咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第三章

63.雲の間の光③

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 しきりに降る雨が、恐怖を助長させる。
 聞かなければと勇んだのはいいが、脅される様な事を言われ身構えてしまう。一体何の話……もしかして、悪魔と関係しているのだろうか?
 背を丸め地に座るアトラスを見つめながら思案しあんしていると、落としていた顔が上がる。
 鼓動が跳だす。
 握る拳に自然と力が入る。

「先に少し、彼女の事で話したい事がある」
「なんだ」
「彼女は……霊が見えるんだ」

 ん? 今、霊って……えっ?

 体の力ががぐっ、と抜ける。肩透かしを食らった気分に、小さく息がれる。まったく、どんな恐ろしい話を聞かされるのかと思えば。
 最近神や悪魔と言った存在を知ったばかりなのに、今度は霊ときた。俺にとっては世界を破壊し続ける悪魔の方が、余程恐ろしい。そもそも、霊なんて見た事ないから信じられない。
 体を拭いた布を畳み始めながら俺は、半ば投げやりな口調で尋ねる。

「霊って幽霊か。そんなもの、本当にいるのか?」
「さぁどうだろうな。俺も、村の連中だって見た事がない。ただ彼女がそう言うのなら、いると信じている」
「なんだか胡散臭いな」

 思わず本音が口から出てしまった。鋭い視線を感じる。アトラスが肩越しに俺を睨んでくる。どうやら怒らせたらしい。仕方ない。受け入れると言った以上、否定するのはやめよう。何よりこいつの死んだ目で睨まれるのはそれこそ、呪いでもかけられるようで居心地が悪い。

「いや、すまない。続けてくれ」
「……正確に言うと、彼女は人の魂が見える」
「魂?」
「そうだ。死者だけじゃない。生きている人間の輝きも見えるんだそうだ」
「魂の、輝き」

 考えなしに繰り返した言葉を咀嚼そしゃくして、頭の中で理解すると、胸にみるみると希望が湧きだした。

 魂の輝きが見える。だったら、その人になら!!

 リナリアが言っていた。魂の輝きを見る事が出来れば、この世界の何処かにいる悪魔の心臓を見つける事ができると。まさかこんな所で情報を、手に入れられるとは思わなかった。
 ずっとリナリアでなければいけないと思っていたが、他の人間にそれが出来ると、どうして気づかなかったんだ。その心臓さえ見つけ、倒す事が出来れば悪魔を、殺せる。
 また視線を感じる。今度は怪訝けげんな目でアトラスが見ている。浮きだった気持ちが、顔に出てしまったか。

「あんたは何をそんなに喜んでる」
「その人に頼みたい事がある」
「頼み? 何をだ」
「見つけて欲しい奴がいる。そいつが何処にいるかは分からないが、魂の色さえ見えれば見つけられる」
「へぇ。どんな色だって言うんだ」
「悪い、色。多分邪悪で、そいつは真っ黒」

 悪魔の心臓がどんな色をしているか分からないが、世界を蹂躙じゅうりんしてる奴なんてろくでもない色に決まってる。

「さっきの話を聞いてたか? 彼女にそんな事をさせられない。そう言う奴等から身を守る為に、俺たちは地を清め、結界を張っているんだ。そもそも約束を果たすまで、彼女はあの村を離れられない」
「そこをなんとか出来ないか?」
「無理だ」

 一蹴いっしゅうされてしまった。無理なのか、どうしても駄目なのだろうか。せっかく掴んだ希望なのに。
 そうだ、この事をリナリアに会えたら話そう。彼女も当てもない状況だったから、きっと希望を見てくれる。
 とりあえずこの話は一旦置いて、今は話を戻すか。

「そうか。それで」
「まったく。あんたが何をしたいかは知らないが、変な期待は持つなよ。これからする話は、希望に満ちた話じゃないんだ」

 うんざりとしたため息を吐いた後、地に向けアトラスはか細い声で話し始める。ここからが本題だ。だが、これ以上幽霊の話をされてもな。

「あの日は、いつもと変わりない日だった。村の連中は彼女へ祈りを捧げ、結界を強固にする儀式をしていた。俺は新しく村を囲うしめ縄を編んでいた」
「それを、毎日してるのか?」
「まぁな。ただ、あの日一つ違う事があった」
「なんだ?」
「彼女が社から出てきたんだ。村の連中は何事かと驚いていたが、俺は拾われて以来会う事が出来なかった彼女と再び会う事ができて、嬉しかったのを覚えている。だが反対に彼女は憂いた目で空を見ていた。そして言った。閉ざされたと」
「閉ざされた? 何がだ?」
「俺も聞いたんだ。何がと。彼女はこう答えた。天への道がと」
「天?」

『この世界には神ではなく、マリャが結界を張っている。天界の者がこの世界に侵入できぬよう』

 先日フォニが言った言葉が、忍び寄る様にじわじわと頭の中に広がる。

 まさか、母が関係しているのか?

