咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第二章

51.悪魔の声②

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 フォニは話を続ける。

「父さんでも天界には入れない。ならあの人に来てもらうしかないんです。それをどれほど待ち望んでいることか」

 ふと疑問が浮かぶ。何故神は来てくれないのだろうか。神はこの世界に悪魔が辿り着かない様、人柱の様に他の世界で選んだ者に力を与え、結界を張らせ、悪魔の侵攻を遅らせるという画策をしていた。それほどまでにここへ来させなくなかったのなら、何故こんな状況になっても静観しているのだろうか。

「何故、神は来ない」

 俺の問いに、フォニは小さくため息をつく。

「本当ならあの人も、他の神々も今すぐこの世界に降りたいのでしょうが、この世界には神ではなく、マリャが結界を張っている。天界の者がこの世界に侵入できぬよう」
「結界?」
「えぇ。あろう事か父さんまで拒絶するとは。この世界は他の世界と違い、なかなか繋がれませんでした。マリャの力だけでここまでできるとは、本当に父さんは大切にしていたんですよ……なのに」

 顔を落としたフォニの声色に怒りを感じた。肌がひりつく。感情の起伏のなかったフォニが、初めて感情を露わにした。
 だが、再び顔を上げたフォニはまた同じ気味の悪い笑みをしている。

「皆、非協力的で困りますね」

 皆?

「でも、なんで……私が……どうしたら、その神様に会えるの」
「貴方の中にある闇。元々マリャは貴方の中にいました」

 フォニの言った言葉に喫驚する。
 俺は母が何かしたせいで、彼女の中に闇が入り込んでしまったかと思っていたが……違うのか!?

 思案していると、剣を抜く音が聞こえた。
 ミツカゲがフォニへ斬りかかる。一閃して見えた刃。鼓膜を覆う様な金属音。やはり受けられた。

「リナリア様! 悪魔の声に耳を貸してはいけませんっ!!」
「ふふ、どの口が」
「黙れっ!!」
「まったくうるさい犬ですね……本当に疎ましいですよ」

 フォニの体に闇が燃える様に浮かぶ。
 その闇が触手のような形を作り、素早くミツカゲの体を拘束する。縛られた体は宙に上げられ、鞭を打つ様に地面に叩きつけられた。衝撃音に鼓動が跳ね、焦りと緊張が走る。
 一瞬であった。
 あのミツカゲが……まるで赤子の手をひねる様にやられてしまった。

「ミツカゲっ!!」

 ミツカゲへ駆け寄ろうとするリナリアの前に、ふらっとフォニが現れる。

「父さんは封印される前、あの人への一撃と共に自身の闇、マリャを注いだ」

 リナリアへ語り始めたフォニは、持っていた短剣で躊躇なく自身の掌を切りつけた。裂かれたそこから、吹き出す紫。悍ましい行動に、思考が遮断される。

「侵食を恐れたあの人は、マリャを穢れた力と一緒に貴方になすりつけた。本来ならその力、切り離すつもりはなかったんですよ。貴方に闇を消してもらい、あの人は力を取り戻したい。他の世界はその為の時間稼ぎ。貴方は……それだけなんですよ」

 フォニが紫に染まる掌で彼女の腕を掴む。体を強張らせる彼女の目が、恐怖に見開かれるのを見た瞬間体が動く。

「リナリアっ!!」

 助けないとっ。

 走る俺に向けフォニが手をかざす。死人の様な目が黒く光る。
 嫌な気配に上を見上げる。宙に黒剣が一本浮かんでいる。切っ先を俺へ向けるそれが、ぽつぽつと星影の様に数が増え出す。
 フォニが片手を振ると、矢の様に降ってくる。
 立ち止まる。
 見切り、寸でところで弾く。
 重い刃に剣身が震える。
 風を切る音、地に刃が刺さる衝突音に包まれる。
 降る雨の様に止むことがない。
 加護の力を使う隙がない。
 避け、弾く事しかできず、リナリアと距離を詰めれない。

「ヴァンっ!!」

 彼女の叫び声が聞こた。
 掴まれた腕を必死に振り解こうとする彼女の顔に、フォニが顔を寄せるのが見えた。

 彼女に、近づくなっ!

 わっと怒りが湧く。
 見切るのをやめた。感覚だけで避け、走る。不思議な事に体が軽かった。
 剣の雨を抜ける前、最後の一本は避けることをせず突き切る。そばで風を切る音と共に、頬に痛みが走った。
 目に飛び込んだのは変わらず腕を掴むフォニと、体を硬直させ立つリナリア。
 そのままの勢いで、彼女の耳元で囁くようにしているフォニへ刃を振り下ろす。
 空を切る音だけで、手応えが無い。
 目の前には振り下ろした剣があるだけで、フォニの姿はない。

 どこに行った!?

