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夢みたい
しおりを挟む◇◆◇
「はい」
出ないかもしれないと思っていたけど、コール音を二、三回鳴らしただけでキョウジは電話に出た。ただ、その声は硬くどこかよそよそしい。それでようやく俺は、まだ十五時過ぎでキョウジのようなサラリーマンは会社にいる時間だということに気がついた。
「……もしもし、俺。ユウマだけど」
「どうしたの?」
「うん……。ごめん、仕事中だって今気がついた」
「いいよ。何かあった?」
場所を移動しているのか、電話の向こうは静かだと思っていたら騒がしくなり、また静かになった。スポーツ選手用の靴を売っていることは知っているけど、キョウジの会社についてそれ以外のことを俺は知らない。テレビドラマに出てくるような大企業なのか、どこかのビルの一室を借りている小さなこぢんまりとした会社なのかは不明だ。キョウジのことも、社会一般といった世間のことも俺は全然知らないんだなあと感じる。
「あの、俺、熱が出て。会ったのは結構前だからうつってないとは思ったんだけど、でも、大丈夫か気になったから」
「えっ。熱があるの?」
俺が電話をして話したかったのは、キョウジの体調に問題がないかということと、それから、性病検査の結果を待っている所だけどうつるようなことは何もしていないから大丈夫、ということだったのに。「大丈夫? 何度ぐらい? 病院行った?」とキョウジから矢継ぎ早に質問された。
「病院は行って、検査も受けたけどインフルエンザではなかった。なかなか薬、効かなくて、38度とか39度を行ったり来たり」
「今日、仕事が終わったらユウマくんの家へ行くよ。買い物をしてからでも、二十時までには着くと思うから」
「えっ、来るの?」
熱で俺の頭がぼうっとしている間に何かが目まぐるしいスピードで決まっていく。一応、何度か「いい、悪いから」とハッキリ断ってはみた。けれど、最終的には「ごめん。この後打ち合わせなんだ。寝ていたら食べ物だけ置いて帰るから。また夜に」とキョウジの方から電話は切られてしまった。結局淋病とクラミジア検査のことは言えていないし、キョウジに来て欲しくて電話をかけたとしか思えない言動には我ながら呆れた。
「あー、何をやってるんだろう……」
「元気? ならいい」で切ってしまえばよかったのに、自分が熱を出して弱っている姿を晒すなんて本当に馬鹿なことをしてしまった。一方的にキョウジから逃げ出したのに今さら……と考えたところで、殺意を滲ませていたあの日のキョウジのことを思い出して、猛烈な吐き気がこみ上げた。なんとかトイレまで移動してから、さっき飲んだスポーツドリンクと医者が処方した三種類の薬をゲーゲー吐き戻す。口の中が甘くて苦い。それで余計に気持ちが悪くなって、涙が勝手に出てきた。
◇◆◇
十八時過ぎにやって来たキョウジは、意外にも慣れた様子で俺の世話を焼いてくれた。「三分だけ窓を開けるね」と淀んだ部屋の空気を入れ替え、枕元に放ってあった俺の薬の説明に目を通した後に、レトルトのお粥を食べさせて薬を飲ませる。
空っぽの冷蔵庫にはスポーツドリンクやゼリーを補充して、洗うのが面倒で流し台に放置していたグラスやマグカップは全て洗ってくれた。脱衣所の洗濯かごからはみ出た山盛の衣類とタオルも見ていると思うけど、それについては何も言わずにそっとしておいてくれた。
「……なんで、そんなに、なんでも出来るの」
ぼそっと呟いた俺の問いにキョウジは不思議そうな顔をした。
「合宿とか遠征に行くと誰かしら具合が悪くなるから」
「……そういうもの?」
「たぶん。わからない。俺はバカだから、考えてそうしてるんじゃなくて、覚えたことをそのままやってるだけ」
そういうものなのだろうか。ラブホテルで指名してくれた女の人に泣かれて慰めることは時々あるけど、俺はまだ、ちゃんと誰かの看病をしたことはない。たぶん出来ないと思う。やる前から諦めて顎まで毛布をかぶると、キョウジは俺の額に熱を冷ますためのシートを貼りつけた。
「ありがとう」
「うん。早く治るといいね」
「うん……。でも、これでキョウジにうつしてしまったら、意味ないんだけど……」
「うつされたとしても、怒らないよ。ユウマくんが心配で俺が勝手に来ただけ」
キョウジからそう言われた瞬間、急激に熱が下がったわけでもないのに、フッと身体が楽になったような気がした。俺はたとえそれが風邪だったとしても、自分のせいでキョウジに病気をうつすことがとても怖い。仲が拗れているままでよかったんだと思う。もし仲直り出来ていたら、きっとこの間のホテルではディープキスか、それ以上のこともしてしまって、性病検査の結果に今頃怯えていただろうから……一瞬でも大人になったキョウジとのそういった行為を想像してしまったのが気まずい。
「仕事が忙しくてずっとユウマくんに連絡出来なかったからよかった」
「……うん、ごめん」
「初めて遠くまで……広島県まで出張に行ってさ、ユウマくんにお土産を買ったんだけど忙しくて会いに来られなかった。今日持ってこられたらよかったな」
出張、土産……他にもキョウジはもみじ饅頭だとか、ビールスタンドだとか厳島神社だとか、いろいろなことを言っていたけど、薬と熱でぼうっとしていたせいで、話の内容はあまり頭に入ってこなかった。キョウジのゆったりした話し方も原因の一つだと思う。
「ねえ、ユウマくん」
「ん……」
きっと俺の目は普段の半分も開いていないうえに、唇も肌もカサカサのひどい顔だったと思う。それなのにキョウジは目を逸らさず俺のことをじいっと見つめ続けていた。
「いつか一緒に行こうね」
「う……」
いったいどこに誘われているのかもわからないし、はいはいと出掛けていいのかもわからない。だから、俺は頷くこともせずにただ短く唸った。それなのにキョウジはそれはそれは嬉しそうににこりと笑った。
「よかった。海に浮かぶ鳥居、きっと綺麗だろうなあ」
朝一番早い船に乗って、それで水辺に佇む鳥居を見に行こう。それからロープウェイに乗って、紅葉を眺めようよ……そんなことをキョウジは言っていたような気がする。何もなかったように俺とキョウジが元通りになれば、そんな夢みたいな計画も叶うんだろうか。閉じた瞼の裏が熱くて湿っぽい。ユウマくん、と呼ぶキョウジの声に反応出来なくてただただ目を閉じていた。
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