂れ始める。
 俺の話は今、どうでもいいし話したくない。
 それに俺は、自分の中でこの気持ちの落とし所を決めてる……多分。
 もういい、こいつの事は無視だ。

「俺はあんたにはと思って話したのに、冷たい奴だ」
「……」
「今の気持ちをなんていうのか、そう落胆というのかな」

 ちくちくと、嫌味ったらしいな。

「俺は少し他人にも心を開けるのかと、期待したのに……気持ちが沈むな。そのせいで、疲れてきた。歩きたくない」
「子供みたいな事を。少し、黙ってくれないか」
「無理だ。俺は今傷ついている」

 前言撤回。やはりこいつは陰気だ。
 あぁ、もう仕方ない奴だな。またうだうだと歩かなくなると面倒くさい。何より今すぐに黙らせたい。
 わざとらしく言うこいつの、手の内で踊らされるのは癪だが。

「不釣り合いなんだ」
「ほぉ、それはどういう意味だ?」
「とにかく、俺は彼女のそばにいるべき人間じゃない」

 俺は悪魔の血を引いてるから、彼女のそばにいていい人間じゃない、っとそこまでは言わないが、これで満足か?
 アトラスはそうか、っと言って口を閉じる。
 やっと静かになった……かと思えば、今度はくくっと喉を鳴らすように笑いだす。
 何がおかしいんだっ!!人の気も知らないで、不快だ。

「何がおかしい」
「いや、すまない。ただ、あんたと俺はやはり似てると思ったんだ」
「どこがだ」
「悪い。事情はよくは知らないが、あんたはいい奴だ。きっと届く。だから、伝えて幸せになれ」
「余計な世話だ。だいたい人に言う前に、自分はどうなんだ」
「耳が痛いな。でもあんたに言われて、少し考えたんだ。俺は何を、伝えたいかってな。言ったところでと言う気持ちはあるが、それでも今は何故か無情に伝えたい」
「何をだ」
「きっと、あんたと同じだ」
「何を言ってるんだ、お前は」

 と、言いつつも何を伝えたいかは察しがつく。俺は伝えたいのだろうか?彼女の事が好きだって分かってる。でも、伝えたその先が見えているから。彼女が困る顔。そして、異性に想われることを嫌がっている彼女に、きっと避けられる。

 君も同じ想いなら、いいのに。

 何て考える俺は自分が嫌になるくらいに、本当に女々しい。そんな事考えても何の意味もないのに。

「あんたは見た目通り素直じゃないらしいな」
「なんとでも言え」
「それに人の背は押してくれるが、自分の事になるとダメらしい」
「うるさいな。もう、放っておいてくれ」
「まぁ、それもまた人らしい」

 ふふっと小さく笑い、アトラスはやっと黙ってくれる。だが、なんだか俯瞰ふかんされている気がして、もやもやする。
 晴れない胸で丘の上に立つ。
 視界が広がる。
 緑の中に、白い建物が立ち並ぶ光景が目に映る。あれがファリュウスの首都、アナスタシア。

 白い。

 それが街の第一印象。
 雲の切れ間から刺す光が白い街を照らし、更に白く見せる。
 次に目についたのは、広場の手前にそびえるエメラルドグリーンの丸い屋根の宮殿の様な建物。あれが、大聖堂だろうか。
 規模としてはアデルダよりも小さな町だが、荘厳そうごんなものを見ている気分にさせる。

「あれがアナスタシアだ」
「あぁ。俺はやっと、着いたのか」

 風に髪をゆらされながら、アトラスがか細い声で言う。
 俺は足を止めたままアトラスと共に静かに町を見下ろし、この町でリナリアはどう過ごしてきたのだろうかと胸をせる。
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