 希望に満ちていた胸が、急に重くなる。不安と切迫感。とても嫌な予感がする。

「それはいつの話だ?」
「毎日同じ景色の中にいると、時間なんてどうでも良くなる。ただ、星が降るだろ。彼女が言っていた。この星は一年に一度、必ず決まった日に降ると。だから、あの日からその数だけ数えていた。14回だ」
「14回」

 という事は、14年前。それはちょうど母が死んだ頃、俺が9の時だ。蓋をしている一番奥底の、嫌な思い出が蘇ってくる。変わらぬ日常が突然一変した、両親が殺されたあの日。
 怒声を上げながら、家に押し入ってきた兵士達。地下に隠れていた俺の頭上で斬られた父の悲鳴と、ボソボソと怒りを孕んだ母の声。リナリアにさとされ幼い頃の記憶を思い出せるようになったが、この記憶だけは思い起こしたくない。
 でも、何故母の素性がバレたのか、それを以前一度だけキルに聞いた事があったな。キルは分からない、と答えたが、あの時……。無意識に首を振った。

 そうだ。今は関係ない事だ。
 
「それで」
「それから、その日を境に社から出てこなかった彼女が、度々外へ出る様になった。相変わらず晴れない様子だったが」
「何故……何をする為に」
「彷徨う亡者を眠らせていた」
「どう言う事だ?」
「そのままの意味さ。天への道が閉ざさたせいで、行き場がなくなった魂達を道が開けるまで、彼女はあの場所で眠らせている。たまたま彷徨って村へ辿り着いた奴らだけだがな」

 一瞬、呼吸が止まる。
 頭に過った最悪。
 アトラスが張った防御壁ぼうぎょへきの外、少し雨足が弱まりだした平原を見据みすえる。
 俺が今まで見ていた世界と、何も変わらない薄暗い世界。

 何もいない。

 ただ、その最悪を通して世界を見ると、背を舐められるようにゾクゾクとした。
 口にするのが恐ろしい。それでも、問うてしまう。

「なら、この世界は今」
「あぁ。俺たちには見えないが、この世界は亡者で溢れている。今もここにもいるかもしれないな」

 やはり、そうなんだ。それもきっと……いや、母のせいだ。

 母はこれを見越し意図的にしたのかは分からないが、まさかこんな事になっているなんて。死んでも救われないと言うのか。どうして、こんな。

「天へ昇れないと、どうなるんだ」
「この地に止まった魂達は消滅するか、悪いものに変わってしまうらしい」
「消える? 悪いものって何だ」
「消滅はもう転生への道が閉ざされる。悪いものってのはそのままの意味だ。不浄のモノになってしまう」

 そんな……それならカイトは、大丈夫なのか?

 カイトはまだこの世界で彷徨っているのか?それとも彼方の世界に留まっているのか?どちらにしろ最悪だ。
 それを確かめる事が、俺には出来ない。押しつぶされそうな不安に耐えきれず、吐露とろしてしまう。

「カイトは、大丈夫なのか」
「カイト?」
「最近、亡くしてしまった友人だ。カイトは……今、そばにいるのか」
「悪いが俺には、本当に見えないんだ。もしその友人が今、この話を聞いているなら、霊峰に行くといい」
「霊峰?」
「まぁ、そう呼ぶのは俺たちだけだがな。ここから北東にあるアステト山。そこに俺達の村がある。村へ行けば友人も彼女に助けてもらえるだろう。まぁ、今ここにいて聞いていたらだが」
「……」

 もしかしたら全部、その女のでまかせなのかもしれない。そうだったらいい。星にだって願った。もう天に昇ってカイトが安らかであって欲しいと。
 でも本当に魂が見えるのなら、リナリアの助けになるかもしれない。虚偽であってほしい、真実であって欲しい。そんな反する気持ちが胸の中でせめぎ合う。

 重たい息をアトラスは吐く。
 俺もそんな気分で腕輪に付いた青い石を、愛おしそうに撫でるアトラスを眺める。

「酷い世界だろ。今までどれだけの魂が、消えていったんだろうな。安らかな眠りに旅立ったつもりが、苦しみが待ち受けてるなんて……誰が想像できる。自分が消える絶望、恐ろしいものに変わってしまう恐怖を死んでも味わうんだ。それなのに、俺を行かせる前に彼女が言ったんだ。世界を見ておいでと。本当の世界は広く、俺が思ってるより素晴らしいと」

 聞き覚えのある言葉。ああ、そうだ。この言葉は。

『貴方が思うよりもこの世界は、素敵なことであふれてる。だからね、貴方もいつか見てほしい』

 俺もリナリアにそう言われたんだ。同じ様な事を言われる奴が他にもいるんだな。

「俺も同じような事を、言われたことがある」
「あんたも? 何故、言われたんだ?」
「何故?」

 そんな、急に聞かれても上手く説明出来ない。何故、どうしてだったか。それがリナリアの夢だから?
 じっと俺を見るアトラスの目を見返す。虚な目が初めて、俺を見ている気がした。その目に胸が跳ね、言葉を掘り起こされそうになる。

