裸でいるよりそそられる

サトー

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水の中の暮らし(2)

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 バイト先のカラオケボックスで「ルームシェアをしてくれる人を探している」と、先輩から声を掛けられたのは一年前のことだった。最初はてっきり先輩が同居人を探しているのだと思った。

 カラオケボックス以外にもステーキ屋と大きな倉庫でバイトをしている先輩は、同じようにアルバイトを掛け持ちして生活している人達数名と二階建ての一軒家に暮らしている。
 ついに一軒家が満員になったんだろうか、と思っていたら「俺じゃなくて友達が住むところを探してる」「カケル、ルームシェアとか興味あるって言ってたじゃん。どうかな?」と言われた。

「え、俺ですか……」

 どうかな、と言われても、誰かと一緒に暮らそうなんて考えたこともなかったため、「いったい俺はいつそんなことを言ったんだろう?」と首を捻りたくなった。
 もしかしたら、先輩からたくさんの人と一緒に暮らしているという話を聞いた時に「へえ、楽しそうですね」とは言ったかもしれない。でも、たとえそう口にしていたとしても、それは俺の本心ではなくて、会話をスムーズに進行させるための相槌の一つだったに決まっている。なにせ、そんな返事をしたことを覚えてもいないのだから。

 慌てて「先輩の家では暮らせないんですか?」と提案した。さすがにいきなり知らない人と同居するなんてことはありえないだろう、とは思っていたものの、先輩の中で俺は「ルームシェアをしてもいいと言っていた人」として認識されていたことについて、どうしようという不安もあった。

「ああ、俺のとこか」

 すでにたくさんの人がいるなら一人増えたって大丈夫ですよね? と食い入るように見つめる俺に先輩は「そうなんだよ、それも考えた」と頷いてみせた。

「アイツ、猫がダメだって言うからさ」
「猫……」
「アレルギーで猫がいる家には住めないんだってよ」

 猫アレルギーの症状がどれほど深刻なものなのかわからないのと、だからといって見ず知らずの人と俺がどうして結びつけられるんだろうという困惑とで、「ええ……」と曖昧な返事をするしかなかった。

「生活費の半分を払うくらいの金は稼いでるし、ほとんど家にはいないだろうから、全然心配ないと思うよ」
「家にいないって、何をしている人なんですか?」

 家にいない人、と聞いて頭に思い浮かんだのは冒険家や漁師といった職業だった。けれど、先輩から返ってきた答えは、ビジュアル系の人、だった。

 ◇◆◇

 インターネットで「ルシエル イチカ」で検索すれば、顔写真もSNSもすぐに出てくるからまずは調べてみてよ、と先輩からは言われた。今までの人生でそんなふうに人を紹介されたことはない。やっぱりこれは何かの冗談なのでは? と思い、もちろん検索なんかしなかった。

 そしたら翌日、休憩中に先輩から「どうだった? え? 見てない? なんで? すぐ出てくるのに?」としつこく聞かれて、しぶしぶイチカ君について調べることになった。

 イチカ君の所属するバンドであるルシエルの公式サイトと、本人のツイッターアカウントはすぐに見つかった。俺はその時初めてイチカ君の姿を目にした。ほっそりとした顔に、大きな目とふっくらとした唇。さらさらしていて長い金髪といい、リカちゃん人形みたいだ。真っ白で柔らかそうな衣装は腕の部分が透ける素材で出来ていて、頭にはユリの花の髪飾り。

 物憂げな表情を浮かべているプロフィール写真や、「みんな、今日のライブも来てくれてありがとう。大好き」というツイートをざっと眺めてみても、自分とこの人が一緒に暮らすなんて、まるで想像がつかなかった。

「無理? なんで? アイツおとなしいし、カケルが思ってるより全然普通だよ」
「うーん……。カラコンとか入れてる人はちょっと……。爪にマニキュアも塗ってたし……。あと、バンドマンって女の人を殴ってそうだから……」
「えー……殴ってはいないと思うけど、どうだろうな。その辺はよくわからん。とりあえず、今日『店に来て会ってみろ』って連絡しちゃったからさ」

 本人に会って直接聞いてみればいい、と軽い調子で言う先輩は、店の場所も俺が何時であがるのかも勝手にイチカ君に教えてしまっていた。

 そして、ひょっこり現れたのはやたら肌の色が白くて、透明感のあるゴールドアッシュの髪をしたイチカ君だった。オフィシャルサイトの写真とは違い、ステージ衣装も着ていない、メイクもしていないイチカ君は、先輩の言うとおりとてもおとなしくて、なんだか輪郭自体がぼんやりしているように見えた。「あの」と一声かけてきた時の雰囲気が、気乗りしないカラオケに無理やり連れてこられた人に似ている。

「俺と一緒に住んでくれる人がいるって聞いてきたんですけどお」

 派手な格好をして音楽をしているような男はきっと女が大好きで騒がしい。それまで俺が思い描いていた偏見にまみれたバンドマンのイメージとは全然違う、細い柔らかい声と聞いている方の気が抜けてしまうようなおっとりとした話し方。油断して「俺です」と答えそうになってしまったことに自分でもビックリしながらまごまごしていると、「とりあえず気が合うか話してみてから決めろ」と先輩に無理やりカラオケボックスを追い出された。

