安心してください、僕は誰にも勃ちませんから

サトー

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俺のせい?

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「……それって、俺が前にキョウジの家で話したことと関係がある?」

 俺はすごく慎重に言葉を選び、声の調子にも気を配った。感情のままに話していたら今までモヤモヤしていたのをぶつけるようにして、「嘘をつかないで」「思わせぶりなことを言うな」とキツイ口調でキョウジのことを責めていたと思う。そうしなかったのは、「ごめん」と、フラッとそのままどこかへいなくなってしまいそうな危うさが、キョウジの様子から感じられたからだった。

「引かない?」
「引かないよ。だって、友達だし……」
「うん……」

 風に揺れる前髪をそっと押さえてから、キョウジは何度か深い呼吸を繰り返した。明るい茶色の瞳が澄んでいて綺麗だった。

「……前に、俺の家で、ユウマくんから、えっと、ユウマくんのことをいろいろ聞いてから、俺……。……夜、寝る前に頭の中にユウマくんのことが浮かぶ。今までは次の日の練習のこととか試合のことだけ考えていたのに」
「そうなの? ……俺もキョウジのことを考えたりするよ?」
「うん……。頭の中で、ユウマくんが……」

 そこまで話してからキョウジは言葉に詰まってしまう。ここで、キョウジに冷静になられたら二度とこの続きを話してくれなくなる。そんな予感めいたものが疼いて、俺はキョウジの顔を覗き込んで続きを促した。とにかく、俺から意識を逸らさせないよう必死だった。

「キョウジの頭の中の俺って? いつもの俺?」
「うーん……。……ユウマくんが、前に、いろんな人から触られたいって言ってたじゃん。あれが頭に浮かんで、ユウマくんはこういうのが嬉しいんだって、なんか……心配になる。心配になった後は眠れなくなる」

 側にいるキョウジを信じられない思いで俺は見つめていた。そして、キョウジの頭の中が覗ければいいのにと、とてもとても歯痒い気持ちでいた。

 キョウジは俺の身体を、胸や性器を少しでも想像したんだろうか。キョウジの頭の中で、知らない男のゴツゴツした手で全身を撫で回された時、俺はどんな表情で感じていたんだろう。
 自分の顔と身体が、純粋でサッカーをすることしか知らないキョウジの何かを変えてしまったのだと思うと、今までの人生で経験したことがないほど俺は興奮していた。全身の血が熱くなって、このまま爆発してしまいそうだった。

「俺が変なことを聞かせたからじゃない? キョウジはそれにビックリしただけで、全然変じゃないよ」
「そうかな……。でも、俺、心配だって言いながら、何回もそういう想像をして……。時々、用事もないのにユウマくんに触ってしまいそうになる。自分を抑えられないってこういうことかーって、いろいろ考えすぎて変になりそうだった」
「そうだったの? 俺は……」

 触ってくれたって全然いいのに、という言葉は口にする寸前のところで飲み込んだ。たぶん、ここまで来てしまえば、俺がそう言ったとしても、マズイことにはならないだろう。以降、キョウジは「ユウマくん、綺麗」だとか「女の子みたい」だとか、そういうことを言いながら、気軽に俺の肌や髪に触れる。
 ただ、そのままキョウジの心を繋ぎ止められる自信が俺にはなかった。半年もしないうちにキョウジは「やっぱり女とは違う」ということに気がつくだろうし、女を知ってみたいと思うかもしれない。

「……俺、キョウジに変なことを聞かせちゃったから、それで、キョウジが俺のことを気持ち悪いって思ってるのかな、俺と二人きりになるのが怖いのかなって、すごく不安になった」

 不安になったというのは嘘じゃない。このまま一クラスメイトに降格してしまうんじゃないかとずっとハラハラしていた。「いつまで惚けて、俺を振り回すつもりだ!」と詰め寄ることだって俺には出来た。そうしなかったのは、声や表情といったキョウジを形作っている要素の一つ一つがとても繊細で頼りなく見えたから。それに、ここで「かわいそう」と思わせてキョウジの心をもっともっと引っ掻き回せば、「そんなことないよ」という言葉を引き出せると判断したからだった。

「ユウマくんのことを、気持ち悪いなんて思ったことは一回も無いよ。俺と全然違っていてわからないことが多いから、もっと知りたいと思ってるだけで……」

 俺の「不安」という言葉に反応したキョウジは、一途にそれを取り除いてやろうとしていた。清らかな心と身体を持つキョウジは、俺の想像通り、とてもとても優しい。もっと広い世界を知る前の高校の三年間くらいなら俺を側に置いてくれるに違いなかった。

「本当? ありがとう。……こういうことを話すのはキョウジが初めて」
「俺も」

 きっと俺は今日のことを忘れない。どんな大人になっているかはわからない。でも、思いどおりにいかないことがある度に、今日、キョウジに微笑みかけられて「大事」だと言われたことを何度でも記憶の片隅から取り出して思い出せばきっと生きていける。きっと、キョウジはまだ「好きとかよくわからない」というレベルなのだろうけど、自分の好みの男からの友情とは質の異なる好意は俺を喜ばせた。

