上 下
13 / 26

モヤモヤ

しおりを挟む

 初めての中間テストで無事に全教科の赤点を回避したキョウジはますますサッカーに打ち込んでいった。聞けば一年生では一人だけレギュラーになり、何の大会だったかは忘れたけどベストイレブンとかいうものにも選ばれて表彰もされたという。

 試合はキョウジにしつこく言われたから一応観にいった。同じ学校の女子がたくさん応援に来ていたから、俺は競技場の端っこに隠れてキョウジのことを見つめていた。サッカーのルールが全然わからないから、印象に残ったのは前髪が邪魔にならないよう試合中細いゴムバンドをキョウジがつけていたことだけ。

 試合の後キョウジからは「見に来てくれてありがとう」とメッセージが届いた。それを俺はビタミンC誘導体入りのフェイスパックを顔に貼りつけたまま、なんだかむず痒いような気持ちでずっと眺めていた。

 俺の成績は相変わらずどの教科も六十点くらいだけど、キョウジには時々勉強を教えている。新入生歓迎球技大会といった大きな行事も終わり学級委員長の仕事も落ち着きつつあった。

 担任は「百瀬君、いつもありがとう」と言うけど、リーダーシップに欠けている俺にクラスの中心となってこなせるような事は一つもなくて、全てがキョウジのお膳立てで成り立っていた。

 そもそも大きな声で人前で話すという行為が苦手な俺は、ホームルームの時間に「球技大会のスローガンを考えましょう」という話し合いの場を任せられても困ってしまうばかりだった。キョウジはそれに気がついていて、「一人一個いいのを考えてくださーい」と教室の後ろまで届く大きな声で皆に投げ掛けて、お調子者やいいフレーズを思いつきそうなセンスに長けているクラスメイトから意見を上手く拾っていた。

 場が停滞すると、キョウジが黒板にサッカーのフォーメーション図を書き始めて、それで皆少しだけ笑う。担任や同じサッカー部から「矢野君」「おーい、キョウジ」と咎められると、「んひ」とキョウジはすごく子供っぽい笑顔を見せる。なんだか、そういった反応を引き出すためにあえてそういう隙を作っているみたいだった。

 そうして挙がった意見を集約して最後の最後に「じゃあ委員長はどう思いますか?」と俺に判断を委ねる。とは言っても、九割方答えが決まっている状態でキョウジがパスを寄越してくれたため、俺はいつでもその場の空気に相応しい正解を選ぶことが出来た。キョウジのお陰で俺は「出来もしないことを任されている可哀想な人」にならずに済んだ。

 勉強は俺よりも出来ないけど、学校生活だけじゃなくこの先社会に出てからもキョウジのような人間が重宝されるんだろうな、と俺は思う。スポーツマンで礼儀正しくて、明るいなんて、大人から好かれる要素ばかりだ。皆で協力して何かを成し遂げるということも出来なければ、一生懸命全力で物事に取り組むことも出来ない、自分の見てくればかり気にして、中身は空っぽな俺よりもずっとキョウジは社会から必要とされる人間だ。

 そういった自覚はあったけど、お洒落について考えることはやめられなかったし、何よりも楽しかった。何度も一人で電車に乗って、新宿や渋谷に服も買いにいった。大好きなミルクボーイとトラバストーキョーのショップには何時間いたって飽きない。小遣いには限りがあるからたくさん買えるわけじゃない。何件も店を回って何も買わずに帰る日もある。それでも嬉しかった。特に変わったこともなく、平凡な毎日が過ぎていく。

 一つだけ引っ掛かっているのは、キョウジに避けられていることだった。

 無視されたり冷たくされたりしているわけじゃない。今までと同じように一緒に昼ごはんも食べるし、俺はサッカー部の練習が終わるのを待って一緒に帰っている。他の人からも俺はキョウジといつでも一緒にいるように見えているらしく「キョウジ君とすごく仲がいいんだよね?」と知らない女子から話しかけられることも増えた。

 でも、何かが変わっている。きっと、俺とキョウジにしかわからないような、些細な何かが。なんというか、雰囲気が違う。一緒にいると楽しいし、俺もキョウジも毎日よく笑った。
 だけど、二人でいても、以前のようにぎゅっと胸が締めつけられるような空気は全然流れなくなった。そもそも誰もいない密室で二人きりという状況がなくなったし、キョウジはそうならないよう努めているように見える。放課後の教室や、校舎の裏といった人気のない場所にキョウジは寄りつこうとしなくなったし、決定的だったのは「今日は俺の家で勉強しよう」と俺から誘った時だった。すごく困った顔をするキョウジに「でも、母親が家にいるけどいい?」と聞いたら、途端にほっとした表情を浮かべて「行く」という答えが返ってきて、それで俺は察してしまった。きっと、二人きりだったら断られていただろう、と。

「暑いね」

 どうしてだろう、とずっと気分は晴れないまま、その日も練習が終わったキョウジと合流した。夕陽で全てがオレンジがかっている外で、キョウジの着ている制服のシャツは白くパリッとして見えた。わざわざ制服に着替え直したキョウジからは微かにシトラスの香りがする。運動部イコール汗をかくから臭い、と思っていたけど、意外にそういう人はいない。キョウジだけじゃなくて、放課後すれ違う部活の練習を終えた人達は、たいてい制汗剤の匂いがする。