 彼女に背を向け、辺りの気配を探る。

「リナリア、大丈夫かっ!?」
「……」

 返事をくれない彼女を肩越しに見る。リナリアは俯いたまま紫に汚された腕をゆっくり、だが力強く服の裾で拭いている。

「無駄話をしすぎましたね」

 離れた場所でフォニの声がした。そこを注視する。短剣を持っていないフォニは何かを拾い上げる。俺は切っ先を向けながら、拾い上げたモノを見る。それは多分フォニが持っていた花束。先の戦闘のせいなのか、それはもう花束とは言えないほど無惨なモノになっていた。それをこちらに差し出す。

「やはり貴方はあの人とは違いますけど、これ、あげますよ。この花、貴方の名前と同じですよね? 幻想……まさにその通り」

 いきなり高らかに笑いだす。何がおかしいっ。
 フォニは笑いながら空を見上げる。ずっと余裕の笑みを浮かべていたフォニの眉が、僅かに寄ったのが見えた。

「……もう時期に父さんは来きます。それまでにマリャを消せるといいですがね。できなければ父さんが直接殺すだけです。マリャの結界の源であるリナリアが消えれば、この世界に張った結界も消えあの人も、力なくとも父さんを討ちに現れるでしょう」

 静かに話すフォニの前に閃光が走った。フォニが持っていた花束が飛び散る。舞い上がったそれは宙で燃え、火の粉となりはらはらと落ちる。フォニの視線が横を向く。視線の先には傷だらけになった体を、自身で支えながら立つミツカゲがいた。

「酷いじゃないですか。本当に貴方と言う人は」
「このまま、逃げられると思うな」
「あぁ、そうでした。お礼をするのを忘れてましたね」

 フォニが俺に向き直る。
 何をする気だ。

「お兄さん。貴方にはマリャ、父さんの血が流れている。父さんの会いたいあの人。慕うあの人の力を持つ彼女が気になっているのはそのせいですよ」

 な、こいつっ!!急に、ふざけるなっ!!
 俺がそれを、どれだけ必死に隠してきたと思ってるんだっ。

 小馬鹿にしている様な目を睨みつけると、その視線がすっと横に動く。

「リナリア……貴方もずっとお兄さんを守ろうとしているのはマリャのせいですよ。マリャが貴方にお兄さんを守らせようとさせているだけです。……貴方は可哀想な人だ。神にもマリャにも信じる者にも踊らされ」
「わ、私……」

 背から聞こえた涙を含む震えた声。傷つく彼女に胸が痛み、怒りが込み上げる。

 ……よくも。

 右足で踏み込み、容易く彼女を傷つける悪魔目掛け走る。
 一撃で仕留める勢いで、全力で剣を振った。
 火花と共に金属音が共鳴する。
 受けられた。
 予想はしていた。でも、直前まで受けられる素振りなんて見えなかった。いつの間に短剣を出したのか。
 押し込もうと力を込める。
 押し込めない。
 微動だにしない。
 
 こんな小さな体で、なんて力なんだ。
 
 交えている剣身越しに、フォニと目が合う。近くで見ると吸い込まれそうなほどの、深い闇を感じる。

「これでいいですかね? ヴァンのお兄さん」
「なに!?」
「これでもう煩わしい、馬鹿げた思いが消えるんじゃないですか? 全部、マリャのせい。それを伝えた……これがお礼って事にしてください」
「ふざけるなっ!!」

 にっとフォニは口角が上げる。押していた力がふっと消える。その勢いで大きく一歩前に足を踏み出し、すぐさま剣を構え直す。
 視線の先、宙へと跳躍していたフォニは、なんの前触れなく消えた。
 強く吹いていた風が徐々に弱くなり、日が差し出す。嵐の後……まさにそんな世界に変わる。俺はフォニが消えたそこを見続ける。

 必ず、この借りは返してやる。

 怒りと憎悪は収まらない。でも、感情のままに喚かないのは今は、彼女のことが心配だ。
 俺が振り向くと、彼女は俯いてしまった。大丈夫だろうか。そばに駆け寄り、そっと声を掛ける。

「リナリア」
「ヴァン……私」

 リナリアはおもむろに顔を上げる。見えた瞳は涙を浮かべていた。怖かったのだろうか。悲しかったのだろうか。自分も悲痛な思いになる。彼女にかける言葉を懸命に考えた。何を言えば、彼女の涙は流れないだろうか。
 俺を見ていた青い瞳からついに、一筋涙が流れる。初めて見た彼女の涙に、浮かんでいた言葉が消えてしまった。

「ヴァン……ごめん、なさいっ」

 ぎゅっとリナリアは瞼を閉じ、大粒の涙を流す。泣かないで。そう言おうと手を伸ばした。その手が届く前に、彼女は駆け出して行ってしまう。

「リナリア様!」
「リナリア!!」
「貴様は、これ以上近づくなっ!!」
「――っ!! お前、なんなんだっ!!」

 肩を掴むミツカゲの手を強く振り払う。
 
 信用できない。

 おかしな事だらけだ。誰よりも彼女のそばにいたこいつは、何も知らないでただ、守ってきたと言うのか?そんなはずない。何か、知ってる。それを隠してる。
 ミツカゲの肩を掴む。

「お前は何を知ってるんだ!」
「貴様には……関係ないっ。話す事など何もないっ!」
「おいっ!!」

 今度は俺の腕を振り払い、ミツカゲはリナリアを追いかける。俺も追いかけたい、でも、追いかける事が出来ない。
 
 悪魔は彼女を傷つける。

 その血が俺にも流れている。俺も彼女を傷つけるのかもしれない。俺は……何もできないんだ。今までだってそうだ。俺は彼女が泣いていても、なんの言葉すらかけてあげる事ができなかった。それが悔しくて、たまらない。
 ふと頬に痛みを感じた。
 頬を撫で、その手を見る。
 指先についた赤い血。
 血の色だけは人間なのにっと、青空が戻りつつある空を見つめる。
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