「……分からない。ただ、引きずり出された気がする」

 そう。俺が見ていた世界からもっと外、広い世界へ。

「お前に比べれば俺は自由かも知れない。たが、俺は世界が嫌いで、恐ろいもので、ずっと外に目を向け関わろうなんて気はなかった」
「そうか。あんたもいろいろあったんだな」
「彼女に言われた気がする。怖くないと世界に希望を見てもいいと。だからって、この世界自体が素晴らしいなんて思っていないが、彼女が見たいなら俺も一緒に見てみたいと思った」
「お前はこんな世界でもまだ、希望を見るのか?」
「そうだな。その為に俺は生かされたんだから」

 そうじゃないと、それしか自分の命と引き換えに、俺を助けてくれたカイトに報いられない。
 ずっと流されるように生きてきた。それでも、生かされた意味、生きてる意味はあると信じたい。
 
 口を閉ざしたままアトラスは空を見上げる。俺も見上げる。パラパラととした雨。雲の層が薄くなり、光がれだす。もう時期に雨が上がる。

「こんな呪われた世界で、苦しみを背負いながら生きたくない。でも、本当は分かっていた……彼女が俺を行かせる意味を。彼女は俺に新しい世界で、希望を見つけて欲しいんだ」
「そうだな。お前なら見つけられる」
「何故、そう思う」
「お前はあの日逃げ出し、自分で道を切り開いた。だからこそ、お前に腕輪んくれたその人に出会う事ができたんだろ」
「しかし今の俺は、自分で道を選べない」
「ならまだ会えるのなら、伝えたい事は言った方がいい。それがお前をきっと前に進ませてくれる」
「俺は、何を言ったらいい」
「それは俺には分からない。自分で考えてくれ」
「自分で」

 そう言ったのは何よりも、後悔しないで欲しいから。伝えたい事を生きてるうちに全部伝えるのは難しい。誰だって突然大切な人がいなくなるなんて、思わないから。だから俺はカイトへ何も伝えられなかった。
 
「お前はその友人に、何を伝えたかった」
「いろいろある。でも今はもしここに今いるなら、聞いているなら、その人の所へ行って救われて欲しい」

 カイト、聞いているだろうか。

 辺りを見渡す。
 目に映るのは色を取り戻し始めた緑の平原、傘にしている背の高い一本の針葉樹。
 やはり姿も見えなければ、声も聞こえない。なんの反応もないし、何も感じない。
 でも思い返す。カイトが死んだ後、時折見えた幻。あれは本当に幻だったのだろうか。自責の念が作り出した、幻覚みたいなものだと思っていたがあれは、もしかしたら。

「雨、止んだな」

 アトラスはそう言うと、おもむろに立ち上がり平原を眺める。
 地平線まで広がる濡れた緑が、生き生きとして見えた。流れる雲の間から青空が見え、そこから光が地に降り注ぎ、薄らと七色の橋が掛かる。虹なんて見たのはいつぶりだろうか。

「雨上がりの景色なんて、村の中で何度も見た。ただこんな広い場所で見るのは初めてだ」
「そうか」
「綺麗だな。それなのにこの世界は苦痛で満ちている」

 生を感じさせるこの景色も、今は胸を切なくする。ふとアトラスの言った言葉が蘇る。

『いっそ全部無くなればいいと思わないか? 全部一気に無くなれば、誰かが誰かを失う悲しみも、自分が誰かを失う悲しみも、何もかもなくなる』

 死んでも救いがないと知ってるこいつが聞くのは、おかしい気がする。

「お前はこの事を知っていたのに、どうしてあんなことを聞いてきたんだ」
「何をだ?」
「全部無くなればいい、と言ってただろ?」
「あぁ。今だってそう、思う」
「死んだって、救いがないじゃないか」
「俺の言ってる全部は、本当に全部だ」
 
 言葉を飲み込んでしまう。
 空から地に立つ、光の柱を眺めるアトラスを見つめる。

 世界ごと無くなればいいって事か。

 物騒な奴。でも例え人に憎しみがあっても、亡者として苦しむ事をこいつ自身も望んでいないのか。なんだかんだでこいつなりに、人の救いを願ってるのだろうか。
 まぁいい。一時はどうなるかと思ったが、雨も長引かなくてよかった。これでやっとアナスタシアへ向かう事ができる。早くリナリアに話さないと。彼女の中にある母を消す事がカイトを救う唯一の方法だ。

「行けるか?」
「……あぁ。これ、ありがとう」

 俺が貸した布を手渡してくれた後、アトラスは自身が作りだした防御壁ぼうぎょへきく。半透明の薄青い膜が消えるのと同時に土の濃い匂いと、じめっと肌にまとわり付く空気が一気に辺りに広がる。
 その中をアトラスは歩く。ぬかるんだ地面へ足をつけ、か水音を立てながら歩いて行く背は、先ほどよりも大きく見えた。それに少し安堵した。
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