「……水とか飲んだ?」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」

 ニコッと微笑みかけられても、やっぱり心の中では「なんだか、変だ」という思いが消えない。……原因はなんとなくわかってる。あの、テスト勉強をしに初めてキョウジの家へ行った日だ。あの日からキョウジはどうも、なんだか俺との間に一枚壁を作って、自分の心の内を見せないようにしている。いつだって物腰は柔らかくて優しいけど、それは「だから、これ以上俺とユウマくんの間の距離を詰めてこないでね」と言われているようでもあった。

「……明日も練習ってあるの」
「うん。明日は午前だけ」
「ふうん」

 ということは朝が早いのか。じゃあ、今日はこのまま真っ直ぐ帰るんだろう。すっかりキョウジの生活について、覚えてしまっているのがなんだか負けたような気持ちになる。何を競っているというわけでもないのに。俺が、キョウジとの会話よりもモヤモヤと自分の考え事を優先していたのもあって、あまり場の空気は盛り上がらなかった。

「どっか寄ってく?」

 キョウジが口を開いたのはそれぞれの家へ帰るためにいよいよ別れる、というT字路が見えてきた時だった。

「えっ……」
「そうしよう。まだ時間はあるし」

 行こう、とキョウジは来た道を戻り始めた。行くってどこへ? 全然そういう雰囲気じゃなかったのに? 俺の頭の中はハテナマークだらけだった。

「明日、早いんでしょ」
「六時前に起きれば大丈夫。それにユウマくんともっと話したいし。ユウマくんもそうでしょ?」

 上の空の相づちばかりを打つ俺の何を見てキョウジはそう判断したんだろう。もちろん話したいことというか、聞きたいことはたくさんあった。「やっぱり俺が気色悪い? キョウジのことを変な目で見てるんじゃないかって、そう思う?」とか、「いきなり襲われたらどうしようって思ってる? 俺のことが怖い?」とか。

「どこに行くの?」
「話せるならどこでも……。そうだなあ……」

 行き先は決まっていないの、ハッキリと場所を口にしないままキョウジはプラプラと歩いていく。もっと話したい、と言っていたわりに、移動中キョウジはほとんど喋らなかった。

「ここにしよう」

 やっとキョウジが足を止める頃には、俺の背中や額には汗が滲んでいた。ずいぶん歩いたような気がするけど、高校からそう離れていない総合公園の一角に着いただけだから、俺に体力がないだけで、距離にしてみればそれほど移動したわけじゃない。それでも、俺はヘトヘトだった。

 夕方の公園は昼間に比べてずっと静かだった。俺とキョウジのいる場所が、単なるウォーキングコースの外れで、野球やサッカーをする競技場から離れているから、というのも関係しているかもしれないけど、辺りには誰もいなかった。

「ユウマくん、平気? 座ろう」

 キョウジは俺のことをすごく心配してくれて、荷物も持ってくれたし、ベンチに座る時には身体だって支えてくれた。ただ疲れているだけで、気分が悪いわけでもなければ、どこかを痛めたわけでもない。でも、俺は、「大丈夫?」と自分を心配してくれるキョウジの気遣いを余すことなく受け取ることにした。すごく嬉しかったからだ。

「ごめんね。たくさん歩かせてしまって……」
「……ううん。えっと、嬉しいから、平気。俺も、キョウジと話したかったから」

 大丈夫かな。言ってしまってから不安になる。普段、キョウジに対してこれ程素直になることなんてないからだ。学校では二人で教室を移動するし、一緒に昼休みはご飯を食べてから時々机に突っ伏して昼寝をする。今だって二人で歩いてここまでやって来た。
 でも、やっぱりさっきまでとは全然違う。俺はキョウジのことだけを意識していて、キョウジだって少なくとも俺のことを見ている。ただ、それだけのことに動揺してしまって、勇気がなくて聞けずにいたことはやっぱり聞けそうになかった。

「キョウジの話したいことって何……?」

 俺がそう尋ねてもキョウジはなかなか話そうとはしなかった。二人とも口数が少ないギクシャクとした雰囲気の中で、伸びたサイドの髪を耳へかける。指の先と耳たぶのどちらが熱くなっているのか俺にはわからなかった。

「……一学期が終わったら、ユウマくと俺は委員長と副委員長じゃなくなっちゃうね」
「そうだね」

 なんだそんなことか、と少しだけガッカリした。もっと違う話題なんじゃないかって期待をしていたから。同時に少しだけ不安になる。一学期が終わって委員長と副委員長を他の誰かに交代したら、こんなふうに一緒にいられなくなる?

「……二学期になっても、一緒に帰る? もう二人ともクラス委員じゃないけど……」
「当たり前じゃん。なんでそんなことを聞くの?」
「うん……」

 珍しくキョウジは怒っていて、口調が刺々しかった。頭を左右に振った後、「ユウマくんは俺の大事な友達だよ」とキョウジは言う。

「大事な友達?」

 でも、避けているじゃないか、という言葉が喉元まで出かかった。大事に思っているならもっと近づいて欲しい。それとも大事な「友達」だから、これ以上はやっぱりダメなんだろうか。

「……大事だよ。大事に思ってるけど……」

 変なんだ、俺、と呟くとキョウジは手で顔を覆ってしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

理香は俺のカノジョじゃねえ

中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。

イケメンがご乱心すぎてついていけません!

アキトワ(まなせ)
BL
「ねぇ、オレの事は悠って呼んで」  俺にだけ許された呼び名 「見つけたよ。お前がオレのΩだ」 普通にβとして過ごしてきた俺に告げられた言葉。 友達だと思って接してきたアイツに…性的な目で見られる戸惑い。 ■オメガバースの世界観を元にしたそんな二人の話  ゆるめ設定です。 ………………………………………………………………… イラスト:聖也様(@Wg3QO7dHrjLFH)

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...