2 / 33
変な電話
しおりを挟む風俗のアルバイトの給料は月末締めの翌月十日払いだ。
事務所へ戻ってきた俺から受け取った金をきっちり確認して、オーナーは「ごくろうさん」と頷いてみせた。今日のお客さんは代金を可愛い封筒に入れてくれていた。中身を抜いていないことを示そうと、キラキラ光るマスキングテープがついたままの封筒をそのまま渡したけれど、オーナーは金だけを抜いた後は一切躊躇せずに可愛い封筒をゴミ箱へ放り込んだ。
「そういうとこ、マジで雑ですよね」
「え? いやいや、現役の時は雑に扱われると逆に興奮するって好評だったよ。こういうの、俺はいつも客の目の前で捨ててたし」
「ふーん……」
客の前でお金が入っていた封筒を捨てていたのは本当で、好評だったというのは話を盛っているに違いない。そう思ったけどオーナーとこれ以上絡むのはダルかったからさっさと会話を切り上げて、ソファーに座ってさっき貰ったお茶を飲みながら休んでいるふりをした。
事務所はボロくて汚いマンションの一室にある。建物全体に漂うカビの臭いと、すぐ側にあるもつ煮込みの店からの匂い。それからオーナーが買ってくる安っぽい消臭剤の香りが混ざって空気はいつも淀んでいる。夏の夜はゴミ捨て場や外廊下がチャバネゴキブリだらけになるから気持ちが悪い。
俺達キャストを気に入ってくれていて、何度も指名をしてくれている熱心なお客さんも、この建物を見れば間違いなく全員逃げ出すだろう。
「クリスマスと正月はいける?」
オーナーからの質問には「本業が忙しい」と正直に答えた。風俗のアルバイトとは別に、俺はショッピングモール内のファンシーショップで働いている。時給は風俗の仕事の四分の一程度だけど、俺の中では風俗はあくまで副業だと決めているから、こういう時は本業を優先すると決めていた。
「ミヤビもいないと、出勤出来るのは七人だけかー……、若いヤツはすぐやめんだよなあ……」
俺に聞かせるようにオーナーがぼやく。入店して二週間程度でバックレた新人が何人かいるのは俺も知っているけど、学校が冬休みになると小遣いを握りしめた女の子がファンシーショップへ大量にやってくるから、モールの営業日はほぼ休みなしでシフトに入らないといけない。「最近入った子、いい子だったのにもったいなかったよね」と適当に話は合わせたけど、俺の意思は変わらなかった。
この後は待機だから、家にいるとオーナーに一言伝えてから帰ることにした。一人で客からの予約の電話を待ち続けるのは暇だったのか「待機ならここですればいいじゃん」「マンガだっていっぱい置いてんだから」とごねるオーナーのことは無視した。
自分のことを「三十歳」と頑なに言い張るオーナーは、数メートル先から離れて見ると、アイドルのようなイケメンだけど、近くでよーく見てみると縮毛矯正をかけ続けていると思われる髪にはツヤがないし、口元にはシワがあるし、目はいつも死んでいる。「みんなが待機中に読めるように」という理由で事務所に置いてあるマンガは『島耕作』シリーズと『美味しんぼ』と『マキバオー』というセンスだから、キャストの間では「三十歳という設定」ということになっている。
「いや、まあ待機中はいいけどさ……」
少し前なら「急に予約が入ったらどうすんだ」と強めに叱られたのに、今日は帰ることを最終的には許された。誰よりもキャスト一人一人の稼ぎを把握しているこの人は、新人のキャストに追い抜かれ、俺の人気がどんどん下がってきていることに、とっくに気がついているのだろう。
「帰る前にちょっといいかな」
狭い玄関で、皆が勝手に置いていくせいでどれが誰のものなのかわからない大量の靴を踏まないよう、苦戦しながらスニーカーを履いているとオーナーに呼び止められた。
「はい」
「……昨日の夜、変な電話がかかってきてさ。若い男から『ミヤビって人を予約したいんですけど』って言われて……。カップル用の3Pプレイの予約かと思って話を聞いたらそうじゃないって言うんだよ」
うちは女性専用の風俗店だから男性客にキャストを派遣することは出来ない。ニューハーフの方からの指名をうちの店ではミヤビなら受け付けていますが、お客様いかがなさいますか……。オーナーからの問いに男は長いこと黙ってから「そういう、ニューハーフとか、そういうことではないです」と答えたという。
「最後に『ちなみにミヤビって源氏名?』って聞かれてさ……。俺も怖くなって電話を切ったけど、なんかヤバイことってしてないよね?」
心配しているような優しい口調だったけど、疑うような目でじっと見つめられた。この業界の人間の言うヤバイことは性病、妊娠、客の旦那が乗り込んでくるのいずれかだ。
「……ヤダなあ。俺は勃たないから、そういうのは無いですよ」
勃たないからお客さんを妊娠させるようなことはもちろんしたことがない。結婚している女の人とは何人か会ったことがあるけど、皆、割り切った一度か二度の遊びという雰囲気で、「うちの嫁に手を出したヤツがいるらしいな」と旦那が怒鳴りこんで来るような人はどれだけ考えても思い浮かばなかった。
そう説明しても「変なヤツと遊んだりしてない?」と今度は男遊びをしていないか探りを入れられた。さすが、面接で「なんでインポになったの? 病院とか行った?」とずけずけ聞いてくるような人間は一味違う。
勃たねえのに、どうやって男と遊べって言うんだよと怒鳴り返したい気持ちを抑えて「わかりました。しばらくは気をつけます」としおらしく返事をした。とにかく早く帰りたかったからだ。
「マジで気をつけてよ。問題は嫌だよ」
「はいはい……」
俺がプロフィールに書いた「すべてのお客様へ。安心してください、僕は誰にも勃ちません。でも、僕は女性が大好きです」という文章に「確かに勃たないなら本番されたって被害届を出される心配もないし助かるな。もっとインポで売っていくか」と言っていたオーナーから、勃起しないと出来ない客との本番行為まで疑われて嫌な気分だった。
それから徒歩と電車、合わせて一時間の移動時間全部を使って、「変な電話」をかけてきた人物について考えてみたけれど、心当たりは一つもなかった。
11
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
きみが隣に
すずかけあおい
BL
いつもひとりでいる矢崎は、ある日、人気者の瀬尾から告白される。
瀬尾とほとんど話したことがないので断ろうとすると、「友だちからでいいから」と言われ、友だちからなら、と頷く。
矢崎は徐々に瀬尾に惹かれていくけれど――。
〔攻め〕瀬尾(せお)
〔受け〕矢崎(やざき)


手の届かない元恋人
深夜
BL
昔、付き合っていた大好きな彼氏に振られた。
元彼は人気若手俳優になっていた。
諦めきれないこの恋がやっと終わると思ってた和弥だったが、仕事上の理由で元彼と会わないといけなくなり....

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる