上 下
6 / 26

捕まえた

しおりを挟む

 行こう、と腕を引かれた時に走って逃げ出すとか、大きな声で助けを呼ぶとか、そういうことはしなかった。俺はただ項垂れて、腕を掴まれたままキョウジに着いてくことを選んだ。予想もしていなかった事態に見舞われて、上手く頭が働かなかったというのもあるし、きっと一時的に逃げたとしても、キョウジはまた俺の元へ現れるだろう、という気がしていたからだ。

 コートとスーツ、というコーディネートのキョウジを見るのは初めてだった。サラリーマンになったのかな、そんなことも聞けずにいる俺の腕を掴んだままキョウジはキビキビと歩いていく。運動をしていて体力があるからなのか、相変わらず俺よりも少しだけ歩くペースが速い。

 迷うことなく真っ直ぐ進んでいくということは、どこか行くあてがあるんだろう。そう思っていたから、横断歩道を渡るのも、人ごみの中をすり抜けるのも黙って着いていった。けれど、キョウジは勢いよく歩き続けるばかりで、一向にどこかへたどり着く様子はない。カフェやバーの前をいくつも通りすぎて、どんどん駅から遠ざかっていくキョウジに、痺れを切らした俺は「ねえ!」と声をかけずにはいられなかった。

「なに?」
「なんのつもりか知らないけど、話があるなら適当な場所に入ればいいじゃん。どこまで行くつもり?」

 ちょうどしばらく歩いた先に、濃いオレンジ色の建物が「Cafe」の看板を掲げているのが見える。入ったことはないけれど、店内は暖かくて静かで、コーヒーや紅茶やジュースが出てくるような、ありふれているけど安心出来る、きっとそういう店だ。

 足を止めた後、「ああ」とキョウジは頷いてみせた。まるで、なんだそんなことを気にしているのか、とでも言いたげな様子に舌打ちしたい気持ちを堪える。真冬なのに早足で歩いていたせいなのか、両頬が熱い。それなのに、俺をじっと見つめるキョウジの目や頬は、冬の空気にさらされて冷えているように見えた。

「さっきまでユウマくんが、行こうとしていたところ」
「えっ……」
「ユウマくんが女と行こうとしていたところだよ」

 パクパクと滑らかに動いた後、キョウジの唇の両端は、きゅっと上がった。微笑みかけられているのだ、とわかるまで時間がかかった。目が一切笑っていなかったからだ。
 本人に直接聞いて確かめたわけじゃないけど、キョウジは俺が女性に身体を売っていることも、待ち合わせた客とラブホテルに行こうとしていたことも、たぶん知っている。それどころか、家の場所も、ファンシーショップで働いていることも、何もかもバレているのかもしれない。背中を嫌な汗がつたう。

「……ホテルには行かない。いやだ、無理。俺に言いたいことがあるなら他の場所にして」

 絶対にこのまま二人きりになったらダメだ、と俺の頭の中で警報が鳴り響いていた。やっとの思いで俺がそう伝えるのを聞いている間、キョウジは顔の筋肉をピクリとも動かさなかった。なんというか、これからラブホテルへ行くのはキョウジの中ではすでに決まっていることで、俺の言葉はただの一人言として聞き流されているような、そんな気がした。

「……ユウマくんってさあ」

 何を言われるのだろうと身を固くするのを確かめるように、俺の腕を掴むキョウジの手に力が込められる。

「俺のラインはずうっとブロックしてるのに、客の女へのメッセージにはハートマークも使うんだね」
「それは……」

「あんず」はお前だったのか、と聞き返すことは出来なかった。どこで嗅ぎつけたのかは知らないけど、客のふりをしてこそこそ俺を呼び出すなんて、ふざけるな。……予約をキャンセルされた挙げ句、ホテルへ連れ込まれようとしているんだから、そうやって怒鳴ってやるぐらいの権利なら俺にはある。でも、出来なかった。
 切り離してとっくに決別出来ているつもりだった過去が、自分を探して、ここまで追いかけてきたことが、ただただ恐ろしかったし、それに、ここまでキョウジを追い詰めたのは俺だということがわかっていたからだ。「怖い」という感情と後悔する気持ちは、怒鳴るという行為に必要なエネルギーを俺から根こそぎ奪っていく。

「……お金さえ払えば、ユウマくんはまた俺ともそういうことをしてくれるの?」
「やめて、そういう話は、ここではしたくない……」
「そう。でも、俺がしたいのはそういう話なんだ」

 だから行こうか、と肩を叩かれる。何度か首を横に振ってはみたけれど、キョウジは再び俺の手を引いて歩き始めた。サラリーマンに見えるキョウジと、風俗で働く俺の組み合わせがどう見えているのかはわからないけれど、すれ違う人達から視線を感じる。こういう視線から、キョウジのことを守りたいと、俺は思っていた。今さらそんなことを伝えたとしても、きっとキョウジは俺を許さないだろうけど。

 黙ったままホテル街をキョウジと歩くのは、俺にはとても苦しい。思い出の中のキョウジは、バカで俺のことをいつも振り回してばかりだったけれど、眩しいぐらいに輝いていて、純粋で可愛かった。

 初めて二人で遊びに行く約束をした日も、待ち合わせ場所にキョウジはジャージを着てサッカーボールを抱えてやってきた。てっきり、デートだと思っていた俺はその時持っていた中で一番新しくて、洒落ている服を着ていたから「ふざけるな」とヘソを曲げた。それにキョウジは「ユウマくんに、俺の練習している姿を見せたかったから」と、なぜ俺が怒っているのか全く理解出来ていないようだった。たぶん、「ユウマくんだって、俺が練習しているところを見るのは好きでしょ?」と本気で思っていたに違いない。

 歓楽街を堂々と歩くキョウジの後ろ姿を見つめながらこういう所に誰かと来たことがあるんだろうか、と思うと胸がしくしくと痛む。もうあの頃のキョウジは、どこにもいない。


 自分だって、新宿のラブホテルは風俗の仕事でよく利用しているからずいぶん詳しいはずなのに、そんなことを考えるのはおかしいだろうか。「ここは値段のわりにきれい」「ここのホテルは部屋に岩盤浴がある」……このまま二人きりになってしまえば、今度こそ殺されるのかもしれないのに、頭に浮かんでくるのはそういう余計なことばかりだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

理香は俺のカノジョじゃねえ

中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。

イケメンがご乱心すぎてついていけません!

アキトワ(まなせ)
BL
「ねぇ、オレの事は悠って呼んで」  俺にだけ許された呼び名 「見つけたよ。お前がオレのΩだ」 普通にβとして過ごしてきた俺に告げられた言葉。 友達だと思って接してきたアイツに…性的な目で見られる戸惑い。 ■オメガバースの世界観を元にしたそんな二人の話  ゆるめ設定です。 ………………………………………………………………… イラスト:聖也様(@Wg3QO7dHrjLFH)

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...