安心してください、僕は誰にも勃ちませんから

サトー

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変な電話

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 風俗のアルバイトの給料は月末締めの翌月十日払いだ。
 

 事務所へ戻ってきた俺から受け取った金をきっちり確認して、オーナーは「ごくろうさん」と頷いてみせた。今日のお客さんは代金を可愛い封筒に入れてくれていた。中身を抜いていないことを示そうと、キラキラ光るマスキングテープがついたままの封筒をそのまま渡したけれど、オーナーは金だけを抜いた後は一切躊躇せずに可愛い封筒をゴミ箱へ放り込んだ。

「そういうとこ、マジで雑ですよね」
「え? いやいや、現役の時は雑に扱われると逆に興奮するって好評だったよ。こういうの、俺はいつも客の目の前で捨ててたし」
「ふーん……」

 客の前でお金が入っていた封筒を捨てていたのは本当で、好評だったというのは話を盛っているに違いない。そう思ったけどオーナーとこれ以上絡むのはダルかったからさっさと会話を切り上げて、ソファーに座ってさっき貰ったお茶を飲みながら休んでいるふりをした。

 事務所はボロくて汚いマンションの一室にある。建物全体に漂うカビの臭いと、すぐ側にあるもつ煮込みの店からの匂い。それからオーナーが買ってくる安っぽい消臭剤の香りが混ざって空気はいつも淀んでいる。夏の夜はゴミ捨て場や外廊下がチャバネゴキブリだらけになるから気持ちが悪い。
 俺達キャストを気に入ってくれていて、何度も指名をしてくれている熱心なお客さんも、この建物を見れば間違いなく全員逃げ出すだろう。



「クリスマスと正月はいける?」

 オーナーからの質問には「本業が忙しい」と正直に答えた。風俗のアルバイトとは別に、俺はショッピングモール内のファンシーショップで働いている。時給は風俗の仕事の四分の一程度だけど、俺の中では風俗はあくまで副業だと決めているから、こういう時は本業を優先すると決めていた。

「ミヤビもいないと、出勤出来るのは七人だけかー……、若いヤツはすぐやめんだよなあ……」

 俺に聞かせるようにオーナーがぼやく。入店して二週間程度でバックレた新人が何人かいるのは俺も知っているけど、学校が冬休みになると小遣いを握りしめた女の子がファンシーショップへ大量にやってくるから、モールの営業日はほぼ休みなしでシフトに入らないといけない。「最近入った子、いい子だったのにもったいなかったよね」と適当に話は合わせたけど、俺の意思は変わらなかった。


 この後は待機だから、家にいるとオーナーに一言伝えてから帰ることにした。一人で客からの予約の電話を待ち続けるのは暇だったのか「待機ならここですればいいじゃん」「マンガだっていっぱい置いてんだから」とごねるオーナーのことは無視した。

 自分のことを「三十歳」と頑なに言い張るオーナーは、数メートル先から離れて見ると、アイドルのようなイケメンだけど、近くでよーく見てみると縮毛矯正をかけ続けていると思われる髪にはツヤがないし、口元にはシワがあるし、目はいつも死んでいる。「みんなが待機中に読めるように」という理由で事務所に置いてあるマンガは『島耕作』シリーズと『美味しんぼ』と『マキバオー』というセンスだから、キャストの間では「三十歳という設定」ということになっている。

「いや、まあ待機中はいいけどさ……」

 少し前なら「急に予約が入ったらどうすんだ」と強めに叱られたのに、今日は帰ることを最終的には許された。誰よりもキャスト一人一人の稼ぎを把握しているこの人は、新人のキャストに追い抜かれ、俺の人気がどんどん下がってきていることに、とっくに気がついているのだろう。

「帰る前にちょっといいかな」

 狭い玄関で、皆が勝手に置いていくせいでどれが誰のものなのかわからない大量の靴を踏まないよう、苦戦しながらスニーカーを履いているとオーナーに呼び止められた。

「はい」
「……昨日の夜、変な電話がかかってきてさ。若い男から『ミヤビって人を予約したいんですけど』って言われて……。カップル用の3Pプレイの予約かと思って話を聞いたらそうじゃないって言うんだよ」

 うちは女性専用の風俗店だから男性客にキャストを派遣することは出来ない。ニューハーフの方からの指名をうちの店ではミヤビなら受け付けていますが、お客様いかがなさいますか……。オーナーからの問いに男は長いこと黙ってから「そういう、ニューハーフとか、そういうことではないです」と答えたという。

「最後に『ちなみにミヤビって源氏名?』って聞かれてさ……。俺も怖くなって電話を切ったけど、なんかヤバイことってしてないよね?」

 心配しているような優しい口調だったけど、疑うような目でじっと見つめられた。この業界の人間の言うヤバイことは性病、妊娠、客の旦那が乗り込んでくるのいずれかだ。

「……ヤダなあ。俺は勃たないから、そういうのは無いですよ」

 勃たないからお客さんを妊娠させるようなことはもちろんしたことがない。結婚している女の人とは何人か会ったことがあるけど、皆、割り切った一度か二度の遊びという雰囲気で、「うちの嫁に手を出したヤツがいるらしいな」と旦那が怒鳴りこんで来るような人はどれだけ考えても思い浮かばなかった。

 そう説明しても「変なヤツと遊んだりしてない?」と今度は男遊びをしていないか探りを入れられた。さすが、面接で「なんでインポになったの? 病院とか行った?」とずけずけ聞いてくるような人間は一味違う。
 勃たねえのに、どうやって男と遊べって言うんだよと怒鳴り返したい気持ちを抑えて「わかりました。しばらくは気をつけます」としおらしく返事をした。とにかく早く帰りたかったからだ。

「マジで気をつけてよ。問題は嫌だよ」
「はいはい……」

 俺がプロフィールに書いた「すべてのお客様へ。安心してください、僕は誰にも勃ちません。でも、僕は女性が大好きです」という文章に「確かに勃たないなら本番されたって被害届を出される心配もないし助かるな。もっとインポで売っていくか」と言っていたオーナーから、勃起しないと出来ない客との本番行為まで疑われて嫌な気分だった。


 それから徒歩と電車、合わせて一時間の移動時間全部を使って、「変な電話」をかけてきた人物について考えてみたけれど、心当たりは一つもなかった。
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