裸でいるよりそそられる

サトー

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水の中の暮らし(6)

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 寒くなってきて、水槽の温度管理が難しくなってきたから専用のヒーターをホームセンターで買った。お金はイチカ君と半分ずつ出しあった。

「人間の俺もカケルも、寒い思いをしてるって言うのにな」

 大量に作ったおでんをつつきながら、イチカ君とは笑いあった。電気代を少しでも安くしようと、本当に寒さが厳しくなるギリギリまで暖房はつけないようにしている。明け方、寒さで目を覚ました時にイチカ君が布団の上で体を丸めてモゾモゾやっていたのが可哀想だったから、「入る?」と尋ねてみたことがあった。イチカ君は無言で俺の側に寝そべってそのまま気持ちよさそうに眠ってしまった。

 俺はというと、イチカ君をベッドに招き入れたことに、自分でも少しビックリしてしまっていた。水槽と同じようにヒーターがついて、この部屋そのものが快適になれば寄り添うこともなくなるんだろうか。

 イチカ君との付き合い方は変わっていない、と思う。一緒に服を買いにいく時、イチカ君は俺の選ぶ服を見て「無難だな」とつまらなさそうにするし、俺はイチカ君の選ぶつま先が異常に尖った妖精みたいな靴について「……ある意味似合ってるよ」と正直な感想を伝える(そして、イチカ君がゲラゲラ笑う)。

 ユーチューブにすぐ影響されて「俺達も魚を捌いてみよう」「チャーシューを作ろう。凧糸でぐるぐる巻きにして、煮る時にネギの青い部分を入れる本格的なやつ」と上手く出来るかどうかわからない事への挑戦も続けている。何かが急に変わってしまったら、今のイチカ君との暮らしそのものがなくなってしまいそうだった。


 だから、「今度出るアルバムの、初回限定……AだったかBだったかについてくる映像」というディスクをイチカ君が持ってきた時も、なるべくステージ衣装から覗くイチカ君の素肌を意識しないようにした。

 リリースする本人ですら特典を把握していないのはどうなんだろう、と思ったけれどイチカ君のバンドはシングルCDでも初回盤と通常盤で特典を変えて最低でも四種類は発売する。それどころか「店舗限定特典」とうたって、握手会やツーショット撮影会といったイベントもしょっちゅうやっているから、映像特典を何のおまけに付けたのか忘れてしまうのは仕方がないことなのかもしれない。

 それほど大きくはないステージの前にはファンの女の子達がぎゅうぎゅうになっている様子が映っていた。その光景を見ていると、ライブの後、気分が悪そうにしながらしゃがみこんでいた女の子がいたことを思い出した。激しく頭を振ったり、押しくらまんじゅうのように左右に押し合いをするせいなのか、その子は立ち上がれなくなっているようだった。

 さっきドリンクを引き換えてもらったカウンターで水を手に入れて飲ませた方がいいんだろうか、男の俺がそういうことをするとナンパ目的だと思われるかな、とぐずぐず考えているうちに人波に揉まれて、ライブハウスの一番後ろに立っていた俺はそのまま出口まで押し出されてしまった。結局その子がどうなったのかはわからない。

「……どうかな。結構かっこよく撮ってもらえたと思うんだけど」
「うん。うん、いいと思う。……ほんとだ、かっこいい……」
「……本当に? 一番?」
「うん……? うん」
「そっかあ……。うん……」

 たとえ同居人の男からでも、褒められると嬉しいのか、イチカ君はなんだか噛み締めるように相槌を打っていた。

 新しくCDをリリースするということは、バンドの活動は順調なんだろう。でも、イチカ君は最近、バンドの練習をちょくちょくサボっている。イチカ君はいないのに、ギターは家に置いてきぼりのことが増えたからだ。でも、相変わらず曲作りには長い時間を費やしているし、家で歌を歌ったり、ギターを弾いたりする時は楽しそうにしている。

 本当にやりたいことなら、きっと「行くな」と言われたって練習には行くだろう。どうしてバンドの練習をサボっているのか気になるけれど、行かない、ということは、今はそういう気分なんだろうと思ってイチカ君には特に何も聞かないままでいる。

「……こんなふうに、静かに過ごせる時間っていいよな」

 テレビを見たまま、イチカ君がぼそりと呟いた。いつもステージの上でたくさんのファンから歓声を浴びている人は、こういった何気ない時間をありがたく感じるのだろうか。

「……今のはさあ、こうやって誰かと一緒に静かに過ごせるのはいいよなー、って意味だから」
「へえ……? なんか、違うの?」
「全然違うよ。ただ静かでいたいだけなら、じゃあ、一人暮らしをすれば? みたいに思われるじゃん……」
「……そんなこと思わないよ」

 でもさ、バンドが今よりももっともっと売れたら、イチカ君は自分で部屋を借りられるでしょ、とは言えなかった。代わりにイチカ君が、「だって、実家にいた頃の俺はほとんど喋らなかったもんな」ということをぽつぽつと話した。

「俺、思うんだよな。誰の側で毎日ギターを弾いて曲を作ったかが、俺にとっては重要だったんだなって……。最近、ようやくわかった」
「あー、そうなんだ……」

 自分でもずいぶん素っ気ない返事だと思う。「そうなんだよ」と頷くイチカ君は特に何も感じていないのか、またテレビに写る自分の姿に集中し始めた。
 本当はイチカ君とすごく親密になれたような気がして嬉しかったことも、真面目に音楽の話をしているイチカ君のことを「かっこいいな」と思ってしまったことも、なんだかヤバイような気がして、しばらく顔が上げられなかった。どうかこのまま、何もなかったように、流れるように時間が過ぎていけばいい。

 誰の側で、と言われた時に「俺の事を言っているの」と俺が動揺したことが、このままイチカ君に掬い上げられずにどこかに流れていってしまえばいい。

 テレビの中はちょうど曲と曲の合間になったらしく、「イチカー」と叫ぶ女の子の声が聞こえる。
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