「名前なんて言うの」
「あっ、カケルです……」
「腹、へってる?」

 アルバイト中は何も口にしていなかったから、お腹は空いている。それに、この後どうするべきなのかもよくわからなかったからイチカ君と二人でラーメン屋に入ることにした。

 俺の下調べではイチカ君がツイッターに「おいしかった♡」と頻繁に載せているのはスターバックスのフラペチーノや可愛くデコレーションされたケーキやアイスクリームばかりだった。だから、ラーメンを食べる姿はあまり想像出来なかった。

 けれど、実際のイチカ君はラーメン屋で「スープなめらか油多め、ほうれん草なし、麺少なめ」と迷わずごちゃごちゃしたオーダーをするし、ずぞぞぉーっと豪快に麺を啜る。長い髪を器用に指の先で押さえながら、せっせと箸を動かして小さな唇にどんどん麺を運んでいく。

「カラオケのバイトって大変そうだね」「大学生? じゃあ頭いいんだ」とポツポツと話を振ってくれるイチカ君は、怖い人でもなければ、すごく変わっているわけでもない、ごくごく普通のお兄さんだった。

「ヴィジュアル系の人もラーメンを食べるんですね」
「えっ! 当たり前じゃん。替え玉だってするし」

 すみません! とイチカ君は元気に手を挙げてお店の人を呼んでから俺の分の替え玉まで勝手に頼んでしまった。

「しまった。減量中だから麺を少なめにしたっていうのに、美味すぎて替え玉を頼んでしまった」

 意味ねー、と笑った後、背中をほんの少し丸めて飲むような勢いでラーメンを啜るイチカ君はリカちゃん人形のような姿の時とはまるで別人だった。

 イチカ君は俺よりもずっと短い時間で白っぽいぶよぶよした脂がいっぱい浮いたスープまでお腹の中におさめてしまった。食べるのが遅い俺のことを、イチカ君はラーメン屋の座り心地の悪い椅子に行儀よく腰かけてずっと待っていた。

 人を待たせてしまっている、と焦らないといけないはずなのに、なぜかその時はそんなふうに感じなかった、と思う。「麺大盛りで替え玉なしにした方がよかったかな」と呟くイチカ君の口調がのんびりしていたからだろうか。もうずっと昔からこういう付き合いをしていたっけ、と錯覚してしまいそうなゆったりした時間が流れていった。



「……それで、一緒に住むことは考えてくれましたか?」
「うーん……」

 帰り道、心細そうにしているイチカ君からそう尋ねられた。こうやって一緒に食事をするくらいなら問題ないとしても、同じ家で生活するとなると話は変わってくる。

「やっぱり会ったばかりの人と一緒に住むのはちょっと……。まず俺、イチカ君の本名も知らないし……」
「えー……そんなところにこだわるんだ?」

 バンドマンのイチカ君にとってはステージネームの方が本当の名前よりもよっぽど大切なのか、ずいぶん不思議そうな顔をされた。

「今はどこに住んでるんですか?」
「実家。俺の父親、俺が女みたいに髪を伸ばして、化粧をしているのが気にくわないみたいでさ。もう三年くらい口きいてないんだ。だから、家を出たいんだよね」
「えっ……」

 べつにそんなことはもう気にしてないけど、とでも言いたげな口調でイチカ君はすらすらと今の生活について話した。思った以上になんだか深刻な話だ。ビックリしてしまって、「うん、うん」と相槌を打つのが精一杯だった。それで、声がやや高めで、息が流れていくようなイチカ君の喋り方だけが妙に俺の耳に残った。

 襟足の部分を長く伸ばしているイチカ君の髪が風でさらさらと揺れる。確かに、丸坊主や角刈りなんかに比べたら男らしくはないかもしれない。でも、すごく女っぽい髪型というわけでもない。そういうヘアスタイルだった。

 一緒に住んでいるお父さんと三年も口をきいていないなんて、きっとさぞかし居心地が悪いだろう。同居人を探している理由が「どこでもいいから実家を出ていきたい」なら、そのうち女の人のところに転がり込むつもりなのかもしれない。

「一緒に住んでくれる女の人はいないんですか。だってバンドマンってすごくモテるんですよね?」
「うーん……」

 女は難しいから、と言ってイチカ君は肩を竦めた。

「それに俺は、ファンとはもう付き合わないって決めてるから。だから、ファンの家には居候出来ないんだ」
「……あの、じゃあ俺も、今日からファンになってもいいですか?」
「えー? なんでよ?」

 俺は本気で言っているのに、イチカ君は「いいセンスをしてるな」と大ウケしていた。

「カケルみたいな正直な人とはきっと上手くやっていける気がするんだよな」

 そしてその日、「一緒に暮らしたらどういう感じになるのか試してみよう」と着いてきてしまって以来、イチカ君はうちに住み着いてしまっている。

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