「……あの、気になるなら少しずつお互いに触ったりしてみる? 俺も、キョウジ以外の人とそういうことをするのが本当は怖い。恥ずかしいから本当に少しだけ」

 そこまで言ってから、俺はようやく周囲が薄暗くなっていることに気がついた。それだけ、俺の意識がキョウジに集中していたということだろう。

 俺の問い掛けにキョウジは目を見開いた後、「うん」と小さく頷いた。それからまるで何かのスイッチが入ったかのようにスラスラと「俺の家は平日はたいてい十九時まで他に誰もいない。親は仕事で遅いし、姉はアルバイトがあるから。休日は時々、家族で出掛けるけど、俺は友達と遊ぶって言えば、大丈夫」と、二人きりになれそうなタイミングについて説明した。その様子はスーパーへやってきた、優秀なお使いの子供みたいに、素直で一生懸命だった。

「……俺の家も似たような感じ」

 やろうとしていることは家族の不在時にこっそりとお互いに触り合うという不健全なものだったけど、俺もキョウジもその計画についてとても真剣だった。終いには二人でクスクスと笑ってしまうくらい。

 きっと、ここが公園じゃなくて誰もいない部屋の中だったら、迷わず抱き合っていただろうけど、微かに感じる人の気配が俺とキョウジを繋ぎ止めている。ユウマくんが大事だから、誰にも見られたくないから、という理由で「今日はここまで」とキョウジは俺の手を両手でぎゅっと握るだけだった。ムードは一切無くて、どちらかと言うと試合後のアスリートどうしの握手に近い。さすがスポーツマンと握り返したキョウジの手は俺よりも大きくて、張りのある肌をしていた。

 俺にもキョウジにも意味のある出来事だったと思う。ただの友達にしては、なんだか濃くて近いな? という関係が、お互いの合意で少しだけ変化した。思いが通じあっているとは言えないような、幼くぎこちない付き合いだけど、でも、俺とキョウジのようなただの高校生にとってはすごい進展だ。三輪車から自転車に乗れるようになったとか、ビート板を使わずにプールの端から端まで泳げるようになったとか、それぐらいの違いがあるように感じられて、その事実は俺をひどく高揚させた。

 けれど、どれだけ浮かれていたって、大学生になる頃には、キョウジはきっともっとサッカーが上手くなっていて、もっとかっこよくなっていて、もっと人気者になっているだろうな、という気はしていた。「彼女が出来たんだ」と言われるまででいい、と俺は自分によく言い聞かせるのを決して忘れなかった。

 ◇◆◇

「……ユウマくんの、店から、すごい着信がきてて。カードでちゃんと払ったから、これで大丈夫かな」

 長い沈黙の間、スマートフォンを操作していたキョウジが最初に口にしたのはキャンセル料のことだった。毎月の売り上げのことで代表から「お前がちゃんとしてねーから、これだけしか稼げねーんだろ」と毎月絞られているオーナーの死んだ目が頭に浮かぶ。

 これで俺が、キャンセルされたと嘘をついて客とタダ会いや裏引きをしている、という疑惑を持たれることは無くなるし、今日貰うはずだったお金だって手に入る。
 それでも、キョウジの「大丈夫かな」という一言は俺をイラつかせた。客のフリをして、こんなところに呼び出されて、ずっと振り回されている。なのに、なんで金のことについては気を遣ってんだよ、ふざけるんじゃねーよ、大丈夫なわけねーだろ、としか思えなかった。客であるキョウジに「払ってんじゃねえよ」と理不尽な怒りをぶつけてしまいたくなる程だった。

「お金は払ったから」

 というかもっと払ったっていいから仕事はしろ、というようなことをキョウジは淡々と口にした。その口調には迷いは一切無かった。

「男の客はとってない。頼むんならソッチ専門の人に頼んで」
「……お金さえ貰えばユウマくんは、知らない女ともセックスをしてるの?」
「本番はしない。一応禁止されてるから。それ以外なら何でもやってる」
「……股も舐めるの? 相手がどんな人でも?」
「当たり前じゃん。たったの一時間で客から一万円を貰うってそういうことだから」

 刺々しい俺の口調にもキョウジは怯まなかった。ただ何か言いたそうな目で俺のことを見つめている。俺が舌打ちして「ねえ、帰りたいんだけど。金を貰ったとしてもお前とは二度とヤらない」と言ってもその態度は変わらない。

 何もかもがクソだった。ラブホテルのバカみたいにデカイベッドも液晶テレビも、足元に置いたままの大人のオモチャとバスタオルの入った仕事用のバッグも、キョウジの細い顎も、長い首も、さらさらとした頬や唇も、何もかもが。

「……ユウマくんが勃たないのって俺のせい?」

 目を逸らしたら負けだと思った。少しでも視線を動かしたら、ずっとずっと我慢していた「そうだよ」という、泣きたい気持ちが抑えられなくなりそうだった。
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